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コーヒーが教えてくれる大切なこと

過去にカカオについて書いたことがある。今回はコーヒーについて書く。

カカオの回はけっこう重めな内容だった。全容が気になったら、後で読んでみて。

今回もまた、シリアスな話も入るかもしれないが。大切なことを学びつつ楽しくも読めるよう、工夫してみる。最後までがんばって!


人類は長年、コーヒーを味わうことを楽しんできたが。最初のきっかけは何だったのか。

起源の説を2つ紹介する。

9世紀のエチオピアのヤギ飼いが、ヤギたちがコーヒー・チェリーを食べているのを見て、その滋養強壮効果に気づいた。それを火に投げ入れてみた時、いい香りが立ち上がった。

「KALDI」という社名の由来はこの羊飼いだ。

無実の罪で追放されたイスラム教徒が、小鳥がついばんでいる実を食べてみたところ、活力がわいてくるのに気づいた。その実を煮出したもので病人を救う活動をしていたため、再評価されることとなり。彼の汚名は晴れた。

説と言うより、キリスト教とイスラム教の寓話だね。


コーヒーノキは、アカネ科コーヒーノキ属の植物の総称だ。

発芽から18~30ヵ月ではじめての花を咲かせるが。それはまだ幼木であり、成木になるには3~5年かかる。これら年数は種によって異なる。

開花は1本の木で一斉にではなく、約4ヶ月の間に5〜7回にわけて起こる。

赤い実(最初は緑色だが)がなる。これがコーヒー・チェリーだ。気象条件などで変わるが、果実が熟しきるまでに平均9ヵ月を要する。

コーヒー・チェリーは、現状、その多くが廃棄されているが(果肉がわずかなのが主な原因)。煮出して味わうなど活かす方法は存在するそう。寓話が教えてくれるとおりだ。ローズヒップに似た味がするとか。

約30年にわたり果実をつける。

木の寿命はもっと長いのだが、実をほとんどつけなくなれば切り倒される。コーヒーで生計を立てている人たちがいる。大勢いる。彼ら彼女らは、新しい木を植えていかねばならない。

中に半球形の種子が2粒入っている。


その種子を焙煎したものが「コーヒー豆」。

生豆に味や香ばしさはほとんどない。煎ることで成分が変化し、それらが生まれる。

焙煎度合は8段階に分類される。
煎るほどカフェインと酸味は減り苦味は増す。

動画をお借りした。「ライトやシナモンだとコーヒーらしさはあまり出ず、植物っぽい感じ」


コーヒーノキの種は大きく3つにわけられている:アラビカ・カネフォラ(ロブスタとも呼ばれる)・リベリカ。

流通しているコーヒー豆の、6~7割がアラビカ種。3~4割がカネフォラ種(ロブスタ種)。リベリカ種は1割未満。

リベリカの生産量は1%とかそのくらい少ないかもしれない。

カフェイン含有率も違う。
図解の方がテキスト解説よりもわかりにくくなる例。
あえて貼った。

アラビカ種の中で、ティピカは最も古く歴史の長い品種だ。「典型的な」「標準的な」という意味のスペイン語。ティピカには突然変異種がある。ブルボンだ。

さらに細分化されて。ティピカに、ジャマイカの「ブル・ーマウンテン」やハワイの「コナ」があるのだ。ブルボンに、タンザニアの「キリマンジャロ」などがあるのだ。


「種」「品種」と言葉が違うことが気になった人は、いいセンサーをもっている。

ネット上で。カネフォラとロブスタについて、うまく真実を書き表せていない文章を散見する。

私などよりずっとコーヒーに詳しい人たちやコーヒーを愛する人たちによって書かれているはずなのに、どうしてそんなことが起こるのか。第一に、単純なリサーチ不足(努力不足ではなく情報に行きあたるためのテクニック不足かと)。第二に、コーヒーに関する知識だけでは説明しきれないため。と、私は推測する。


過去回のこの部分を導入として、長い解説をはじめる。

生物を分類するということは、個体Aと個体Bが、どのくらい似ているのか/どのくらい違うのかということを明確にしていくことだ。

CとDは生物として同じものであると見なす場合、最小の単位「種」がCとDで同じになる。

人々は、はじめ、見た目の違いだけで分類を行っていた。

違う分類の仕方があることに気づき、世に新しい基準ができた。生殖可能性だ。

まずは。(分類に限った話でもなく)人間が新しく得た知識などで、その都度変わっていくものなんだなーーというのがわかればいい。知らない → 知る という流れであるのは普通のことだ。 


植物における

亜種:植物群間に、種ほどの形態的差異が認められない場合に用いる。

変種:多くは分布に関係なく、形態的変異を区別する場合に用いる。

品種:最も小さい分類単位。差異の場合に用いる。

農業や園芸で栽培される植物では、栽培品種という呼び方も用いられているが。これは、品種もしくは変種に相当するものを違う呼び方にしているだけ。

コーヒーノキの分類を考えていく上でポイントとなるのは、この「種」と「(栽培)品種」の違いである。農産物であるから、生産地の違いも重要だ。

属 コーヒーノキ
種 アラビカ
栽培品種 ティピカ・ブルボン
産地 ブラジル・コロンビア・エチオピア・インドネシア他

属 コーヒーノキ
種 カネフォラ(ロブスタ)
栽培品種 ロブスタ
産地 インドネシア・ジャワ他

と、こういうことなのだ。


万一、コーヒーではどうしてもピンとこないという人がいたら、米で考えて。△△産〇〇「商品名」・□□産〇〇「商品名」と。

分類学的には差異でも。人が目にする口にするとなると、AとBとCはぜんぜん違う・D産のEとF産のEは違うというようなことに。細分化されていくのは/話が複雑にもなるのは、私たちがそういうことを言い出すからだ。

人間は美しさを競ったりするから。

人間はグルメだから。

😂トレ!!ビアンッ!!のとこね。このキャラすこ。
要は、うちらみんな月山(ヘンタイ)やで。

種 カネフォラ
栽培品種 ロブスタ
では?と思うだろう。

なんでカネフォラ(ロブスタ)なの?と思うだろう。

1858年にビクトリア湖の近くではじめて見られ、1898年にコンゴで正式に(?)発見された植物は、C. robusta と名づけられた。

ところが。それより前にガボンで発見されていた C. canephora と同じ種の植物だということが、後になって判明した。

C. canephora が優先されることに。ロブスタは、C. canephora の変異種 C. canephora var. robusta ということにされた。

だが。この時すでに、ロブスタ種という園芸名がある程度定着していた。そのため、今にいたるまで混乱が生じていると。

(ロンドン先物市場にカネフォラ/ロブスタが上がったのは1952年のはずだが。業界内で生産者の中で定着していたーーということかなと)

先ほど貼ったハイブリッドの過去回より。

ちなみに。学名は二命名法にもとづいてつけられる。

アラビカ種は Coffea arabica L. だ。Coffea が属名で・arabica が種小名と呼ばれるもので・L. は命名者(リンネという人物)を表す。「属名+種小名+命名者名」これが正式な種名だ。

コーヒーノキの分類に関して、専門家の間でも諸説ある状態。何もおどろくことではない。新たな知見が追われば変わるのだし。

上に貼った「動物界」という過去回より。

特に1990年代後半。遺伝子研究がコーヒーノキでも行われるようになり、新しい分類体系が提唱されていった。


アラビカ。

アラビカ種は高さ4~7mになる常緑低木。日陰でも育つ。標高の高い山岳地帯で栽培されることが多い。病気に弱い。

珈琲豆販売店に主にあるのは、アラビカ種の豆だ。喫茶店のブレンドに、増量材的にロブスタが加えられることはあるだろうが。

他のコーヒーノキの染色体数は22本(2n=22)。アラビカ種は44本(2n=44)。アラビカ種では自家受粉が可能である。

カネフォラ。

カネフォラ種は低地でよく栽培される。アラビカ種よりも栽培が容易で、病気や害虫に対しても耐性が高いが。アラビカ種と比べると風味が弱く苦味が強い。ロブスタの意味は「強い」だ。

缶コーヒーなどに用いられるのは、主にこちらだ。

ロブスタは深めに煎られることが多い。深煎りすることで、ロブスタ特有の(あまり人に好かれない)においがおさえられるため。


コーヒーに詳しい人は、「モカ」という響きにロマンを感じることだろう。

エチオピアとイエメンのコーヒーの総称であるだけでなく。はじめてコーヒーが海外に輸出されたイエメンの港の名前だからだ。

コーヒーノキの原産はエチオピアだが。世界にコーヒー豆を広めたのはアラビア半島の商人たちだった。

一部の人は言う。「イエメン産ではないコーヒーにチョコレートシロップを加えた飲み物を、モカとは呼びたくない」と。個人的には、あまい「カフェモカ」も好きだけれど。

かつて「幸福のアラビア」と呼ばれ、貿易の要所として栄えたイエメン。続く内戦で、今や、約半数の国民が貧困や飢餓に苦しんでいる。他国から寄せられる関心は低く、解決の糸口は見えないと言う。

フーシ派に占領された。代理戦争というやつだ。
こんな簡易な画像で当事者の苦しみはわからない。

先週、古い喫茶店でモカをいただいた。私は、イエメンの過去や現在や未来を考えたりも・長年店舗を経営する大変さを考えたりもせず、香り高いモカをただ楽しんだ。

カカオの回で書いた文章が、そのままコーヒーの回にも使えてしまう。私たちは、チョコレートやコーヒーやダイヤモンドを無邪気に楽しんでいる。まるで、空気から無限に生まれてくるとでも思っているかのように。


知人がオーダーしたのはマンデリンだったと思う。

知人って😭とショックを受けてしまうかもしれない。読み専フォロワーにいるため、尺を使ってでも書きそえておかないと笑。私の大切な人だ。

無理めなお願いをした時、かぶせぎみに「イージー」と言ってきた。そのLINEスタンプのような話し方は一体何なのだ、と思った。かろうじて知っている・彼的にOKの意味あいをもつ英語なのだろう。快活で善良なバ……老若男女に好かれるタイプだ。現代の東京で絶滅危惧種のようにいい人間。つらい生い立ちにも心を腐らせることなく、本当にえらい。

マンデリンは、スマトラ島の一部地域で生産されているアラビカ種だ。

現在のインドネシアは、主にロブスタを生産している。さび病という植物の病気が蔓延した時、より強く育てやすい方に全面的にきりかえたため。

かろうじて病気に耐えたアラビカ種をもとに、スマトラ島のマンデリン族が栽培を主導して、成立させたもの。それがマンデリンなのだ。


個性豊かな動植物たちをおもろいクラスメイトとしてとらえている、私だからかもしれないが。

私の中でだんだんコーヒーが擬人化されてきた。

フルーツの香りがするモカちゃん、土のにおいがするマンデリンくん、と。


動画をお借りする。現実の厳しさ・具体的な体験談・ポジティブな気持ちがあわさった、いいお話だった。(敢えてのセンシティブなタイトルなのだろう)

バリスタは「おいしければ客は来る」と思いがちーーという指摘、わかる。いち実例だが。飲食店の内装を手がけていた会社が飲食店を開いて、大きく成功した。

商品のクオリティーを追求する職人気質と、戦略で利益を出そうとするオーナー気質の、バランスの話だ。管理や事務のバック・オフィス系も重要だし。

こういうケーキとコーヒーのセットも、私たちは気軽に楽しんでいる。

とても大変な仕事なんだね。ケーキをつくってくれる方々、ありがとう。

そもそも。月曜から日曜まで・朝早くから夜遅くまで外で飲食ができること、それはどういうことなのか。忘れたくないものだ。


ブラジル最古のコーヒー農園には、樹齢100年を超えるコーヒーノキがある。セルトン農園は、ごくわずかしかとれないその種子を販売している。

実をほとんどつけなくなったコーヒーノキは切り倒される、というのを思い出してほしい。逆の発想的なビジネスだ。

毎年変わる麻袋が、漢字デザインだった年があるようだ。樹を寿にしている。いいね。

セルトン・グループ:セルトン農園(元祖)・サンタイネス農園・サンジョゼ農園・サンタルシア農園・サンベネディト農園・ファチマ農園は、数多のコーヒー豆コンテストで受賞を繰り返してきた。

イエロー・ブルボンでも有名。

セルトン農園の農園主は高齢女性で。大学と連携するなどし、コーヒー豆の品質・処理プロセス・生豆の保管方法について、研究を重ね続けている。

Nazareth Dias Pereira さん。

彼女は、コーヒー・ビジネスの持続可能性を真摯に模索している。


赤と黄の話をしてきたのだから、次は青だろう。「ブルー・マウンテン」の話をする。

このような写真を見せられれば、たしかに青いように感じるが。本当に山が青いのか。

答えから言うと。ジャマイカやオーストラリアの山は本当に青い。

コーヒーノキ林・ユーカリ林・ダケカンバ林。これらの山々の周辺では、微粒子が高い密度で浮遊しており。大気中の微粒子 × 太陽光で青色光が散乱することから、山脈が青く見えるのだ。呼び名はそのまま、ブルー・マウンテン現象。

浮遊微粒子の正体はフィトンチッド。

フィトンチッド:微生物の活動を抑制する作用をもつ、樹木などが発散する化学物質。植物が傷つけられた際に放出する、殺菌力をもつ揮発性物質。

殺菌作用のある微粒子がただよう中を散歩すること。これが何にあたるか、もうわかるだろう。心身を癒すとされている「森林浴」だ。

悪気はないと思うのだが。観るだけで森林浴効果と言っているYouTube動画に、残念ながらそれはない。雰囲気リラックス効果がないとは言わない。

ラテン語で、フィトンは「植物」チットは「殺す」。なんだか物騒な響きだなと思った人へ。ある種の植物の物騒さレベルはすごいんだぞ。

こういう話をおもしろく感じる人は、生物系の過去回を読んで。いくつも書いてきた。コーヒーの話からあまりにも気がそれたくない人は、スルーして。


歴史家によると。最古のコーヒー・ハウスは、1475年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)にできた、『キヴァ・ハン』という名前の店だったと。

(現在もトルコで親しまれている)トルコ・コーヒーがふるまわれていた。

コーヒーを表すオランダ語(koffie)・イタリア語(caffè)・フランス語(café)は、ほぼ同時期に出現した。

コーヒーの人気は一気に広まったのだと推測する。

オスマン帝国がコーヒー貿易において(も)支配的な地位を占めていたことが、他のヨーロッパの言語に影響を与えなかったはずはない。


『コーヒー運び人』
ジョン・フレデリック・ルイス作(1857年)

オスマン語の kahve は、アラビア語の qahwah からで(それぞれをアルファベットで表すなら)……

セム語族の言語に暗い色を意味する qhh というのがあったため、 「暗い」という意味で抽出液や豆をさしていた説。

ありそう。

イブン・マンズールによると。qahwah の語根動詞の意味は「食欲を減退させる」。(彼の言語の分析は大変論理的で納得のいくものだし、お酒を飲むならたしかに食事はつまみ程度になる)彼の生きた時代(1300年頃)・生きた場所(リビアあたり)で、qahwah は「酒であって珈琲ではなかった」と。ブドウ酒や古酒を意味する言葉だった説。

コーヒーは古酒のように貴重なものだったーーとかか。わかる。

イブン・マンズール『アラビア語大辞典』

qahwah という語はエチオピアのカファ州にちなんで名付けられた、という説。

この説が一番、決め手に欠けるかもしれない。


トルコのガズィアンテプにある
『Tahmiş Kahvesi』は、東ローマ帝国初のカフェで、1635年に開店し現在も営業している。ピスタチオを使ったコーヒーが有名だそう。

店名の入ったカップがかわいい。

1686年にシチリア人が開店した『カフェ・ル・プロコープ』は、現在も営業しているパリ最古のカフェだ。常連客には有名人(後に世界で有名になる人たち)が数多くいた。

シチリア人?と気になった人にオススメの過去回がある。

オックスフォードで英国初のコーヒー・ハウスを開いたのも、ユダヤ人起業家だった。


日本におけるコーヒーの歴史。

コーヒー豆が日本に伝わったのは鎖国中で。通訳者や役人など、限られた人しかコーヒーを飲むことはできなかった。開国後、文明開化の流れとともにコーヒーも広まっていった。幕末に日米修好通商条約が結ばれると、コーヒー豆の正式な輸入がはじまった。

1888年のこと。日本初の喫茶店『可否茶館』が、アメリカ留学経験のある鄭永慶氏によって、東京で開かれた。

場所は下谷黒門町(現在の東京都台東区上野あたり)。これで読み方はこーひーさかん。カッコイイ!
彼の墓はシアトルにある。
Lake View Cemetery とても有名な墓地だよ。

残念ながら、この店は5年程で閉店したが。銀座・浅草・京橋・大阪などに、喫茶店は次々とオープンしていった。

当時のハイカラな文化人たちが、こぞって利用した。

ハイカるはさずかにかわいい😂

大正から昭和にかけ、日本国内のコーヒー需要は増加の一途をたどった。


UCCグループは『上島忠雄商店』からはじまった。

上島氏は日本の珈琲の父だ。

UCCはすごい。後に、日本初のフル・オートメーションとなる「UCC大阪綜合工場」を竣工。日本初の真空包装レギュラー・コーヒーの製造を開始。缶コーヒーを大阪万博で大ヒットさせた。

すばらしいお会社さんだ。〇〇は人や国を結ぶきずな。そういう〇〇ビジネスをしていること、すごくステキだと思う。


第二次世界大戦は、日本にコーヒー暗黒時代をもたらした。敵国飲料!ってね。輸入禁止へ。

その間、ドングリで代用したりしていた。(歴史上、ヨーロッパでもドングリ代用はあった)

たまたまだが。前回の内容と親和性がある。本当、戦争は文化の広がりも阻んでいくよな。ぜんぜんワクワクしない、ちっとも楽しくない。

戦後、喫茶店ブームが起こった。

内装渋い。めちゃくちゃカッコイイ。
すさまじい数の新規開店があった。

西洋で発明されたサイフォンは、日本で独自の進化をとげた。サイフォンがこれだけ普及しているのは日本だけだ。なんで?意味がわからない。

サイフォンは最高に萌えるだろ。
キレイすぎ。

自宅で珈琲を飲む際の抽出方法で、サイフォンを選ぶ平成生まれが昭和生まれを上まわることに、企業などはおどろいたそうだが。何が意外なのかわからない。

日本でもコーヒーを栽培しているところがある。小笠原や沖縄だ。

応援したい。

コーヒー・ハウスと言えば。歴史的に、おいしいコーヒーを味わうためだけの場所ではなく、人々が集い交流する場所だった。

政治について議論したり・新しいアイディアを共有したり。必然的に、革命の火つけ役になったりすることもあった。

喰種の『あんていく』もそんな感じだよね。

コーヒー・ハウスには、才能あふれる作家たちが集まっていた。

つまり、ヴィクトル・ユーゴーやジャコモ・カサノヴァやゲーテやオスカー・ワイルドが通っていた。(近い年代の有名人でピック・アップすると)

『レ・ミゼラブル』の主人公は、パンを1つ盗んだだけで20年近くも投獄される。それでも、懸命に人生を歩んでゆく。

マンガでも読める・映画でも観れると、選択肢が増えることはいいことだ。

実家が太いイケメン(父親は貴族で大きな劇場の所有者・母親は美しい女優)。文武両道でコミュ強。長身。浅黒い肌に手入れが行き届いた長い髪……銀髪?
すごい。アニメのキャラみたいだ。

千単位の人数の女性と関係をもったというカサノヴァ。当然、彼を題材とした映画は恋愛物語になる。

みんな大好き恋愛の話/色恋の話もしよう。

どんな状況かw

カサノヴァの作品には、18世紀のヨーロッパの風俗がありありと描き出されている。人妻を含む多くの女性たちが、意識的に誘惑に身を任せていたことがうかがえる。「女性は簡単に誘惑されないが、それは彼女たちに勇気がないからで。友人と一緒であれば、容易に誘惑に身を任せる」

雨の中、傘をささずに踊る人がいてもいい。自由とはそういうことだ。← ゲーテはこれを言っていない。

(日本は単に誤情報が流布しているだけだろうが)「ゲーテ曰く」という前置きで、彼が言っていないことを言うあそびが流行ったそうだ。ゲーテが「全てのことを言った」と評される人物だったことから、はじまったのだろう。ゲーテ自身も、自らの過去の発言を引用して語ることがよくあった。(彼の著作にその傾向を見ることができる)

世紀末文学の旗手と言われたオスカー・ワイルドは、男色をとがめられ収監されたことがある。

ワイルドは、オックスフォード大学でジョン・ラスキンの講義を聞いていた。ラスキンはルイス・キャロルと親しかった。彼はアリス・リデルの家庭教師だったため。

みんな、コーヒー・ハウスに通ったのだろうか。少女だったアリスが行っていたわけはないが、彼女にはそうしていても不思議ではない知性と独特なセンスがあった。


日本では。珈琲愛好家が集っていたと言う「パンの会」が有名だ。メンバーに、石川啄木・北原白秋・高村光太郎ら。

木村荘八が描いた「パンの会」の様子。
雰囲気をとらえて表すレベルがヤバいとわかる。
足袋で木の階段を踏むあの感覚が私の足にくるから。

彼ら彼女らが会を開いていたのは、レストランでだったかもしれないが。

食べるパンじゃあないよ。パーン/パンはギリシャ神話の牧羊神。享楽の神でもある。

いつも笛をもっている。
幸福そうなパン。いい。

パンの会の唄だって↓。珈琲の実の赤を連想させる。


また、才能あふれる芸術家たちもカフェに集まっていた。

ロンドンのコーヒー・ハウスが女人禁制であったことや、ドイツで女性はコーヒーを飲むべきではないとされていたことに、女性陣は反発した。

バッハは、その声を代弁する目的で「コーヒー・カンタータ」という曲をつくった。正しくは。コーヒー好きな娘とそれを止めようとする父親のやりとりの歌に、曲をつけた。

音楽家のことをとりあげた回は1つしかないが、自分で気に入っている。みんな本当におもろい。


人類あるあるだが。

君主を転覆させて帝国を支配しようともくろむ者たちが結託しやすくなるーーと考えた政治指導者ら/宗教指導者らは、コーヒー・ハウスを法律で禁止したりした。

コーヒー・ハウスでの集会は、反体制派や革命家が権力者に反抗するのを防ぐために、歴史上何度も禁止されてきた。

ロブスタだからね!などと無粋なことを言ってはいけない笑。精神的・哲学的な語りなのだから。世知辛い的な。

1633年のこと。スルタン・ムラト4世は、コーヒー・ハウスに出入りしていた兵士によって身内が殺害されたため、コーヒーを飲むことを死刑に値するとした。

ソースの2度づけは万死に値するというネタか、と思うが。現実にあった話だ。

1746年のスウェーデンで。コーヒーの消費には重税が課されるこになった。当時のスウェーデン国王が、コーヒーの摂取を公衆衛生への脅威ととらえていたため。それでも、コーヒーの消費が途絶えることはなかった。

クーデターと絶対王政のグスタフ3世のことだ。
本当に、健康被害を考えてのことだったのか。彼は、後づけで、コーヒーの人体への影響を調べる実験をやらせていた。聞こえのいい理由を欲したのでは?

チャールズ2世は、コーヒー・ハウスにおける偽情報の拡散と過激な陰謀の可能性を非常に懸念し、ロンドン中のコーヒー・ハウスを閉鎖した。だが、禁止令は10日程しか続かなかった。反対の声が相当あったのだろう。

メッカ事件」というのが最古の事例だと言われているが。最初から、禁コーヒーやコーヒー罰はまともに成立していない。

やはり、前回の内容(ネオンの話)と通ずるものがある。本当に人々に愛されるものは、この世から消え去らない。


異なる社会階層の人々がひとところに会し、テーブルには最新の出版物が山積みになっていた。

「ペニー大学」。1ペニーの入場料を支払うことで、人々は、新聞を閲覧する機会と好きなように好きなことを話す自由を得た。もちろん、コーヒー代は別にかかったが。ランナーと呼ばれる者たち(記者のような感じか)が、常に最新のニュースをもってきていた。

「悪態をつく者は罰金12ペンス」。当時の英国のコーヒー・ハウスには、注意事項を書いた紙がかかげられていた。おもしろい約束がたくさんあったようだ。(本当かどうか1つ1つたしかめていない。ごめん)「ケンカをした者は全員にコーヒーをおごれ」「どんな身分の人間もともに座れ」「聖書の話はやめておけ」私が笑ったのはこれだ。「涙もろき恋人たち、店内隅にて嘆かずして、全員快活になりて語れ」😂すごくいい。

ファイト・クラブの過去回で、コーヒーの画像をサムネに選んでいた理由の1つだ。方向性が似ている。

大学生も足しげく通った。学校にいる時間よりも、コーヒー・ハウスですごす時間の方が長かったと。そこで展開されていた議論は、大学のチュートリアルとはさまざまな点で異なるものだったと。

コーヒーにかけあわせて表現するならば。フィルターなしの授業・無ろ過の教育と言ったところか。アカデミックにゴシップとコミュニケーションが混ざった、絶妙な空間だったのだろう。

現代のカフェでは、革命を起こす相談はあまり行われなくなったが(笑)。重要なコミュニケーションの場であることに変わりはない。


コーヒーの「酸味」は、全体の味わいにおいて非常に重要な要素だ。この用語は酸度やpH値とは関係なく、特定の味覚特性をさす。

香り 風味 苦味 甘味 酸味 後味

酸味は他の要素と相互作用し、コーヒー全体のバランスと深みに貢献する。酸味とその他の特性とのバランスが悪いと、すっぱい味になるのだ。

世界をすっぱくしてんなよ。
このガチの老害がよ。老人は賢者であれよ。

コーヒーは酸性なのか。

前述したとおり、コーヒーの酸味について話す時、実際のpH値はあまり関係ないのだが。まぁ、わずかに酸性だ。pHスケール5前後(7が中性・1が最も酸性)だから。


1938年にエスプレッソ・マシンが発明された。本格的に普及されたのは1950年代だが。

全ての「コーヒー・ドリンク」はエスプレッソからはじまる。エスプレッソ = 高圧で抽出された濃厚なコーヒーに、水やスチーム・ミルクやシロップを加えることで、さまざまなドリンクが作られる。

カプチーノという名前の由来は、カプチン・フランシスコ修道会の修道士が着るローブ、そのフード部分だと。

この説はダメだ。これは嘘松ということにしよう。大勢がカプチーノを好きなはすだ。これからカプチーノを飲む時、おじさん自身も含め、おじさんの味がしては困るはずだ。

カプチーノには蓋という意味もあると。ミルクで蓋、かわいいじゃないか。いいぞ。これにしよう。(焦り気味)

何を血迷ったのか、Wikiがフードの下の話までしはじめた。


この話で〆たことに、クレームがきそうだ😂いや、笑い話が少なかったかなと思って。

おいしいコーヒーがいただけることに感謝して、そういう世界を守っていきたい所存。サステナビリティーという言葉をポリコレwなどと言ってバカにしている奴が、本当のバカだ。

みんなで関心をもち、協力していかないと。いつか、チョコレートが食べれなくなる。コーヒーが飲めなくなる。なってからでは遅いのだ。