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実験の国(2-a : 芦田昇)

【目次】
第1章 Introduction
 1-a : 実験が禁止された世界
 1-b : 小山真治
第2章 Methods
 2-a : 芦田昇 ◀
 2-b : 合格発表
第3章 Results
 3-a : 失敗してもやり直せばいい
 3-b : 希望の島
第4章 Discussion
 4-a : 命をかけた研究
 4-b : アキラメナイ気持ち
第5章 Future Work
 5-a : 管理棟
 5-b : 実験の国
終章 Acknowledgement
 6 : 責任の所在




第2章 Methods

2-a : 芦田昇


「君、真治くんだね」

「え? なんですか?」

唐突に名前を呼ばれて、僕はギョッとした。

「びっくりさせてすまない。国家科学庁の芦田と言います。実は君のご両親からお願いをされてね。どうしても真治くんが実験をしたがっているから、簡単な実験のデモンストレーションを見せてやって欲しいと」

芦田と名乗る男はそう言うと顔を少し上げた。

帽子の影から見えたその顔を見て一歩あとずさる。
ロボットだ。
精巧に造られたその皮膚はまるで本物みたいだが、その笑みには表情がなかった。

「あぁ……びっくりさせたね。昔、大きな事故にあってね。全身に大怪我を負ったんだ。中身は君と同じ人間だよ」

芦田はきっと、このやり取りを何百回も繰り返しているのだろう。
慣れた様子で抑揚もなくそう説明すると、今度は僕に問いかける。

「どうだい? 今から少しだけ時間をもらえないか? あいにく今日しか空いてなくてね。実験……良かったら今から一緒にやってみようと思うんだが」

どう見ても怪しい。全身真っ黒な男から無表情な顔で実験しようぜ、と言われているこの状況。かなり異常だ。


でもこの男は僕の顔と名前を知っている。
父さん達からお願いされたというのもあながち嘘とは思えない。

どのみちこのまま誰もいない家に一人で帰る気にはなれなくて、図書館か本屋に寄って帰るつもりだったし、何より「実験ができる」と言われて、どうしようもなく興味をそそられている自分がいた。

よし。やばいと思ったら逃げればいい。足をひきずってるこの男よりは僕の方が走れるはずだ。

「はい、少しなら」

僕が答えると、間髪入れずに芦田が返してくる。

「よかった。じゃあ行こうか」

ずりずりと足をひきずりながら芦田は前を歩き始めた。



◇◇◇


通学路の近くにこんな場所があったなんて。
芦田はずんずん路地裏の奥へと入っていく。3年間で一度も通ったことのない道。
右へ左へと何度も曲がったせいで、今どこにいるのか全く分からない。

これはまずいかもしれない。一人じゃ戻れないかも。
少し焦り始めた頃、ようやく路地裏を抜けて、突然目の前に古びたビルが現れた。

「この中だよ。さぁどうぞ」

いやいやいや、と心の中でツッコミを入れる。国家科学庁の実験施設にはとても見えない。どう見ても雑居ビルだ。

迷って立ちすくむ僕を見透かすかのように、芦田がせかす。

「見つかるとまずいんだ。 早く中に入って」

芦田のなんとも言えない迫力に負けて、ふらりと足を踏み入れた僕は、数秒前には予想もしていなかった目の前の光景に思わず声を上げていた。

「うわぁ……すごい……!」

そこは教科書なんかで見たことのある典型的な実験室だった。ずらりと並ぶ機器の数々。さっきまでの不安はどこへやら。生まれて初めて実物を目にして、僕は息をのんだ。

「これは……サーマルサイクラー!?  あ、あれはNGS(次世代シーケンサー)? うわぁ、見たことないのもいっぱいある!」

まるでテーマパークに初めて入った子供のように、目を輝かせてしまう。芦田の存在さえ忘れ、僕はあちこちフラフラと動き回った。

「すごい……! これ写真撮ってもいいですか?」

「すまない。写真は我慢してくれ。詳しくは言えないがここは秘密の研究所なんだ」

”秘密の研究所”  という響きにワクワクするくらい、その時の僕はもう芦田のことを信用してしまっていた。それくらい目の前の実験機器の存在感は圧倒的だった。

はっと気が付くとこちらをじっと見ている芦田と目が合った。

「真治くん、自分のDNAを見たことはあるかい?」

「え? ないです!」

「ここにゲノム抽出の試薬と、必要な機器は全部揃っている。どうだい? 今日の実験は、真治君のDNAを取り出してみないか?」

「も、もちろん!」

「じゃあこれ」

きれいにぴちっとたたまれた白衣を手渡された。随分と素材もしっかりしていてパーティグッズ売り場で売ってるようなコスプレ衣装とは違うのがわかる。メガネの上からかけられるゴーグルのような保護メガネを装着すると、視界は悪くなったがテンションは最高潮だ。ドクンドクンと心臓が跳ねるのを感じる。

「手袋はM? Lかな?」

「あ、Mでいけると思います」

右手にラテックス手袋を装着するとワクワクと共に緊張感が押し寄せてきた。緊張は顔にも出ていたんだろう。芦田はそんな僕を見て「あぁ。大丈夫だよ。失敗してもやり直せばいい」と思いの外優しい声をかけてくれた。

目の前の実験台にガチャガチャとピペットマンが並べられる。

「わぁ。動画で見たことあるけど、実物は初めてです」

「ならだいたいはわかると思うけど、一応ちゃんと使い方を説明するね。ここを押すとサンプルを吸い込める。出す時はもう一度押す。実験ってのは再現性が大事なんだ。誰がやっても、何回やっても同じ結果を出す為に、一番大事なのは実験の条件をできるだけ同じにすること。例えばサンプルの量とかね。僕らにとってのピペットマンは武士にとっての刀みたいなものなんだよ。」

ここに来るまでの芦田と、今目の前で実験を教えてくれる芦田はまるで別人だった。ピペットマンを握ると人格が変わるタイプっているのかもしれない。よくハンドルを握ると、なんて話はあるけど。
そんなことを考えていると、無意識に口元が緩んでいたらしい。

「うれしそうだね。来てくれてよかった」

何よりそういう芦田自身が嬉しそうだった。

僕は芦田に教えられるまま、自分の髪の毛からゲノムDNAを取り出し、試薬を混ぜ、遺伝子情報を読み取るNGSにサンプルをセットした。

初めての実験は想像以上に細かい作業で手が震えた。
骨折した左手もまだ使えないのでかなりやりにくい。
そんな僕に芦田はとことん優しかった。

「こうして肘を固定するといい」

「失敗してもやり直せばいい」

「大丈夫。まずはやってみようか」


一通り工程を終えてラテックス手袋を外すと、長風呂に入った後のように、指先が汗でふやけていた。夢中で作業していたようだ。気がつくと窓の外はすっかり暗くなっている。

「うわ、今何時ですか?」

「夕方の7時だね。遅くまで付き合わせてすまない」

ピペットマンを置いた芦田は、また元の暗くて表情のない顔に戻っていた。そんな芦田を見ていると、なんだか急に怖くなってきた。


どうしよう。

ヤッチャイケナイ実験をやっちゃった。科学庁の研究員と一緒なら許されるのだろうか。いや、免許がある人と一緒にいるからって飲酒運転しちゃダメだと聞いたことがある。やっぱり実験はやっちゃダメだったんじゃ……。

「あの。今日の実験って科学庁の許可とか……」

「ないね。秘密だよ」

にべもなく答える芦田。全身の血の気がひいていく。
そんな僕の様子を見て芦田はふっと息を漏らした。

「あぁ、そんなに心配しなくていい。むしろばれたらまずいのは私の方だから。きっとこれは……実験幇助ほうじょの罪になるだろうね。大丈夫だよ。責任は全部私にある。なぁ、研究員を目指してるんだって? なら、少し早く実験を経験できた。それだけのことだよ」

また優しい声に戻った芦田の様子に冷静になれた僕は「じゃ、僕帰ります。ありがとうございましたっ」と告げて、卒業証書の筒を刺したカバンを脇に抱えた。


ビルを出る間際にそっと振り返ると、芦田がじっとこちらを見ているのと目が合った。軽く会釈をすると、芦田も頷いた気がした。

行きはジグザグに歩いたけど、目の前の道をまっすぐ行けば大通りらしい。罪悪感に追いつかれないように振り返らず路地裏をまっすぐ突き進む。

もう春とは言え、顔に当たる風はまだまだ冷たかった。

早く家に帰りたい。




◇◇◇

家に帰ると、母さんがちょうど晩御飯をテーブルに並べているところだった。父さんは風呂に入っているらしい。

「遅かったのね。卒業式どうだった?」

「ん。別に」

意識が教室に引き戻されて途端にどんよりしてくる。

「そう……。ごめんね。今日行けなくて」

「いや。いいよ」

目の前にあるのは僕の好きなご飯ばかりだ。唐揚げに、あんかけチャーハン。特別な日だけ出てくる母さんのコロッケも並んでいた。

どことなく悲しそうな母さんの背中を見ていると胸の奥がチクチクする。

「そう、今日さ、帰りに芦田って人に会ったよ」

その一言に、母さんは随分びっくりした様子だった。

「え? 芦田さん来たの?」

「だって母さんらがお願いしてくれたんだよね?」

少し間があってから母さんは何度も首を縦に振った。

「え、ええ、そうよ。でも、今日来るって聞いてなかったから」

「そうなんだね。そうそう。実験やらせてもらったけどすごい面白かったよ」

母さんは、ほっとしたように笑って言った。

「そう。芦田さんと実験できたのね。よかった」

「ねぇ。今日は疲れたよ。おなかすいた」

「ふふふ。今日は特別メニューです! なんとーーー」

クイズの正解を発表するみたいにおどけて間を溜める母さんに冷静に切り返す。

「目の前に正解あるじゃん。父さんの店のいつもの唐揚げとチャーハンだろ」

そうだね、なんて二人で笑っていたら、父さんが肩からタオルをかけて現れた。

「お、真治帰ったのか。いつものってなんだよ。おれの唐揚げ好きだろ?」



◇◇◇



ようやく家族三人が揃い、ささやかな卒業祝いパーティが始まった。

「真治がこんなに大きくなるなんて。うれしいなぁ」

母さんが目を細めて言った。もうこのセリフも3回目だ。
珍しく二人はお酒を飲んでいて、僕が小さい頃に三人で行った遊園地の話や、例のミョウバン事件のことなど、何度も同じ話を懐かしそうに繰り返している。
いつもなら聞くのもめんどくさくて「もういいよ」って言っちゃうけど、今日くらいはと思って何度も相槌を打った。
いつしか酔いも回ったのか、父さんはうとうとし始め、母さんは「真治が大きくなってうれしい」と遂に泣き出したので、「今日はありがとう」と自室に引き上げることにした。

階段を上っていると背中越しに二人の声が聞こえた。

「真治、ほんとに卒業おめでとう」

僕は振り返らずに右手をあげてそれに応えた。
二人のはずむ声を聞いているうちに、実験後の罪悪感もすっかり薄れてきた。今日はゆっくり眠れそうだ。





>>2-bへ続く



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