脳は虹色である。ブルーでもピンクでもない。
ニューロセクシズム。
男女は、生まれつき脳の構造が違うため、行動や思考が異なる・得意不得意があるという考え方。いわゆる、「男性脳」「女性脳」というやつだ。

この科学的根拠は、乏しいのである。
男女の脳の違いを示す根拠として、よくあげられるものの1つに、「左右の脳をつなぐ神経線維の束である脳梁(のうりょう)が、女性の方が男性よりも太い」というのがある。
これはどこから出てきた話なのか。
1980年代に行われた、男性9名と女性5名という極めて少ない人数を対象にした研究。その結果からなのだ。
9人と9人や5人と5人でもない。ウケる。


知らなかった人は、今まで自分が信じてきたもののあまりのもろさに、吹き出してしまうかもしれない。
そう、ショックなんて受けなくていい。明るくいこう。

彼の出生地の市外局番は 046 なのだそう。
決めつけてはならない。全く関係ないのかもしれない。笑
まじめな話。私たちは誰だって、多かれ少なかれ、霧や朧の中に生きていると思う。さすがだ。言葉選びにセンスを感じる。😂
彼らレベルのユーモアとユニークネスは、おいそれと、まねできるものではない。愛される能力というか。いじられるって大事。
「おもしろい」ということは、笑いは、とても大切なことだ。この回にもっと書いた。
見抜こうと努力したら見抜けるウソがある世界は、破滅的とは言いがたい。笑いの一切ない世界に比べてしまえば。
前者は試され尽くしているが、後者が試されたことは一度もない。地球は、1日たりとももたないかもしれないよ。
でも、私は、違う道から目的地をめざしてみる。自分で思う自分のよさを活かしてみたい。
続ける。
男性の脳と女性の脳の先天的な違いから、「男性が地図を読むのが得意な理由」や「女性が会話を記憶するのが得意な理由」を説明できるかもしれない、と。
ありとあらゆる業界や個人が、これに熱中したり群がったりする。実際、大勢がそうしてきた。
(直感的には。男女は、たしかに、このような様相を呈しているように感じる)
拡散テンソル画像なる技術で、8才~22才の約1000人の脳の、構造的結合がモデル化されたことがある。

男性は大脳半球内の結合が大きく、女性は大脳半球間の結合が大きいと、報告された。
論文にはこのように書かれている。
男性の脳は、知覚と協調行動の間の結合を促進するような構造になっている。女性の脳は、分析的処理モードと直感的処理モードの間のコミュニケーションを促進するような構造になっている。
難しい?わからなくてもいいから、簡単な言葉にしようとつとめなかった。私が今回したい話の主旨は、ここから先なのだ。
この時の研究者らは考慮しなかった。
この結果は「脳の性別」よりも「脳の大きさ」に関連しているのかもしれないという、至極当然の可能性を。
平均して、男性の脳は女性の脳よりも大きい。これは事実だ。
大きな脳とは、単純に、小さな脳をスケール・アップしたものではないかもしれない。
エネルギー需要や配線コストや通信時間を最小限にするために、より大きな脳はより小さな脳とは異なるあんばいの分配をするーーだとか。そういった物理的な違いがある可能性。
性差というよりも。大きめな脳/小さめな脳の配線ソリューションの違い。そういったものを反映した、結果なのかもしれない。
彼ら彼女らはこれをフルシカトした。
対象が10人以下の実験で結論を語るようなレベルと、導き出された結論が疑わしいという点では(というかそれが “全て” だが)、大差ないのではないか。
そんなかたよった研究や実験よりも、1曲の音楽の方がよほど “正解” に近い。なんてことがある。本当にそんな時がある。
データー厨にピンとこないこととは、たとえば、こういうことだ。
より大規模な研究を見てみると。
心理的スキル(実行制御・記憶・推論・空間処理・感覚運動スキル・社会的認知)における性差は、ささいであるように思える。
有名な、社会的認知における女性の優位性・空間処理における男性の優位性でさえ……
・無作為に選ばれた男性が無作為に選ばれた女性を、社会的認知で、40%上まわった。
・無作為に選ばれた女性が無作為に選ばれた男性を、空間処理で、同じく40%上まわった。
数千単位のケースで。明確な男性脳・女性脳の事例はほとんどなかった。
男女の脳は「そんなに違わない」。脳の構造にあるのは、男女差ではなく個人差である。
ところが。また、悲しいお知らせがある。
研究チームは、これらの違いを「顕著である」とした。行動の相補性(「男は火星から・女は金星からきた」というのを科学用語にしたようなもの)を反映していると、表現した。
せっかく豊富なデーターセットをそろえたのに。
脳の結合特性が行動にどのように関係するのかを検証しなかった。ステレオ・タイプな憶測を提示したのみに近かった。
まだ、言いたいことがある。
経験に依存する脳の可塑性について、何も言及しなかった。
その人の生物学的性別は、その人が遭遇する経験(社会的・物質的・身体的・精神的な経験)に、影響を与えるか。
間違いなく、何かしらの影響を与えている。
メタ分析はいらない。自分調べでいい。
「男の子なのに」「女の子なんだから」というイントロで怒られたことがない人など、いない。自分自身はないとしてもだ。他の人が言われているのを一度も聞いたことがない人など、存在しない。


(また別の)彼ら彼女らはこれをフルシカトした。
一部の研究者は、驚くほど、サンプルに含まれるジェンダー的な経験を考慮しない。
ジェンダー的な経験……例をあげた方がわかりやすいか。
趣味・学校で学ぶ科目・参加するスポーツ活動の違いなどに、注意をはらわない。

これだけでも要因はあらゆる方向からくるとわかる。

韓国の女性アーティスト・グループにあこがれてなどではなく、女はダンスが好きな脳に生まれたと?踊り出したくてたまらないのよ?それはそれで情熱的で嫌いじゃないが。笑

こんなやり方をしてしまうと、デメリットが発生する。
たとえば。
性差のある何かしらの経験が脳の発達や変化に影響を与え、特定のスキルの習得を促進したりするのか/しないのか。これを調査する機会を逃す。
男性/女性の神経シグネチャーがハード・ワイヤードされているという概念をくつがえすデーターが、もしあったとしても、それを得られない。
研究者が盲目的になると、潜在的に有益な研究戦略を見落とす可能性があることが、よくわかる。
生得的な理由があり、男女差というものは解消されないのだーーこういう考えを助長させたのは、一部のプロフェッショナルだ。

本当にそうだとしても。偶然の当たりであり、結果オーライである。「脳の性差」に関しては、間違ったことを流布したのだし。
研究とは?分析とは?🤔
メディアは、火星くんと金星ちゃんのストーリーを裏づける証拠として、遺伝的な性差を紹介し続けた。
上(権威)からおりてきた情報がそうだったのだから、そりゃあそうなる。
たとえば男女別学校。たとえばマーケティング担当者。たとえば政治家。たとえば圧力団体。ネットにあふれる俗説語り連中もだ。
それら性差について仮定する人々によって、「最先端の神経科学」は、常にうまいこと使われている。
どうやら、多くの人々が性差の話が大好きなようなのだ。言いかえると。性差の話は、誰かにとって、非常に期待値の高い金脈なのだ。

この回に詳しく書いた。知らない人は驚くだろう内容。
男女が違うという証拠を探す人には、脳スキャナーを究極の答えだと考えている人が、非常に多い。
脳画像は一種のシネマ・ヴェリテだ。

Cinéma vérité 仏語だ。ドキュメント風の映画製作手法の1つ。気になったら調べてみて。
ある学者は、事態を俯瞰して言った。
「社会的前提が、いかに、彼ら彼女らの研究に影響を及ぼしているか。我々には、それを認識する責任がある」

本題からややズレるが。
本当は多種多様であるはずの人々を、あえて、カテゴライズすることで。おもしろおかしい話をしているのだ。と、マクロに理解しているのなら。なんら問題ないだろう。
ジョーク系は一番安全だ。
これ系を本気で生きる指標にしているのでは?という人が、チラホラいるのが、現代社会である。性格診断的なものは現に大ヒットしているのだから、いないとは言わせない。

やるなら、ここまでふりきった方がよい。
ヤリマンちゃん……ごめん……おもしろい。
人間の脳には、男女の特徴がモザイクのように混ざりあっているということ。
おそらく脳は、生活環境・社会・教育・個人の経験など、さまざまなことから影響を受ける。個人の特徴とは、生涯を通してつちかわれていくものなのだということ。

生まれつき脳が相当違うからではない。


神経細胞の樹状突起の棘や枝の「特徴的に男性的」な密度は、軽い外的ストレスを加えるだけで、「特徴的に女性的」な形に容易に変化することが確認されている。
いるが。そういうことを言いたいのではない。だから絶対こうなんだよ!とかではない。
ニューロセクシズムに異議を唱えることは、性差の存在を全否定することではない。
そもそも。互いに異なるからこそ惹かれあう、というのがあるのだし。
説明するためのリストに欠陥がある以上、二元的なカテゴリーに焦点をあてるのは、ひかえる必要があるのではないかと。
こういうことを言いたいのだ。
長年の信念に挑戦するには時間がかかるかもしれないが。がんばっても無駄だなんて、大ウソで。真実は、あきらめても無駄という方だ。
ニューロセクシズムは、男女の違いに関するあらゆる側面とともに、長い長い論争をまき起こしてきた。ケンカの種になり続けてきた。
私は、みんなでなかよくしたいのだ。

くだらないと思った人は、もうここで読むのをやめてほしいくらいだ。人が夢や希望を語っているのに嘲笑う人のためになど、書くことはない。
日本語字幕(全て適切だった)のついたいい動画があったため、お借りする。
有名で人気のある人物だが。前知識として彼を知らなくても、ぜんぜんかまわない。見てほしい。質問者の話の方も、想いが伝わってくるようなよいものである。
完全に同じ考えではなくとも。素晴らしい人だと思っている。彼はぶっとんだ極右ではないし、私もぶっとんだ極左ではない。
ピーターソンが語るように。もう、ある程度の答えは出ているのだ。それを知らないでする争いは、不毛であると私は思うのだ。
今回書いたのは、彼の話をふまえた上での、サイド・ストーリーのようなもの。
ちなみに。途中に入っている解説を聞くところ、この動画をつくった人は、この会場で笑っているどんな人よりも能力の高い存在だろう。
18世紀。誰かが、女性の脳は男性の脳よりも平均5オンス軽いことを発見した。それ以来、特に女性の脳は、重さを測られ続けている。
生物学的決定論:生物学的な違いは自然の摂理を反映したものであり、社会が干渉するものではないという考え方。
こういう論があること自体に、まさか、反論などあるわけがない。ただ、私たちの自然な環境とは、もはやサバンナのことではないのだけれどねーーというのはある。
もう一度。私たちの脳は可塑的であり可鍛性があるのだ。
脳を変化させる(ざっくりした表現で申し訳ないが)ような経験。彼は彼女は一体どんな経験をしてきたのか。互いを知ることが重要だ。性別以上のことをだ。
Broken bottles in the hotel lobby
Seems to me like I'm just scared of never feeling it again
I know it's crazy to believe in silly things
But it's not that easy
個人的に、この曲は出だしが一番ささる。
この女、俺がジサツに使おうとしてた靴下で遊んでるよ……。この瞬間、彼の脳の配線はどう変わったかな。
米国では。国立衛生研究所が資金を提供する研究で、適切な場合、被験者の性別を変数とすることが義務づけられるようになったという。
男性の脳と女性の脳という単純な二分法から、脱却しようとしているようだ。
ビジュアル・イメージには、強くてカッコイイ女性キャラクターを選んでみた。茨の道は薔薇の道。

こういう話が好きな人には、こちらもオススメ。関連回。
