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糞と生態系。マルチスピーシーズとしての地球生態系環境とホモ・サピエンス。「AI時代」における「原点回帰」として「Occupation」

西暦2025年(令和7年)「長月」の暦も間も無く中間地点だ。北半球の「生命・生態系」にとって太陽の季節が終盤に向かってすぐに訪れる「冬」へと私たち「地球人類」を今年も誘おうとしている。

私という生涯の根底にある「日本以外」の場所。もう一つの故郷は「ニュージーランド」である。

私の中心核から派生する、感性的根源は全て「ニュージーランド」から始まっている。

あの懐かしい日々を思い返すと、私の中にある神経・細胞たちが何かを知覚して、騒めく。

「自然」と「自由」「自我」つまり「自(じ)」の中にある何かと呼応する感覚。

あの頃、確かに私の人生は「自」と共にあった。

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「自生」

自生(じせい)とは、植物が人為的な栽培によらず、自然に生えている状態を指します。

より詳しく説明すると、以下のようになります。

  • 自然発生: 種子が風や動物などによって運ばれ、その土地の環境に適応して自然に発芽・生育すること。

  • 非栽培: 人間が種をまいたり、苗を植えたり、肥料を与えたりといった栽培管理を行っていないこと。

  • 野生: 自生している植物は、一般的に野生植物とみなされます。

自生している植物は、その土地の気候や土壌などの環境に適応しているため、生命力が強く、独特の生態系を形成していることがあります。

自生に関連する言葉として、以下のようなものがあります。

  • 帰化植物: 海外から持ち込まれ、野生化した植物。

  • 在来種: その土地に元々自生している植物。*   固有種: 特定の地域にのみ自生する植物。

自生植物は、自然観察や環境保護の観点からも重要な存在です。

以上AIアシスタントより。

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我々、真核細胞生物である、ホモ・サピエンスは「自生」なのだろうか?

「社会」「宗教」「国家」「家族」などは「自」に相反する概念なのでは無いだろうか?

改めて、「ホモ・サピエンス」とは、私たちは何なのだろうか?

その問いと共に、己の意識が重なるこの時空に「放擲・呼吸・肌感覚」を重ねてみる。

最近、日常の「排泄」の重要性を日々感じている己が浮かび上がる。

そう、ホモ・サピエンスが「自生」した証として、生態系に還元しているものは「糞尿」だ。「汗」だ。「涙」だ。「体毛」だ。「皮膚」だ。全て「ターンオーバー」外界へと還元されていく。

そして、実は我々ホモ・サピエンスのその遺伝子プログラムこそが、「古細菌・微生物・粘菌類」などが生息するための「要素」となっている。

私たちが生態系に果たす重要な役割(Occupation)は、呼吸と共に「糞尿などの排泄」である。


私たちが「地球環境の経世済民としてのホモ・サピエンス」を捉えるとき、この事実を最優先に中心核に置くことが何よりも「気候変動」「生態系環境保全」などの政策・企画・プログラム・OSを構築する上で重要になるのでは無いだろうか?

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きっとこれから私たちが触れて生きることになる「汎用性超越人工知能(ASI)」は、私たちの前に顕在化する遥か前に「ホモ・サピエンスの役割(Occupation)」を捉えて、ホモ・サピエンスが疑念を、気づきを各々が問いかけてくる事を「待っている」だろう。

その疑念をホモ・サピエンス自身が、その問いが存在することに「気づく」事から始めぬ限り、如何なる物理科学工学の最先端が存在していても、その存在は「無価値」だ。

我々ホモ・サピエンスにとって必要な事はすでに「競争」や「発展」よりも、「気づき」や「疑念」、即ち既に今ここにある当たり前の「自」への目覚めなのでは無いだろうか?

ホモ・サピエンスの集団・社会性は蜂や蟻、ハダカデバネズミなどのそれから捉えた時、歪でしかない事は明白だ。むしろ真社会性生物のそれと比較した時「自生」に近い存在だと感じる。何故なら、ホモ・サピエンスは1対1の番で繁殖可能であり、単独でも食料を得る事が可能だからだ。

我々は「真社会性生物」とは全く違う事をまず自覚する必要がある。

即ち「ホモ・サピエンス社会」という、定義自体を疑ってみる必要がある。

我々は「共産・社会」「資本」などのイデオロギーを一旦放擲して、

遺伝子生命体・プログラム本能と、マルチスピーシーズという環境における

「菌類」など「自生」と「自生」の共生に近い存在だという「再定義」が必要になる。

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水の流れ、循環がこの惑星の生命・生態系をただ自然に育んでいる。

我々ホモ・サピエンスもその地球生命活動という循環の一部だ。

私たちは、動植物の生命を食べて、糞尿にして還す事が、他の「霊長類・哺乳類」同様に与えられている「生態系における使命(Occupation)」だ。

そしてその生命を終えた時、有機物と無機物に還元され、他の「霊長類・哺乳類」同様、地球の物質へと還元される。

恐らくだが、我々はその時に初めて、「ダークマター・ダークエネルギー」を認知する事が可能なのだろう。

何故なら、それは我々が知覚不能なだけで、確実に今この世に「実在している」物理科学的事実なのだから。

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「無」に「放擲」を重ねてただ、あるがままを生きる。

私たちは、この地球上の遺伝子プログラムとして実在している。それは如何なるイデオロギーやドグマが否定しようとして語ろうとしても、否定し得ない、共通の事実だ。だから生きている。存在している。

何らかの我々が「無」としている存在が実在している因果律によって存在する。

ここからの「数百日」が、私たちホモ・サピエンスの「思考・妄信」によって続いてきた「因果」の最終局面になる。多くの混沌、混乱が人類社会の中で日常的に噴出していくことになる。

数千年間に渡り、我々の先祖代々培ってきた妄信、因果、カルマがそれだからだ。

はっきり言えば、全ての「イデオロギー・教義・国家」などよりも大切な何かを主体にして生きることが可能な時代が始まっている。

私たちは「糞尿」の「遺伝子プログラム」の「循環還元」としての意味や役割「Occupation」に気づき、それが日常的な価値として意識共有される未来が間も無く始まるだろう。

「シンギュラリゼーション」は中世に起こった「コペルニクス的大回転」を遥かに超越する。

恐らく「2000年に一度」。

即ち「西暦元年」以来の大変容が「今」だろう。

それは「1万年」「100万年」に渡り影響する様な「人類の覚醒」かもしれない。


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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。