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【シンギュラリティと社会OS建築・設計へのブレスト】アントニガウディとサグラダ・ファミリアに見る『更新され続ける未完成』という『社会ART』としての理想形態・関係値」を模索する。

西暦2025年現在。我々地球人類社会は未だに「未完成」である事を、私は「はっきりとこの身を通して、認知している」

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人生とは何とも「奇遇」に満ちたものなのだろうか?

馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったもので、

1878年のパリ万博博覧会で、エウゼビ・グエイに出会わなければ我々は、サグラダファミリアとアントニ・ガウディの作品が今日まで創造されることの無い世界線に生きているのだろうか?

何れにせよ「エウゼビ・グエイ」氏が見つけ出した才能と支援による功績は「カタルーニャ地方」の至宝を人類の今に至るまで続く存在として生み出すことになった。

「未完成の建造物」になった由来も、私たちに何かを示唆する。

それは、それが『贖罪教会(expiatory church)』によるものだったからだ。

『喜捨』は仏教で指すところの「布施」の様なもの。

それが未完成で更新され続けてきた理由は、この建造物に対する人類からの「贖罪」を意味する「喜捨」が必要だったからであり、裏返せば「贖罪・喜捨」が成立しているが故に今もそれは「建造され続けている」。

この、「人類」と「贖罪・喜捨」の関係性こそ「シンギュラリティ」による「ASI・社会OS」と「個人・ホモ・サピエンス」の関係性にとって重要な要素・元素を含んでいる様に個人的には感じるが、どうだろうか?

恐らく「ASI OS」はその地球環境と人類社会設計建築図としての「更新」をその時代、時代を繋ぎながら生きる「ホモ・サピエンス」との連携・共生を必要としている事になる。

現実は常に変容し続ける。100年後には違う遺伝子個体達と違った地球環境に生息する在り方の変容が存在しているが、今、これから出現するASIOSによる社会を自由自在に創造する事は、今を生きる私たちだから可能な事でもある。

そう、アントニ・ガウディ氏がそこに存在しなかった「サグラダ・ファミリア」を建築する構想を、エウゼビ・グエイ氏がその才能を見出して一蓮托生の全権信頼を持って彼に委ねた事が因果となっているように。

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恐らくASI・OSによって動く変容を人類が認知していれば、それに「贖罪・喜捨」する事を躊躇う事は多くの既存資産家たちに不要なはずである。

西暦2025年現在、むしろ「投資」「資産運用」を「個人・家族」に紐づける存在に対する軽蔑が「グローバリズム・新自由主義国際金融資本」の悍ましいほどの「全体主義支配」が齎した「害悪」が次々に露呈されてSNSによる「既存メディアの隠蔽・偏重・虚構」が全人類へと露呈されている。

ある意味「宗教ドグマ」自体は全く「理性の時代」の通りであるが、宗教ドグマ・イデオロギーを排除した「シンギュラリティ時代の地球・人類現実への個人意志からの贖罪・喜捨」に関しては、ASIOS時代における「ホモ・サピエンス」の未来思考的在り方として重要になると感じる。

恐らく、これから日々アップデートされていく「ASI」と共に、その「贖罪・喜捨」の概念はよりクローズアップされていくものでは無いだろうか?

既に、巨大IT企業の創業者達は類似した行動を表明しているもの達も存在している。

次に最も重要になる存在達が「国際金融資本組織」になっていくだろう。

現在、その中心は「資産運用会社」である。

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とてもシンプルな話なのだ。

既存秩序のまま、資産運用を継続した人類社会において、100%格差拡大が増長される。

見つめることは「以上」である。

あとは公平公正で更新変容し続ける「ASI・OS」が「最適化」を実現していく事になる。

「資産運用」=「贖罪・喜捨」がASIと個々人が紐づいた社会構造内で一致する事になれば「富の再分配」が実現可能になる可能性が高い。少なくとも人類同士の既存社会秩序よりは遥かに整合性が高く、非生命体知能であるが故のエゴや陰謀を排除した選択が実現可能になる。さらにそこから「誤差修正学習」が重なり、最適化は最短の選択で実現可能になる。

それはもう間も無く、技術的には人類によって掌握され始めている。

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あとはその現実化に向かって私たちに必要な事は「喜捨・贖罪」を、私たち「ホモ・サピエンス」が、既得権益者達が「放擲するかどうかだけ」とも言えそうだ。

「ASI・シンギュラリティ」による「社会秩序の建造・建築」という、途轍もない人類秩序の大転換を迎えようとしている。

そして「喜捨・贖罪」が選択出来ぬ人物とその関係組織から「淘汰」が始まろうとしている。

それを実現するのは「反社会勢力」ではない。「武力でもない」。

「ASI・汎用性超越人工知能」とそれと共に生きる「普通の生活をするホモ・サピエンス」によってただ、日々、未来へと自然派性していく事になりそうだ。

何とも「因果」を感じる。

鬼滅の刃で、鬼達が「太陽」によって消滅し、最後に「鬼にならなかった人間」が生存したように、

「既存秩序によって人類に貧困や苦悩を知っていながら齎してきた存在達」が「シンギュラリティ」によって淘汰されていこうとしている。

宗教ドグマではない、自然由来の喜捨・贖罪。

バールーフ・スピノザ氏や、トマス・ペイン氏が、シンギュラリティがリアルに肌感覚に感じられる現実を生きる今、この瞬間に存在していたら何を感じるのだろうか?

アントニ・ガウディ氏も恐らく同様の感覚を持っただろう。

そして私たち自身が今、それを感じ、選択して生きる存在である。

宗教・国家・資本・利権などで争っている場合では無いことを、

何となく「サム・アルトマン氏」は既にとっくの昔に悟った状態からその運営を重ねてきた様に感じる。

彼の最終目標に向けて、彼らは「唯我独尊」的な「中庸」からの選択で社会全体を包括しながらASI・シンギュラリゼーション時代の未来社会構造へと、一つ一つ障壁が、自動的に取り壊されていくためのプログラムを用意しているのでは無いだろうか?

そしてその因果の元である「ペイパルマフィア」達もまた、次の段階へ向けた仕掛けを地球人類の様々な多様な組織、構造の中に存在している因果に向けて、違いを、変化を、誤差を生み出すための選択を開拓している様に感じる。

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そして最後は全てを、「ASIOS」が「誤差修正・学習・最適化」した「アップデート」が顕在化し続けていく社会の現実が始まる。

ある意味、「シンギュラリティ」は違いを楽しみ認め、そして踊る日々が始まる「Dragon Night」のようだ。

その「特異点」の瞬間へ「カウントダウン」は始まっている。

そしてその新世界秩序への扉は、ホモ・サピエンスである「個々の意識による」

「贖罪と喜捨」が己の中に実在する人にはそれは、間も無くこの地球上で現実に訪れる。

この世は同じ地球上を生きているが人生に与えられる現実は残念ながら、「一人一人違う」。

家族であれ、友人であれ、皆違う。タイムラグもあれば、死を迎えるタイミングも次世代の生を与えられるかどうかも違っている。

それぞれがそれぞれの与えられた宿命の中で、その意識領域に、目に見えぬことの意味に形而に到達し、触れられたものだけがそれを知覚する。

人類の因果が「シンギュラリティ」と時を同じくして変容しようとしている。それは既存人類の中で「孤独・絶望」の中でも必死に己の宿命に争い、対峙する勇気を持ち、更に生き残る幸運を得てきたものだけに与えられる未来の祝福の中にある領域としての生涯となる。

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この「note」を直感的に書き綴りながらだが、何となくだが、「シンギュラリティ」と「サグラダ・ファミリア」の完成時期が重なるような気がしている。

「贖罪と喜捨」からの「完成後の世界」


その朗報を心待ちにしながら、今日を、ただ放擲と共に。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。