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難解すぎる?京都基本構想 3つの価値から読み解いてみた(後編)

2050年に向けて、京都の理想像を描いた「京都基本構想」について、僕の独自解釈を交えて前後編に分けて解説しています。
前編では、基本構想の策定経緯や3つの価値観、今後の動きについて紹介しました。

後編では、3つの価値観の詳細の解釈と、僕がこれらの価値観の具現化につながると信じて取り組んでいる事例についてご紹介したいと思います。

※基本構想全文は、以下から閲覧できます。

1.前編のおさらい「序文で示す3つの価値」

京都基本構想では、序文において、京都が大切にしてきた3つの価値を示しています。

わたしたち京都市民は、京都市が、 わたしたちと世界中のあらゆる人々にとって、 歴史と文化を介して人間性を恢復(かいふく)できるまち、 自然への畏敬と感謝の念を抱けるまち、そして、自他の生をともに肯定し尊重し合えるまちであり続けるために、不断の努力を重ねていく。

京都基本構想「序文」の冒頭のstatement

僕は、この3つの価値はすなはち、「人文知」「自然資本」「社会関係資本」のことだと解釈しています。
「人文知」「自然資本」「社会関係資本」が豊かなまちは、経済合理性だけに偏らない独自の価値を創出し、結果として経済的な豊かさも伴ってくると確信しています。
それぞれ具体例を紹介しながら説明します。

2.歴史と文化を介して人間性を恢復できるまち=人文知

人文知の解釈も様々ですが、僕は哲学や宗教、文化、歴史などを深く探求することを通じて、人間とは何か、人間が作る社会の根源を深く理解するための知識や知恵の総称と捉えています。つまり、変化の激しい現代社会において、自己や世界を客観的に捉え、より良い判断をするための「メタ認知」能力が高まる。これは、まちづくりだけでなく、ビジネスシーンにおいても役立つものと考えています。
※コテンラジオで有名な深井龍之介さんの以下の記事が分かりやすいです。

人間は、過去に生かされ、未来を生きている。
京都市は、平安京成立から1200年以上の歳月を経て、世界中の人々を魅了する人類の文明においても稀有な歴史都市・文化都市となった。このまちを重層的に彩る各時代の史跡も、人間の極致を体現してきた工藝や藝道も、歴史の偉大な産物であるのみならず、市井の人々の愛着と創意に満ちた日常の尊い軌跡にほかならない。このまちが今日に至るまでには、有名・無名を問わない無数の先人たちの献身があったことを、忘れてはならない。
わたしたち京都市民は、これらの人間的遺産の享受者であるとともに、これらの継承者でもある。この系譜に在あることの意義と幸福を噛み締めながら、節度と矜持のもと、先人たちの営為の結晶を未来に伝え遺していく責任を果たしていきたい。

京都基本構想 序文(抜粋)

序文では、京都が人文知の宝庫であり、予測困難な現代社会においても未来を切り開くために、これらから学び継承することの大切さを示していると解釈しています。
大事なことは、人文知は、いわゆるクリエイティブクラスだけのものではないということです。京都には暮らしの文化の中に「知」が集積しています。
例えば、無駄、不要を意味する「たんすの肥やし」。でも京都では…たんすに大切にしまった美しいきものを眺めるだけで、美意識を育む肥やしになる。受け継いだきものを見て母を想い、感謝の気持ちを「心の肥やし」にする。そんな意味で使われてきたとも言われています。

そして、自分が人文知を獲得し、過去から未来へバトンを渡す存在、つまり歴史や文化の一部であると認識できた時、自分の生きる意味を実感できるのではないでしょうか。これが、「人間性の恢復」とも解釈できると思います。

3.具体例:「人文知」を備えた人材を育てる学びの場「Philosophy Valley Kyoto」

京都は、曼荼羅のように多様なPhilosophy(哲学)が並び立ちながらも、俯瞰して見ると有機的に結びついています。このネットワークにつながることで、 「人文知」を獲得することができます。そしてこの「人文知」は、これからのビジネスにおいて新たな価値を生み出す原動力となるはず。

そこで、アカデミア、ビジネスパーソン、クリエイター、学生など多様な人々が集い、仏教哲学や職人の知恵などを手がかりに互いの「自分軸」を磨き合うことで、「人文知」を備えた人材を育てる学びの場として、「Philosophy Valley Kyoto」を立ち上げています。
この取組は、京都をイノベーティブなまちにすることを目指したコミュニティプラットフォーム「KYOTO Innovation Studio」のアイデアソンから誕生しました。

2025年は、スタートアップカンファレンス「IVS」や京都哲学研究所「第1回京都会議」のサイドイベントとして実施。個人的にも、形式知と身体知を行き来しながら、自分や社会と向き合うことができる場としての手ごたえを感じることができました。
※詳細は、以下のイベントレポートをご覧ください。

今のところ、「Philosophy Valley Kyoto」の今後の予定は決まっていませんが、京都に集積された「人文知」を獲得できる学び合いの場として、持続的なプロジェクトとなるよう、これまで関わっていただいた皆さんと検討を重ねていきたいと思います。

4.自然への畏敬と感謝の念を抱けるまち=自然資本

神道における「八百万の神」に代表されるように、日本では、自然には神々が宿っており、畏敬と感謝の念を抱く対象。また、人間は自然を支配する存在ではなく、自然との相互依存関係の中にあると捉え、生命の循環や共存を重視してきたと言われています。
「お天道様が見ている」といった言葉に代表されるとおりですよね。

西洋と東洋の自然観は大きく異なると言われています。
余談ですが、過去にpod castの番組「TAKRAM RADIO」において、株式会社YAMAP代表取締役CEOの春山慶彦氏がゲスト出演した回にて、登山観の違いについて言及されており、とても興味深く感じました。
西洋では、登頂する、制覇する、非日常のリゾートを楽しむ。
東洋は生活と暮らしの一部。山を登る行為自体が祈り。自分の幸せでなく、村落を代表して山の神に祈る。
という違いがみられるそうです。

左京区岩倉地域の方は、毎年正月になると山に入り、山の神に祈るそうです。
僕が毎月のように訪れている京北地域の方からも、山をはじめとする自然に対する畏敬と感謝の念を感じることができます。
三山に囲まれ、市域の4分の3を森林が占める京都市は、自然がとても身近な存在であることは間違いありません。

人間は、自然に生かされ、自然を生きている。
京都市は、信仰から美意識に至るまでのさまざまな思想を豊かな自然との関係の中で醸成してきた。悠久を体現する山々に囲まれ、清らかな水の恵みに満ち溢れたこのまちは、自然と人間の根源的な不可分性や一体性を思想的土壌としており、数多の文化がこの水脈と土壌とに根差している。
わたしたち京都市民は、このまちが育んできた自然観―ゆえに、これと不可分な人間観―を世界に提示していくとともに、他の国・地域や文化圏・思想圏との響創のもと、人間と、人間の営為たる科学や経済、そして自然とが、真に共生する未来に貢献していきたい。

京都基本構想 序文(抜粋)

序文では、山々からもたらされる水の恵みの尊さを強調しています。
京都の森林は「緑のダム」として雨水を蓄え、水源涵養(かんよう)、水質浄化、洪水防止に不可欠で、古くから文化・産業を支えてきました。
しかしながら、世界中の人が日本人と同じ生活を送ろうとすると、地球が約2.9個必要とされているように、物質的に恵まれてきた現代の日本は、自然の恵みが有限である、ということに気付きにくくなっています。

自然への畏敬と感謝の念を抱くことは、人と自然の関係を捉えなおすことにつながり、結果として科学や産業との「真の」共生を前提に営むことにつながる。そのことを肌で感じることも、京都だからこそできるのではないでしょうか。
ここで注目したいのは、「真の」という言葉が入っていること。僕は、単に「自然を大事にする」のではなく、科学技術や産業の力も活かしながら、「生命の循環」を促進することにより、自然資本を安定することができると解釈しています。
自然豊かなまちであり、大学のまちであり、世界的に活躍する企業、多数のアーティスト・クリエイターが集まる京都なら、それが可能ではないか。そう思えてならないのです。

5.具体例:公園における「自然との関わりから想像力を創造する」取組

僕は、そのためには、異分野が交わる形で自然と人間の関係性を捉えなおす機会をつくることが大事だと考えています。そして、都市部で、街のいたるところで、偶然に出会うことができ、身近な自然と触れ合える場所である公園が、その入口になるはずです。
そう信じて僕が取り組んでいる事例をいくつかご紹介します。

  • 都市林業プロジェクト

noteでも複数投稿しているプロジェクトです。分断の出発点となってしまっている「街の木」に、みんなで触れて、活用し、価値あるものとして未来に残す試みです。
現在、宝が池エリアに「秘密基地」を設けて、地域の方、アーティスト、アカデミア、学生、クリエイター、ビジネスパーソン、福祉団体、まちづくり団体、行政など多様な方が集い、ブリコラージュ的なものづくりから、テクノロジーを活用したものづくりまで、さまざまな実験的取組を進めています。
都市の中で身近な自然の恵みを享受し、「つくるを楽しむ」ことから、結果的に生物多様性の回復、脱炭素社会、林業振興、サーキュラーエコノミー、コミュニティ、well-beingなど複数の政策領域における価値創出につながると信じています。

  • 身近な森のみえ方を変えるワークショップ(みぢ森)

こちらも、noteで記事にしました。船岡山公園で毎月第三日曜日に開催している「船岡山オープンパーク」に出展しています。
このワークショップでは、公園の中など「どこにでもある自然」を、「見る」「聞く」「匂う」など五感を使って観察したり、アリや樹木になりきって人間以外の生き物の世界のみえ方を創造しながら観察することで、気付かなかった自然の美しさや不思議さを見つける機会をつくっています。
自分自身、やっていて得られたのは、「モア・ザン・ヒューマン」の感覚。
また、この取組から着想を得て、自分なりの表現をされる方が複数生まれていることも、嬉しく思っています。

  • 茻想(もうそう)プロジェクト

「みぢ森」のメンバーと新たに始めた取組です。「茻」は、草がむらがり生える様子。「想」は「木」を「目」にして「心」に芽生える感情を表しています。つまり、草が生い茂っていても美意識が芽生えるような風景をつくるプロジェクトです。
「雑草と呼んでいるのは人間の勝手で、どんな植物にも意味がある」そうおっしゃる造園家の方がおられます。そこで、「絡まる」「トゲがある」など一般的に好ましく思われていない植物であっても完全に排除するのでなく、「すてき」と思える風景づくりの実験を行っています。
また、即興的に、公園の植物で飾りなどを作って遊ぶワークショップも月替わりで実施。参加者の多くは子どもたちですが、それぞれの感性の豊かさに毎回驚かされています。

いずれの取組でも感じているのは、自然には、人間の想像力を創造する力を与えてくれる力があるということです。言い換えると、目に見えないものであっても、価値が定まっていないものであっても、心に想い、描く力が養われることではないでしょうか。
その力は、自然の恵みから世界に誇る文化や産業を創造する源泉となると思いますし、そのような価値を生む自然を消費するのではなく、循環させていくということが当然の生き方になるヒントが、京都にある。
そう信じて、これからも各プロジェクトを進めていきたいと思います。

6.自他の生をともに肯定し尊重し合えるまち=社会関係資本

人間は、共同体に生かされ、共同体を生きている。
京都市は、短期的・個別的な利益追求が偏重される時勢においてなお、長期的な共栄を希求しながら、今日においては非合理・非効率と評され得るさまざまな人間的つながりを保全してきた。このまちには、地縁や職業のみならず、学事、祭事、稽古事、 ひいては名も無きかかわりでつながる彩り豊かな共同体の数々が息づいている。複雑で、繊細で、それゆえに愛おしくもある生身の人間関係こそが、数多のつらなりとかさなりを宿すこのまちを織り成してきた。
わたしたち京都市民は、来たる四半世紀の間あいだに、国内外の人口動態の変化、言語の壁の融解、さらには、これらに伴う経済構造や社会規範の変容の中で、地域社会のみならず国際社会の一員として、数多くのつながりを紡いでいくこととなる。世界中の人々と生み出すこのまちの新たなひろがりにおいて、わたしたちの日常を包んできたあたたかな息遣いのもと、互いの歴史、文化、自然、そして人の在り方かたをともに尊重していきながら、人類社会の恒久の平和と共栄を実現していきたい。

京都基本構想 序文(抜粋)

京都のコミュニティは閉鎖的で近寄りがたいと言われることがありますが、それはあくまで一側面であり、開放的な側面もあると感じています。
世界の都市と比較しても、京都は都市全体を城壁で囲まなかった稀有な存在。多様な文化を受け入れる一方で、先人たちから受け継いできたものを守るために閉鎖性が生まれることは必然なのかもしれません。
批評家の宇野常寛さんを京都にお招きしてセッションをした際、京都のまちは二層構造であると説明されておられました。
「室町時代あたりから残る老舗があたりまえのようにひしめくコアなコミュニティの外側には、人口の1割を占める学生をはじめとする若者たちのモラトリアム・シティが広がっている」
京都のコミュニティのほんの一部にしか触れていない僕でさえも、とても腹落ちすることができる考察でした。

そして、喫茶店や商店街、書店、銭湯、寺社、鴨川や公園など、京都のまちのあちこちにある「公共的な空間」を介して、また様々な営みを介して、豊かな社会関係資本を育んでいると感じています。
そこで醸成されるのは、都会的な合理性優先の関係でもなく、田舎的な濃いコミュニティに属さなければ生きづらい関係でもない、ちょうど良い塩梅のつながり
こんな環境を有する京都だからこそ、多様な価値観が許容され、思いがけず越境することができ、そこから互いの価値観の交錯を経て、新しい価値が生まれるまちでもあると感じるのです。

しかしながら、現在はオーバーツーリズムやSNSの負の側面により、生身の人間関係が損なわれていると感じています。また、人口減少やAIをはじめとするテクノロジーのさらなる発展により、社会経済は劇的に変化していくことでしょう。

7.具体例:うっかり居合わせることから「内発的動機付け」を促す取組

そんな時代の潮流の中でも、互いの価値観が並び立つ、「共にある」ことができる社会を希求するために、「二層構造」の京都のまちの特性を活かした取組が必要であると感じています。ポイントは、「うっかり出会う」ことをどう誘発するか。そう考えて、僕が関わっている取組を紹介します。

  • おつなぎさんプロジェクト

少子高齢化、人口減少、経済成長の停滞の中では、医療・福祉がこのままの形で持つわけがないと考えています。
そこで大事になるのは、共助の考え方だと思います。とはいえ、自分の暮らしで精いっぱいの人がほとんどの時代。「安心安全のために共助をしなければならない」「公助が限界だから、自助・共助で頑張るしかない」というような義務的な共助は、ますます敬遠されます。
ですので、「血縁・地縁・職縁・志縁でも、これからの共助は立ち行かなくなるのでは」という問いから、コミュニティナースという人材を育成・社会実装する株式会社CNCさんの事業に注目するようになりました。
コミュニティナースは、「人を可能性として捉えなおす」「強さ、願い、ワクワク、嬉しいを見つけ、内発的動機付けから行動を促し、結果として従来の共助では届かない層が相互扶助に参与する」ための振る舞いを行う人材です。医療・福祉専門職ではなく、郵便局やスーパー、パチンコ店の店員など誰でも「コミュニティナーシング」の姿勢をもてば、できることが特徴です。

コミュニティナースを知ったきっかけは、仲良くしている京都の経営者さんからの紹介があったこと(この方とは、公園の活動を通じて知り合い、その後「Philosophy Valley Kyoto」で連携している実験寺院 寳幢寺の松波龍源さんもご紹介いただきました。つながる場をつくるって、本当に大事だと思います)。
その後、CNC代表の矢田明子さんを招いての即席の座談会を行ったり、コミュニティ・バンク京信さんと連携して、トークセッションや合同研修を行ったりしていました。

そうこうしているうちに、コミュニティバンク・京信の方から、「コミュニティナースを社会実装するための勉強会を立ち上げたい」という提案を受けました。その後、独自にコミュニティナースの養成講座を行っている社会起業家の方と、既にコミュニティナース的な振る舞いを実践してきた大学の先生とともに、「いい塩梅のおせっかい」が駆動する京都を目指して、「おつなぎさんプロジェクト」を立ち上げました。

第4回の勉強会の様子

CNCの方にもご協力いただきながら、医療・福祉専門職の方から、アカデミア、起業家、学生、まちづくり団体、行政など、幅広い層が集まり、コミュニティナースの社会実装に向けてそれぞれの立場から何ができるか、対話型ワークを重ねています。
今後も毎月勉強会を行いながら、今年は具体的なアクションにつなげていければと考えています。

  • 市役所前広場「小さな芝生広場の実験」

コミュニティナースを知るきっかけもそうでしたが、公園など、24時間誰でも訪れることができる公共空間は、思いがけない出会いをつくることができます。僕自身、今の活動の多くは、公共空間での出会いから始まっており、自分の生き方すら変わることにつながりました。
ですので、公共空間で何かを始めようとされる方がおられたら、できる限り応援したいと考えています。
そんな中、一人の若手職員が、真冬の市役所前広場に芝生とファニチャーを置く、プレイスメイキングをゲリラ的に始めました。

僕はすぐに飛びつき、こたつを置いてそこで一日仕事をしていたところ、コミュニティバンク・京信さんが面白がって一緒に活動することに。その後、毎月第三金曜日に「小さな芝生広場の実験」を開催するに至りました。

はじめは本当に小さな実験でしたが、段々と、モバイル屋台家やまちづくり団体、学生などが自分の好きなことを表現するようになり、今では京都市の複数のセクションも関わるように。
特に広告やウェブサイトも出していませんが、今では第三金曜日になると、本当に多様な方が訪れるようになり、やりたいことがあった方は、翌月やってみるような軽やかな動きも生まれています。

また、興味を持った商業施設や福祉施設が、同じようなプレイスメイキングをする動きも広がっています。

京都は小さな都市部に本当に多様なコミュニティがひしめいており、一度知り合ったら偶然何度も出会うようなことがままあります。
序文にある通り、生身の人間関係こそが、数多のつらなりとかさなりを宿すこのまちを織り成してきたと感じます。

ただ、コミュニティは、生まれた瞬間から閉ざされた世界になる、ということも肌で感じています。どうしても中心的に活動する人が現れ、独自のルールのようなものが生まれ、結果として居心地が悪くなる人、新たに入りづらい人も出てくるものです。
そこで大事になるのが、「目指すまちの姿」にもあるとり、多層的でゆるやかなつながりが続くことだと思います。
暮らしの生活動線となる「公共的空間」をつくり、そこでうっかり居合わせることによりコミュニティナーシングを駆動することができれば、「誰もが居場所と出番のあるまち」になるのではないか。そう考えながら、これからも試行錯誤していきたいと思います。

8.終わりに~基本構想を具現化するカギは、「語り部」~

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
長々と持論や自分の取組を紹介する記事となりましたが、実はこういうことが、基本構想を広めるうえで大事なことでは、ということが「未来共創チーム」の会議の中で議論されていました。

京都には、基本構想で書かれていることを実践している方がたくさんおられます。基本構想の内容を読み込んで伝えるのではなく、そういった方が自分の活動を語りながら、部分的にでも基本構想のキーワードに触れていただければ、多くの方が理解しやすくなるのではと感じます。
実践している内容は、誰かに評価されているようなことでなくともよいと思います。むしろ、そんな営みが無数にあることこそが、序文に示している価値の源泉になるのではないでしょうか。僕もその1人として、拙くとも自分が大事だと思う営みを続けていきたいと思います。

前編でも書きましたが、今後、「未来共創チーム」や「京都の未来を紡ぐチーム」、そして民間の伴走支援チームと一緒に、そんな営みを紹介していく「語り部」を増やすプロジェクトの準備を行っています。
楽しく、結果的に意味と意義が感じられるような企画となるように頑張りますので、ぜひ多くの方に関わっていただけたら嬉しいです。

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