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動物界

2023年にフランスで上映され、大ヒットした映画『動物界』。

原題は『Le regne animal』だ。

この作品の場合③だ。したがって、英題の『Animal Kingdom』も「動物の王国」という意味ではない。

今回は動物界の話。

詳しく知ることを通じて、白々しい標語としてではなく、命のすばらしさを感じることができると思う。そんな文章になるように努力してみる。


世界がCOVID-19パンデミックと格闘している間、もしくはそれ以前から。フランスの映画監督と原案者の学生は、違うウイルスを想像していた。

人間の体がじょじょに動物に変異していく奇病(原因不明の突然変異)が蔓延する、近未来。「新生物」らは施設に隔離されている。主人公の妻もだ。16才の息子にも変異が起こってしまう。人間と新生物の分断が加速してゆく。

父子は、どうにか平静を保とうとしていたようだが。難しいだろう。原因は何なのか・伝染するものなのか・どの程度の脅威なのか。

そして、人類は未曾有の事態をどう乗り越えていくのか。クリーチャー映画のかたちをとってはいるが、これは成長物語でもある。

つまり。見方によって、誰もが、自分に関係あることとしてとらえることも可能。


リアリティーあふれる新生物のデザインは、スイス人漫画家フレデリック・ペータースが手がけた。

彼は、シャマラン監督の映画『OLD』の原作者でもある。

宮部みゆき『龍は眠る』の表紙みたいだ。
私の好きな小説の1つ。ビジュアル・イメージはたまたまだろうが、物語に共通する要素があるな。
『Sand Castle』(原作)と『OLD』(映画)
『Sand Castle』の1シーン

キャラクターをデザインするにあたり、ヒエロニムス・ボスや(日本人だと)大友克洋や宮﨑駿を参考にしたと、本人が明かしている。

『動物界』のメイキング映像。実写とデジタルが見事に調和している。どちらか一方だけでこのクオリティーを得ることは、不可能だったろう。


動物界/Animal Kingdom の「界」について。

界(Kingdom):生物学におけるドメインに次ぐ分類階級。門というより小さなグループにわけられる。

ヒトはこのように分類される。

ドメイン:真核生物
界:動物界
門:脊索動物門(脊椎動物亜門)
綱:哺乳綱
目:サル目
科:ヒト科
属:ヒト属
種:H. sapiens

5界説(動物界・植物界・菌界・原生生物界・モネラ界)に、クロミスタ界を足したものが6界説だ。8界説も唱えれている。日本の学校教育は5界説を採用していると思う。

私は、クロミスタとは何ぞやという話はしない。

こんなことがハッキリと決まっていない系のことでいいの?という疑問がわいた人も。以下を読めば納得がいくと思う。

かつて、界は最上位の階級で。動物界と植物界の2つのみが認められていた。(まぁ、この考えは、今でも一般社会では広く通用しているのだが)

19世紀末から、さまざまな界が新設され。20世紀末以降、界分類の再編が日常的に唱えられ。現在も諸説ありの状態。

見解の一致にはいたっていない。


このことに関して、私の個人的な感想を述べると。

それぞれにもっともらしい点があり、主要な説に大きな違和感はない。

ただ、あるグループは形態上の類似性から・別のグループは発生過程の類似性から……と、モノサシが共通的かつ定量的なものでないということは、さけなければならないと思う。

今のところ、遺伝子の解析が最も妥当な手段だとは思う。

はかり自体が定まっていなければ、はかるも何もないという意味。はかるのは、たとえば、我々と我々以外がどれだけ近いのか/遠いのかだ。

人間は生物学的に動物だ。私たちの中には、神の創造物から自分たちだけを切り離し、劣った生き物の上に君臨したがる者もいるが。結局のところ、我々と馬や犬や昆虫の間には、そういった人たちが想像するほどの違い・そうであってほしいと願うほどの差はない。

私たちこそ、「理性の呪い」にしばられてしまった、クラス(動物界)の劣等生なのかもしれない。という考え方もできるわけで。


関連過去回をいくつか貼っていく。


前提知識を確認したため、これで全員、ここから先の話がわかるはずだ。

動物界のメンバーは信じられないほど多様であるが。そのほとんどが、他の「界」の生物と区別される特定の特徴を共有している。


動物界と植物界の全メンバーは、真核生物で多細胞生物である。

真核生物:細胞の中に核膜に包まれた核をもつ生物。= 真核生物は真核細胞をもつ。

原核生物:核や膜をもたない生物。= 原核生物は原核細胞をもつ。代表例は細菌。具体例は大腸菌や乳酸菌。

単細胞生物は原核生物と原生生物に多く、菌類の一部にもいる。

原生生物:真核生物の内、動物界にも植物界にも菌界にも属さない生物の総称。いわゆる微生物。粘菌類やゾウリムシなど。

原生生物は、主に、水中や水を多く含む土壌中に生息している。乾燥している時は休眠して、水がある時だけ活動したり。他の生物に寄生して生活したりするものもいる。

こんがらがってきた人がいても、気にしないで。呼び名は1文字違いでも原核生物と原生生物は違うんだ、ということがわかればいい。


この過去回を使いながら、続きを書いていく。

今回の話にマッチするお写真あざす!笑

2界説時代。菌類は当然、植物と考えられていたわけだが。

アントニ・レーウェンフックが歴史上はじめて顕微鏡で微生物を観察したことから、大きく変わった。

その後。ミドリムシのように、光合成能力がありながらも鞭毛で運動をする、動物とも植物ともつかないもの。変形菌のように、胞子をつくる菌類のようでありながら、栄養体はアメーバ運動をしてエサを食べる動物のようなもの。……と。

それまでの枠組みにはおさまらない生物が、多数発見されていった。


上に貼った過去回で、パスツールの話をした。

パスツールの発言。

彼と同時代に生きたヘッケルが、これらの動物とも植物ともとれる生物を、3番目の生物界 = 原生生物界として分離し。動物界・植物界・原生生物界の3界説が生まれた。

ヘッケルの発言も見てみよう。

「聾者・唖者・知恵遅れ・不治の遺伝病者などの障害者たちを成人になるまで生かしておいても、そこから人類はいかなる恩恵を得ると言うのか。モルヒネの投与により不治の病人たちを苦しみから解放するとしたら、どれほどの損失を避けることができるだろう」🥲

彼のこのような主張は、後に、優生学として継承され。さらに、優生学的な考えは、ナチスにホロコーストを支える根拠としてあつかわれたりしてしまった。

だが。「エコロジー」の潮流をたどると、そこにもヘッケルが登場することも、また事実である。

ヘッケルは絵が上手だった。

生物の進化に関する一般的なモデルは、最初の生物は原始細胞から進化した何らかの原核生物で、真核生物は生命の歴史の後半に進化したというものである。

しかし。現在の原核生物種は、より複雑な真核生物の祖先から「単純化の過程を経て進化した」という説もある。

真逆の仮説が存在するということだ。

後者もかなりアリだと思う。進化は進歩とは限らないとはじめに言ったのは、ダーウィンだ。彼は最高だ。

これ最高なんだよね。いや、本当にこうだったから。

この論争は、2005年に次のように要約された。「細胞進化の全体像における真核生物の位置づけについて、生物学者の間で一致を得ていない」

知られている最古の原核生物の化石は、約35億年前のもの。最古の真核生物の化石は約17億年前のもの。だが、真核生物が約30億年前に出現したという遺伝学的な証拠もあるのだ。

いつ何時、新しいことがわかり。それまで考えられていたことがくつがえるかわからない。重要なのは、尽きない好奇心であり、探求を愛していることだ。

私たちの歩いている道は私たちからはじまった道ではない。1人で歩いている人など誰もいない。


これは先に貼ったパスツールの過去回から。

最近、また新たな発見があったようだよ。


ほぼ全ての動物は、分化して特殊化した組織をもつ複雑な組織構造を有している。

ほとんどの動物は、少なくとも特定のライフ・ステージでは、運動する。

全ての動物は食物源を必要とするため、従属栄養性であり、他の生きている生物/死んだ生物を摂取する。この特徴は、(光合成によって独自の栄養素を合成する)ほとんどの植物などの独立栄養生物と、動物を区別する。

従属栄養生物である動物は、肉食動物・草食動物・雑食動物・寄生動物である可能性がある。

クロクマは雑食で植物と動物の両方を食べる。
フィラリアは宿主からエネルギーを得る寄生虫。

ほとんどの動物は有性生殖を行い、子孫は一連の発達段階を経て、決定された固定した体型を形成する。(体型:発達のきっかけによって決定される動物の形態)

多細胞生物である動物は、細胞間のコミュニケーションのための独自の構造をそなえている点で、植物や菌類とは異なる。

動物は、運動(筋組織に関わる)の調整(神経組織に関わる)を可能にする、菌類や植物にはない独自の組織ももっている。

動物には、細胞や臓器に構造的なサポートを提供する特殊な結合組織(有機物と無機物で構成されている)がある。

脊椎動物では。骨組織が、体全体の構造をサポートする結合組織の一種である。このようなサポート組織があるため、脊椎動物は複雑な活動ができる。


このように。さまざまなタイプの組織が、生物の特定の機能を果たす役割を担っているわけだが。この組織の分化と特殊化が、動物の驚くべき多様性を可能にする要素の1つなのである。

前述したように。筋肉組織と神経組織の進化により、動物は、環境の変化を素早く感知して反応する独自の能力を獲得した。→ 栄養の需要を満たすために他の種と競争しなければならない環境でも、生き残ることができる。


ほとんどの動物は二倍体生物(diploid)である。つまり、体細胞は二倍体で、生殖細胞は減数分裂によって一倍体(haploid)になる。

(後で詳しく書くが。例外もある。ハチやアリの場合、オスは未受精卵から発生する)

ほとんどの動物は有性生殖を行う。この事実は、無性生殖が一般的または排他的な真菌・原生生物・細菌と、動物を区別する。

刺胞動物・扁形動物・回虫などの少数のグループは無性生殖を行うが。ライフ・サイクルに有性期があったりする。


一部の動物種は無性生殖が可能。

静止した水生動物の無性生殖の最も一般的な形態は、出芽と断片化である。親個体の一部が分離して、新しい個体に成長することができる。

特定の昆虫と脊椎動物に見られる無性生殖の形態は、と言うと。単為生殖や半二倍体と呼ばれるもので、未受精卵が新しいオスの子孫に成長することができる。

これらのタイプの無性生殖は、遺伝的に同一の子孫を生み出すが。有害な突然変異が蓄積する可能性があるため、進化の適応性の観点からは不利だ。だが。配偶者をひきつける能力が限られている動物の場合、無性生殖は遺伝子の伝播を確実にすることができる。


哺乳類のこれ系の話は過去回でガッツリ書いたため、今回は書かない。


受精後、一連の発達段階が起こる。

一次胚葉が形成され、再編成されて胚を形成する。この過程で動物の組織は特殊化し、器官や器官系に組織化される。つまり、将来の形態と生理学が決まる。

バッタなどの一部の動物は不完全変態を起こす。その幼体は成体に似ている。

完全変態を起こす動物には1つ以上の幼虫期がある。成体とは構造と機能が異なる可能性。

バッタは不完全変態。 チョウは完全変態。

後者の場合、幼体と成体では食生活が異なり、両者の間での食物の競争が制限されやすい。


19世紀初頭以来。科学者たちは、非常に単純なものから複雑なものまで、多くの動物が類似した胚の形態と発達を共有していることを観察してきた。

たとえば。胚発達の特定の段階にあるヒトの胚とカエルの胚は、驚くほどよく似ている。

なぜ、これほど多くの動物種が胚発達中には似ているのに、成体になると非常に異なっているのか。長い間、科学者たちは理解できなかった。ハエ・マウス・カエル・ヒト……の胚がたどる発達の方向を決定するものは何なのか、と疑問に思ってきた。


20世紀の終わり近く。この役割を果たす特定のクラスの遺伝子が発見された。

動物(植物と菌類も)の構造を決定する・発生の調節に関連する相同性が高い、これらのDNA塩基配列は、ホメオボックスと呼ばれている。

相同性:ある形態や遺伝子が共通の祖先に由来すること。(外見や機能は似ているが共通の祖先に由来しないことは、相似と言う)


ホメオボックス配列を含む動物遺伝子は、Hox遺伝子と呼ばれる。脊椎動物では、遺伝子は4つのクラスターに複製される。Hox-A Hox-B Hox-C Hox-D だ。

クラスター内の遺伝子は、特定の発生段階で特定の体節で発現する。

マウスとヒトのHox遺伝子の相同性。
マウスとヒトの両方で同じ体節で発生している。

要するに。Hox遺伝子の遺伝子配列と染色体上の位置は、ミミズやハエやマウスやヒトで共通の祖先に存在していたため、ほとんどの動物で非常に類似していると。


この遺伝子ファミリーは、動物の体節の数・付属肢の数と配置・動物の頭尾の方向性など、一般的な体の配置を決定する役割を担っている。

たとえば。ショウジョウバエのHox遺伝子が1つ変異すると、余分な羽根が1組できたり・付属肢が通常と異なる体の部分から生えてきたりする。

動物の形態発達に関与する遺伝子は数多くあるが。Hox遺伝子が強力なのは、多数の他の遺伝子を ON/OFF できるマスター制御遺伝子として機能している、という点だ。

ちなみに。多数の他遺伝子の発現を制御する転写因子をコード化することで、これを実現している。

なんて言うか、もう、うちらってすごくね。


科学者らが、遺伝子の変化と動物の多様性の関係について、(全ての大きな動物群のゲノム・データにもとづき)初の分析を行った時。

遺伝子自体の有無に加え、ゲノム進化のダイナミクスが動物界の多様性を決定することを確認した。

この研究の斬新さは、それまで行われていた各種の遺伝子の比較ではなく、各遺伝子の系統学または系譜を再構築した点にあった。研究者らは、どの遺伝子が・いつ獲得され・いつ喪失され・どう複製されたかを予測したということ。

この研究で導き出された主な結論は、こうだ。

動物界における多様性は、特定の遺伝子の有無だけに起因するものではなく、遺伝情報の獲得または喪失がどのように生じたか・進化のどの時点で生じたかによっても左右される。

言い方を変えてみよう。

ビスケットやケーキの材料は同じ。小麦粉・バター・牛乳・卵・砂糖。各レシピで、それらを加える手順や量が異なる。以前の動物の多様性に関する分子研究では、材料について集中的に調べていた。

かわいすぎる。

努力には意味がある。「がんばっても無駄」は全く真実ではない。よほど真実に近いのは「あきらめても無駄」だ。

ずとまよさんはわかっている。「逃げてもヒマだし 戦いましょう」と歌っている。

よさげな話に無理やりつなげないでよ?無理やりつなげているなんてことは全くない。これはそういうことだ。私の好きな映画『GATTACA』の内容は真実だということだ。

念じたら羽が生えてくるんかいw?いや、だから、生えてくるかもしれないって話だろうが。それは明日ではないというだけで。


最も注目すべき結果として。遺伝子ファミリーの重複に関連する遺伝子獲得の2つの大きな波を発見。

最初の遺伝子の大きな増加は古く、動物の出現前に発生した。2番目の遺伝子の増加は最近で、各主要動物グループで同時に発生した。また、最近の特定の変化の波が、各グループの特定の形態学的と生理学的革新に相関していた。

特に脊椎動物では、ニューロン機能に関連する遺伝子の重複が多く。これは、神経系の複雑さに起因すると考えられる。

動物界に膨大な多様性を生み出し、それがどのように進化してきたかという分子基盤に関する知識は、複雑な形質の起源と発達をより理解するカギとなるだろう。


映画『動物界』の話に戻ろう。

人々は無秩序な現実に対し、賛成または反対の立場をとる。彼ら彼女らの権利を主張する者。彼ら彼女らを「生き物」と呼ぶ者。変化する人々。必死に正常な……いや、既存の状態に戻ろうとする人々。

後者は、秩序をとり戻そうとする過程で、「また別の怪物」に変貌するかもしれない。

80年代後半から90年代前半にかけて、一部の国は、HIV/AIDS患者の第一波を隔離した。

他の種と一緒に暮らすことには喜びがあるが、危険もある。それが動物でも植物でもAIでも、恐怖や嫌悪・哀愁や憧れがある。道中には、謎いがある。

多くの点で、私たちの世界と似ているように見えるが。自然を支配することが、必ずしも物語の終わりではないことが示唆されている。

『動物界』の登場人物たちは、人型の動物たちととなりあって暮らすことに適応している他の国について、語りあう。


ゲノムを調べてわかったことが、こんなのうちらの日常の何気ない話じゃん😂みたいなことである時。私はとても楽しくなる。

もちろん、スケールのでっかい話も楽しい。

この映画に登場するハイブリッドらは、みんな唯一無二の特徴をもっているため、おもしろい。

作品内で、彼ら彼女らは bestioles と呼ばれているようだ。残念ながら、さげすむ意味あいを含めて。


この物語は、いくつかのアンデッドもののように、世界規模で語られることもできたはずだが。特定の地域と特定の家族に、ピンポイントなドラマに、焦点があてられている。

終末的な叙事詩ではなく、普遍的なもの。たとえば親子関係。少年の突然変異も、思春期のおとずれの比喩かもしれない。

子どもが、本人のなりたい自分へと成長していく時。親は意を決して、子どもを自由に飛び立たせてあげねばならないのだろう。

やはり、成長物語だ。


新しい生き物になっていく息子の名前は、エミールだ。ルソーの『エミール、あるいは教育について』からかもしれないな。

ルソー「万物をつくる者の手を離れる時、全てはよいものであるが、人間の手に移ると全てが悪くなる」「自然は私を幸せにし、善良にしてくれた。もし私がそうでないなら、それは社会のせいだ」

言いたいことはわかるが、ネガ寄りだな。あきらめても無駄なため、この名曲で〆よう。

過去回を多用して書いていった。読みづらくなっていたら申し訳ない。

お疲れ様!