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神の王国の相続──正しくない者は、王国を相続できない


キリスト教の信者のなかには──
「信じるだけで救われる」と言う人がいます。


この表現は、やや誤解を招くものと言えます。

新約聖書にあるパウロの手紙には、正しくない者は神の王国を相続できないと記されているからです。

この誤解は、聖書にある「二つの時代」を区別することで解くことができます。

📌この記事では──
信じる者正しい者の報いの違い、そして二つの時代について見ていきます。



1|神の王国を相続できない者


パウロは手紙の中で「神の王国を相続できない者」を、次のとおり例示しています。

【コリント人への第一の手紙 6章9-10節】
それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。
まちがってはいけない。
不品行な者偶像を礼拝する者姦淫をする者男娼となる者男色をする者盗む者貪欲な者酒に酔う者そしる者略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

【ガラテア人への手紙 5章19-21節】
肉の働きは明白である。
すなわち、不品行汚れ好色偶像礼拝まじない敵意争いそねみ怒り党派心分裂分派ねたみ泥酔宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。
このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

【エペソ人への手紙 5章5節】
あなたがたは、よく知っておかねばならない。
すべて不品行な者汚れたことをする者貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。

【コロサイ人への手紙 3章5-6節】
だから、地上の肢体、すなわち、不品行汚れ情欲悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。
貪欲は偶像礼拝にほかならない。
これらのことのために、神の怒りが下るのである。

パウロが挙げた例示は、何を根拠に述べているのでしょうか。

また、ヨハネの黙示録には次の記述があります。

【ヨハネの黙示録 21章8節】
しかし、おくびょうな者信じない者忌むべき者人殺し姦淫を行う者まじないをする者偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。

【ヨハネの黙示録 22章15節】
犬どもまじないをする者姦淫を行う者人殺し偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。


👉パウロ34個+黙示録14個=合計48個
これらを分類して整理すると、次のとおりになります。
注:太字は、黙示録に記述されたものです。


① 異教的背信

偶像を礼拝する者、偶像を礼拝する者、偶像礼拝、偶像を拝む者偶像を拝む者、まじない、まじないをする者まじないをする者おくびょうな者信じない者(10個)


② 性的堕落

不品行な者、不品行な者、不品行、不品行、汚れたことをする者、汚れ、汚れ、好色、姦淫をする者、姦淫を行う者姦淫を行う者、男娼となる者、男色をする者、情欲、悪欲、忌むべき者犬ども(17個)


③ 社会的堕落

そしる者、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、人殺し人殺し、盗む者、略奪する者、偽りを言う者偽りを好みかつこれを行う者、貪欲な者、貪欲な者、貪欲、ねたみ、酒に酔う者、泥酔、宴楽(21個)


👉このように分類すると──
性的堕落への警告が三分の一を超えることが分かります。姦淫や不品行はどの手紙でも言及されており、特に避けるべきものだと分かります。

また、社会的堕落に分類した貪欲は、偶像崇拝に繋がるとありました。


2|神の価値観の反映と十戒の適用


パウロが挙げた例示は単なる個人的な道徳観ではなく、神の価値観の反映であり、十戒の適用と考えられます。


聖書の神の価値観=十戒

第一戒(ほかの神々を持たない)
第二戒(偶像を造らない)
第三戒(神の名をむなしく担わない)
第四戒(安息日を覚えよ)
第五戒(父と母を敬え)
第六戒(人を殺さない)
第七戒(姦淫しない)
第八戒(盗まない)
第九戒(偽りの証言をしない)
第十戒(欲しがらない)


  • 異教的背信は、第一戒(ほかの神々を持たない)と第二戒(偶像を造らない)の適用です。

  • 性的堕落は、第七戒(姦淫しない)そのものですし、創造の秩序という観点では第五戒(父と母を敬え)とも関係するでしょう。

    • 品行を保ち隣人を大切に思い、そのように扱うことは、互いの父母を敬うことに繋がります。

    • また、人は誰でも父と母から生まれます。男女の●●●婚姻制度は、この創造の秩序を尊重することに他なりません。

  • 社会的堕落は、第六戒(人を殺さない)・第八戒(盗まない)・第九戒(偽りの証言をしない)・第十戒(欲しがらない)の適用です。泥酔や宴楽は、酔いや興奮による判断力の低下が問題なのでしょう。


これらを神の民を自称●●●●●●する者が行うなら、第三戒(神の名をむなしく担わない)にかかわることになるでしょう。


👉このようにパウロの警告は──
神の価値観である十戒の原則を反映した適用の例示であることが見えてきます。


📍十戒とモーセ律法とは別物です。


3|第四戒(安息日)が無い理由


「相続できない者」の例示に、第四戒(安息日を覚えよ)への言及はありませんでした。

パウロの例示が十戒の適用なら、なぜ第四戒はないのでしょうか。
これには、次の理由が考えられます。


パウロと安息日

パウロは、元パリサイ派のユダヤ人である自身がユダヤ教の象徴とも言える安息日を強調することで、異邦人信者を律法主義の奴隷へとミスリードする危険性を心得ていました(ガラテア4章9-11節)。

そして、本来の安息日は──イザヤ58章の預言にあるとおり──神の七日目である千年王国時代において成就することから、パウロの時代においては「各自が心の中で確信しておればよい」と言うに留めたと考えられます(ローマ14章5-6節)。


📍イエスとパウロの安息日とイザヤの復興預言については、こちらの記事もご覧ください。


七日目と八日目の概念

また、黙示録の例示は21章と22章にありました。
これらは千年王国時代の後に来る新天新地の預言です。

【ヨハネの黙示録 21章1,5節】
1節 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった

5節 すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。


千年王国時代は神の七日目で、すべてが新しくなる新天新地は神の八日目です。

補足:
神の六日間:アダムから6000年間
神の七日目:千年王国時代(神の安息日)
神の八日目:新天新地(永遠)


神の価値観は普遍ですが、十戒に表された安息日──七日目の概念は天地が滅び行くまで、つまり、すべてが新しくなる八日目にはその役割を終えているのです

【マタイによる福音書 5章18節】
よく言っておく。
天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

このため、いまの天地が消え去った後の21章と22章には、安息日の言及が無いのです。



4|信じるだけでいいのか、正しい者である必要があるのか


パウロは──
キリスト者であってもなくても、アダムによって死んでいるすべての人●●●●●が、キリストによって生かされると言っています(コリント第一15章20-22節)。


そうです。
パウロの他の手紙を読むと「信じるだけ」でいいように読める部分があるのです。
いやむしろ、死人がキリストによって生かされるには自ら●●信じることさえ不要と読めるのです。

キリストの勝利によって「死」が滅ぼされることは既に確定しており、すべての人を生かすという神の計画は、信じるかどうかという人間側の個人的な事情に依存しないのです。
これがまさに恵みであり、福音なのです。


しかしパウロは、正しい者でなければ神の王国を相続できないと断言し、事例を示して何度も述べています。

実は、
「信じる者」と「正しい者」との表現の差は、七日目と八日目との違いから来るものなのです。


七日目──千年王国時代に、神の王国を相続する


神の王国の相続とは──
神の七日目である千年王国時代を、神の民として生きることです


信じるだけで貰えるのは、神の八日目である新天新地での復活の命●●●●です。

八日目の復活の命だけ●●なら──
行いによらず、信じることさえ不要で、すべての人に与えられます。乳児も幼児もキリストを知らずに死んだ人も全員です。


ただし復活の命を貰っても、黙示録21章と22章にあったとおり行いよって報いが異なり、正しくない者は都の外に出されるのです。

【ヨハネの黙示録 22章12-15節】
「見よ、わたしはすぐに来る。
報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう
(中略)
いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている


今は六日間の終りでキリスト再臨直前

今わたしたちが生きているのは神の六日間の終りで、七日目の直前です。

神の民である自覚があり、千年王国時代を神の民として生きることを目標とするなら、神の価値観の中を歩むことを求め、そのわざに励むことが求められているのです

【コリント人への第一の手紙 15章58節】
だから、愛する兄弟たちよ。
堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


パウロが示した価値観は、神の価値観の反映であり、イエスが語った「何をすべきか」とも一致しているのです。

【ローマ人への手紙 3章31節】
すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか
断じてそうではない
。かえって、それによって律法を確立するのである

【マルコによる福音書 10章17-19節】
イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。

イエスは言われた、
「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。


あなたは──
死後にただ生かされる者で満足するでしょうか。

それとも、
神の王国を相続する者として歩むでしょうか。


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