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隴西の李徴はPLAYFULではなかったのか?(PLAYFUL LEADERS & Friends Advent Calendar 2025|11日目)

おつかれさまです。W2ワクワクナニカソンです!

この記事は【PLAYFUL LEADERS & Friends Advent Calendar 2025】の11日目です


弱すぎる理由一つを友にして

「PLAYFUL」というキーワードにピンときた方ならどなたでも参加大歓迎

という、ひょっとしたら社交儀礼かもしれない言葉をうのみにして、PLAYFUL LEADERS関係者ではないのに突然挑戦することにしました。

「努力は夢中に勝てないものだよね」とつねづね、人生に対して漠然と思っていたという、極めて弱すぎる理由一つを友にして。(これを書いている人間はWSDではあるので、ほんのりとしたシンパシーもありますが……)

戦闘力ゼロ。なぜ来た。

記事の日付が近づくにつれて

あれえ? やっぱり、もっと書ける方がきっと手を上げるから、解放した方がよいのかなぁという思いも強くなります。

アドベントカレンダーは私も1度だけ主催側に挑戦したことがあって、手を挙げてくれる方がそろってくるまでのドキドキ、ゾクゾク、え? あの方が手を挙げてくれた、なんてことになるとうれしいし、そもそも最初に1人手を挙げてくれた瞬間の、命拾いしたような安堵感とか…。

それを思い返すと、そこまでびくびくしなくても、挑戦しようと思った気持に嘘はないんだから、うっかり日寄ってしまった結果、空いた枠をいそいそ主催の方が埋めていたり、ぽっかり残っていて、ああ、やっぱりあの時勇気を出しておけばって思うよりは、やってみればいいじゃない、とも思います。そして堂々巡り。僕の悪い癖。

それよりPLAYFULを掘り起こせよ

この堂々巡り、めっちゃ無駄ですよね。

私は、「山月記」の隴西の李徴も裸足で逃げ出す臆病ものなのです(比喩になってない)。意識的にそれを越えようと無意識トレーニングして「動き回る人」になろうと(あろうと)しているのですが、まあ、どうしても虎がね、出てきちゃいますね。

失敗を過度に恐れたり、私なんてと思いすぎることは明らかにPLAYFULと逆行する、虎まっしぐらの道です。そこを克服するにはメタ認知も必要だし、受け入れてくれる場もあるにことしたことはない。

だけど、それだけだと限界がある。

勢いで「山月記」出しちゃったので、内容を思い返して、ふと思いました。

  • 李徴はPLAYFULではなかったのだろうか?

  • PLAYFULではないから虎になったのだろうか?

この問いが内側から出てきたとき、急に心が定まりました。そうだ、それ書こう。書きながらテーマを決めるストロングスタイルです。荒々しいぜ。

李徴はPLAYFULではなかったのだろうか

とはいえ、心が定まった以上は、この道を進んでみます。

あらすじざっくりまとめ

「山月記」のあらすじは文学作品としてはかなり有名な部類だと思いますが、さすがにあらすじにまったく触れないと、この先の話が一ミリも伝わらなくなってしまいます。いや、ここまでの話も、そこすっ飛ばして進んでいるのはどうなんだという気もしますが。

いまさらながら、簡単にご紹介します。

詩人を志して官職を辞した李徴が、才能の挫折と、強すぎる自尊心から心を病み、やがて虎へと変身してしまう物語、ですね!
旧友と再会した(虎の姿の)李徴は、自らの変貌のいきさつを語ります。虎になる前に作った詩やら、残された妻子への思いを旧友に託しつつ、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が自分を虎へと追いやったと告白します。
月に向かって咆哮する姿を見せ、茂みの中へと消えてゆきました…とさ!

なにかの引用というわけではない…
とりあえずエイヤでまとめてみた

さて、もう一度問いを確認しましょう。

  • 李徴はPLAYFULではなかったのだろうか?

  • PLAYFULではないから虎になったのだろうか?

1.浅めの考察から少しずつ

直感的に、ザクッと考えると、李徴は「PLAYFUL」な人物ではなかったのかもしれません。彼は臆病な自尊心と尊大な羞恥心に囚われ、結果として遊び心や柔らかさを欠いたため孤立し、悲劇的な運命を辿ったとも読めます。

「山月記」でよく引用される言葉はおそらく「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」だと思いますが、この表現の深みをアッサリ捨てて無味乾燥あるいは一般的にわかりやすく言えば「失敗を恐れていた」と置き換えられる、かもしれません。単純すぎはしますが。

2.でも、ちょっと考えてみよう

PLAYFULの概念をよくよくかみ砕きつつ、この物語を思い出したとき、見過ごせない引っかかりがありました。

李徴は、その動機はともかく、行動としては詩人を志し、官職を捨てて創作に挑む道を選んでいます。その動機はともかく、とは書きましたが、同じようなある種の虚栄心を口にはしても、まずこの行動すら起こさない人も多いでしょう。李徴は少なくとも、形としては一種の越境の入り口のような行動を起こしています。志した分野も、安定や保証のない芸術的な領域です。

物語の帰結や、本人の自認、それらのわかりやすい印象を見て、李徴がまったくPLAYFULでないとまで言ってよいものか?

3.夢中になる瞬間がなかったら不自然な創作量

自認や第三者的な評価はともかく、李徴は「一定水準の作品」を「相当量」つくり続けていた様子がわかります。

他者に心を開けず、ある種こじらせて虎になった…とは言いますが、逆に言えば、よくもわるくも、他者の心からのフィードバックがもらえない環境の中にいたとも言えます。それでも続けていたわけです。根底にあったものが情熱か執着か。それはわかりませんが。

創作に向ける内面のエネルギーを生み出そうと、必死で己を鼓舞し続けた時期が李徴にはあったはずなのです。でなければ、アウトプット自体がそもそも生まれない。これは、自分で孤独にものづくりの一端をやってみれば、絶対そうだろうと思うのですよ。

この「夢中になって創作を続ける姿勢」は、ある種のPLAYFULの断片とも言えます。

4.李徴は本当にただ「自己完結的」だったのだろうか?

ここで、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」を再び思い出してみます。それらにとらわれていたために、人とよいように交われず、つまりは「自己完結的」だったので、できあがったものには、技巧は申し分ないものの、何か欠けていた、そんな風に読むことも出来そうです。

しかし、一方で。李徴は「自分軸がなかった」という一面が見て取れます。一見矛盾していますが、評価に対する怯えから、その先の対話が開かれていなかったという意味で、選んだ行動が「自己完結的」であり、逆にその前提となった評価の根底は「他人軸」だったのです。

5.ほな、PLAYFULと違うかぁ…

ここであらためて、李徴はPLAYFULではないのか、に戻ります。

PLAYFULであるということは、

  1. 「自分の好奇心」を軸にとしながら

  2. 「他者との関わり」を楽しむ態度

ととらえることもできます。

すると、四象限において、李徴はこの対極にいるとも捉えられます。

否! 「PLAYFULはそこじゃねぇ!」
だったらすみません…私の解釈が…

多数の創作を続けたからには「自分の好奇心」にシフトするチャンスはあった可能性もありますが、そうはなりませんでした。再会した旧友に虎となっても思いを吐露することができたのですし、なによりその旧友が虎となった友を純粋に懐かしみ受け入れる様子から、「他者との関わり」についても築く力はあったはず。狭く深く、だとしてもゼロではなかったはず。

対極とは言っても、断絶しているわけではなかったはずですが、とても遠かったのでしょう。

うーむ。なるほど。ほな、PLAYFULと違うかぁ…。

6.PLAYFULに接近しても、受け止められない受信機

……よくこれで、それにしても一定の創作活動が続いたな! なまじ能力が高かったから? 秀才だったから? いや、結果的に役人に戻っているのだから、やはり挫折しているとはいえますね。

やっぱりこれ、最初のうちは自覚してなくても、瞬間風速的なPLAYFULの風がかすめた瞬間はあったのかもしれません。でも、あまりにも受け止める側のありようが、PLAYFULの受信機として機能していなかった。そんな感じがします。なにせ対極ですから。

李徴は創作を続ける力を一定持っていたのです。でも、それを「自分の喜び」ではなく「他人にどう見られるか」に結びつけてしまった。そのため、夢中さがあっても自己肯定にはつながらず、孤独と恐怖を増幅させ、最後にはエンジンとなる夢中さも枯渇させてしまった……。

7.「異伝:PLAYFULな李徴」の世界線

ここからは仮のお話。

「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」

これは「山月記」における李徴の言葉の一つです。

この言葉自体には共感するという方も多いのでは? 単なるあきらめというよりは、むしろその先に通じる悟りへの道筋にも似た響きです。虎になるというトンデモ事態になったとはいえ、この言葉を旧友に語る境地に至れたのは、李徴が少なくとも多数の創作を続けたからだった可能性もあります。李徴本人はそれでも、自分は臆病で尊大で、やるべきことをやらなかった後悔の念にさいなまされているわけですが……。

ついに虎になるに至った、という語りと展開から、李徴がもし人生をやり直してハッピーエンドになる世界線(つまり異伝)があったとしたら、そうなる前に、違う道を行くべきのように考えるほうが素直です。

しかし、本当にそうでしょうか。だってそこまでさかのぼって、もっとうまいこと周りとやっていけたら、もうそれ李徴ではない、ただの別人の人生というだけのような気がします。李徴は李徴として生まれ、このどうしようもない不器用さとは一緒に生きていかなくてはいけない気がします。

「理由も分らずに押付けられたもの」からは逃れられないのです。おそらくですが、この旧友(袁傪といいます)が主人公のスピンオフとかがあったとしてですね、袁傪が仮に何回時を戻して周回プレイしても、

「くそっ! 何回繰り返しても
 李徴が虎になってしまう!」

になるのではないかと思うのですよ。だってそれが李徴のユニークさでもあるから。

8.それでもありえる? 李徴の救済ルート

もし袁傪が何回繰り返しても、李徴が虎になってしまう、そういうものである前提だとします。それでも李徴がハッピーエンドに向かうには、はたしてどうしたらよいのか。

「理由も分らずに押付けられたもの(虎になる)」

を受け取った後に、新しい分岐ルートをつくる以外にないですよね。

ここで、

  • 「我々生きもののさだめだ」

と悟りに至る選択肢のとなりに、もっとこうPLAYFULな選択肢をねじ込めばPLAYFULルートが解放されます。

要するに、それだけではどうにもならないこともあるけれども、生き物の定めとしてどうしようもない事態が現れてしまったなら、せめて事態の受け取り方を変えれば、もしかしたら活路が開ける。(いや、どうしようもないものもありますが)

まあ、いきなりPLAYFULはハイジャンプ過ぎるから、一旦考えすぎずに受け止めてみる、とよいのかもしれません。

まず素直に受け止めるところから

さだめだ、もうどうにもならんというのは、過度の意味付けです。わかっていることは、虎になったという事実、それだけです。

いきなり評価しないで、そのまま受け止めてみると、次の可能性が見えてくるかもしれません。さて……。

9.現代的な感覚だと「虎? カッコいいじゃん」

日本に野生として生息しているわけではないので、虎は直接の脅威として意識する対象にはなりにくいとは思います。どちらかといえば「カッコいい」「強い」ポジティブなイメージが強い生き物です。

たとえば、カフカの「変身」みたいに、理由もわからず毒虫スタート、に比べたら李徴の状況は(その分インパクトは薄れるとも言えますが)水墨画にしたら美しく仕上がる程度には、一般大衆的な印象としてはむしろ文脈的には美的です。

中国唐の時代の伝奇小説が下敷きになっているそうですので、虎はもう少し身近な脅威の象徴ではあるかもしれません。しかし「東の青龍、西の白虎」であり「竜虎相搏つ(竜攘虎搏)」のように、竜に並び立つ強者のシンボルです。

獣に身を堕としたと嘆く展開ではありますが、現代的な感覚だと、どうしてもビジュが良すぎるんですよね。

もし、虎以外の獣に身をやつしていたら、「どうせならせめて虎がよかった」ってうっかり李徴も考えてしまいかねない程度には、虎、ビジュが良すぎるんですよね。

大事なことかどうかはわからないけど、二回言いました。

10.キーワードは「おもしろがる」

実際に自分の身に置き換えてみれば、そう望んだわけでもないのに虎になったら悲劇ではあります。すごくすごく煮詰めて考えれば、あまり軽率に「おもしろがる」をあてはめてみる出来事ではないかもしれません。

ただ、「山月記」という物語は、ぐっと俯瞰したときに、様式美、エンタメとしての静謐な美しさ、残酷な運命の中にも慈悲深さも感じられる、設定としては元々奇想天外な伝奇小説でもあります。だったら、超展開でハッピーエンドになる道を一つくらい考えてみても、悪くないように思います。

もし仮に、李徴がキャラ変して、虎になったことで自分の本当のユニークさに気づき、思考のパラダイムが一転し、PLAYFULに踏み出していたら? 虎になった悲劇は唯一無二の冒険になり、他人軸 → 自分軸へのシフトで「虎になった今をどう楽しむか」に意識が向いてゆくかもしれません。そして、その先で旧友に再会したなら、もっと違う言葉を交わしていたのでしょう。

理由が分からなくても、理不尽でも。「おもしろがる」ことで意味が変わる可能性はあります。万能ではありませんが、それは自分のありようでどうにかできる領域です。PLAYFULとは、そんな最後の反逆の選択肢を持つための、世界の切り取り方なのだと思います。

李徴の悲劇は、物語上最後に訪れた、虎としての自分の受け止め方において、「おもしろがる」余白を持てなかった瞬間に、最終決定したのかもしれません。

さいごに

「山月記」の元になったという「人虎伝」だと、またちょっと違う李徴像らしいです。機会があったらちゃんと読んでみたいですが、積読、積読がですねぇ…。どちらかというと、そろそろ「文字禍」になりそうですね。

(W2ワクワクナニカソン・ワクワク魔人S)


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