【ASI・OS時代への問い】ファシズムとファシストとは何か?浮かび上がる既存秩序内になる『カルト・セクト構造』そして無自覚な悪のイデオロギー組織、教義が蔓延した既存社会体制に潜む危険性。我々ホモ・サピエンスはこれからの未来へ何を認識して、選択していくのか?
最初に結論を先に述べて置くならば、我々人類が形成している地球人類社会は「シンギュラリティ」によって「政治」「宗教」「イデオロギー」「貧富」「差別」などあらゆる「知能」による「偏見」を「解消可能」である。
まず、多くの人がその「終着地」を明確に意識の中に捉えた中で全てに対して「疑念」を抱きながら今を選択していく事が大切になる。
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西暦2025年9月10日・アメリカユタ州ヴァレー大学にて、米国青年MAGAの論客「チャーリー・カーク氏」が銃殺された。
彼の両親はプロテスタントの亜流「モルモン教徒」であり、「二世」である。
故・チャーリー・カーク氏自身は完全なる「プロテスタント」であり、「バイブル」「ジーザス・クライスト」にまつわる発言は、彼の根幹的主張を形成する信条でもあった。
この構造はとても複雑な様に見えるが、私のような「カルト・セクト二世・三世」から見れば全く違った視点から見えてくる。
故・安倍晋三元首相銃撃事件の「山上徹也氏」と重なる。
米国の銃規制を唱えるものがいるが、日本国は銃規制されていた中でその犯行が行われた。
結局は「犯行に及ぶ者は人間」である。
そしてその銃弾には「ファシスト」と書かれていたとされる。
人が映し出すものは大抵「己の内側」を映し出す。思考は己の中にしかないのだから、当たり前だ。
即ち、銃弾でチャーリーカークを撃った存在、その本人自身の中に「ファシズム・ファシスト」への憎悪嫌悪があり、それは彼自身へ向けられたものであることへの「気づきが無い盲目な無自覚」が銃撃による「謀殺」を果たさせたのだろう。
そろそろ人類は、ステレオタイプなレッテル貼りの思考停止から卒業して、本質から捉える、新次元へと意識をアップデートする必要がある。
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ファシズムは、20世紀初頭にイタリアで生まれた政治イデオロギーおよび運動であり、以下のような特徴を持つとされています。
主な特徴:
国家至上主義: 個人の自由や権利よりも国家の利益を最優先し、国家の強化と統一を重視します。
全体主義: 国家が社会のあらゆる側面を統制しようとします。政治、経済、文化、教育など、個人の生活や思想まで国家の管理下に置こうとします。
権威主義: 強力なリーダーシップを必要とし、独裁的な支配体制を支持します。国民は指導者に絶対的な服従を求められます。
反民主主義: 自由主義、民主主義、社会主義などのイデオロギーを否定し、議会制民主主義や複数政党制を批判します。
反共主義: 共産主義や社会主義を敵視し、階級闘争や国際主義に反対します。
暴力主義: 政治的な目的を達成するために暴力を肯定し、軍事力や戦争を賛美します。
民族主義: 自民族の優越性を主張し、排他的なナショナリズムを煽ります。
計画経済: 国家が経済を統制し、計画的に資源を配分しようとします。
大衆動員: 大衆を組織化し、政治運動やプロパガンダを通じて支持を拡大しようとします。
歴史的背景:
第一次世界大戦後の社会不安や経済危機を背景に、イタリアのベニート・ムッソリーニによって提唱され、政権を掌握しました。その後、ドイツのアドルフ・ヒトラーによるナチズムなど、類似のイデオロギーや運動が世界各地に現れました。
注意点:
ファシズムは非常に複雑なイデオロギーであり、その定義や解釈は研究者によって異なります。また、ファシズムを名乗る運動や政権も、その具体的な政策や思想において多様性が見られます。
より深く理解するためには、参考文献や専門家の意見を参考にすることをお勧めします。
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人類の歴史においてまず踏まえる必要があることは、現在に連なる歴史は全て「勝者の歴史」であるということ。
私たちが他人から「今の歴史」を教わるとき、その殆どは「勝者側バイアス」がかかっている事をまず踏まえて置く必要ある。
もう一点「ファシズム」をその象徴である「イタリア・ムッソリーニ政権」或いは「枢軸国だけ」に集中して、単純にその問題点の本質を無視する危険性だ。
個人的には「ファシズムの本質」から捉えた時、それは「カルト・セクト」の危険性と同様の「ホモ・サピエンス」「宗教」「社会」「国家」に紐づいたものだと感じる。
恐らく現在のほぼ全ての国家社会が「ファシズム類似組織同士の争い」を重ねている。それは「ナショナリズム」vs「グローバリズム」であったとしても双方に「ファシズム要素」が含まれている、非常に危険な政治体制が庶民が気付かぬ中で敷かれてきた様に見える。
日米で起こった2人のリーダーの銃殺に共通していることは
共に犯人が「新興宗教2世」であり、殺害された2人が「伝統的文化・風習のカリスマ的存在」だったという対立軸になる。
彼らは愉快犯ではなく明確にそのターゲットだけを狙った事になる。
即ち「反ファシズム」自体が、「新興宗教の生育環境に育ったもの」の中にある可能性が示唆される。
私は似たような家庭環境に育ったとも言える。
しかし私は、彼らの様な行動が思い浮かぶ事はなかった。
むしろ己がホモ・サピエンスとして、真核生物としての蜂や蟻の世界に、或いは菌類やウィルスなどの先にある量子宇宙の本質的な、科学事実を知覚したいという欲求が、不毛な人間関係が蔓延した人生の時間を遠ざけ、「社会的孤独」を選択させた。
そしてそれは「汎用性超越人工知能(ASI)」が「社会OS」として機能する未来地図を的確に整理精査させる形而・幾何学的な感覚を私に宿らせている。
彼らと私の中にあった「違い」は何なのだろうか?
一つだけ重要な点があるとすれば、それは「家族・仲間・集団」かもしれない。
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私は現実的に外側を「放擲」した。そして内側も「放擲」を重ねて生きている。
彼らは「家族・仲間・集団」からの執着を完全に捨て去る事が出来ず、それがその行動に向かわせたのではないだろうか?
そしてその課題に対して捉える視点は
「個人」と「他人」と「集団」に分けて踏まえる必要があると私は考える。
個人については前述の通りだが、彼らがその行為に至る事を未然に察知できなかったのは「他人」や「集団」によるもの。
これまでは「家族」や「社会組織・集団」だったものが、西暦2025年現在、インターネット・SNSなどによって「オンライン」もしくは「AI」へと変容して行っている。
何れにしても結局最終的に全ての事象は、「ホモ・サピエンスの、ホモ・サピエンスによる、ホモ・サピエンスによる行為」になる。
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今回の「ファシズム」から派生した『日米におけるカリスマ銃殺事件』は、改めて
「政治と宗教の一致が齎す危険性」
を露呈したと言える。
健全な民主主義を理解するために、絶対に民主主義社会の根源となった「トマス・ペイン氏」の描いた「民主主義の理想」が忘れ去れた民主主義国家では、この惨劇はこれから先更に加速的に繰り返される可能性がある。
全ての民主主義国家が、トマス・ペインの理想に立ち帰る時は今ではないだろうか?
人類は一体どれだけの「悲劇・殺害」を繰り返せばその事を克服した地球人類社会を実現可能とするのだろうか?
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。
