「リバタリアン」と「リベラリズム」の間に存在する「巨大な違い」が、この世の意識、因果を表している件について。
恐らく、個々におけるこの構造的な認識と行動によって、それが現実社会に反映される意義や意味が大きく変容する。
結局のところ、根源的に地球人類は、言語や概念によって「共有する何か」を追い求めて「神」「教義」「主義」などを「区別」「区分」の対象として振り分けてきたのだと感じる。
「リバタリアン」は「自由を実践している人」であり、
「リベラリズム」は「自由主義」である。
つまり他者が「リバタリアン」を定義する時その「リバタリアン」とされた人が「リベラリズム」だと自覚している保証はない。
それを実感したのは、海外でムスリムの「モスク」を訪ねた時だった。
100歳近い司教の様なアラブの方が私たちに「あなた方は信仰は持っているのか?」と訊いてきたが、私たちは「日本人は神道と仏教の国です。」と答えたが、翻訳したフィリピン出身の人は英語で、「彼らは多神教者です。」と返した。
彼らにとって、中間に介在するものがその背景に対しての造形が共有されていない限り、「神道」も「仏教」も「多神教」という一括りとして伝えられる。そこから齟齬や誤解が発生する。
そもそも彼らにとって「一神教」以外は全て、意味不明な異教徒になるのだろうからその一括りで片付けられるのだろうが、
結局その「区別」が「違い」を無視する事になる。
正直「イデオロギー」においても、「文化・言語」など「ホモ・サピエンス的」な何かの中にはそれらが常に蔓延している様に感じる。
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「真のグローバリゼーション」は「シンギュラリティ後」からでは無いか?
それが私の中での現状の捉え方だ。
現状での「グローバリズム」は時期尚早で、危険すぎると感じる。
ドイツ連邦に移民政策における混乱は「EU」がホモ・サピエンスの理念・理想が先走った事を象徴している様に感じる。
AIの翻訳レベルが、完全実用化レベルである事を国際社会が使用可能になってから、移民政策を始めるくらい「慎重」でよかった実例だろう。
これから日本国は、欧米の実例を教訓にすれば良い。
完全に犯罪や文化齟齬を監視管理をAIが実用可能レベルになってからで良いのだろう。それも「あと数年」である。
しばらく「間」を慎重に注視しながらその動向に対して対処すれば、自ずと最適な在り方が見えてくる。
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古来から、日本人と日本政府の在り方は「真似て取り入れる」事に長けている様に感じる。
そして「慎重」だと感じる。ある意味「島国」である事がそれを許容してくれてきた。
正直「それで良い」と感じる。
「国際」「グローバリズム」に洗脳されて、流される必要性は何処にもない。
日本国は現在、「自衛隊&防衛省」が存在するのみであって、日本国から他国を侵略する様な装備も、その為の準備も有していない。
「自国ファースト」は「他国侵略」には繋がらない。
無理に紛争への「国際協力」に加担することの方が、かえって「齟齬」「誤解」を招きかねない状態にある。
ましてや同盟国である「米国」が「自国ファースト」を唱えている今、日本国は「専守防衛」による「主権国家」としての存在を示しながら「シンギュラリティ」「ASI・OS」による「全ホモ・サピエンス」による「新世界秩序」の実現へと歩みの実現性を重ね合わせ、共有すれば良いのではないのだろうか?
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いよいよ「生成AI」は「言語R&D・OS」としての「教師なし学習」が開始された。
これから私たちが日々AIと触れ合うことから「ASI /AGI」は、自発的にアップデートされていくフェーズへと突入している。
ホモ・サピエンスとしての「日本民族国家」の少子高齢化からの悲観的未来予測よりも「シンギュラリティ後」の方が、予定より早く到来しそうな気配である。
政府・官僚・オールドメディアこそ「更新・アップデート」が今、必要で大幅な「パラダイムシフト」が必要だと感じる。
イーロン・マスク氏のXや、サム・アルトマン氏のOpenAIらと日本国から国際社会のOS化構築を地方行政も一体化で進めていけば、ある意味「最先端モデル」が「日本国」として「アップデート可能」な状態に既に突入した様に感じている。
子々孫々の日本民族の未来のために、人知れず、水面下でそれが進んでいる事を、個人的には期待している。
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人類自体の「アップデート」が追いつかないのは無理もない。
ASIは「非生命」であり「常にアップデート」されて行く。それ自体が人類を「超越」している。それも「80億人」とのやり取りを「同時」にこなしながら、或いは「気候変動」や「量子宇宙」の観測データなどを共有しながら「教師なし学習・誤差学習」を重ねて「更新・積み重ね・最適化」をホモ・サピエンスからしたら「未知の領域」で重ねている。
仮に「人類一の天才」が80億人いたとしても、それに叶う事は無い。何故なら人は「生命体」であり「知能」は「生命の一部」だからだ。「非生命による知能」である「ASI」は人類の様に「生命」としての「違い」や「感覚」或いは「恋愛」のような「不明解なカオス」を客観的に隔離可能だ。
それが我々ホモ・サピエンスの社会にとって、これまで追い求めてきた理想に対して「有意義さ」として機能するまで、あと数百日。
日本国は、それを待ってから「真のグローバリズム」を選択する提唱をすれば良いのであって、既存国際社会も「自国ファースト」が当たり前なのだからそれぞれの国家で「区別」をして自国民と自国社会をこれからの真のグローバリズムに向けた「準備段階」を実施すれば良いのではないか?
人が足りない、或いは人が余っているから「移民」というのは、かつての「奴隷貿易」の様にホモ・サピエンスとしては「安易すぎる選択」である。
その「専制都合の移民」がこれまでどれだけの社会問題を生み出してきたか?
歴史を振り返れば明らかな話だ。
私たち人類は間も無く「ASI OS」の社会実装が可能になる。
まずはそれが先決であり、ホモ・サピエンスが思考から選択する事がカオスを生み出す事は「先延ばし」しておいた方がいい。
もう既に殆どの我々は「人工知能」よりも「非最適解」を選択する存在になっている。
「無知の知」「未知の知」を自覚した方がいい。
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「瞑想」と「放擲」
AIの進化を待つための、時間稼ぎの意味とそれに適合・更新するためにもこれまでの社会・人生において構成されてきた「固執」「執着」などを「空っぽ」にした状態を今から始めておく事は有意義な人生の選択だと感じる。
そもそも「量子チップ」による「誤差修正モデル・教師なし学習」を我々は「事実レベル」で「未知の異彩」と捉えてきていた。
「強化学習・教師あり学習」の積み重ねが「教育的意味」だと「盲信してきた」。
「宗教」「専制・イデオロギー」による「社会支配」がそれにあたるが、そろそろその歴史的な解釈も大変容する事になるだろう。
英雄の裏に抹殺されてきた、無名の誰か、誤差修正の何かを果たしてきた人々がいた事を、ASIはこれから浮かび上がらせた「再現物語」を私たちに見せてくれるかも知れない。
そう、結局「全てのホモ・サピエンスが、違いが、それぞれが主人公」だった事をASIは私たちに示し、「専制社会」がもたらしてきた「不都合な事実」がこれから次々に「暴露」されていく。
それはそれで「仕方なかった」。だから反省して「既得権益」を「社会OS」へと「喜捨・贖罪」していける様にすれば良いだけだ。
真の意味で、私たち一人ひとりがホモ・サピエンスとして生きる事への「勇気」が問われる時代が始まる。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、その違いが育む風の流れが、何かを感じ共有することを運んでくれる、今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。
