対馬からフェリーで釜山へ!渡来人の究極のイヤリングに度肝を抜かれる
対馬からフェリーで釜山へ!初の海路での入国
対馬での日程を終えた私は6月11日15時50分の釜山行きのフェリーに乗るべく対馬北部の比田勝港国際ターミナルへとやって来ました。

そしていよいよ韓国へ出発ですが驚きました。

周りは韓国人で大混雑。日本人は私しかいないのではないかと思ってしまうほどです。ここはもうほとんど韓国と言ってもよいかもしれません。
たしかに前々回の記事「対馬から韓国釜山が見える!?いざ現地で確かめてみた~渡来人や仏教伝来前史の国際交流に思う」でも少しお話ししましたが、対馬は韓国人に人気の観光地なのだそう。レンタカー屋さんでもその利用者の9割が韓国人観光客だといいます。


釜山が見える韓国展望所や美しい浜が広がる三宇田浜海水浴場でも韓国の団体客がたくさん来ていました。
釜山周辺の韓国南部の韓国人にとって対馬は一番身近な外国旅行先なのかもしれません。対馬には韓国語の表記や看板もたくさんあり、その雰囲気は確かに感じられました。

さあいよいよ出航です。
出国検査もかなりあっさり通過。やはり飛行機とは雰囲気が違います。

ほぼ満席です。そしてほぼ韓国人です。航行中も韓国のテレビ番組が流れていて、ここはもう韓国なんだと感じました。日本人でいうならば海外旅行の帰国便で日系の飛行機に乗った時の感覚です笑

出航です。
釜山までは1時間40分で到着とのこと。やはり近いですね。

出航して間もなく、昨日見た韓国展望所沖の航空自衛隊駐屯地が見えました。

まさにこれから韓国へ行くのだということを実感します。

40分ほど経ちグーグルのGPS機能で自分の位置を見てみると、ちょうど対馬と韓国の間くらいです。この日も靄がかかっていましたのでまだ韓国は見えませんでした。

画像が見にくくて申し訳ないのですが、外は雨です。そして波もありました。荒波というほどではないのですがそこそこ揺れます。対馬釜山便は揺れることが多いと聞いていたのですがまさにその通り。乗り物酔いしやすい人はあらかじめ酔い止め薬を飲んでおくことをおすすめします。私もぎりぎりでした。

出航しておよそ1時間。いよいよ近づいてきました。

見えました!ついに韓国が見てきました!
ここでようやく見えたということは対馬から見るのはそれは無理というものです。この時期はなかなか難しいというのがよくわかりました。もし互いの景色を見たい方は冬がおすすめです。

さあ、間もなく釜山港へと近づいていきます。

やはり釜山は大都会。船からの景色を楽しめました。
釜山上陸。港から繁華街西面へ


予定時刻より20分ほど遅れて到着。現在18時前です。まだまだ明るく、歩くのにも不便はありません。

入国エリアまで少し歩きます。
私はこれまで30か国ほど旅してきましたが、海路での入国は初めてです。少し緊張しましたが、出国と同じくこちらも驚くほどあっさり終了。やや拍子抜けしましたが、手続きは楽な方がこちらも助かります。

入国審査を抜けると釜山港のターミナルです。
そしてぱっと目に入って来たものに驚きました。

セブンイレブンです。
中に入ってもしっかりセブンイレブンでした。
これから先釜山市内でも驚くほどセブンがたくさんありました。日本のコンビニ文化はお隣韓国でも健在なようです。

4番ゲートから外に出ます。

ゲートから出てすぐ目の前にタクシー乗り場があります。当初はタクシーでそのままホテルに向かおうかと思っていたのですが天気もよく歩きたい気分。私は少し歩いて釜山駅から地下鉄で釜山中心部へ向かうことにしました。
ちなみに事前にネットで調べていた時、この釜山港ではほとんどタクシーもいないとの話だったのですが、私が見たところ問題なくタクシーは待機していました。タクシー料金も日本と比べるとかなり安いのでタクシーを使うのも大いにありだと私は思います。

釜山駅まで歩きます。

動く歩道があるので移動にはそこまで苦労しないかと思います。大きなキャリーケースなどがある人は無理せずタクシーに乗ってもよいかもしれません。

10分もかからず釜山駅に到着です。

駅構内はかなり広く、目的の地下鉄まではわかりにくく少し迷いました。事前に地図などを頭に入れておいた方がよかったなと反省です。

看板の案内に沿って進むと駅構内を突き抜けて外に出ました。

ようやく地下鉄駅を発見です。

切符は自動券売機で買えます。日本語対応もされていますので簡単です。

釜山駅(113番)から宿のあるポムネゴル駅(118番)に向かいます。ちなみに119番の西面駅付近が釜山で最も賑わう繁華街になります。その様子も後ほどご紹介します。

地下鉄のプラットフォーム。日本そっくりです。
そしてポムネゴル駅に到着し地上に出て驚きました。

日本と全く変わらない!!
たしかに文字はハングル語ですが、街の風景も人の雰囲気も日本とほぼ同じです!これには衝撃を受けました。

釜山港から駅に向かって歩いている時から薄々感じていたのですが、ここまで異国を感じない外国は初めてです。やはり韓国と日本は文化的にも近いのだと思わずにはいられません。

路地の雰囲気もまさに日本。あまりに異国を感じさせないこの釜山に私は衝撃を受けずにはいられませんでした。何度も言いますが、こんな体験は初めてです。これまで色んな国に行ってきたからこそ特にそのことを感じます。

そして治安面においても日本とあまり違いを感じませんでした。もちろん、外国は外国ですので注意は必要ですのでそこはしっかり用心しましょう。

ポムネゴル駅から10分弱で本日のお宿に到着しました。
ソラリア西鉄ホテル釜山です。(公式ホームページはこちら)
皆さんお気づきの通りゴリゴリの日系ホテルです。釜山にいながら日本と同じようなサービスを受けられるのがこのホテルの一番の売りです。しかも大浴場とサウナ付きというのもありがたい!
実際、このホテルにして大正解でした。海外で全くストレスなくホテル滞在できるのはそれだけでも貴重です。やはり宿は大切です。立地も抜群に良いので釜山滞在にはぜひこのホテルをおすすめします。
繁華街西面で晩御飯を調達
韓国といえばグルメやショッピングということで、これから私も繁華街西面を散策し夕食を取ろうと思います。

ソラリア西鉄釜山ホテルはすでに西面エリア。近くの道をぶらぶらしてみることにします。

雰囲気は新宿西口に近い気がします。

屋台が出てきました。韓国らしさを感じます。

ローカルな飲食店が立ち並びます。グルメ好きの方にはたまらないのではないでしょうか。

西面中心部です。秋葉原のビル群を連想してしまいました。やはりどこに行っても日本と似ていることを感じてしまいます。

ハングル語ではありますが、やはりぱっと見ではここが韓国には見えないのではないでしょうか。
歩いていても空気と言いますか、人間が醸し出す雰囲気も違いが感じられません。私はこの共通点にただただ衝撃を受け続けていました。逆カルチャーショックです。これは面白い体験でした。
そして同時になぜ日本人に韓国旅行がこんなに人気なのかもわかったような気がしました。これだけ日本と似ていると滞在していもストレスを感じません。治安も悪くないです。そこに魅力的なグルメやコスメとなれば、気軽に行ける海外旅行先として非常にありがたい国だと思います。
そして何より近い!東京や大阪からほんの数時間で来れてしまいます。北海道から九州に行くより簡単に行けてしまうのですからそれは身近に感じられるのも当然です。やはり行ってみて改めて感じることもありますね。初韓国は逆カルチャーショックを関した実に興味深い体験となりました。
そして気になる私の夕食ですが、これです。

屋台はお腹が不安だし、一人でお店に入る気にもならず、結局テイクアウトのハンバーガーをホテルの部屋で食べていました。でも、これがうまいんですよね。私の旅はいつもこんな感じです。おいしい韓国料理を期待していた皆さん、申し訳ございません笑
5世紀の渡来人の究極のイヤリングを求めて福泉洞古墳博物館へ

翌朝、私は車をチャーターし、釜山北部の福泉洞古墳を目指しました。
福泉洞古墳という名を知っている日本人はおそらくほとんどいないと思います。ですがこここそ、渡来人と日本の国際交流を考える上で非常に重要な出土品が発見された場所になります。
その代表がこの記事のタイトル画像にもあります5世紀のイヤリングです。

5世紀の朝鮮ではこれほど精巧なアクセサリーが作られていたのです。
私がこのイヤリングについて知ったのは高田貫太先生の『アクセサリーの考古学』という本がきっかけです。こうした超高度な技術を持っていたのが当時の朝鮮であり、そこから渡って来た渡来人が日本に様々な技術を伝えたのでありました。もちろん、仏教もそのひとつです。
そしてこのイヤリングの実物を見るために私は福泉洞古墳を目指したのでした。

ただ、時間の関係で私は先に福泉洞古墳のすぐそばにある東莱邑城跡からスタートしました。

この東莱邑城は古代より存在し高麗時代の末期ごろに大きく修築された城になります。豊臣秀吉による朝鮮出兵時にはこの地で大きな戦闘があったそうです。
私がなぜここに来たのかと言いますとこの城跡のある山を登ると福泉洞古墳と釜山の街並みを一望できると高田貫太先生が『アクセサリーの考古学』でおすすめしていたからです。

朝一番で元気だったからよかったものの、階段がずっと続きます。

写真では伝わりにくいですが、かなり向こうまでずっと階段です。さすがに足にきます。

ようやく終わりが見えてきました。

階段を登りきるとそこは展望台。ここから古墳と釜山の街並みを楽しめるようです。

こちらが展望台。

これが高田貫太先生もおすすめしていた眺めです。手前の黄緑色のこんもりした山状のものが福泉洞古墳です。そしてこの写真の真っすぐ正面、海の向こう側が日本になります。もしかすると、日本から渡って来た古代日本人もこの山から日本を眺めていたかもしれません。


古墳を上からアップで撮ってみるとこうなります。
この古墳から4世紀から6世紀頃の大量の埋葬品が出ています。
さらに高田貫太先生の『海の向こう側から見た日本』によれば、この近辺では紀元前2世紀頃の弥生土器も出ているそうです。つまり、紀元前2世紀の段階で日本人と朝鮮人が交流があったということになります。紀元前2世紀といえば、邪馬台国の卑弥呼が出てくる400年も前です。その時点ですでに朝鮮、対馬、北九州で緊密な交流があったというのはやはり驚きです。

山を下って福泉博物館にやって来ました。ここに例のイヤリングなど貴重な出土品が展示されています。

来てみて驚いたのですが、なんとこの博物館、無料でした。この後展示品の充実ぶりに私も驚くことになるのですが、このクオリティで無料というのは正直びっくりです。

博物館はフラッシュなしであれば撮影OKとのこと。これは助かりました。

順路に沿って古代から時代順に出土品が展示されています。

ありましたありました!
古代朝鮮の信じられないほどの技術力が一発でわかりますよね。

どうでしょう!これが5世紀に作られているのです!信じられないですよね!

そして何と言ってもこちらです!

やっと本物に会えました!




これはもう別格です・・・!私はすっかりこのイヤリングに魅了されてしまいました。

正直、私は普段からアクセサリーをつけるタイプではないので、こうした装飾品にはこれまでほとんど関心がありませんでした。
ですが上でお話ししたように、渡来人との関係を探る中でこのイヤリングの存在を知ったわけです。
そしていざ実物を目にした瞬間私はすっかり撃ち抜かれてしまいました。
これはサンピエトロ大聖堂の『ピエタ』やルーブルの『サモトラケのニケ』、ウフィツィ美術館の『マリア』に匹敵する衝撃です。



まさかイヤリングでこれほど魅了されるとは思ってもいませんでした。自分でも信じられなかったのですが、このイヤリングの前から離れられなかったのです。

よし、これで最後にしようと次の展示に行こうとするのですが結局「あとちょっとだけ!」とまた戻ってしまう。これを何度も繰り返してようやくこの場を離れたのですが、全ての展示を見終わった後どうしてもこのイヤリングを見たくなりまたへばりついていたのでした。
自分でも本当に不思議です。聖母マリアや究極の彫刻を見るならまだしも、人体ではない耳飾りにここまで惹きつけられるなんて!
それほどまでにこのイヤリングは素晴らしかった!
皆さんはどう思いますか?現代の基準から考えてもものすごく洗練されたデザインに見えませんか?
それに、とてつもなく細かい金属加工がなされています。これを5世紀の段階で行っていたのが朝鮮なのです。この技術はおそらく国家機密レベルでしょう。これほどの金細工の技術があれば様々なものにも応用できます。これを渡来人が日本に伝えたというのは実はとてつもないことなのだと実感しました。
国家機密レベルの技術を他国に渡す。これは現代で言うならば半導体や軍事兵器の国家機密を他国に渡すようなものです。これは並大抵のことではありません。
実はここに私の「仏教と渡来人研究」の肝があります。
もう少し具体的に言いましょう。
こうした朝鮮の最先端技術や仏教が伝来したのは、その並々ならぬ状況があった故なのではないかということなのです。
歴史や仏教の教科書では単に「朝鮮から進んだ技術や仏教が伝来した」の一言で終わりですが、なぜこのタイミングで伝来したのかというのはあまり語られません。しかしここにこそ仏教伝来の鍵があります。
4世紀末から6世紀にかけて朝鮮半島は高句麗、百済、新羅、伽耶の大きく4つに分けられる勢力が割拠していました。

しかし5世紀末頃から高句麗の勢力が一気に増し、その他3国を圧迫します。そこで倭との交流を図ることで高句麗をけん制するという流れがあったのです。倭はその提携の見返りとして朝鮮の優れた技術を3国から導入することができたのでした。
つまり、渡来人による技術の伝授は自然発生的なものではなく、戦乱の朝鮮半島の複雑な国際的駆け引きの産物だったということになります。
そして538年、あるいは552年に百済から仏教が伝来しましたが、まさにこの時期百済は滅亡の危機にありました。その危機において日本の軍勢派遣と引き換えに百済は仏教や高度な技術を伝えた可能性があるのです。
それにそもそもですが、仏教はまさに先進技術の塊です。皆さんも法隆寺を想像してみてください。


法隆寺は仏教伝来から100年以上経った後に建立されたお寺ですが、そもそもお寺という巨大建築を建てる技術は渡来人からもたらされたものです。瓦もそうです。屋根の上に土を焼いた重たい瓦を置くという発想は日本にはありませんでした。
また、釈迦三尊像などの高度な彫刻技術もそうです。
さらに「もの」だけでなく、洗練された儀式作法や思想、哲学など形のない先進文化もついてきます。朝鮮に仏教が伝来したのは380年代頃とされています。そこから日本に伝来するまでさらに150年以上の月日が経っています。これは朝鮮内で仏教が定着するまでの時間もありますが、国家機密としてそう簡単に他国にその全てを与えられるようなものではなかったことを示しているのではないでしょうか。仏教はそういうものとして日本に伝来し、そこから日本に定着していくことになります。そもそも仏教発祥のインドの状況とは全く異なる社会事情の下伝わって来たのです。これは非常に重要なポイントです。
これ以上はややこしくなってしまうのでお話しできませんが、興味のある方はぜひ高田貫太先生の『海の向こうから見た倭国』を読まれることをおすすめします。仏教についてはこの本では語られませんが、日本と朝鮮との複雑な関係をわかりやすく学べるスーパー名著です。この時代こんなことになっていたのかと度肝を抜かれること間違いなしです。ぜひおすすめしたい名著です。

そしてもうひとつこの博物館で印象に残った展示があります。それがこちら。

5世紀頃の馬具の展示です。
日本在来馬や古代の馬については前回の記事「対州馬に会いに対馬目保呂ダム馬事公園へ!日本在来馬のすごさをぜひお伝えしたい!」でもお話ししましたが、対馬での体験がまさにここで繋がりました。
先程のイヤリングや仏教と同じように馬も国力を決定づける国家機密レベルの存在です。その馬が日本には4世紀末頃に伝来したと言われています。それまで日本には馬はいませんでした。
この博物館ではそんな国家機密レベルの技術の粋を集めた馬具が展示されています。これは面白いに違いありません!



特に印象に残っているのが下の轡と鞍橋(と言われるパーツです。


特に鞍橋は信じられないくらい細かく作られています。やはり馬は単に馬単体であるのではなく人間の技術の塊なのだということを強く実感しました。
前回の記事でもお話ししましたが、やはり「人」なのです。
馬がいればよいという問題ではないのです。そこに人間の知恵と工夫、技術がなければ意味をなさないのです。馬の伝来もまさに想像を絶するほど高度な技術がもたらされたと考えるのが自然ではないでしょうか。
対馬で古くから生きてきた日本在来馬に乗った翌日にこうした貴重な馬具を見ることができたのは実に嬉しい体験となりました。

それにしても美しい・・・。
馬具の精巧さに驚いた私でしたが、結局ここに戻り20分ほどぼーっと見続けていたのでありました。もう時間切れです。泣く泣く私はこの博物館を去ったのでした。
韓国禅宗の名刹梵魚寺を訪ねて
究極のイヤリングに見惚れた結果時間ぎりぎりとなってしまいました。
私が次に向かうのは韓国仏教の最大宗派曹渓宗の名刹梵魚寺というお寺です。ここが私の旅最後の目的地となります。

福泉洞古墳からは車で30分ほど。市内を抜けて山道を登った先に梵魚寺の境内があります。

この門の内側には4体の仏像がいるのですがこれが実に興味深い。


左右に2体ずつ巨大な仏像が安置されています。これらは四天王だそう。
日本人の感覚では、門といえば金剛力士像をイメージしてしまいますが、こちら韓国では四天王像なようです。ふむふむ、こういうところでも違いが見えて面白いです。

境内中心部にやってきました。正面が本堂の大雄殿になります。

梵魚寺は創建678年とされていて、当時の伽藍は火事で焼失しまっていますが現代においても多くの韓国仏教徒がお参りする重要な寺院です。


そしてこのお寺の興味深い点は右から弥勒殿、毘盧殿、観音殿、大雄殿、地蔵殿とそれぞれの仏様の名を関したお堂が建てられている点です。(順に弥勒仏、毘盧遮那仏、観音菩薩、釈迦牟尼仏、地蔵菩薩)
実はこれこそ韓国仏教の大きな特徴の一つになります。
鎌田茂雄著『朝鮮仏教史』によると韓国仏教は総合仏教であると解説されています。つまり、日本では各宗派の教えが別個にあってそれぞれが自分の信じる道を行くのに対し、韓国ではそれら個別の教えを一つの宗派に集約して融合させるという特徴があるのだそうです。だからこそ同じ境内にこれほど多様な仏殿が並び立っているのだそう。
さらに言うならば日本では八宗兼学といって、僧侶が互いの宗派の教えを学び合うという伝統があるのですが、韓国においてはそれがそもそも必要ないほど教義的に統一が図られているとのこと。詳しくは『朝鮮仏教史』にありますのでここではこれ以上はお話しできませんが、梵魚寺の構造はまさにこの総合仏教の特徴が見られると言えるのではないでしょうか。
またもう1点韓国仏教で興味深いのが仏教以外の土着の神様や道教の影響も大きいという点です。言うならば神仏習合が顕著に見られるということになります。
神仏習合というと、日本仏教のあり方としてよく言われることでありますが、これは何も日本だけの専売特許ではないということになります。これは中国仏教においてもそうですし、厳格なイメージのあるスリランカ仏教にも当てはまります。

(詳しくは「キャンディの仏歯寺でプージャを体験~スリランカの伝統的な仏教とは何なのかについて考えてみた」の記事参照)
やはりそれぞれの地に根付くうちに土着のあり方と混じっていくのが人間の営みとしてよく見られることなのだということを感じさせられます。
そして上の映像で聞こえてくるお経の声にもご注目頂きたいです。
女性の声が多いと思いませんか?
梵魚寺は熱心な仏教徒がお参りに来ることで有名なのですが、その大半が女性なのです。そして韓国では信徒側も大きな声を出してお経を唱えるようです。
そういえばインドの仏跡に行った時も韓国からの団体のほとんどが女性でした。
これはどういうことなのでしょう。男性はお参りしないのでしょうか。
私はドライバーさんにそのことを聞いてみたところ、「韓国では宗教は個人のものです。なので家族でも何を信じるかは自由です。女性は家庭のことなどで悩みが多いです。なのでお寺に行く人が多いです。」とのことでした。
なるほど。日本の仏教は家の宗教という側面が強いですが韓国の宗教はそうではないということなのですね。では韓国において儒教はどうなのでしょう。男性は何を信仰しているのでしょう。もしかして何も信仰していない?
これらについて考えていくとそれこそキリがなくなってしまうので今回の記事ではこの話題はここまでにさせて頂きますが、短い時間でしたが韓国を代表する仏教寺院を訪れることができて非常に刺激的な時間でした。
旅を終えて
13時50分発の新千歳空港行きの飛行機の乗るため、12時前には釜山空港に着きました。よくよく考えると、韓国には24時間も滞在していません。私の時間の都合上、どうしてもここで帰らねばならなかったのです。
ですが全く後悔はありません。釜山ではとても濃い時間を過ごすことができました。

それにしても、あのイヤリング・・・
あれは一生忘れられないと思います。アクセサリーに全く興味のない私があそこまで魅了されるなど想像すらしていませんでした。
そして対馬を経ての韓国というのも大きな意味があったと思います。韓国自体は日本からも多数飛行機が出ていて簡単に行くことができます。
しかし博多から対馬を経て韓国となると行程としてはなかなか珍しいものになるのではないでしょうか。
私としては渡来人と仏教伝来以前の国際交流という大きなテーマの下今回の旅を計画しました。北海道民たる私にとって九州や韓国の地理的感覚というのはなかなか実感しにくいものがあります。そこで実際に現地に行ってみることでその地理勘を体感しようというのが今回の試みでした。そしてそれは私にとって大きな収穫となりました。
あのイヤリングはまさにその象徴と言えることでしょう。
これほどの技術を持った人々が古代朝鮮にはいた。そしてそうした先進的な人々と交流し続けてきた日本人がいた。その子孫が私達日本人であり、日本仏教なのだと。
日本仏教の歴史を考える上で渡来人や仏教伝来以前の歴史に目を向けることはなかなかないかもしれませんが、私としてはここにこそ実に興味深いものが山ほどあるということを確信した旅となりました。
これから私はメインブログにて日本仏教史の記事の執筆に取り掛かります。完成はまだ先のことになりそうですが、このnoteでは引き続き、これまでの旅の記録や本紹介を続けていきたいと考えています。
長い記事となってしまいましたが、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
完
対馬・釜山紀行記事はこちら
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