実験の国(1-b:小山真治)
【目次】
第1章 Introduction
1-a : 実験が禁止された世界
1-b : 小山真治 ◀
第2章 Methods
2-a : 芦田昇
2-b : 合格発表
第3章 Results
3-a : 失敗してもやり直せばいい
3-b : 希望の島
第4章 Discussion
4-a : 命をかけた研究
4-b : アキラメナイ気持ち
第5章 Future Work
5-a : 管理棟
5-b : 実験の国
終章 Acknowledgement
6 : 責任の所在
第1章 Introduction
1-b:小山真治
いよいよ高校の卒業式まで1週間となった。
既に東都大の前期試験は終了している。
試験の手ごたえは十分あった。
正直言って遊ぶ友達もいなかったから、この三年間勉強しかしていなかったし、当たり前っちゃあ当たり前だ。
袴田先生に「試験どうだった?」と聞かれた時も「僕が受からなかったら誰が受かるんですか」と返せるくらいに自信満々だった。
そんな感じだったから後期試験対策もそこそこに、袴田先生や生物の安田先生との雑談を目当てに学校へ通っていた。
事件はその日の下校途中に起きた。
なかなか書店に置いていないミトコンドリアの専門書を安田先生が貸してくれて、大事に抱えながら歩いていたら、何もない道でつまずいて左手首を骨折してしまったのだ。
息子が救急車で搬送されたと聞いて慌てて病院に来た父さんには「どんくさいにも程があるな」と笑われ、本を庇って手首が折れたと言うと真治らしいと余計に笑われた。
ムカッとしたけれど、自分でもなんでこんなことになったのか思い返しても分からない。
「突然足に力が入らなくなってさ。ぐにゃってなって、気が付いたら地面に倒れてたんだよね」
父さんはその話を聞くと、さっきまでの笑顔から急に神妙な顔になって黙り込んでしまった。
二人とも黙ったまま帰宅すると、玄関のドアの前に母さんが心配そうに立っていた。
眉間にしわを寄せている父さんの顔と、泣きそうな母さんの顔を見ていると、なんだかすごく悪いことをした気がして、気まずくなった僕はそそくさと自室に戻った。
その夜、手首の痛みで眠れなくて、キッチンへ水を飲みに行くと、リビングのドアの隙間から父さんと母さんのひそひそ話が聞こえてきた。
「ねぇあなた……お願いするしかないんじゃない?」
「そうだな……もう……手遅れかもしれない……」
はっきりとは聞き取れなかったけれど、きっと僕の話だと思った。断片的に聞こえてきた「手遅れ」って言葉がやけに重たく耳にこびりついて、リビングのドアノブに手をかけたけど中には入れなかった。
なんだか家の空気が急に重たく感じた。そっと音を立てないよう自室に戻ってベッドに潜りこむ。
二人は何を話していたんだろう。
意識しないようにすればするほど、手首がずきんと痛んで寝付けなかった。
◇◇◇
骨折した日から一週間が過ぎた。今日は卒業式だ。
「真治! 早くご飯食べなさい! 卒業式、遅刻するわよ」
あくびをしながらゆっくりトーストをほお張る僕を母さんが急かす。もともと朝ご飯はあんまり食べない派だけど、あの日の晩、リビングで二人が話していたのが気になってあれ以来食欲が出ない。卒業式だからってそれだけで特別な朝になるわけじゃなかったみたいだ。
「わかってるよ、母さん。ところで今日は来られそうなの?」
特段いつもと変わらず化粧っけのない母さんを見て、期待薄だなと思いながらも一応聞いてみた。
「ごめんね、真治。今日もお店なのよ。その代わり晩御飯はあなたの好きなご飯いっぱい用意するからね!」
「……そっか」
ほらね。
でも、卒業式の日くらい休みにしてくれてもいいのに。
その言葉が喉元まで出かかったけど、コーヒーと一緒に飲み込んだ。
卒業式って言ったって、科学庁に入るまでは通過点に過ぎないんだ。だから気にしないでいいんだ。
そう自分に言い聞かせながら、トーストをひとかけ残したまま立ち上がった。
「いってきます」と言う声が思いのほか小さいことに自分で驚く。やっぱり気にしないってわけにもいかないらしい。
◇◇◇
滞りなく卒業式が終わり、教室ではクラスメイトたちが別れを惜しんで騒いでいる。
この一週間、手首を固定して包帯を巻いていても、とうとう誰も「どうしたのそれ?」って聞いてこなかった。
一年生の頃は博士と呼ばれて浮かれていたこともあったけれど、今はあれが尊敬されていた訳ではなかったとさすがの僕も分かっている。
僕だってクラスの皆を、アホなことに時間を浪費する奴らだと下に見ていたところもある。だから仕方ないんだろうけど、皆からしてもこんな時代に実験が好きと公言している僕は理解できない変人だったんだろう。
博士と呼ばれるのが単にイジられていただけだったとわかった決定的な出来事は二年の時に起きた。
同じクラスに三木さんという女の子がいた。栗色の長い髪がきれいでメガネの良く似合う素敵な人だった。
図書委員だった彼女はいつも教室で本を読んでいて、他の生徒と違って静かで落ち着いているところがなんとなく気になっていた。
別に付き合いたいとかそういうのはなかった気がする。ただ三木さんが真剣に本を読む姿を見ているだけで十分満足だった。
なのにある日、山中とその取り巻きたちが「ハカセっていつも三木さんのこと見てない?」と余計なことを言い出したのだ。
ちょっとやめてくれよと思った瞬間、顔を真っ赤にした三木さんは椅子から立ち上がり「ハカセって何考えてるか分かんなくて怖い!」と言い放って教室から出て行ってしまった。
呆然とする僕と、あまりの展開に声をあげて笑う山中やクラスメイト達。
交通事故みたいな振られ方をした僕は、それ以来同級生の誰とも関わらないようにして過ごしてきた。
高校生活の三年間が終わった。
友達も恋人もできず、卒業式に親も来なかった。
寂しくないと言ったら嘘だ。
でも。
これから研究者になってバリバリ実験をするという夢がかろうじて僕を支えている。
そうだ。きっと東都大に行けば、気の合うやつもいるはずだ。きっと僕みたいに実験大好き人間も沢山いるはず。
ガヤガヤとまだ騒がしい教室を出て、通い慣れた通学路に出ると、桜のつぼみがチラホラとほころび始めていた。朝は急いでいたせいで気が付かなかった。
春の訪れを感じさせる柔らかな空気の中、ひとり陰気に歩く僕は、まるで世界から取り残されたような気がした。
このまま黒い煙になって桜の枝の間をふわふわと消えていくイメージを思い浮かべる。
ふと気がつくと目の前に男が立っていた。これまた世界から取り残されたような、真っ黒なつば付きの帽子にこれまた真っ黒なスーツ姿の男。
男はこちらに向かって軽く手を挙げた。
周りを見回したけど僕しか居なかった。どうやら用があるのは僕らしい。
もちろんあんな怪しい男の知り合いはいない。
>> 2-a へ続く
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