ミッション:6度目の大量絶滅を回避せよ。
自然選択は「進化」のメカニズムだ。
環境に適応した生物は生き残り、成功に役立った遺伝子を後世に伝える可能性が高くなる。このプロセスで、種は時間の経過とともに変化し分岐する。
よって、自然選択は、地球上に生息してきた何百万もの種を説明する方法の1つなのである。

進化の観点から言えば、「適応した動物」とは環境に適応した動物のことであり。この概念が自然淘汰の核心であることは間違いないのだが。
適応のための選択が進化の唯一の原因ではない、ということも忘れてはならない。
種の変化は、個体に悪影響も好影響もない中立的な突然変異によって、ひき起こされることもある。遺伝的浮動や遺伝子流動によって、変化が起こることもある。
有利でも不利でもないため、その形質はランダムな増減を繰り返す。そんな中、ある形質が一定の割合をしめることになり。遺伝子が固定される。


主にテレオノミーを否定して、ジャック・モノーは言った。必然の進化と偶然の進化があると。機能は意図的なものではなく、意図的であるかのように見えるだけだと。


この段落に小タイトルをつけてみる。【彼女はこれ以上を欲していない件】

人々は、自然が前へ前へ・上へ上へ向かっているというような、幻想を抱いている。
自然淘汰が「さらなる〇〇」という特性を生み出さない理由は、数多くある。
チーターがもっと速く走ることができていたのならば、より多くの獲物をとらることができ・より多くの子孫を残すことができていたと仮定する。では、なぜ、彼ら彼女らはどんどん速くなっていったりしていないのか。
脚の筋肉と骨の配置に「限界」があるからだ。

右:より長い脚 → さらなるスピード × 骨がもろくなる可能性
哺乳類の基本的な体型は、相互に制約された形で遺伝子と発達にすでにくみこまれており。これが変更される可能性は低い。
自然選択の限界とも言えるかもしれないが。それでよいのだ。対立遺伝子が、危険なほどに脆弱で・あと少し速く走れるという脚を防ぐ。



ややおバカな設定のキャラだったかと。ステ振りについて気づいた彼は賢い。

このまま H × H で表し続けてみる。物語の中心人物がクラピカさんになってから、内容は複雑を極め・必然的に文字だらけに。

very とtoo の違いだ。It is more than necessary in negative way. 和訳も補足説明も要らないよね。
やはり、よりトレードオフ的(ある特徴を良くすると別の特徴が悪くなる)なのだ。
自然選択は、生命を常に進歩の方向へ導く全能の力といった類のものではないーーということが伝わっただろうか。
こういった理由から、たしかに、必要や試みや望むという言葉はあまり適切ではないのかもしれないが。私は、人間がそういった概念を好むことは好きだ。


「イカロスにならねば」『チ。地球の運動について』に出てくるセリフだ。

船の下でイカロスが溺れている。イカロスの失墜という大事件に対して、人々はまるで無頓着で淡々とした日常をおくっている。
ベルトルト・ブレヒト「ここに描かれた伝説的な出来事のみすぼらしさ(失墜したものを人は探さねばならぬ)。人物像は事件をまるで顧みない。額にしわを寄せることを要求するほどの注意深さについての、美しい表現。恐ろしい事件に対して配された風景の特殊な美と晴れやかさ」
誰?と思った人へ。


ダーウィンやウォレスの時代。生物は自然起源をもつには複雑すぎるため、超越的な存在や力によって設計されたに違いないと、多くの人々が信じていた。
“ 神はたしかに存在する” が。自然選択により、最も複雑な生物でさえ、完全に自然なプロセスで発生する。
ダーウィンとウォレスの話を読みたい人は、この過去回から。
今では、全生物学者らが生物が複雑で機能的であることを理解しているにもかかわらず。依然として、生物が存在することはほとんど奇跡のように思える。

推定83,000種が存在する。
このブルー・プラネットは奇跡以上のものだ。神というものがいると言い出した人たちは、完全にまともである。
それこそ、米一粒に何体いてもおかしくない。


適応もだ。生物がその環境で生き残るのに役立つ身体的/行動的特性のことだが、動物や植物の全ての特徴が適応というわけではない。
ある目的のための適応は別の目的のために転用されることがある。体温調節のための適応であった羽毛が、飛行に利用されるようになったり。
適応は時代遅れになることがある。フクベノキのかたい外面は、ゴンフォテリウム(ゾウに似た生物)に食べられないよう進化したと考えられているが。その生物は約1万年前に絶滅したため、もはや、この果実の適応は生存上の利点をもたない。

フクベノキではなくゴンフォテリウムの方の話をもっとしようか。


骨の写真と想像図があまり合致していないように感じるかもしれない。その疑問はよい疑問だ。
彼ら彼女らは長い下顎と下牙(こう呼んでみる)をもっていたのだが。後代では、短い下顎と下牙をもったり・下牙がなくなったりしていった。この想像イラストがどの段階のゴンフォテリウムを描いたものかわからないため、別におかしくはないのだ。
この変化が、ゴンフォテリウム類を現代のゾウに非常に似た外見にしていった。平行進化の一例だ。ゴンフォテリウム類の多様性は低下し、アメリカ大陸以外では消滅した。
平行進化とは、共通の祖先をもつものが互いに共通した進化の傾向を示すことだと思われがちだが。異なった系統から収斂(しゅうれん)に向かうような進化を指すこともある。また。近縁ではないが、同様の進化圧力に応じて同様の形質を発達させた場合を言うこともある。
ちなみに。マストドンは、より温暖な間氷期に繁栄し。マンモスはより寒冷な氷河期に繁栄した。ベーリンジア(現在のベーリング海峡付近に存在した氷期の陸地)で、マストドンとケナガマンモスが重なりあっていた頃もあった。

右:マストドンにの牙(よりまき上がっている)

右:マンモスの歯(より平ら)
進化学……過去について知ること……にも、限界があるか。
進化が必然であれば。生物間の形質の違いには意味があり、予測することも可能だろうが。進化が偶然であるならば。そうはいかない。
探求は無駄なのだろうか。そうかもしれない。ただ、人類は楽しく研究を続けている。楽しいーーそれだけだとしてもいいんじゃあないの。
一部の研究者らは、あるマンモスのバラバラの骨格に「ナポレオン・ボーン・アパート」(apart 離れている)というあだ名を。頭蓋骨が欠損した状態で発見されたものには、「マリー・アントワネット」というあだ名をつけた。それがオスであることが判明すると、マレーに呼び名を変えた。マリー → マレーは雑で笑う。
めちゃくちゃ「遊んで」いる😂

ダーウィン・フィンチについて。
過去回で詳しく書いたが。ダーウィンはビーグル号の航海(1831年~1836年)で、多くの動物標本を収集した。

ガラパゴス諸島で収集した14種のフィンチが有名だ。

同じ分類学上の科に属しつつも、クチバシの大きさや形が多種多様。食料源の違いと、異なる島々での孤立による分岐の両方から、このようなことが起こるのだ。
ムシクイフィンチ(Certhidea olivacea)は、小さな昆虫を食べるのに適した鋭く細いクチバシ。オオガラパゴスフィンチ(Geospiza magnirostris)は、種子や木の実を割るのに適した短くずんぐりとしたクチバシをもっている。


ダーウィンの「ひらめきの瞬間」はフィンチによってもたらされた、と認識している人が多いだろうが。
彼にインスピレーションを与えたのは、マルサスであったりマネシツグミであったりと、実際はフィンチだけではなかった。

ダーウィンは、ガラパゴスに行く前に南米で、マネシツグミを採集していた。
島が違えばマネツグミの見た目にも差があることに、気がついた。さらに。島々に生息するマネシツグミの種の違いは、大陸全体で見てきた種の違いよりも大きいことに気づいた。
ダーウィンとウォレスは似ていた。彼らの近しい学説は、その結果のように思えてならない。
「何だっていつも近道を探していたら。結局、大切な宝ものまでなくす」らしい。「恋の運命や愛の証明も、2人の航海と何かが似ている」のかもしれない。



進化には、予測可能・予測不可能という2つの特徴がある。
短期的な進化は予測することも可能だが。選択係数の方向と大きさを決定する環境が予測不可能に変動するため、長期的な進化は予測できない。
いや、短期的なものであっても、予測することは簡単なことではない。
ガラパゴス諸島の鳥類を40年間研究している進化生物学の学者が、わずか2世代で新しい種に進化した鳥がいると報告。オオサボテンフィンチ(Geospiza conirostris)がオオガラパゴスフィンチと交配して生まれた新種だとか。
ダーウィンは、自然淘汰はゆっくりと進行し、長い時間をかけてのみ起こると考えていた。これは多くの場合に真実だが。そうではない場合もあるということだ。
多様なマネツグミーー。
日本では『アラバマ物語』として知られている、人種的差別をあつかった1960年出版の小説『To Kill a Mockingbird』。公民権運動のさなかに南部の人種差別社会を暴露したとして、称賛された作品だ。
6才の時の経験を大人の視点から回想するキャラクターの名前は、ジーン・ルイーズ・フィンチだ。
美しい鳴き声で、周囲を乱すことなくそこに価値をそえるモッキングバード(マネツグミ)は、無邪気さと無害さの象徴だ。タイトルは、無害な存在に無慈悲な行為をすることを表している。
結局のところ、白人男性の礼賛物語だという批判もある。2020年代の価値観で言えば、それはそうかもしれないが。作者は、当時、問題提起をしようとして書いたのは間違いないのだから。そう目くじらを立てなさんな、と私は思う。
ラマルキズム(ラマルク主義)は、フランスの博物学者にちなんで名づけられた。生物が時間の経過とともに変化する理由に関する、また別の理論だ。
ラマルキズムによると。動物は、ハードコード化された遺伝子の変化ではなく、生涯を通じての使用または非使用にもとづいて特性を獲得する。このことから、用不用説とも呼ばれている。
つまり。キリンの子孫は、親の努力の結果として、長い首を受け継ぐことになると。

毎朝10分間首を伸ばそうとすると、おそらく数年後には首が数ミリ長くなるだろう。ちょうど、私には実体験がある。私の首は長い。幼少期、ひんぱんに親が私の頭をもって「高い高い」をしていた笑。しかし。私に子がいたとして、それは私から子に受けつがれたりしない。私も子に独特な高い高いをすれば、あるいは。
ちなみに。キリンの首に関する説1つをとってみても、いろいろとある。
ラマルクの主張そのものには、それはちょっと違うのかな……と思っても。視点を変えてみると、新たに見えてくるものがあったりする。



天才でなくともアイドルでなくとも。
そもそも、自然淘汰は世界が絶えず変化しているという事実に依存しているのだし。何百万年もの間、進化はダイナミックな世界に追いついてきたのだが。
環境が急激に変化すると、本来なら適応していたはずのものが役に立たなくなる可能性が高く。変化が速ければ速いほど、追いつくことは困難になる。

生物は常に、生き残り繁殖できるほど適応しているか/それにいたらず個体数が減少するか、のどちらかの状態にある。個体数がゼロになった時は絶滅だ。
「人間には想像しづらいことだが」と書こうとしたが。そうでもないよな。「スーパー・リッチな人たちにはわからないだろうが」にしよう。

amazarashi さんの歌詞は正しい。通常、種が絶滅すると。生態系におけるその役割は、新しい種または他の既存の種によってひきつがれる。

ここからは、大量絶滅の話をする。

地球上に存在していた全生物の約98%が、現在は絶滅している。
種の消滅のペースが種の入れかわりのペースよりはるかに速いことを、こう呼ぶ。具体的な数字で言うなら、280万年未満に世界の種の約75%が失われることだ。
過去5億年の間に5回の大規模な絶滅が起こった。その時々、地球上の生命の様相は一変した。
① 4億4,300万年前。全種の85%が絶滅した。気温の急激な低下 → 巨大な氷河の形成 → 海面が劇的に低下。その後、急速な温暖化の時代が続き → 多くの海洋生物が絶滅。
② 3億7400万年前。全種の3/4が死滅。そのほとんどは海洋無脊椎動物。温暖化と寒冷化・海面の上昇と下降・大気中の酸素と二酸化炭素の減少など、多くの環境変化を認めるが。正確な原因はわかっていない。
③ 2億5千万年前。最大かつ最も壊滅的な大量絶滅。この時点で進化をはじめていた脊椎動物のほとんどを含む、全種の95%以上が絶滅。いくつかの説がある。小惑星が衝突 → 大気がちりの粒子で満たされ → 太陽がさえぎられ → 酸性雨が発生。大規模な火山爆発 → 二酸化炭素が増加 → 海が有毒に。
④ 2億年前。多くの恐竜を含む全種の80%が絶滅。二酸化炭素レベルと地球温度の上昇 → 海洋が酸性化。その他、大規模な地質学的活。おそらくは、これらが原因。
⑤ 6600万年前(白亜紀)。非鳥類恐竜を含む全種の78%が絶滅。現在のメキシコあたりに小惑星が衝突したことが原因だと、推測されている。
このように。大量絶滅は、極端な気温の変化・海面の上昇または下降・大規模な火山の噴火・小惑星の地球への衝突といった、いわば1回限りの壊滅的な出来事によって起こったのだ。
ちなみに。
二枚貝(数億年前の様子も現在の生存している様子も見ることができる、最古の化石グループの1つ)などの化石が、絶滅に関してのストーリーを伝えてくれるのだ。
感動と感謝がいりまじった気持ちになる。貝に対して、まじめに。
私たちは大切なメッセージを読みとくことができる。後は、それを活かすだけだ。



ここまでで何が言いたいか。もちろん、こうだ。私たちは6度目の大量絶滅期をむかえるのだろうか。
産業革命以降、我々は、回復を支援せずに資源を使用することで自然に圧力をかけ続けてきた。

人類はすでに、陸地の7割以上を改変し。淡水資源の3/4を使用している。

誤解を恐れずに言うと。
農業でさえ、土壌劣化・森林破壊・汚染・生物多様性の消失の原因の1つとも言える。野生の空間を減少させ、無数の種を自然の生息地から追い出し、資源をめぐって人々を衝突させたり脆弱な状態においたりしている。
例)猛禽類は、主にウサギを食べているにもかかわらず、農業にとっての脅威であるとされ。理不尽に狩られがち。

外来種の多くは人間によってもちこまれたものだ。これも世界中の生態系を脅かしている。
外来種は資源をめぐって在来種と競争し、その地域の生物多様性の質を低下させることが多い。1つ以上の種の絶滅をまねく時もある。

これらは、人間によってひき起こされた壊滅的な変化の、ほんの一部にすぎない。
地球上の全ての生命は細かく複雑にからみあっている。繊細なバランスは何百万年もかけて確立されてきたものだ。
1つの種が絶滅すると、複数の他の種が影響を受けることになるが。数百~数千年かけて絶滅が起こるのであれば、自然は失われたものをゆっくりと補充していくことができる。
ところが。人間が、このプロセスを危険な速度で加速させてしまった。現在の絶滅率は、人類誕生以前の絶滅率の百倍から千倍高い。単一の種がこのような破壊行動を起こすのは、無論、地球上ではじめてのことだ。

“シェイクスフィアー” だって。うまいね。
人類は、その小さな球体を特定の場所に入れたからと言って何になるのだーーというようなことで、必死なれる生き物だ。神だとか言い出す生き物だ。大好きだ。
私たちは何だってできる。奇跡の星に生まれた奇跡の存在だから。本当に本当に。
金融システムの利益よりも自然の保護と保全を優先することで、変わることは可能だ。
世界の未来は、史上最大の国際的とりくみを私たちが行うかどうかにかかっているだろう。私たち全員が積極的な役割を果たす必要がある。

