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PLAYFULな場づくりを存分に体験することから学ぶ(PLAYFUL LEADERS実践プログラム主催イベント)に参加しました

株式会社ナニカソン設立前の活動の記事です。新体制「ナニカソン・新規事業ユニット」のコンテンツとして引き継いでまいります。

おつかれさまです。W2ワクワクナニカソンです。

PLAFYLな場づくりを存分に体験することから学ぶ(PLAYFUL LEADERS実践プログラム主催イベント)に参加してきました。ごく限られた範囲にはなりますが、そこでの気づきや手触りをお伝えいたします。

オープン社内報として、取り組み・思いを社内外に発信!


PLAYFUL LEADERSの公開イベントでした

こちらは、ワクワク・ドキドキする場を共につくる実践コミュニティ「PLAYFUL LEADERS」が提供する、PLAYUFLな場づくりとは何かを体験を通じて学ぶイベントでした。

もともとこちらのコミュニティには、主催の方と別のコミュニティを通じて(直接の知り合いではなかったですが)うっすらとご縁があり、実は2025年のアドベントカレンダーにも乱入しておりました。

2月7日のまなびの展示会にもラスト1時間だけ電撃でお邪魔し、活動の空気に触れてきたのが記憶に新しい中です。

少なくとも次の期の受講が厳しい背景などをお話したら、

「今回(学びの展示会)みたいな公開型のイベントも時々やってますから、そういう時もぜひご参加ください」

と、温かい言葉をかけていただきました。

その後、思ったよりも早く非受講者も参加できるオープンなイベント日が公開され、ちょうど日時、場所などがうまく調整つきそうだったため「お、これは!」ということで飛び込んできました。

地図に自信がないことには自信がある私(ワクワク魔人S)ですが、神保町三省堂の改装中にお世話になった小川町仮店舗の近くです。地図には弱いけど書店街にだけは多少のおぼえがあります(本当に多少です)。

開催日の時点ではもう少しで新店舗オープンの時期でしたので、小川町仮店舗も閉店済み、神田神保町本店側は準備が進んでいることが外からも感じられる大変エモいタイミングでした。

なんにしても、珍しく迷わずにたどり着けるはずのロケーション。もうこれは呼ばれているとしか。

到着…そして出会い、邂逅!

到着後すぐに声をかけてくれたのは、なんとPlay&Learnやゲームマーケットでも既にご挨拶したことのあったスタッフの方。いや、その方がPLAYFUL LEADERS自体に関わっていることは把握していたので意外ではなかったのですが、その日いらっしゃるということまでは流石に知らなかったので、心強いなあと思いつつ準備タイムに。

他の参加者さんも続々集まるなか、以前人事図書館で私たちが開催させていただいた『人事の闇鍋』ワークショップの参加者さんと再会しました。

そんな狭い界隈ある? と思われる方もいるかもしれませんが、コミュニティ運営されていたり、複数のコミュニティに参加しているような方は「あるある」と感じるかもしれません。

種を明かすと、Play&Learnやゲームマーケット、人事図書館でのイベントでのそれぞれの出会いの前に、別のコミュニティで先につながりがありまして。むしろそちらで枝分かれするように別の場所での呼び合い引き合うような関係が広がって、たまたま重なり合う出先で収束するようなことが起きているのですね。

この日も「私も〇〇です」「△△に関わってます」みたいな共通項目は飛び交っておりました。

「私も人事の羅針盤に行きましたよ」

という方もいらっしゃいましたね。世界は狭い。小さな世界ですね。

設計された場の体感と「意図びらき」と…

身体性、音楽、言語化、視線の動き、色彩やルールづけなど、説明がなくても(場づくりマニアには)一定の意図が読み解ける(ところもある)イベントでしたが、それだけではなくて主催のモックンがかなり積極的に「意図びらき」というプロセスまで設計されていました。

その「意図びらき」の「意図びらき」まで丁寧に行う徹底ぶりなので、思考がメタ認知の無限ループに入りそうでした。

どこまで「意図びらき」するのかという視点は場のデザインの一つであり、場のねらいや参加者によっても変わるものです。私の場合どちらかというと「意図びらき」やアンカリングを控えめにしようとする傾向(悪癖?)があります。ただ、こればかりはなにが正解と唯一解が決まる性質のものではありません。

でも、PLAYFUL LEADERSは場づくり自体をテーマにしたコミュニティですから、「意図びらき」を基本的に多めにするというのは理にかなった姿勢であり、場ごとに設計していったとしてもその平均値は開示度高めにとどまるだろうなぁと予測します。あえて途中まで意図を明かさない設計の場合も、必ず最後には明かさなかった意図の「意図びらき」をしてそうだな……。

「意図びらき」はしすぎても、しなさ過ぎても、操られ感や自分事化の妨げ、希薄化になるリスクがあるので、むずかしいテーマだと思います。恐らく漫才のツッコミに近いところがある(というか、あれこそ「意図びらき」そのもの)ので、早くても遅くても、多くても少なくても刺さらないし、受け取る側の状態に対しても出力調整しないといけないという意味ではナマモノですね。

そして、どんな意図よりも、その場の偶発性によって心が動く瞬間もあります。他の参加者の方が書いたメッセージに釘付けになったりしてね。

テーマは「やってみよう」

この日の場のテーマは「やってみよう」だということで……。

みんなで協力して絵を描く、レゴをレゴレゴする(?)などやってみました。

最後のレゴで天井を目指すミッションは、参加してたチームで優勝(?)しました。優勝しても何もありません、だがそれがいい!(……と、フィードバックタイムに話しました)

レゴタイムの後にはこんなメモを残しておりました。

  • やはり理由なんかいらない

  • 「そこにレゴがあるから」

  • 理由をつくると失敗(という概念)が生まれる

  • なんでかわからないからよい

  • 他と比べるのでなく昨日の自分と比べる

  • パフォーマンスゴールとラーニングゴール

  • 壊れるのも楽しい

学びほぐしの先の「あそびなおし」

お子さんと一緒に来ていたり、途中からお子さんがやわらかく場に合流した参加者の方も自然体で複数名いらっしゃって、でも、あくまでも主体はメインで参加している大人側で、その上でいていい雰囲気や枠組みもそこにある。そんな場でした。

大人が本気でなにかに夢中になって声を上げている姿を子どもがじっと見ていたり、もはや気にせずマイペースにあそんだり。大人も自分自身の人生を主体的に生きていて、仕事も学びも「仕方なく」「立派に」やるようなものではなく、もちろん楽しいばかりではないけれど、楽しむ・愉しむことができるという姿を見せられる場がある。これはものすごく大切な時間なのではないかと感じました。

「『子ども“と”一緒に参加できる場』は他にもあるが、(大人である私が主で)『子ども“が”一緒に参加できる場』が、意外とないことに(子どもが生まれると)気づく。ここはすごく『そういう場』で、貴重だと思えた」

という感想を語る方もいて、この根底にあるものに感銘を受けました。

  • 大人が本気であそぶように学ぶ

  • そこに子どもが自然に存在できる(居合わせられる、立ち会える)

その場にいる大人たちが、我慢ではなく、義務でもなく、ただ“やってみる”ことに身体ごと向き合っている姿を見せる。

子どもであるうちに、このような体験に出会うことは、今の社会で生きていく中で、否が応でも無意識に刷り込まれるであろう、

  • 勉強は仕方なくやる、我慢してやる苦行

からの、

  • 仕事は仕方なくやる、我慢してやる苦行

という「呪いのような思い込み」に対し、警鐘を鳴らしつづけ、打ち勝つ・打ち破るための守り神になるのかもしれません。

  • 人生は、楽しいばかりではないけど愉しむもの

  • 思い込みを捨てて、なにが訪れるかを面白がるもの

そんな姿勢を大人同士も伝えあいつつ、さらに世代も越えて伝えられたら、学びなおし→学びほぐしととらえ直されてきた大人の持つべきやわらかさは、むしろ「あそびなおし」としてとらえ直されるのかもしれません。

「理由なんていらない」

この日の気づきを最後に紙の上に表現して終わりましたが、私は、

「リユウナンテ イラナイ」

と書き残していました。

今後、色々なところで再会するかもしれないのも楽しみですし、

自分自身の場づくりとの向き合い方においても、メタな部分も含めたこの日の気づきをつなげてゆけたらよいな、と思いました。

開催ありがとうございました!

(W2ワクワクナニカソン・ワクワク魔人S)


さあ、ワクワクしようぜ!

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