当たり前と勘違い
いつからか、朝起きて目にする景色や、あたりまえに流れる毎日の時間を、そのまま当然のように受け取っていました。
朝、蛇口をひねれば当たり前のように出てくるきれいな水。
季節が変わるたびに、当たり前のように巡ってくる豊かな旬の恵み。
大切な人と「また明日ね」と手を振り返し、当たり前のように訪れる次の日。
私たちは日々の中で、たくさんの「当たり前」に囲まれて暮らしています。
けれど、ふとした瞬間に気づくことがあります。
それは「当たり前」なのではなくて、ただの私たちの「勘違い」なのかもしれない、と。
本当は、どれひとつとして、最初から約束されたものなんてありません。
誰かがどこかで静かに支えてくれている労働や工夫。
奇跡のようなバランスで成り立っている自然のめぐり。
そして、今日という日を無事に終えられたという奇跡。
当たり前という言葉は、私たちが日々の安心感を得るために作った、とても都合のいい勘違いの箱なのかもしれません。
その箱の中に閉じ込めてしまうと、ひとつひとつの本当のありがたさや、かけがえのなさが、少しずつ見えなくなってしまいます。
未来のためにできること。
そう聞くと、どうしても大きな行動や、特別な決意が必要な気がしてしまいます。
けれど、本当に大切な未来をつくる一歩は、もっと身近で、小さな場所にある気がするのです。
それは、自分の中にある「当たり前」という勘違いに、そっと気づくこと。
今ここにある温かいごはんを、ゆっくりと味わってみる。
いつも部屋を明るく照らしてくれる電気に、心の中で小さく感謝してみる。
自分を支えてくれている人たちに、いつもより少しだけ優しい言葉をかけてみる。
「当たり前」を「ありがとう」にひとつずつ書き換えていくこと。
その小さな意識のグラデーションこそが、10年後、20年後の未来を、優しく温かい場所へ変えていく確かな力になります。
未来をつくるのは、特別な誰かの大きな功績だけではありません。
今日、当たり前という勘違いに気づき、目の前の世界を愛おしく思ったあなたのその眼差しが、もうすでに素敵な未来を育て始めています。
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