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実験の国(5-b : 実験の国)

【目次】
第1章 Introduction
 1-a : 実験が禁止された世界
 1-b : 小山真治
第2章 Methods
 2-a : 芦田昇
 2-b : 合格発表
第3章 Results
 3-a : 失敗してもやり直せばいい
 3-b : 希望の島
第4章 Discussion
 4-a : 命をかけた研究
 4-b : アキラメナイ気持ち
第5章 Future Work
 5-a : 管理棟
 5-b : 実験の国 ◀
終章 Acknowledgement
 6 : 責任の所在




第5章 Future Work


5-b : 実験の国


管理棟の自動ドアを出ようとすると、隣の建物から白衣を着た女性が息を切らせて走ってきた。僕の顔を見るなり「真治くんね?」と話しかけてくる。

きっと年齢は母さんと同じくらいだろう。
綺麗に切りそろえられた肩くらいの長さの髪を耳にかけながら、ピンクのメタルフレームのメガネの奥で優しく微笑むその女性は、吾妻とは対照的にとても暖かみを感じた。

「間に合ってよかった。わたし、吉田と言います。あなたに話があって、見たらちょうど帰るところみたいだったから。焦って走ってきちゃった」

吉田さんは、僕を見ると再びにっこりと微笑んだ。

「芦田君──あ、あなたのお父さんね。彼とはここで同期だったのよ。昔はお互い助け合って、いろんな実験をしたわ」

そう言うと吉田さんはメガネを外して目尻をハンカチでそっと押さえた。
何か言おうとするけどうまく言葉が出ない。でも、吉田さんはそんな僕を気にすることなくゆっくりと話を続ける。

「芦田君が病気だと知ったとき、ショックだった。もう随分仲良くなっていた頃だったから、私も一緒に病気の研究をしたいと志願したの。でもね、ダメだった。あ、ごめんなさい。ずっと立ち話も変よね。会議室を用意しているから移動しましょうか」

吉田さんに促されて一階の廊下を歩く。

「父は、どんな人でしたか?」

無言で歩くのも気まずくて話しかけると、吉田さんは目を細めて答えてくれた。

「優しい人だった。科学庁に入ったばかりの頃、私大失敗しちゃったの。貴重なサンプルを間違えて捨てちゃって。そしたらね、芦田君、徹夜で対策考えてくれて。別の実験方法を提案してくれたから、私のミスもそんなに問題にならなかったの。自分の事は後回しで周りの人の為に動く人だった」

芦田さんが優しかったと聞くのは僕も嬉しかった。
その優しさは僕も知っている。

しばらく歩くと「どうぞ」という吉田さんに促されて部屋に入った。
長机と椅子だけの小さな部屋に僕と吉田さんは向かい合わせで座った。

「さっき、一緒に研究したいって言ったけどダメだった、っておっしゃってましたけど」

椅子に座るなり僕が話題を戻すと、吉田さんは「そうそう」と頷きながら答えてくれた。

「そうなの。最初は研究チームをつくろうってとこまで話が進んでたんだけど、芦田君の提出した研究計画を見て、所長が『やっぱりダメだ。これは許可できない』って言い始めて」

「どんな、計画だったんですか?」

しばらく言い淀んだ様子の吉田さんは意を決したように次の言葉を絞り出した。

「エターナルマウス……はわかるでしょ?」

「はい……」

「エターナルマウスをね、応用するって計画だったの」

世界中で実験が禁止されるきっかけとなったエターナルマウス。
そんなものを芦田さんは利用するつもりだったのか。

正気じゃない。さすがに一度落ちた巨大な穴にもう一度ハマるのは目に見えている。所長が許可しなかったというのは当然の判断だと思った。



「それを聞いてね、私、芦田君って天才だ、、、と思ったの」

「へ?」

不意を突かれて随分間の抜けた声が出てしまった。
窓から差し込む夕日に照らされて吉田さんの顔が不自然に赤く染まっている。

「誰も思いつかないようなぶっとんだ発想でしょ? 芦田君こそ一流の研究者だわ! 所長や周りの皆はその素晴らしさが分からなかったみたいだったけど、私はこのアイデアに賭けてみたいと思ったの」

頬を上気させながら嬉しそうに話す吉田さんからは悪意を微塵も感じない。実験が好き。芦田さんの着想ってすごい。ただそれだけなんだなと思った。
ただそれだけなんだけど、その純粋な研究への熱意の為ならどんな犠牲も厭わない狂気を感じた。

ずっと実験が好きでいたら、僕もこんな風になってしまうんだろうか。
それは何だかとても怖いことな気がした。

吉田さんの話の中で一番気になったことを聞いてみた。

「あの……エターナルマウスを応用するってどうするんですか?」

芦田さんの研究レポートにはエターナルマウスの話はどこにも書いていなかった。どういうことなのか見当もつかない。


「Good Questionだ」

急に低い男の声がして振り向くと会議室の入り口に吾妻が立っていた。
吉田さんの話に気を取られていて、吾妻がいつからいたのか全く分からなかった。

「吉田君、何を勝手にベラベラ話しているのかな?」

「長官……すみません」

吾妻が現れて急に部屋の空気がピリッとする。
さっきまであれだけ饒舌だった吉田さんはすっかり黙り込んでしまった。

「いいだろう。吉田君の代わりに私が応えよう。エターナルマウスが死なない理由。それはのマウスの体内にある『ミュー細胞』が鍵となる」

吾妻は得意げに口ひげをいじりながら解説を始めた。まるで講義が始まったみたいだったが、袴田先生の授業のようなワクワク感は皆無だ。

「『ミュー細胞』は簡単に言えばガン細胞の親戚みたいなものだ。放っておくと無限に増え続ける。ただガン細胞と違うのは、とても食いしん坊な細胞ってことでね」

「この世界を構成するあらゆるものを分解してエネルギーにするのよ」
吉田さんが口を挟む。

「そう。食いしん坊でお行儀の悪い『ミュー細胞』はちゃんと躾をしてやらねばならん。勝手に実験しようとする馬鹿な国民と同じだな」

何がおもしろいのか分からないがにやにやと笑う吾妻の横で吉田さんも微笑んでいる。
その二人を見て背中を嫌な汗が伝う。

「とにかくこの増え続ける『ミュー細胞』をうまくコントロールしてやれば、病気になった細胞に置き換わってもとの健康な体に戻せるというのがコンセプトだ」

パチパチパチパチパチパチ

吾妻が話し終えると吉田さんが狂ったように拍手をし始めてギョッとした。

「あいつは……芦田は優秀な男だった。こんなアイデアなかなか誰も思いつかないだろ? ただ少々突飛すぎて、堂々と進めるのはちょっと難しかった」

そりゃそうだ。この世で一番ヤッチャイケナイ実験がエターナルマウスの研究だってのは子供でもわかる。

ずっと黙り込んで聞いているだけの僕を気にすることなく吾妻は続ける。

「だから芦田には表舞台から下がってもらったんだ。裏でこの研究をしっかり進めて欲しくてね。この15年、実は科学庁がしっかりバックアップしていたんだよ」

「じゃあ……芦田さんはずっと科学庁と……?」

「あぁ、そうだ。そしてこの研究がうまくいけば成果を公表するつもりだよ。世界を震撼させたエターナルマウスを我々科学庁が克服したってね。そうすれば、もう誰も勝手に実験しようなんて思わないだろう。科学庁に任せておけばいいんだから」

吉田さんは満足そうに何度も頷き、再び口を挟む。

「芦田君は残念だけど間に合わなかった。彼ほどの優秀な遺伝子を無くしたのは本当に痛かったわ。でも、その遺伝子を引き継いだあなたが現れた。しかもしっかり病気まで受け継いでくれていたの。これ以上の素材はないわ」

「私はもっと扱いやすい被験者が良かったんだがな。大して能力もないのに自分の考えを主張してちょろちょろと動き回るガキは嫌いなんだよ」

「長官、すみません。これほど条件のそろったサンプルはなかなか現れないかと。私の独断で彼を使うことに決めてしまいました」

目の前に僕がいることなんて気にしていないのか、好き勝手言い合う二人。

芦田さんも僕もこいつらのエゴに利用されていたということか。十分な情報も与えられず、手のひらの上で転がる様をこいつらは笑って見ていたのだろうか。僕はあくまで実験の対象だったのか。

これまでの人生、全部自分で選んできたと思っていた。

だけど、実は選ばされていたのかもしれない。


うぅぅ……ビシャ…かはっ……はぁ……ぁぁああ

吐き気が突然襲ってきて、吐瀉物をまき散らしながら僕はその場に崩れ落ちた。
もう何を信じたらいいのか分からない。
真実のように見えていたものが、全てひっくり返る感覚。


「僕はどうしたらいいんですか?」

もう何も考えられなかった。いや、何も考えたくなかった。
とにかく早く答えを教えてほしかった。


目の前にハンカチが差し出された。吉田さんだった。

「私たちにできることはコントロール可能な『ミュー細胞』をあなたの体に移植することだけよ。やっと完成したの。あとは実際の効果を試すだけ。私は真治君が受け入れてくれることを望んでいるわ」

「それは、僕がちょうどいい実験台だからですか?」

「まぁ、それは否定しないわね……ふふ。でも、芦田君に恩義を感じているってのも本当よ」

吉田さんを見返すと目が合った。嘘は、ついていないように思えた。
簡単に答えだけ教えてほしかったのにそれは叶わなかった。自分で考えて決めろってことか。


「もしも……失敗したら?」

「その時は真治君はもちろん、私たちも、そして世界中が危険にさらされるかもしれない」

「僕がここでNoと言ったら?」

「私たちは研究を続けるわ。別の被験者を探すだけ。そしてあなたは命を失う」


吉田さんはそう言うと立ち上がって廊下に出て行った。
吾妻も「フンっ」と鼻を鳴らして出て行った。

部屋に残された僕は一人、震える左手を握りしめた。
その手が、ひどく他人のものみたいに見えた。




>>終章へ続く

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