King & Queen of Daydream Believers(多元的知性について)
「今にして思えば、あれは人生で最高の決断の1つだった」これは、スティーブ・ジョブスが大学を中退したことについて語った言葉だ。
今回も、過去回の内容をところどころ使いながら書いていく。
アシュトン・カッチャー氏のジョブズ役は名演だった。



先生は教え子の活躍をさぞ喜んだことだろう、と飲みこみやすい錠剤化してしまいたくなるが。彼が美しい書体をコンピューターに組みこんだため、今では誰もがデザイナーになってしまったーーと述べていた。芸術みが失われた的に、やんわりと嘆いていたわけだ。
私自身には反対する気持ちはないが。先生の言っていることは正しいと思う。
ジョブズはカリグラフィーについて、「科学ではとらえきれない」繊細な美しさをもつと言っていた。ジョブズの方に矛盾が発生しているのが、わかるだろうか。
言うて鳥をカゴに入れちゃったのだからね。

リード大学が気になった人用↓
大学を中退した19才のジョブズは、友人とともにインドへ旅に出た。

お腹を下したり暑さにふらふらになったりしながらも訪ねた、彼が会いたかったババは、残念ながらその1年前に亡くなっていた。(ババは霊的指導者などに対する敬称)だが。ジョブズは7ヶ月間インドに滞在し、それまで経験したことのないことをたくさん経験した。
当時のインドは彼が想像していたよりもずっと貧しく、国の現状と神聖な雰囲気との不一致に衝撃を受けたそうだが。後で思い返すと、シンプルであることや直感的であることなど、インドのすばらしさを強く感じるようになったという。
あるあるだ。少し自分の話をするが、アメリカとスイス暮らしの体験談ではなく、最近の日本での体験を書くことにする。
今年の夏の旅行で軽い登山をした。軽いと言い表してはみたが、日本の真夏に坂や階段をあがり続けたわけだ。つらいことの最中は、「つらい」という感覚をハッキリと認識しているが。時間が経つと、たとえばそのつらさがいかほどのものだったかを程よく忘れる。すると、いい思い出だけが漠然と残る。人間そういうものだ。

724年に聖武天皇の命により高僧が創建したと伝えられている、関東最古の勅願所(天皇の命によりつくられた国の安穏などを祈るための社寺)で。鋸山の南斜面10万坪あまりが境内。よく言う「東京ドーム何個分」だったら、7個分くらいか。
1553体の石仏群が安置されている「千五百羅漢」。どれひとつとして同じ顔のない石仏たちは、石工・大野甚五郎と27人の門弟たちが、約20年かけてつくっていったもの。

小さいたくさんの仏像たちは見たい・大きい1つの仏像は別に見たくないという私の主張のせいで、一緒に行った人は日本一大きな磨崖仏を見れていない。ごめん。


余談終わり。
今回はジョブズの話なの?そのつもりはないのだけれど、ジョブズの話が多めになりそうだ。
友人談「スティーブは、ひまさえあれば、コーブンに会いに行こうと言っていた時期があった」
帰国後も、人生で何をすべきかを探しあぐねていたジョブズは、シリコンバレーの実家近くにあった小さな禅堂をたずねた。そこで、1人の日本人と運命的な出逢いをした。禅僧の乙川弘文だ。

彼のことは後で詳しく書く。
インド生まれの達磨が中国に渡ってその思想を確立し、奈良時代から平安時代に日本にもちこまれたとされている禅は、坐禅と瞑想をもって体現される。

菩提達磨が説いた「不立文字」(ふりゅうもんじ)とは、悟りは文字や言葉で表すことができないものである、という意味だ。経典によって教えられるものでなく、実践を通じて体得していくものであると。
これらジョブズの体験からAppleの哲学が生まれたことは、誰の目から見ても明らかである。
ミニマムな外見で直感的に操作できるが、パワフルなテクノロジー。Apple製品のデザインには、ひき算でたどりつく美しさがある。

実際、このように述べていたし。「私は、直感は知力よりパワフルだと感じるようになった。この認識は私の仕事に大きな影響を与えた」

(上の画像にもあるように)才能あふれるデザイナーたちは必要不可欠な存在だった。
1998年に登場した半透明の iMac は、スペックよりもその見た目で話題となった。Appleの元最高デザイン責任者(今は独立なさっている)アイブ氏のデザインだ。

彼は、iMac MacBook iPod iPhone iPad のインダストリアル・デザイン担当者として、国際的に知られている。


日本語字幕のついている動画をお借りする。アイブ氏が語るAppleデザイン・スタジオの様子。
2人のスティーブ。

スティーブ・ウォズニアック氏はAppleの共同設立者であり、創業から現在まで在籍し続けている唯一のメンバーだ。Apple I と Apple Ⅱ をほぼ独力で開発したことから、「ウォズの魔法使い」などと呼ばれた。

6才でアマチュア無線の免許取得、13才でに二進加減算機(原始的なコンピューター)にて科学コンクール優勝。21才で16才のジョブズと出会い意気投合。
ジョブズ「電子機器では誰にも負けないつもりだったのに、自分よりも詳しい人にはじめて出会った。彼のエレクトロニクスについての知識は尋常じゃない」
ウォズ「私は人づきあいがあまり得意ではない。その点、彼はすごくて。人をひきつける不思議な魅力をもっている」
ウォズがつくった違法な通信系の装置(無料で電話がかけ続けられるもの)。ウォズはそれで何をするつもりもなかったが。ジョブズが学生寮などで売りまわった。
自分なら既存のコンピュータ・キットよりも優れたものをつくれると、ウォズは Apple I を完成させた。ウォズが回路図を無料配布しようと言うと。ジョブズは、何ねぼけたことぬかしてんだよ・これをビジネスにするに決まってんだろ的なことを言った。
😂2人の性格の違いが表れていて笑う。

ジョブズ何もしてなくね?と思う人がいるかもしれない。実際、そう感じた人たちはいた。


この伝記作家が書いた本のことを後で書く。
過去回で、『USSカリスター』という作品をとりあげたことがあった。この作品がジョブズを皮肉ったものだった可能性も、無きにしも非ずか。さすがにジョブズはこんな悪人ではない。


ウォズも彼にうまく使われたのだろうか。お前は何もしていないくせにーーとジョブズに思っていたのだろうか。私はこう信じている。ウォズは、そういう人たちの1人ではなかった。


この後、ウォズはジョブズを「マスター・コンダクター」だと言い表している。とてもほがらかな性格の彼だから、ワンマンな人間と一緒にいれたと言うのはあるだろうが。一番近くにいた人の感想を聞かないのも、おかしいだろ。
事業をはじめるために。ジョブズは愛車を売り、ウォズは愛電子機器を売り。なけなしの資金をねん出した。
ぜんぜん関係ない作品もち出さないでよ、と思われるかもしれないが。こういう感じだったんじゃあないのと。片方の子は少し威張っていて・もう片方の子はおとなしいタイプだ。はたからどう見えようが、本人たちどおしは親友で戦友なのだろう。当事者にしかわからない「真実」というのはある。
アイブ氏がいなかったら、ウォズニアック氏がいなかったら、AppleはAppleになっていなかった。同じことがジョブズにも言える。どの能力も必要だった。
ジョブズという人物を通して混合され具現化されたこれら全てが、後に1つの産業を再定義したわけだ。あらゆるメーカーに、優れたデザインをコア・バリューとして重視させた。
好奇心と学際的な探求の融合という意味での知識が、予期せぬつながりを起こすことができるという、具体例。単なる情報集積を超越し、多様な知識領域を融合させる/一見バラバラに見える知識を調和させる。専門分野の境界を越えた人間の高み、その象徴。

ジョブズはカッコイイけれど、正直、こういう話は聞き飽きているーーそんな声が聞こえてきそうだ。
では、こんな話はどうだろう。
かつて、「Power Mac G4 Cube」という製品があった。
ハイエンドの Power Mac ほどパワフルでなく、ローエンドの iMac より高価だった。それでも売れると彼が信じたのは、デザインがオシャだったからだ。息をのむほど美しい商品・デザイナーはみんな買うと言っていたことから、そう推測できる。
お借りした動画の方は絶賛しているが。手をかざせば電源が入ることなどに(それが購入の決め手となるほど)感動する人は、さほど多くなったようだ。Cube は予想よりもぜんぜん売れず、商業的失敗作となった。
そこでジョブズはどうしたかと言うと。思い入れの強かった製品を即、切り捨てたのだ。
冒頭でとりあげた彼からの引用も、「決断」に関するもの。
誰よりも、1つの立場を強く主張することのできる人だった。理由があれば、すぐさまその立場を変えることのできる人だった。

彼は禅僧に、「すべき と したい の違いがわかった」と話しかけている。「すべき/したいというのは全く重要ではなくて、したい/すべきというのだけが大切なのだとわかった」などとは言っていない。
さまざまな意見があるよね。いろんな人の体験とそこから得た知見を見聞きするのは、楽しい。
彼の顕著な特徴は、まわりの人間を傷つけたり怒らせたり困惑させたりした。さずかった子を認知せず養育費の支払いをしぶったりしておきながら、重要な新プロジェクトにその娘の名前をつけたり。うん、支離滅裂。
それらは本人へと還っていき、彼はガッツリと痛い目にあった。自らスカウトしてきた優秀な人物に判断され、実権のない会長職に就くことになったり。実質、追放。
複数のインタビューに、日本語字幕をつけてくれている動画をお借りする。彼がその時に学んだことが語られている。Appleは人々の知性と感性を同時に満たす会社だ、とかも話している。
(カリグラフィーの勉強がイノベーションをもたらすまでに時間がかかったように)つながりがすぐには見えないかもしれないが、必ずテーマにたどりつくから、心配しないで読み続けてほしい。
この間、この映画を観返した。改めて、いい作品だった。この俳優さんが実際にこの役の性格や価値観をしていると思って観ていくと、なんていい男なんだと感じてきて。イケメンだ……とつぶやいてしまった。
俳優さんは俳優さんで大変すばらしいが。この男性は実在するのだから、彼の話の方をしないとな。

パラグライダーの事故で四肢麻痺になってしまったフランスの実業家の男性は、重いうつ状態におちいっていたが。アルジェリア出身のアブデル・セロー氏と出会ったことで、本来の明るさをとり戻していった。2人は10年間ともにすごした。
本人たちも、映画が大ヒットしたことを喜んだそう。私たちの友情が世界の誰かを幸せな気持ちにできたり勇気づけたりできたのならば、とてもうれしいと。

ご本人たちが登場する動画をお借りする。


アリスター・マクファーレンは、情報・知識・知性を定義し区別した。
情報は記述する・知識は規定する・知性は決定すると。
私の考えもまじえて、これを解説していく。
情報とは。
共有可能な意味のあるパターンである。たとえば言語パターンは、精神的に把握され社会的に共有することができる。
科学技術はその物理的な部分をあつかっている。私たちが生きていく上で、その精神的な部分や社会的な部分もあつかうことは必須である。
知識とは。
プラトンによると、正当化された真の信念であるが。それは違うのではないか、と私は思う。
私たちは生得的な知識をもって生まれるが、たとえば宗教的な信念をもっては生まれない。
私たちの細胞内のリボソームのような分子機械は、タンパク質の合成能力をもつように進化しているため、タンパク質の合成方法を「知っている」。


昆虫のことを考えてみよう。

また過去回を経由するが。同じ路線上の話(知識についての話)だし、テーマにも向かっていっているから、ひき続き安心して読んでいて。




他生物のような能力をもつ、人間もいるが。

人間のような能力だと感じる、他生物の能力もあるが。


人間は自由にどのような存在になることもできるように生まれたものだから、先は破滅しか見えんーーとプロティノスは思わなかったわけだ。我々は我々で、愛を通じてすばらしい存在になれると。
私たちが生まれながらにもっている知識だけでは、世界(主に人間がつくる複雑な社会)がもたらすあらゆる問題に対処できない。さまざまな学習によって、追加の知識をもたねばならない。
愛を学ぶことは、おそらく、前者でも後者でもある。


ここで、信念の話をさしこみたい。
私たちは道の途中で、私たちが信念と呼ぶものをもつようになる。私たちの行動は、知識と信念によって発動されるようになる。
明示的知識は、一貫性・持続性・信頼性・有効性などの点で、信念とは区別される。
学習と経験という表向きの知識の下では、尚も、私たちは非合理的な生き物であるかもしれないが……
この部分を笑い話で表現する。笑いがないと疲れてくるからな。


……信念と知識の間で常に妥協点を探っていくことで、私たちはその限界を超えていけるかもしれない。
絶えず変化する世界で生きていくためには、重要な試みであるはずだ。

意図的な行動の柔軟性/堅牢性は、本能として現れるような生得的で固定された表象にもとづく行動に比べ、はかり知れない利点をもち得るのではないか。
(今は信念の話をしている途中だということを忘れずに)
みんなおもろいクラスメイトといつも言う、生物大好きな私だが。逆に、たくさん学んできてわかってしまったのだ。どう考えてみても人間は特別だ。アリやハチが特別なのと同じように、ではあるが。それ以上に、特別だ。だからこそ他より重い責任がある。


私的に、上段の話を通過せずに知識について書き進めることはできなかった。
We can know more than we can tell. と言ったのはポラニーだった。


ヒューリスティック(経験則)でも説明しきれないような何かに、彼は考えをめぐらせたのだ。
マニュアルを知っていて。経験もあって。今、ここで、どうするかを決める力。
これを実践知と呼ぶ人もいるようだが。〇〇知?ピンとこないにも程がある。ここまで考えてみる時、カテゴライズや名づけなど忘却の彼方だろ。
再度、北斎の過去回から。


「In Other Word (Fly Me to the Moon)」をはじめに録音したのは、ケイ・バラードさんらしいが。私は宇多田バージョンを貼るよ。
詩人は時に シンプルなことを語るのにも 多くの言葉を使う
詩を響かせるには 思索と時間と韻律が必要だ
私は 私自身の音楽と言葉で 君のために この歌をつくった
(タイトルにもなっている)これに続く歌詞もあわせると、1人で神のような高みにいる彼女に、ぴったりだ。言語化という行為においても、世間一般にわかりやすいものにある程度かえていかねば、伝わらないだろう。
藤井風さんが「仕方ないから歌詞を書いている」と言っていた。自分のためだけに作品をつくるのなら。こころの中にわいたメロディーを「好きに」ピアノで奏でて、あたまの中で「勝手に」歌っていればいいもんな。そうではないから、言葉をつむいでくれているのだろう。
特別な人が素ですごせば、それを理解する者は激減する。孤独の一文字が入った言葉、孤高。



学者たちは依然として、知能の正確な定義について議論を続けているが。今のところ、次のように結論づけている。
とりわけ、推論・計画・問題解決・抽象的思考・複雑なアイディアの理解・迅速な学習・経験からの学習を行う精神的能力。
それは、身体的活動とも根深くリンクしているが。この過去回でガッツリ書いた。
知性とは。
情報ではないし知識でもない。信念(原動力)ともまた別だ。では、何なのか。プロセスである。
絶えず変化する環境に対応するため・予測不可能な状況に対処するために、情報などを活用する。情報を獲得し、適応させたり修正したり拡張したりすることを経て、問題を解決する。
何か具体例を出してよ?


つまり、無限の未知の状況に対応していくわけだ。
分析的なものだけではなく。社会的知性だとか感情的知性だとか、さまざまなカテゴリーがあるはずだ。
ここまでで、一区切り。
どうしたら自分もそういう人になれるのかな・自分は救助隊員や外科医にはなれそうもない、と思った人へ。(me too)
読書習慣をもつ著名なリーダーは数多くいる。
ウォーレン・バフェット「毎日500ページずつ読みば、複利のように知識が蓄積される」
無論、それがすばらしくないという意味ではなく。バフェットのすばらしさが、日に500ページ本を読むところにあるか。絶対にそこじゃあないでしょう。

世阿弥の説いたものを見ると。彼はこういう考え方をしていなかったことがわかる。


どちらも、「真」という言葉を用いて語られるものだが。世阿弥によれば30代までに見出し40代になっても残っている真の花と、普遍的な真理に関する智慧を表す般若とが、同質の何かだとは思えない。
「学校が終わったらとんで帰ってしていた稽古」「守ってくれる血」「ほんまもんの芸」「覚悟」「ここへたどりつくまでに犠牲にした大勢の人たち」「でも それでいいの それでもやるの」
このように。誰かにとっては悲報かもしれないが。実は、前提条件やあらかじめ定められた道筋はない。絶対のガイド・ラインはないのだ。
自分自身の好奇心に従い、各々の情熱を燃えあがらせるあらゆるものを追求すること。それを経て、みんないくらでも社会へ貢献できる。
発見の喜びは、読書や映画鑑賞・旅行やアクティビティー・学習や探求・思考や議論・スポーツやミュージック・恋愛や友情・創作や表現・芸術や文化……の中にある。
重要無形文化財の各個認定の保持者、通称:人間国宝。対象となるのは、陶芸や染織などの工芸技術と能や歌舞伎などの伝統芸能だが、国の宝と呼ばれるレベルまでそれをやる人たちがいる。
主人公が感知していたあのキラキラは何なの?無粋かもしれないけれど誰か言語化して?と、質問している人をネットで見かけた。別に、テキストにできないわけではない。不立文字さえ、不立文字という「言葉で」伝えられるわけだし。たとえばトルコ語で gaipten sesler duymak これを英語にすると hear supernatural voices だ。
言うは易し行うは超!!難しよ。情報と知識と知性の違いにも似て。
大学全体の入学者数減少にともない、リベラルアーツ教育は衰退の危機に直面している。就職市場に特化したプログラムへの嗜好の高まりによるもの、だとも言える。
幅広い学習の本質的な価値よりも技術的なスキルを重視するような、世界の変化を反映しているのだろう。
私が今している話とはまた少し違うが、この方のおっしゃりたいこともわかる。
経済的な安定を望むが就職の見通しを不安に思う学生や保護者は、人文科学の学位を、バランスのとれた教育に不可欠な要素ではなく非現実的なぜいたく品と見なすかもしれない。
この流れをわからないとつっぱねるほど、私はロマンチストでもドリーマーでもない。
いや、違う。
私が浪漫を追いかけきれていない・夢を見続けられていないだけだ。私がビリーバーになれていないだけだ。
「ホームカミング・クイーン」よりも「彼女はクイーン」の方が好きだ。(忌野さんが幼い頃に亡くなった母親・育ててくれた母親、2人のお母さんに対する感謝をこめた歌詞らしい)
政策立案者や教育機関は、特定の分野への資金提供と支援を優先しがちだ。あらゆる物事の本質への理解力を育むために必要と言われている学習を、推奨していない~軽視している。
今のこの世界を見ても、尚。
人間は一様に、「先の時間のことを考える」のが大の苦手なのだ。
テクノロジーの進歩が牽引する経済における、「成長」。私は、長い間、このことを考え続けてきた。
それが人類の成長なんだと言って聞かされてきて(みんながこのお経を唱えているからな。生産性〜とかね)、それができていないことで自分は成長していないと感じてしまう人のことを考える。病んでまとも。

どんな業界でもそうだぞ。

書きながら「成長とは?」となっていそう。
たとえ本当に「生産性」が上がっても、大企業などが多く得たら多く得た分、社員に配るか。


動画もお借りする。
では。先の時間のことを考えるのが得意な人たちは、どんな思考をするのか。




森に降る雨は、林外雨と林内雨に大別される。前者は、樹木にふれることなく森の外側に降る雨のことで。後者は、林冠を通過して森の中に滴り落ちる雨のことだ。樹雨(きさめ)と呼ばれたりもする。

自然を見て思いつくだけでなく、さらにそれを行動に移すとなると。もはや、稀有な存在となる。そんなすばらしい方々の具体例。↓
先を見通せる人かつ行動力のある人だったガンジーは、鉄道によって「邪悪」が拡がると言っていた。ここでの邪悪とは疫病や貧困のことで。鉄道が大勢の人間を運ぶことで、疫病が蔓延すると。生産者がより高く売れる地域に売るようになるため、格差が生じると。
知性のところで書いた、プロセスの話を思い出してほしい。あれはより瞬発的な判断力のことだった。いずれも remarkable(英語のこれが一番的確な形容。讃える意味の顕著)
ふと思ったが。ガンジーの「非暴力」を誤解している/うわべだけしか知らない人は、少なくないのかもしれない。
死をも恐れない勇敢さと相手の良心に訴える力をもつのが「完全な非暴力」。暴力によってでも勇敢に立ち上がり抵抗するのが「非暴力的暴力」。臆病を理由に存在するのが「偽善的無抵抗」。



彼も、キリスト教聖書も読んでいた。自分の物をうばった男に自分の物をさらにあげる話、が最もささったと。山上の垂訓・ルカ6:30だろう。「あなたに求める者には与えてやり、あなたのもち物を奪う者からはとり戻そうとするな」
ここがささった人が、暴力によってでもーーと言うのに、いろいろな想いがあって葛藤していなかったわけがない。選択と決断だ。意志と信念だ。
カタカナで表すと「サティヤーグラハ」。ガンジーによる造語で、彼の非暴力思想の本質を表す言葉だ。いかなる外圧にあっても真理に対する内なる信念を堅持し続けようとする、不動の精神状態を意味する。
南アフリカで。一等切符で列車に乗っていたのに白人の乗客から「貨物車へ移れ」と言われ、抗議すると放り出されたこと。大英帝国の支配下で。出稼ぎのインド人労働者たちがおかれた過酷な現実を目の当たりにしたこと。もしかすると、それらよりも彼に衝撃を与えたのは、あきらめて声をあげない同胞らの存在だったのかもしれない。
「マハトマ」(偉大な魂)と呼ばれるガンジーは、ノーベル平和賞に5回ノミネートされたが(5度目は彼が暗殺された後)。結局、受賞しなかった。
彼を殺害したのは、ヒンドゥー・ナショナリズムを信奉していたゴドセという男だ。ヒンドゥー・ナショナリストのスローガンは「Desh ke gaddaron ko Goli maro」(国の裏切り者を撃て)だった。


暴力には、身体的・経済的・政治的・社会的など、さまざまなかたちがある。ほとんどの運動は物理的に非暴力的にはじまり、既存の国家機構を利用して目的を達成しようとする。これらの選択肢がうまくいかない場合、運動は暴力を使いはじめる。通常、不満は長年にわたって蓄積されている。
(イスラエルのやっていることはジェノサイドだが)今起こっている戦争は絶対に止めねばならないが、次に起こり得る戦争も絶対に防がねばならない。という話だ。
知能の尺度としての「知能指数」(IQ)という用語は、1912年にドイツの心理学者によってつくられた。
研初期段階では、IQは二元論的なものだった。つまり。人は、賢いか/賢くないかのどちらかだった。生まれもった知能を死ぬまでもち続ける、というような認識でもあった。行動科学者らは、性格や才能といった他の属性は知性の付随的な副産物であるという、いささか単純な見解をもっていた。
20世紀後半になると、こうした見方は変わりはじめた。
1960年代に、知能には2つの異なる形態があるという説が提唱されたり。
結晶化知能:基礎レベルの知識に相当し、一般的に幼少期の学習や経験を通して形成されるもの。
流動性知能:新しい教訓や経験を理解する能力に相当する、第二の知能。
1980年代に、知能の他の要素を検証する一連の研究が行われたり。
知能にはさまざまな形や専門性があるとして、9つの異なる知能の種類についての論文が出された。現在では情動知能と関連づけられている要素などが含まれていた。
今では、知能の概念は多元的なものとなっている。

ウォズもジョブズを指揮者だと言っていたな。
笑い話でもあるが真面目な話でもある。両者のタイプの違いを感じてほしい。↓
このテーマが探求されるにつれ、IQテストにも改良が重ねられていった。テスト自体にもその採点システムにも。

優秀なのに落第する人はいる。
たとえば誠実さ。必ず授業に出席したり必ず宿題をやったりーーそういう性格特性の高い人の学業成績は、上がりやすいだろう。
誠実さと好奇心の組あわせは知能と同じくらい成績に大きな影響を与える、ということが判明している。
インドの小説家ヴィクラム・セスは、『Beastly Tales from Here and There』で、「ウサギとカメ」の寓話をリメイクした。より現代的に・より皮肉をきかせて。
どちらの行動にも、教訓として示唆すべき点は何もない。愚かな敗者であるウサギはメディアにとりあげられることで、ある意味あまやかされて完全に腐り果てる。カメの勝利はカメに喜びのない独善性を高め、世間からはいずれ存在を忘れ去られる。
今の時代、このくらいでないと、教訓の「油断大敵」を表さないと?手厳しい🥲
古代ローマの哲学者キケロは、人間が本来もつ学ぶことへの愛について、次のように記していた。
学問と知識への生来の愛はあまりにも深く。たとえ利益の誘惑がなくとも人間の本性がこれらに強く惹かれることは、疑う余地がない。ホメロスはセイレーンの歌についての想像上の記述は、この点を念頭においたもののだと思う。人々をセイレーンの岩だらけの岸辺に根づかせ続けたのは、まさに学問への情熱だったのだ。


『ヒストリエ』の主人公が自分をオデュッセウスになぞらえたのは、わかる。頭脳戦・文武両道・馬・探究心・冒険。共通点ばかりだ。

彼が戦なのに楽しかったのも、理由はわかる。しかも、男性だしスキタイ人だしな。


デイヴィッド・ヒューム(『人間本性論』を書いた哲学者)は、人間の知識は経験からのみ生じるとした1人ではあるが。知的好奇心・原始的好奇心と、好奇心を分類もした。
科学において示される知識への愛とは別に、人間の本性にはある種の好奇心が根づいている。隣人の行動や状況を知りたがる飽くなき欲求をもつ人らがいるが、彼ら彼女らには全く関心というものがなく、情報を完全に他人に頼らざるを得ない。そのような場合、研究や応用の余地はない。
現代のSNSの話?と思うだろうが、1740年くらいの話だ。【悲報】人類は成長していないシリーズだ。

66年前にも「X」はあった?(余談)

『プルートゥ』を観返したくなってきた。私はノース2号が好き。(こちらは余談ではない)

「完全な非暴力」を選択するゆうよは全くなかった。あんなに二度と戦争をしたくないと言っていたノースが、もう一度戦うことを即選択したのは、大切な人を守るためだったからだ。今度はあの時とは理由が違ったからだ。
昔から聡い人は聡い。
再度、アリスの過去回より。

私の主張の一丁目一番地は、「しなくていいケンカをするな」「なかよしをできる限り目指せ」だ。みんなのは何かニャ。ついにおかしくなったんじゃないから。チェシャ猫だから。


ジョブズの伝記を読むなら、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』を読むべきだろう。
ガンを患っていることがわかった後、自ら執筆を依頼。ありのままを書かれたいという想いから、自分に対して悪評を述べるであろう人たちへも、積極的に取材協力を呼びかけた。結果、彼の関係者100人以上になされたインタビューで、本著が完成した。
それでも。ジョブズの最期の様子の記録には、インパクト的にかなわないかもしれない。(主観)
亡くなる数時間前にジョブズは、OH,WOW.OH,WOW.OH,WOW. と繰り返し発していたそうだ。我が子を見て、妻を見て、妹を見て。どういう感情か、私たちがこの世を去る時に私たちにもわかるのかもしれない。
直近の米国で燃えている話題を1つ。

パーツに分解して解説する。





これら複数の事実を考えあわせて、現実的にあり得る近い未来を懸念して、あの書き方になっているのだ。「デマ」とかではない。
「〇〇なんて可能性もある」という書き方はアウトではないし、前もって考慮や警戒をしておくのは重要なことだが。ガザの現状をかんがみても、イスラエルを批判する感情を強めたり拡げたりすることはよろしくないとするのであれば、対立をあおる書き方だとも言える。私的には、区別が大事なポイントだと思っている。国民をひとくくりにしてはいけない。
U.S. Department of State Marco Rubio Remarks to Press などと検索すれば、詳しいインタビューを読めるが。政府公式記事に国務長官がけしからんことをしていると書かれていることは、基本ない。笑
摂取する情報のバランスには気をつけたいものだ

虚空に向かって発した一文が瞬時に啓示として返ってくる、手品のようなもの。
時に言葉以上のものに目をやり耳をかたむけ・一連の小さな実験(意識的なものも無意識的なものも)をつみ重ね・最終的に創造物がじゅうぶんに形づくられ・野に放つ段階にいたる。ーーシリアスな意見表明など、そもそもこのレベルでなされるべきであってというのは、今は言わないでおくーーそれら全ての過程をスキップできる、手品のようなもの。
好奇心は、疑問をもちたいという欲求でもあるからして。生成AIは、知性と好奇心が学習方法において乖離するという、パラドックスをもたらしていることになる。
いや、AIは「何も悪くない」から。悪いのはウチらでアンタらだから。本当、苦しむ姿見せろ ゲーム・マスターになれ だよ。
好奇心の定量化は難しい。
あなたは、学習を終わりのない旅のようにとらえているか。それとも、学期末テストや入試や資格試験の当日までのことだととらえているか。
少なくない数の知性の高い人々が、後者だととらえているかのように見えるキャリア・パスを歩んでいる。現実はこうだ。


知性があれば、テクノロジーの複雑さを乗りこえられるかもしれないが。好奇心があれば、テクノロジーがもたらす影響について疑問をもつことができるだろう。



書くと約束していた、乙川弘文について。
新潟県の曹洞宗の寺に生まれ、京都大学大学院で修士号(仏教学)を取得し、永平寺にて修行をした。鈴木俊隆の招きで渡米し、各地で禅の布教を行なった。
家庭崩壊や飲酒の問題を抱えた人生であったが。あえて、混乱する自己をさらしていた。
Apple社から事実上追放されたジョブズは、禅を徹底的に学び直した。乙川氏とは同居までした。
日本で僧侶になりたいなどと言い出すジョブズに、君はアメリカで起業家として生きる方が命を活かせると冷静に返していた乙川氏には、我々も感謝せねば。笑

彼がジョブズについて言及した法話が、映像記録として1つだけ残っている。1993年にオーストリアの山奥の禅堂で弟子が撮影したもの。
私はオーストリアにくる直前、危篤状態だったポールという人物をたずねて病院へ行った。
(ポール = ジョブズの養父だ。ジョブズが養子だったというのを知らなかった人用に、裏事情的な情報を貼っておく。より基本的な解説動画などもあるだろう)
こちらに着いてから、彼の訃報を聞いた。いささか風変わりな男の子を養子にむかえた人だった。
20年程前、私がカリフォルニアに住んでいた頃のことなのだが。その子が夜中に私の家へやってきた。その時、彼は19才だったか20才だったか。裸足で長髪でヒゲはぼうぼうでジーンズは穴だらけだった。
あなたの弟子はおかしな人ばかり!と妻が怒り、家にあがらせようとしなかったため、2人で出かけて行った。1軒だけ開いていたバーに入りカウンターに腰かけると、まわりの客がじろじろと見てきたのを覚えている。そのくらい、彼の風貌はひどかったのだ。
彼が「悟りを得た」と言うので、私は「証拠を見せてくれ」と言った。すると彼は困ったように口ごもって、まだ見せることができないと。
その夜はお開きになったのだが。1週間後、また彼が裸足でやってきて。悟りの証拠をもってきたと、縦20cm横40cmくらいの金属板を見せてきた。

コーブンに見せるんだから早く早く!とかガレージで?ウォズをせっついていたのだろうか😂
私がはじめ板チョコか何かだと思ったものは、パーソナル・コンピューターのチップというものだった。つまり、アップル・コンピューターのはじまりだった。
(初見板チョコ、わかる。かざらない人だね)
彼は時々、僧侶にしてくれと頼んでくるが。私は毎回、ダメだと答えている。修行にむいていないからだ。聡明すぎるのか、1時間以上の坐禅ができないのだ。

たしかに聡明すぎる。笑
彼の娘のリサは、私のことをゴッド・ファーザーと呼んでくれる。かけよってきて日本語で話しかけてくれる。とてもほほえましい。

2人の交流は乙川が亡くなるまで続いた。

2002年の夏、布教先のスイスでのこと。64才の乙川は、池で溺れかかっていた5才の愛娘を助けようとして、溺死した。娘も助からず。
その報せを聞いたジョブズは、長い時間泣き続けた。
利他 = 善という解釈が、世の中にはあるだろうが。いや、それは何も間違っていないが。いてもたってもいられないという感情から出てくる直観的なものが、利他の何割かをしめている。
いざ、善行!と思って溺れる人を救出しに崖から海へとびこむ人など、いやしない。目の前の人を助けたい「だけ」だ。
最後に、日本について語るジョブズの動画をお借りして貼っておく。
各国・各文化、さまざまなすばらしさがあるが。私たちは私たちのすばらしさを保ちつつ、さらに、変わりゆく世界へ対応してよりよくなっていかねばならない。少なくとも、そうなれるよう努力していかねばならない。明るく前向きにね。
制度の一部だけを変えるなど海外を安直にまねるのは、悪い結果をひき起こす可能性もある。○○をやっていきたいのなら、○○をやれるような環境を先んじて作成する方がリスクが低いのだ。価値観などが入れ変わるには、世代単位の長い時間がかかる。その速度を上げることができる、最大かつ最良の手段は、学習だ。
今回も長くて疲れたでしょう。おつかれさま。
