行きなさいユング。誰かのためじゃない。あなた自身の願いのために。
今回はフロイトとユングの決別について、私なりの構成で書いていきたい。現代を生きるあなたにも、学びのある内容を目指して。
よく知らないという人はもちろん、知っている人にもおもしろいと思ってもらえるような、文章が書けるといいのだけれど。努力してみる。
今回、特に長い。あきて読み続けられなかったら、読み手のせいじゃない。書き手の力不足。

精神分析学の創始者ジークムント・フロイト。
「精神分析」は人格に関する最初の包括的な理論で、臨床実践の産物だ。個人の精神的健康を改善することを目標とする学派である。

意識・前意識・潜在意識・無意識。?
フロイトは潜在意識という用語を短期間使用した後、無意識という用語にきりかえた。意識的な認識とは非常に異なるものだと強調するために、そうしたのかもしれない。
以下のように述べていたため。
誰かが潜在意識について語る時。その人が、意識の下にあるものの話をしているのか・別の意識の話をしているのか。私にはわからない。唯一信頼できる対立概念は、意識と無意識だ。

患者らの症状は激しい感情的葛藤によって生み出さているのではないかーーと考えるようになり。神経症状を経験する人の診断名として、ヒステリーという言葉を用いた。
心理的脅威の元となる情報(幼少期のつらい記憶・禁じられた性的願望や攻撃性など)は、無意識の中に隠されていて。それらが解決されないと感情的な葛藤が起こる。結果、「ヒステリー」に苦しむことになると。
ちなみに。ヒステリーという言葉の由来は、子宮を意味する古いギリシャ語にある。
古代ギリシャ・ローマには、女性のさまざまな病気の原因を子宮に求める傾向があった。


19世紀初頭まで、このような考え方から大して進歩していなかった。女性は骨盤内のうっ血でヒストリーを起こす、というのが定説だった。
そもそも、女はイカれてなんかない。
「あの時私が欲しかったものは のぞきこんだ鏡に映る私のようなあなたを 捨てる勇気だったのでしょう」日本人の書く歌詞は哲学者レベルだ。
Sia の曲のMVに出てくるのは Madison Ziegler という名前のダンサーだ。当前だが、彼女もイカれてなどいない。彼女は表現をしている。欧米人の歌声は素晴らしい。

男もイカれてなんかいない。
フロイトは1985年に『ヒステリー研究』を出版。精神分析に関する最初の本ということになる。その後、『夢判断』(1900年)と『日常生活の精神病理』(1901年)を出版。
いつしか、フロイトのもとに多くの信奉者が集まるようになっていた。
この頃からフロイトは、自分の後継者となる人物を探していた。この分野を途絶えさせることなく発展させ続けたい、という想いからだったのだろう。

ウィーン精神分析協会 = 心理学や神経病理学について議論するためのグループを設立。
その最初のメンバーにアドラーがいた。彼を初代会長に任命したことからもわかるように、アドラーが最有力の後継者候補だった。
フロイトはアドラーを高く高く評価していたが。アドラーはその集まりに短期間参加しただけで、フロイトとの関わりを断った。
幼少期の性的トラウマ(現実でも空想でも)の重要性に対して、フロイトと意見が異なり。個人の衝動と心理的メカニズムの重要性についても、フロイトに同意できなかったため。

アルフレッド・アドラーは、各人は自分に起こることの意味を選択し、それに応じて行動することができると信じていた。
独自の精神分析モデルを開発し、「個人心理学」と名づけた。個人の精神生活は属する社会のあり方と強く結びついているとして具体的にとらえ、その中でいかに生きるかを研究した。また、自身の研究の多くを教育モデルへの応用に向けた。

フロイトを公然と批判したため、「フロイト王国」から反感を買い、精神分析協会の会長を辞めることに。アドラー的には、それでよかったのだろう。
俺は俺の信じる道を行くんだ。ってね。
新たに、後継者候補を探すことに。次にフロイトの前に現れたのが、カール・グスタフ・ユングだった。

『夢判断』などに強い感銘を受けたユングは、フロイトに手紙を書いた。文通を経て初対面した2人は、13時間ぶっ通しで議論をかわした。
新しく設立した国際精神分析協会の初代会長に、彼を任命。フロイトはユングを「皇太子」と呼んでいたそう。……まじで王国やな。
しかし。フロイトとユングの間にも亀裂が生じ、こちらも関係を断つことに。ユングは国際精神分析協会の会長職を辞めた。

フロイトの研究を知る前から私は自力でこのことを考えていたーーという、ユングの意識/無意識。
結論に独自にたどり着いたとは主張しなかったユングだが。私の実験・私の結論・私の……「私の」という言葉をマンダラのように繰り返していた。


私が思うに。ユングとフロイトの関係はジラール心理学の実例だ。
ルネ・ジラールの考えによると。
欲望は、他者の欲望を模倣するところからはじまる。模倣欲望とは、欲望の実現の障害とみなす対象からコピーした欲望を意味する言葉。

ジラールは、不朽の名作小説の多くに、あるパターンが存在することに気づいた。そのパターンとは。物語の登場人物が、他の登場人物が欲望に値するものを示してくれるのをあてにしていることだった。

たしかに、物語は、登場人物らの欲望(とそこから生まれる行動)の相互作用によって展開する。現実世界でも、そうだね、欲望は1人の人間の中にだけ独立して存在しているのではないね。
重要なポイントなのだが。この関係を発生させるのに、人と人が直接会うことは必須ではない。私たちは、ある有名人に直接会ったことはなくとも、あんなふうになれたらいいなと思ったりするものだ。

『プラダを着た悪魔』をひきあいに出したのには理由がある。この物語の結末はその法則に逆らう。ヒロインはミリオン・ガールズのやりたがる仕事ではなく、自分のやりたい仕事を選んだ。そんな彼女を見て悪魔 = 鬼上司は微笑む。自分と同じだからだ。もしくは、彼女にそれを思い出させられた。
ミランダがエクストリームな言動になるのは、「プラダ」にガチだからだ。
ハッキリ言って、ユングはフロイトに心酔していた。もらった写真を穴が空くほど見続け。実際に会ってからは、彼がいかに容姿端麗かを周囲に語ったりもしたそう。

フロイトはフロイトで、ある程度、ユングのそういった感情を利用していたのではないだろうか。
彼が欲していたものは何だったか。今一度。自身の後継者である。みるみる自分色に染まっていくユングを見て、願ったり叶ったりといったところだったのではないか。

ユングが「いや、私は新しいフロイトになる」とほのめかしはじめると。フロイトの自己保存本能が仕事をし出した。簒奪者など求めていなかった彼は、ユングを王国から追放した。Crown prince 呼んでたくせに……。


私たち分析家の間では、自分の神経症を恥じる必要はないというのが慣例だが。異常な行動をとりながら自分は正常だと叫び続ける者は、自分の病気に対する洞察力を欠いている。そう、疑わざるを得ない。私たちの個人的な関係を完全に断つことを提案する。そうしたところで、失うものは何もない。私とあなたの感情的なつながりは、もはや長く細い糸でしかないのだから。
著名人と弟子の歴史上最初でも最後でもない、崩壊ではあるが。相当、劇的かつ激的なそれであったことは、間違いない。
ユングもフロイトも互いに、文章のやりとりの中で、「+ + +」という記号を書いたことがあるという。
リサーチはしたが、私は確証を得れなかった。嘘だったら申し訳ない。代わりと言ってはなんだが。十字架の話をしよう。
これが仮に事実だとして。悪魔祓いを目的として壁に3つの十字架を描くような、意味あいのものだったかもしれない。(悪魔的な他者というのだけではない。内なる悪魔というのもある)
「彼らはカルワリオに着くと、イエスと犯罪人たちを十字架につけた。1人は右に1人は左に」ルカ23:33


どっちでもいいの。こんなことは。(主観)
「十字架にかけられていた犯罪人の1人が言った。あなたがキリストなら、あなた自身と私たちを救ってください」ルカ23:39
超常的な力を見せてくれれば、神を信じると。それは「信じる」ではないし。キリストの使命は、獣の前で奇跡を行ってみせて獣の承認を得ることなどではなかった。
「もう1人が言った。私たちは当然の報いを受けている。しかし、この方は何も悪いことをしていない」ルカ23:40-41
彼に自分や他人を救うことができないと思うか。「できない」は、アダムとイヴの種族を支配している言葉だ。人性の面における捕囚だ。
十字架(物の見た目など、クロスでもサークルでもいい)が働きをなす時、人間はその限界を超える。
「彼は死にいたるまで、罪人たちとともに数えられ、多くの人の罪を負い、罪人たちのためにとりなしをした」イザヤ53:12

これがスタンダードな doctrine だ。ユングが人生の後半で選んだ解釈ではなかった。
彼はこのようにとらえた。キリストが苦しみを体験することによって、神と人々との間に和解が成立する。
和解?人々はすでに、残酷で悲惨な世界を経験しすぎていて。世界にクリエイターが存在するというのなら。駄作すぎるだろ!!とか、さんざん文句がたまっていたということね。

神や神秘的なもの(神話を含む)は、人間の無意識の表れ/現れである。言いかえると、人間の無意識には神が宿っている。永遠に循環(マンダラ)すれば、神と人間は調和する。
結局、「ゴール・ポスト」はズレていない。グノーシス主義……人間神化の思想持ち……だろうが何だろうが。やはりユングは根っからのクリスチャンだ。
ユングは無意識の意識化を目指したと聞いて、理解できる人は多くても。ユングは神の意識化を目指したと聞いて、理解できる人は少ない。
読解力が乏しいだとか、そういった理由ではない。宗教を学んでいなくてわかる方がおかしい。最低限、このくらいの解説が必要。
神がこの世に表出?出現?する、キリストとは別の方法。それを成せた人は何になると思う。救世主だよ。(これも伏線)


こういう映画があるが(Wikiなどでも似たような解説がされているが)。フィクション要素が強いのかもしれない。
この3人の関係が性的なものだったという、説得力のある証拠はない。ユングの肩をもつとは考えにくいフロイト派の人も、そんな間柄ではなかったと言っていた。
ただ、シュピールラインさんはこう書いていた。誰かが誰かを本心ではどう思っている/いたなんて、証拠のとりようもないしな。ならば、本人の語りを聞こう。
「私が彼を愛していることは、彼が私を愛していることと同じくらい固く決まっていること。私は彼の母親がわりをつとめた最初の女性」
「ヒステリー女」の言うことと思うなかれ。その後、医学の学位を取得しただけでなく。心理学の文献を発表した最年少の女性となった人だ。

ジラールの「模倣欲望」の他にも、フロイトとユングの関係を考える時、私の脳裏によぎるものがある。
アメンホテプ4世は、父アメンホテプ3世の死後に権力をにぎった。彼はアテン神の幻視を経験した。その幻視を通して、自分にはアテン崇拝を確立する使命があると感じた。
アメンホテプ4世は、アテンの従者またはアバターとして容認されていた他の神々を禁じ、父親の功績も歴史から消そうとした。

臨床から生まれたというよりも、ユングが自身の深層意識と対決することによって生まれた「分析心理学」。
分析心理学の中心的概念である「集合的無意識」は、さしづめ、彼のパンテオンだ。


僕のパンテオンという感じ。笑
集合的無意識だけでなく、ペルソナ・シャドー・アニマ/アニムス・シンボル……フロイトが提唱したこれら概念を見ていると。ますます、分析心理学は神秘主義思想の心理学的解釈だ、という気がしてくる。

ユングの患者らは、個人的/集合的無意識を意識と調和させて真の自己を見出すまで、あなたの治癒は達成されたと言われることはない。(十字架の話を前述したため、この意味もわかるだろう)

日本で言うなら、滝行をやらされたような感じか。
現代の魔術師の中には、魔術をわかりやすく紹介するための方便として、ユングの心理学用語を使う人たちがいる。
『黒の書』と『赤の書』。
ユングは、黒い表紙のノートに自分がみた夢やビジョンを書きなぐった。『黒の書』。その後、追記し絵も増やし本にしたのだが。そちらの表紙は赤色だった。『赤の書』。
『赤の書』は刊行されなかった。黒いトランクにおさめられ、スイスの銀行の金庫に長年保管されていた。
遺族との交渉の末、2009年に各国語で刊行された。

これを執筆したのは、フロイトと決別した直後だった。手紙であんなことを言われたからか。この本の中で。「神話詩的想像力」を駆使して、自分の無意識と対峙したのだと明かしている。絵なども描くことで、という意味だね。
自分の魂との会話なんてものも、書かれている。魂:キリスト教徒でなくなることは簡単なことだ。私:でも、それなら私の召命とは何なのか。魂:新しい宗教を宣言することだ。
うん、そうだろうなと思ったよ。救世主になりたかったんでしょ。
「私が内なるイメージを追い求めていた時期は、私の人生で最も重要な時期だった。それは1つの人生以上のもののための材料だった。その他の全ては、単に、外的な分類・科学的詳細化・人生への統合にすぎなかった」
こんなふうに語っていたそうだ。イケてる。
神経症や情緒的問題を考える際、フロイトは主に、幼少期の起源に焦点をあてていたが。ユングは、人生の後半に主な関心を寄せていたーー。これが2人が離れた理由だと。
こんな無味無臭な解説で、「これ」を表すことができているか。できているはずがない。
「全て子宮が悪いせい」や「全て性的欲求不満のせい」ではないように、ユングにもさまざまな想いがあったのだ。
フロイトがユングを嫌がったのは、理解できる。ユングに手綱をにぎらせたら、科学や医学として定着させていきたいものを宗教にされてしまう。逆戻りは嫌だよな。
ここで、ユングの有名な言葉をいくつか紹介しよう。
「人は自分の魂と向きあうことを避けるためなら、どんなにバカげたことでもする」
「自らを破壊できるものだけが真に生きている」
「生涯の特権とは、本当の自分になることである」

彼の弟子らも、同様のことを自分なりの表現で、後世に伝えている。
私も何か言ってみよう。
人生は失点が少ないことが加点になるわけではない。
人生/人性はテーブル・マナーではない。

全員から採点されているかのように思えたが、その実、誰からも採点などされていなかった。
ユングは、1875年にスイスで生まれた。
父親はスイス改革派教会の牧師で、母親は霊の存在を強く主張する人だった。
特筆すべきは彼の祖父らで。
ユングの祖父の名前はカール・ユスタフ・ユング。そう、ユングは祖父の名前をそのままつけられたのだ。
あーね。明るい感じで言ったら、ドラゴンボールね。祖父は孫悟飯。孫は孫悟空。ひ孫は孫悟飯。怖い感じで言ったら、『からくりサーカス』を思い出すような。自分の記憶と人格を息子(主人公)にダウンロードしようとした父親。



何の画像なんだwおもろいw
ユングは若い頃から、自分の中にもう1つの人格が存在すると感じていた。それを「No.2」と呼んでいた。さらに、No.2は祖父の人格が反映したものだと考えていた。

「ユング1世」はスイスのフリーメイソンの最高責任者だった。嘘か誠か、ゲーテの隠し子であると噂されていた。「ユング2世」はこれを知り、自分はゲーテの生まれ変わりだと思うようになってしまった。
ゲーテの『Die Geheimnisse』。未完の宗教的物語詩であり、薔薇十字団をモチーフにした作品だ。2人のユングの愛読書だった。

ユングは、「フィレモン」と名乗る老賢者が夢に出てくると述べていた。フィレモン。薔薇十字団の創始者クリスチャン・ローゼンクロイツ(実在の人物であったという検証可能な記録はない)の、別名だ。
母親の生家には降霊術の伝統があった。「亡くなった家族も入れて」一家団欒していた。母方の祖父は、死んだ先妻の霊用に席を用意していた。いろんな意味でキツい。
ユングの母親も、霊媒的行為をしてトランス状態になることがよくあり。ユングが3才の頃から、何度も入院していた。
ユング「私にとって女性は、ずっと信頼できないものだった」。かと言って、男性もだ。「父は意志が弱かった。宗教の教義ばかりにしたがって生きていた」
ユングは学校でいじめられていた。12才の時に、同級生から頭を強くなぐられると。これでもう学校に行かなくて済むと思ったと。
父が早逝すると。母はユングに意味不明で不気味なことを言った。「お父さんはあなたのために死んだのよ」

暴力とかじゃないけど。最後のこれは病むわ。
日常をすごすための人格・少年としての自分。おそらく、新しい世界をクリエイトして救世主になりたいと願った方。
祖父と同姓同名で・父親は自分のために死んだらしくて・フロイトの後継者で。誰かの願望を受け継ごう受け継ごうとしてしまう、もう1人の自分。

「器にすぎない あいつにはなれない」「こんな三次元なんて逃げたくなるに決まってんだろ」「To Virtualize a Lie」「非科学的現状と架空的言論 何でもよかったよ 愛をくれよ」
フロイトが切り捨てたのは、こういう人間だった。
あなたは聡明なのだから、彼が父親がわりを欲していたことに気づいていたよね?あなたが創始した学派の目的は、個人の精神的健康を改善することだよね?
2人の年齢差は約20才だ。
感情移入しすぎて、2024年の日本からフロイトの霊に話しかけてしまった。
ユングは本当に、集合的無意識という言葉で、人類に普遍的に存在するものなど提唱したかったのか。私は相当あやしく思う。
もっと近く狭い意味の先祖の意識が、己の意識の下に無意識として常に居ると。そういう感じだったのではないか。
親の期待に答えようとする子どもの葛藤ーー親の呪縛から逃れたがっている子どものSOSーーに近い文脈なんじゃないの。これ。

いや、アリかもしれない。私の友人に探偵事務所で働く探偵がいる。事実は小説よりも奇なりな仕事内容だが、無事に元気に働いている。それじゃダメかな。
ユングが、ユダヤ人とアーリア人(ゲルマン人)の違いを重視していたこと。ゲルマン人はユダヤ的な精神分析では満足できない、と書いていたこと。
集合的無意識どうした?とツッコミを入れたいところなのだが。彼の本音を前述のように推測すると。このちぐはぐさにも合点がいく。

3人の心理学の先駆者が、同じ文献の影響を受けていた。ニーチェの哲学だ。
ニーチェは、感情的・動機的・根源的な人間存在の側面を調査するためには、意識の奥深くまで入りこむ必要があることを洞察した。
彼の考え方はフロイトに決定的な影響を与えた。
今回の〆に向けてテンションが上がっていく(私のライティングの笑)MADだ。感謝。

行きなさいユング、誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために。
ここで、過去回の内容をあわせていく。

なるほど。影が光になると。

自己紹介が「私は光」なのだからいいよね。はい、ニーチェは光。光になるとどうなるの。

歴史的偉人らを前座にして、私の考えを書く。私は私が最高!!なんでね。


私は結果の話なんかしていない。自分は夢や目標を叶える過程にいるんだと思えること、そのことがどれだけ人の喜びや活力になるか。という話をしているんだよ。
あるいは、仕事で役に立たなくて。指導や説教もされず、どうせアテにしてないから大丈夫と言われて。ラッキー!肩の荷がおりた!と歓喜する人がいるか。いないよ。
自分が属する何かしらの集合で、いてもいなくても変わらないと認識されていること。「何者でもない」とはこのことだ。こんなの誰だってさみしいだろ。
第一志望に受からなくて第二志望へ行くことを、ダメだなんて言っていない。第二志望を第一志望だと嘯くのはよせ、と言っている。
のらりくらりかわした自分を愛せなくなる。

『デデデデ』で、兄が妹に教えたのと同じ話だ。
※まだ観てない人ネタバレ注意。Ep14.13話の内容まで書くと大打撃のネタバレになるけれど。この部分だけなら大丈夫だと思う。おんたんちゃんの潜在意識という点で、今回の話にあう。


「最後まで希望を失わないためにはどうしたらいいと思う。誰かを守るんだ。その誰かを最後の最後まで守りぬけ。その気持ちは何にもかえがたい強さになる。お前は誰を守る」


一方、これも大事な話だ。
人間の動機は性的なものであるというフロイトの考えに、アドラーもユングも不満を抱いたが。
性欲は強力な力である。性欲原因の人間の行動は多い。フロイトは実際、多くの点で正しかった。

これは、同時代に書かれたマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と、対をなすような本だ。
経済発展の要因として、ヴェーバーは、プロテスタント的な禁欲とそれによる貯蓄をあげていたのだから。
関連回↓
さて、ユングは孤独に亡くなったのか。
そんなことはぜんぜんなかった。ユングには妻と5人の子どもたちがいた。

敷地内の一般公開されていないところには、今も、彼の子孫や親族が住んでいるそうだ。

ユングと彼の妻は、湖に隣接する土地を購入したが。当時では珍しいことだった。蚊が大量発生していたため、(ユングくらい)裕福な人々はみんな丘の上に住んでいた。
また、当時のスイスでは一般的ではなかったが、家族全員でよくキャンプに出かけていたという。

家族サービスを終えたら。集中できる書斎にこもって、研究や執筆に没頭していた。
彼の個室の窓はステンド・グラスになっていて。オーソドックスなキリスト教の宗教画が、全面的に掘られていた。陽の光が当たれば、七色に輝いていたのだろう。

心が健康だとは言えなかった期間も。家族はずっとそばにいたし、神はサヨナラの手紙など送ってこなかった。
