それは精神疾患か青春か
ホーディングという言葉を聞いたことがある人は少ないかもしれないが。この言葉ならどうだろうか。ためこみ症。
Hoarding Disorder:不要な物を過剰に集め、それらを捨てることに強い抵抗を感じる精神疾患。(2013年にアメリカ精神医学会によって、精神疾患に分類された)
ドイツ語に、Hamsterkauf という言葉がある。Kauf(動詞 kaufen の名詞形)は買うことを意味する。つまり「ハムスター買い」である。

まぁ、このぐらい↓になってしまったら。平均と比較して、事態や精神を「異常」と呼ぶ他ないとは思うが。

要因についての医者の基本的な見解は、こうらしい。


お決まりの文言がそろいぶみ、という感じだな。ホーディングに特有と言えるような部分は、「環境的要因」の最初の一、二文しかないのではないか。遺伝子と脳機能に要因がある「可能性がある」ーーこの無意味さと危険性よ。可能性で語っていいなら、全てに可能性がある。
これは私の文章の紹介文。

ある著名人に虚言癖があると。私はそんなことミリも気にならないが。(人々から責め立てられすぎて、その人物がどうかなってしまわないかという心配ならするが)このツッコミのセンスには笑った。

遺伝のせい・親のせい・脳のせい・ストレスのせい・生まれ育ちが悪いせい・恵まれない環境のせい 嘘一色 役満 とまでは言わないが。マクロな話、自分のせいではないという説は、必要以上に注目や拡散されるものなのだ。

呪詛と言うより、もはやお守りだろ。「私の人生がこんななのは毒親のせいであって、決して私のせいではない!」
『ゴシップ・ガール』(元祖の方ね)のブレア役で一躍有名となったレイトン・ミースターの両親や親族は、麻薬密輸に関わることで巨万の富を得ていた。一族は全員逮捕された。母親はその時すでに彼女を妊娠していた。レイトンは獄中で産まれたのだ。ちなみに叔母は脱獄した。強い女たちだな😂遺伝子どうので言うなら、彼女は生まれつきエネルギッシュな女性だろうよ。実際、芸能界で10才から働いているし。ヤクの売人になどなっていない。
So everything is up to you, right?
I know it's not that easy, but try to stop cursing the world first.
XOXO 紗綾
(GGを知らない人はわからないネタ、ごめん)

GGと言えばこのカップル。ステキな恋愛だ。


今回の大テーマに関係あるから貼った。
日常的なホーディングについて、考えてみよう。
アイツには虚言癖があると人を責める者が、一生に一度もウソをついたことがないという可能性は、0%に近い。私も「可能性」言って悪いのだけれど、私は儲けのために文章を書いていない。
病的なレベルと線引きをし(しょせんは人間がこさえた基準だ)、普通の人には関係のないことだと。本当にそうなら、私が書くことは何もない。この時点でもまだ、言うて極端なケースはあるだろと思う人は(そんなこたぁ私だってわかってるよ)、この先も話が通じないだろう。ここで離脱してほしい。

精神疾患としてのホーディングではなく、普遍的・日常的なレベルのホーディングについて、考えてみよう。
一般的に。人がモノを処分できないのは、モノに何らかの主観的な意味を付与している時だ。
そのモノが、他者とのきずなの象徴であったり・過去の経験を想起する手がかりであったり・不確かな未来に安心感を与える役割であったりする可能性。

ホーディングとアニミズムの関連を研究している学者らがいる。
物体などに感覚や生命を付与することをともなう、アニミズムの話をする。
アニミズムは、近代科学の原理・哲学・結論にもとづいて語られがち。特定の「存在論」としてとらえられ、トーテミズムやアナロジズムといった話につなげられがち。

フロイトは1913年に『トーテムとタブー』という本を書いた(いくつかの論文を本にまとめた)。その中にアニミズムが出てくる。
オーストラリアのアボリジニの研究から、彼ら彼女らの心理と神経症者の心理に一致点を見出すまでに。フロイトはこのような考察を経た。
トーテミズムが近親性交を防止してきたと。全ての氏族には動植物や自然の力のトーテムがあり・自分と同じトーテムをもつ者との結婚を認めないという習慣が、近親相姦を防いできたと。
アボリジニのトーテムは父/母を通して世襲されるものであるからして、本人らがそれを意図していようがいなかろうが、結果的にその機能を果たしていたとは思う。
フロイトったら、ユングみたいなこと言っちゃって。拒絶したくせに。やっぱり、あんたがユングを切った本当の理由は、意見の相違ではないのでしょ。本当、よく捨てれたよな。



「優しい隣人が陰で牙を剥いていたり」「信じたい嘘 効かない薬 帰れないさよなら」「僕はあなたにあなたにただ会いたいだけ」
『トーテムとタブー』で特にわかる。ユングがフロイトに触発されるばかりではなかったと。フロイトはユングに触発されていた。
流れで、もう少し過去回の内容を貼り出す。これらは余談ではない。後で全てつながる。




アニミズムを理解しようとする時、私が推奨したいのは、それが何であるかではなく「何でないか」と考えてみることだ。
主義と言うと、首尾一貫した意図的なイデオロギーがあるものだと、そのように思うだろう。
だが。アニミズムは、実際には、世界やそこに存在するさまざまなものと関わる際の感性・傾向・スタイルだ。
物質や材料や運動だけが存在するという唯物論とは異なるし。宇宙に唯一の神を想定する一神教ではないし。かと言って、多神教でもない。
これは重要なポイントだ。一神教や多神教の神や神々に帰せられる超越的な性質とは、大きな違いがある。

日常の世界に内在していて、いつでもアクセス可能な、生命力あるいは生き生きとした性質ーー大枠ではこうだが。
アニミズムを信奉する人々にもまた、さまざまに異なる考え方があるのだ。
ストックホルムのシャーマン(都市のシャーマンだ)はこう考える。日常的・物理的現実と、精霊と呼ばれる生命体やエネルギーが宿るもう1つの現実の、両方から成る世界において。全てのものは生きており、精霊に浸透している。
ユカギールと呼ばれるシベリアの先住民(狩猟民族だ)は、意識のある存在と意識のない存在を区別する。ユカギールの猟師曰く、動物や木や川は動き成長し呼吸するから人間と同じで、石やスキー板や食品は生きているが動かないため私たちと同じではない。
静止したものは魂を1つしかもたないため人間と同じではない、と考えるユカギールもいる。私たちは魂を2つもっているということらしい。


大変興味深い。
どちらの方が、人々が一般的にイメージするアニミズムに近いか。一目瞭然である。都市のシャーマンの方だ。リアルに自然と接して生きている方は、我々と同じもの・我々と同じではないものがあると言っている。
前者、自ら考えたり感じたりするのではなく、「アニミズムとはこういうもの」という教科書を読んで教科書どおりの人間になったか……。
アニミズムの研究者らが、また、これについても説明しようとするかもしれないが。そもそも。アニミズム的な感性で世界と関わっているアニミズム的な人々には、自分の価値観を説明する必要はない。ましてや、他人から説明してもらう必要性などない。
精霊や魂に明確な定義がないのと同様に、実はアニミズムにも明確な定義はない。一応、主観、と書きそえておくけれど。

関係のない話はしない。
ストックホルム症候群:誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人との間に心理的なつながりを築くこと。PTSDの1つに数えられている。
犯人との心理的なつながりを示す根拠が見られる人質事件の被害者は、全体の1割にも満たないという事実に反して。この言葉はあまりにも世に浸透している。そういう精神的ディスオーダーがあると、“教科書に書いてある” からだろう。
1973年のこと。ストックホルムのある銀行に強盗が押し入った。解決までに約1週間を要した人質事件となった。

強盗犯には追加の要求があった。刑務所に入っている仲間を釈放しろ、というものだった。
(言われたとおりに釈放したのではないが)この囚人がネゴシエーター的に現場に投入された。彼は犯人を説得した。この人物は人質たちにも温和な態度で接した。
それでも解決しなかったため、警察は催涙ガスの使用を決行した。犯人逮捕はかなったが、当然、人質らも嘔吐したり倒れたりした。

事件解決後、その内の1人が警察のやり方を強く批判した。上記のこと以外にも、おそまつな対応が複数あったと。

もう話が読めただろう。「ストックホルム症候群」だと言われたのは、その女性なのだ。

当時警察に従事していた精神医学アドバイザーは、言い訳を欲する警察に助力した。自分たちが期待する/想像する反応を見せなかった被害者女性を異例として分類したがった社会が、結果的に、それに加担するかたちになった。
この精神病(とされるもの)は彼女の声を封殺するためにつくられた。おそらくは、これが事の真相である。
現代人にも大いに関係ある。警察やメディアから、この人物をトクリュウと呼べ(例)と言われれば、二つ返事・大喜びで大合唱するからな。私が悪人だったらこう思う。ほぼ無根拠でも信じてくれるし、頼みこまなくても拡散してくれる、なんて操りやすいんだ!
類似例↓



こういう問題の木々ではなく森を見たい人用↓
これは、さすがに余談的になるが。
そもそも。自分に危害を加える可能性が高い存在の主張など(これも今今の環境の1つと言える)に自分を適合させるのは、当然のことである。共感を示すことで良好なコミュニケーションをはかろうとすることは、相手が誰であれ、さらに当然のことである。人間は特徴的にそういう生き物だ。とって然るべき生存戦略だ。
そんな鈍感な人はいないだろうが、念のため。劣悪環境に耐え続けろだとか、そんなことは言っていない。他人から危害を加えられたことを訴えたり(現代的な手段)できるのは、急場をしのいだ者だけだと言っている。
ホーディングとアニミズムの関連・所有物の擬人化と自然物の神格化の関連を研究した学者らの、その考察の視点はすばらしい。
これがクリティカル・シンキングというものだ。

一般的なホーディングの対象になりやすいモノには、手紙・写真・人形/ぬいぐるみなどがある。
残りの例はもっと具体的に書こうか。好きな人と観に行った映画のチケットなどの、記念日。野球少年だった頃に使っていたグローブなどの、スポーツ用品。

先日、デートで『国宝』を観た。QRコードをかざせば事足りて、発券をする必要はなかったのだが。あえて、そうした。冷蔵庫にマグネットで貼ってあるなう。
我ながら、あたたかみのある小話だが。
私は発券後ものの数分でそれを紛失して、再発行している。「さぁたんチケットどこしちゃったの🥺ついさっきだよ」「私知らないよ」(I don't know. 現状に対し端的かつ正確な情報だ)再発行の紙は元のより大きく特別感があった。失ったことのある者しか得れない何かじゃん(哲学)!と思った。ポジティブだがポジティブとかではない。私はある種、問題が好きなのだ。解くものがなければ解くものがない。


これを読んだ恋人は、問題を歓迎すると宣言する私にも・笑い話をはさむのをがまんできない私にも、平常運転だなと思うだろう。
え!映画の中身の話をあわせるんじゃなくて、チケットの話をあわせて終わり!?そうだけど、『国宝』はSS級によい作品だったよ。だって、上映中の映画じゃないか。私にネタバラシ趣味はない。

我が子がはじめて描いてくれた「パパとママとぼくわたし」の絵を捨ててしまう親は、ほとんどいないだろう。
好きな人にもらったプレゼントの外箱や包装紙までとっておいてある者は、正直に手をあげなさい。

こういうのあったよなぁ。
「みんな目を閉じて。先生怒らないから」リュークのように人間おもしろ!と思いながら、机に突っ伏していた小学生の自分を思い出した。指導をしないのに探ると言うのだ。先生は真相や犯人が知りたくてたまらないのだ。
レア・カード(教師の特権):全容を把握できる、うらやましいぞとも思っていた。


私が大事だと思うことを書く。
指導をしないのなら知っても意味がないだろう、に似て。〇〇の△△化や●●の□□化ーー細かいカテゴライズは、ある程度どうでもいい。
これは誓って手ぬきではなく。細分化することでより本質が見えてくることと、そうでもないどころか逆効果を起こすことというのが、この世には存在する。
過去回で言うと、危険性強めなのがこれで。

危険性低めなのがこれ。(私はこの文章の直後、矛盾するようではあるがと添えつつ、バイオ・モーフィズムとバイオ・ミミクリーの区別について書いている)

プロの仕事を素人がそんな心配する必要ない?
知恵に関しては心配していない。と言うか、心配する立場にない。智慧に関してはぜんぜん信用していない。
特定の座学に時間と機会をフルベットしてきたタイプの中には、相当危うい人が存在する。(フィールド・ワークをしてきた人にはそういう人が少ない)それを世間が歓迎すると/そこにビジネス勢が乗っかってくると、目もあてられない結果になる。
これは危険な可能性・段階の話ではなく、すでに起こってしまったもの。





こちらの記事からお借りした。
「所有者の分身化」長年使ったモノなどに、所有者(他人や自分)が宿っているように感じる。
モノを現在や過去の所有者の一部とみなすのは、たとえば他者からの手紙に対して、私たちが一律発動しやすいものかもしれない。

所有物の擬人化をしやすい人と、所有物の神格化をしやすい人と、所有者の分身化をしやすい人には、異なるホーディングのパターンが見られたと言う。共通項も見られたと言う。
違うところも同じところもあったと。知ってる。たいがいそうなる。
データーを見た。細かくしっかりと見た。そして、私は、これには意味がないと思った。
この2つを見て、これは分身化でこれは擬人化でなどと区別するか。やろうと思えばできる2つを探して貼っているのだが。で?それが何になるの?感が否めない。
実験をしてみるということを心から尊敬している。人様がしたことを後で見るだけ見て主観を述べている私は、ダサい。
またやっているんだな。これ系。
さすがにこれは言っていいと思うから言う。「これまでの研究では、主に母親と子に焦点があてられ、父親を含めた検討はじゅうぶんに行われていなかった」(だから、どうしてそんなことをしていたんだよ笑)私は思うね。コントか、と。AとBでAしか見ていなかったところで、はじめてBを見てみたら。そりゃあ「新たな」ことがわかるだろうよ。😂

言うてモノにばかりに着眼していた、(ためこむという)能動表現しか使わなかった、私のレベルの低さよ。さすが米津さんだ。
あの日見渡した渚・砂の上に刻んだ言葉・君の後ろ姿・足元で寄り返す波・最終列車の音・繰り返す情動
おっしゃるとおりだ。思い出になる「モノ」は、視覚の中にも・聴覚の中にも・触覚の中にもある。クリーニング業者なんてやって来れない場所に、つきささっている。本当は捨ててしまいたい記憶や、どうしても整理できない感情もだ。
部屋を片づけると思考や精神が安定するという説が、今、より深い話に思えてきた。安定していることだけをよしとする意味あいではなく、ね。
夕凪という静止感の中で感じる、確実に暮れていく今日。この夜が続いてほしいが、咲いては消えてゆく花火。
ショーペン・ハウアーは言った。永遠は一瞬の中にあると。

