対馬から韓国釜山が見える!?いざ現地で確かめてみた~渡来人や仏教伝来前史の国際交流に思う
今回の旅のルートと目的
2025年6月8日から11日にかけて、私は博多を出発点とし、対馬、釜山を旅してきました。

その大まかな日程が、
8日夜 函館から羽田経由の飛行機で博多着。宿泊のみ。
9日朝 博多港から高速船ジェットフォイルで対馬へ。
9日午後 レンタカーで島内を縦断。金田城跡、韓国展望所などを目指す。
10日午前 対馬に今も残る貴重な日本在来馬、対州馬に会いに行く。
10日午後 対馬比田勝港から韓国釜山へフェリーで渡航。
11日午前 釜山市内の福泉洞古墳と梵魚寺を訪問し、午後の便で帰国。
という主に船を活用した行程となっています。お気づきの通り、かなりの弾丸日程です。
また普通韓国旅行といえばグルメや美容、ショッピングがメインとなるかと思いますが、私の目的は何と言っても渡来人研究。普通の観光とは異なる一風変わった旅と今回も相成りました。
とはいえ、渡来人研究のためになぜ対馬、釜山を船で巡らなければならないのか。いや、そもそもなぜ渡来人研究というマニアックなことをやっているのかときっと皆さんも不思議に思われたことでしょう。
ですが私にとってはこれぞまさに【仏教の歴史】を考える上で非常に重要な意味を持つものなのであります。
私達仏教業界では、仏教の伝来は538年、あるいは552年に朝鮮の百済という国から伝来したとされています。これは日本史の教科書にも出てきます。
そしてここから日本仏教の歴史の流れを教わっていくというのが私達僧侶のスタンダードなパターンなのでありますが、正直な所、こうした教育には【ある盲点】が存在すると私は考えています。
その盲点こそ、仏教が日本に伝わる前の国際情勢です。
「なぜ日本に仏教が伝わったのか」
【当時の東アジア情勢において仏教という存在は何を意味していたのか】
これがカギになります。
今現在当たり前のように仏教やお寺がある私達からすれば、仏教伝来という出来事もそこまで疑問に思わないかもしれませんが、実はここにこそ当時の国際情勢のダイナミズムが存在していたのです。
私は「宗教は宗教だけにあらず」という考え方を大切にしています。宗教は教義や儀礼、信仰だけで成立するのではなく政治経済、文化、歴史、国際情勢、地理気候、民族、あらゆるものが複雑に絡み合って生まれてきます。
ここでは長くなってしまいますのでこれ以上はお話しできませんが、私が今回の旅で対馬、釜山を巡ったのはまさにこの「仏教伝来以前の国際交流」に大きな関心があったからなのです。そしてその視点をくれたのが考古学者高田貫太先生の『海の向こうから見た倭国』という本でした。
この本を初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。
古代日本では朝鮮から様々な技術が伝わっていたことはよく知られていますが、5世紀が「技術革新の世紀」とまで呼ばれていたのには驚きました。
そして本書を読めばこうした朝鮮との交流が5世紀どころか弥生時代の後半頃から断続的に続いていたことも知ることになります。私も驚いたのですが3世紀にはすでにかなり緊密に海村同士の連携がとられていたようです。遣隋使が600年頃に行われ、その後遣唐使船が何度も難破している歴史を考えるとこれは意外でした。朝鮮、対馬、北部九州は私達が想像していたよりもはるかに国際的な存在だったのです。
だからこそ博多から対馬、釜山へと私は船で渡ろうと考えました。2000年近く前から活発だった国際交流の舞台。韓国と日本の玄関口対馬、博多の距離感をぜひ感じてみたい。そう思い私は旅を計画したのでありました。
そしてもうひとつぜひお伝えしたいのがこうした国際交流で日本に様々な技術をもたらした渡来人の驚くべき技術水準です。

これは釜山の福泉洞古墳から出土した5世紀頃のイヤリングですがどうでしょう!この洗練されたデザインに私は度肝を抜かれました。私がこうしたアクセサリーについて知ったのも高田貫太先生の『アクセサリーの考古学』という本がきっかけです。こうした超高度な技術を持っていたのが当時の朝鮮であり、そこから渡って来た渡来人が日本に様々な技術を伝えたのでありました。もちろん、仏教もそのひとつです。
さて、前置きが長くなってしまいましたがいよいよ旅の模様に入っていきたいと思います。今回の記事では対馬上陸と金田城遺跡、そして韓国釜山を望める韓国展望所をご紹介していきます。
高速船ジェットフォイルで博多から対馬へ

2025年6月9日、博多駅からバスで博多港へと向かいました。

九州はすでに梅雨入りということで天気はあいにくの雨でした。幸い風はほとんどなかったので船の揺れはおそらく心配しなくてもよさそうです。

こちらが高速船ジェットフォイル。
九州郵船が運営するこの船は博多港を10時30分に出向し、壱岐を経由して12時45分に対馬厳原港に到着します。

この地図を見ると九州から対馬がいかに近いかがよくわかりますよね。
そしてさらに大きな地図を見てみると、この対馬はまさに九州と韓国のちょうど真ん中にあることがわかります。ちなみに、対馬北西部から釜山まではおよそ50キロメートルほどで、天気の良い日にはお互いが見えるとのこと。そういう距離感の下、古代から交流が続けられていたのだそうです。そんな近い距離に異国があるというのは北海道函館出身の私にはなかなかわかりにくい感覚ですが、函館から見える対岸の青森県大間の感覚に近いのかもしれません。もちろん、青森は異国ではありませんが、もしあの対岸に見える陸地が異国だと思うとかなり怖いと言いますか、身構えてしまうというのが正直な気持ちであります。
何はともあれ、こうした距離感を現地で掴むことが今回の目的です。だからこそ私は飛行機ではなく船でこのルートを選んだのでありました。

さあ、出航です。
さすが高速船。かなりのスピードを感じます。時速70キロ以上の速度を出せるそうです。

玄界灘を抜けていきます。

30分もしない内に壱岐の島が見えてきました。やはり近い・・・!

11時30分頃。あっという間に壱岐に到着。高速船とはいえ1時間足らずで着いてしまうとは。

そして間もなく壱岐も出航です。ここからさらに1時間ほどで目的地の対馬厳原港に到着します。
さすがに出航後間もなくは対馬の島影は見えませんでしたが、30分ほどすると船の進行方向に島の姿がぼんやりと浮かび上がってきました。

天気の良い日であったならばもっと早く見えていたかもしれません。

いよいよ島に近づいてきました。間もなく到着です。
それにしても岸からすぐそこから山が始まり、見渡す限りどこを見ても山、山、山。これには驚きました。ですがそれもそのはず、対馬の土地のおよそ9割近くが山なのだそうです。これは上陸してからレンタカーで移動している最中も常に実感することになりました。

さあ、厳原港に到着です。

「日本遺産国境の島」という渋い看板が何とも味わい深いです。私はこの港のすぐ近くのレンタカー屋さんで車を借り、ここから車移動を開始しました。
レンタカー会社のスタッフさんによると、ここで車を借りる人のほぼ9割が韓国人だそうで、私のような日本人が来ることは滅多にないとのこと。そんなに韓国の人がここに来ているのかとこの時点では私も半信半疑でしたが、この後私はその言葉の意味をよくよく知ることとなったのでした。
7世紀に作られた防塁を見に金田城跡へ~日本が新羅に大敗した白村江の闘いの余波とは
私の対馬最初の目的地は島中央部に位置する金田城跡です。
厳原港から金田城跡登山口までは車でおよそ40分弱の距離です。

金田城登山口というくらいですから、金田城は山の中に作られたお城です。看板の解説を見てみましょう。

ここに書かれているように、この金田城は663年の白村江の戦いに敗戦した日本側がその後の新羅や唐の侵攻を恐れて作ったお城になります。

白村江の戦い自体は日本史の教科書で習いましたが、いよいよここでかつての記憶と現実の体験が繋がってきました。
そしてそもそもこの金田城跡になぜ私が興味を持ったのかといいますと、やはりここでも私が読んだある本にその理由があります。それが吉川真司著『飛鳥の都』という本でした。
この本によればこの白村江の戦いの後、唐や新羅が日本に攻めてくるという危機意識がかなり現実的なものとしてあったそうです。そして「このままの日本では国が滅びる」という危機感が中央集権化、つまり律令制の強化につながったというのは非常に興味深い流れでした。そしてそれと同時に護国仏教の流れもさらに加速していったというのも私達僧侶からすると実に興味深いポイントになります。
こういう側面から金田城の防塁跡というのは私にとってこの時代の日本の危機感、朝鮮との距離感を感じることができる実にありがたいスポットなのでありました。だからこそ私はここまではるばるやってきたのです。

登山道入り口に着くまでの道はまさに山の中。未舗装の道を抜けていきます。

さて、登山道の入り口に到着です。ここにも看板がありましたので見ていきましょう。


この看板によれば登山口から頂上までおよそ50分、石塁がある三ノ城戸まではおよそ30分ほどの距離だそう。

とりあえず私は目的地の石塁目指して歩き始めることにしました。

対馬はやはり南の島。梅雨入りしている影響もあると思いますが、かなり湿度を感じます。また、生えている植物もジャングル的。大小さまざまな虫も羽音を立てて飛んできます。正直、かなり不気味です。
そしてこの映像をぜひ見て頂きたいです。
道を歩いていると、何かカサカサカサカサ音がするのです。何か動物でも出て来たかと後ろを振り向いても何もいない。何だこの音は不気味に思いながらもしばらく歩き続けていたのですが正体がわかりました。

なんと、カニだったのです。

道の左手側は岩の崖だったのですがそれが湿っていて、そこにカニが住み着いているようなのです。この写真に写っているカニは小ぶりですが、もう少し大きなカニにもこの後何度も出くわしました。そして目にもまぶしい黄色やド派手な模様のカニもいて、ここが南国であることを感じさせられました。
それにしても、このカニがいるわいるわでそのカサカサ音に毎回ぞわっとさせられる始末・・・。これは厳しい。どうにも楽しい登山という空気にはなれなそうです。

そして目を反対側に向ければじめじめしたジャングル的な植物がうっそうと生い茂っていました。これはもう気軽な気持ちでは歩けません。怖いです。この山を甘く見ていました・・・。
私はこの対馬釜山旅のつい1週間前に比叡山登山をしています。その時の記録は「比叡山登山記(京都修学院~延暦寺)~親鸞聖人も歩いた雲母坂ルートを追体験!」の記事でお話ししていますが、比叡山の山登りは身の危険を感じることも少なく、とても楽しく歩き通すことができました。
たしかに比叡山の山道も険しい箇所があるのですが、この金田城の山と違って湿気も少なくジャングル的な雰囲気は全くありませんでした。どちらかというと乾いた岩山という雰囲気で、うっそうとした植物や虫などの脅威はほとんど感じられませんでした。
街暮らしになれた軟弱な私には湿り気のあるジャングルや虫の存在が何よりも恐ろしい・・・。この対馬の金田城登山は私の苦手とするTHE 湿り気、THE ジャングルです。これは厳しい・・・!私は早く終えるために急いで登ることにしました。

これも写真では明るいのですが、現地ではものすごく暗く感じました。

もう勘弁してください。怖いです。虫がぶんぶん私の周りを飛んできます。そしてこれがまたしつこい!ずっと追ってくるのです。もしかしたらリレー式で何匹も追って来たのかもしれませんが、もう泣きそうです。
それにしても、こうした南の島に戦時中日本軍は駐屯していたわけです。この金田城も軍の駐屯地として使われていた過去があります。東南アジア戦線や太平洋戦線で戦った兵士達はこれよりももっと過酷な環境で従軍していた・・・。私はそのことに戦慄せざるをえませんでした。

暗いジャングル道を抜け、間もなく明るい景色が見えてきました。海です。

対馬はこうした入り組んだ入江の美しさでも有名です。たしかにこういう入り江があるからこそ海村の拠点として格好の土地だったのでしょう。
さらに進むと石塁らしきものが目の前に現れました。


看板がありましたので、間違いありません。目的地に到着です。登山口から30分ほどでの到着でした。

看板の先に進むと、海に向かった急坂に石塁が築かれていたのがよくわかります。


この看板の解説にありますようにまさにこの石塁、建物跡は7世紀後半、つまり白村江の戦いの後に作られています。

山肌に沿って石塁が築かれています。

東南角石塁展望スポットなるものがあるようなのでそこに向かって進むことにします。
動画を見て頂ければわかりますように、ほとんど崖に沿って進んでいくのでスリリングです。

石塁はおよそ4メートルほどの高さで統一されていて、この部分が比較的よく当時の様子を残しているそうです。

対馬から韓国は肉眼でも見えるといいます。そんな国から大軍が押し寄せてくる、そんな恐るべき事態に備えてこの城は築かれました。白村江の戦いに日本の兵士が数多く派兵されたということからも、大部隊を船で朝鮮半島に送ることは当時から問題なく行われていたことを示しています。そしてそれは逆も然り。強力な新羅軍、唐軍が本気で攻めてくるならまずは韓国から最も近い対馬を狙うのは必定。そしてここが落ちれば九州への攻撃も容易です。まさにここは国防の最前線。その緊張感をこの石塁で私も感じることとなりました。
そして当時の天皇は天智天皇。あの大化の改新を行った中大兄皇子その人です。歴史の教科書で必ず目にするビッグネームとこの石塁が繋がっている。その歴史のロマンに興奮してしまいました。

さて、帰還です。崖に沿って下ってきたので帰りは汗だくです。
ここに来る前は金田城登山道の頂上まで行こうと考えていたのですが、ここでギブアップ。撤退です。
ここからさらに30分ほどで頂上には行けるとのことですが、頂上に行くにはまたあのジャングル道を歩かねばなりません。時間的にもタイムリミットが迫っていました。これはもう勇気ある撤退です。
それに、私はもうすっかり心が折れてしまっていました。
先程もお話ししましたように、このジャングル的な環境に私はすっかりやられてしまったのです。さらには行きの時は気づかなかったのですが、石塁付近の道にはスズメバチや巨大なアブのような虫がぶんぶん飛んでいたのです。
そういえば登山道入り口にはこんな看板がありました…

これか!本当にスズメバチがいた!
しかも私は今回この登山がここまで本格的な山だと思っていなかったので黒いウインドブレーカーに黒いズボンで来てしまっていたのです。
最悪です。こんな格好でスズメバチはうようよいる場所にいては命がいくつあっても足りません。
帰り道はほぼ駆け足で一気に下ってきました。カニのカサカサ音も相変わらず私をびくつかせます。
甘かった・・・!ここは気軽に来てよいところではなかった・・・!
とにかく早く脱出したいという一念で私は車へと帰ったのでありました。
異国の見える丘展望台へ
金田山城のジャングル的な山道にすっかりやられてしまった私でありましたが、気を取り直して次の目的地へと出発です。
私がこれから向かうのは対馬北西部の海岸に位置する「異国の見える丘展望台」です。
金田城跡からは車で1時間20分ほどの距離です。この移動中もつくづく感じたのですが、対馬はとにかく山が多い!信号にもめったに当たらずほぼずっと山の中を走っていたので、ほとんどノンストップでした。

さて、異国の見える丘展望台に到着です。


ただ、あいにく韓国側には靄がかかっており釜山の姿は見えずでした。

展望台の2階部分にも上がってみました。


天気が良いとこれほどくっきり韓国が見えるようです。
今回は残念ながら見ることができませんでしたが、やることはやりました。悔いはありません。あの靄の向こう側に韓国がある。それを感じることができただけでも私にとっては十分刺激的な体験でありました。
そしてこの展望台から帰ろうとしたときにこんなメッセージがスマホに送られてきました。

なんと、ここは韓国の電波圏だったようです!こうしたところからも韓国との近さを感じた体験となりました。
本日の最終目的地「韓国展望所」へ
この異国の見える丘展望所から30分ほどの距離にもうひとつ韓国を望める有名なスポットがあります。

それがこちらの韓国展望所になります。
私が着いたのは17時半過ぎでしたのでこの建物内には入れませんでしたが、建物の外からは問題なく韓国方向を眺めることができました。

残念ながらここでも韓国は見ることができませんでしたが、海風を感じながらぼーっと海を眺めるのは実に心地が良かったです。ちなみに、正面の小島は航空自衛隊の基地だそうです。

韓国展望所を終えた私は対馬北部の比田勝港近くの宿へと向かいました。
私は泊まったのは東横INN比田勝。比田勝港に近い立地と安心の東横インということでここに宿泊を決めました。
チェックインを済ませ荷物を部屋に置き、夕食に出発です。

ネットで調べていたところ、対馬のソウルフードという口コミがあったこちらのレストラン美松さんにお邪魔することにしました。

夜ですがこちらのランチセットを頂きました。素朴で懐かしい味・・・!とっても美味しかったです。大満足。

レストラン美松さんの店舗周りには駐車場がなく、目の前の川?を渡った先に車を停めに行かねばならないのですがその道がとても印象に残っています。

写真右手側に美松さんの駐車場があるのですが、この川沿いに車が止まっている感じに私はオランダのデルフトを連想してしまいました。

フェルメールの故郷デルフトは私にとっても非常に思い出深い街です。その時の体験は「オランダ・デルフトのフェルメールゆかりの地を散策!」の記事でもお話ししていますが、この美松さん近くの川にもそんな雰囲気を感じてしまったのでありました。
さて、美味しい夕食を食べて英気を養った私は再び韓国展望所へと向かいました。

今は6月ということで日も長いです。19時半でこの明るさです。

いいですね。雰囲気があります。

ただ残念、やはり韓国は見えず・・・

しかし私の本丸は夜に見えるという韓国の夜景です。夜景の光であればもしかするとこの天気でも見えるかもしれない。私はその最後の望みに賭けてぎりぎりまで粘ることにしました。

いよいよ暗くなってきました。

向こうに見える光は韓国か!?と一瞬期待したのですが、どうも船なようです。右側の強い光もおそらく韓国からのものではない気がします。

う~ん、これはもうだめっぽいですね・・・。向こうに見える光はあれど、どうも釜山の街ではなさそうです。やはり靄はかなり強めにかかっているのでしょう。
20時半頃まで粘ったのですが展開は打開できず。悔しいですが撤退です。


辺りはすっかり夜です。

真っ暗闇の山の中を引き返し、この日はホテルに帰還。ハードな一日の終了でした。

翌朝、リベンジで再び展望所にやって来たのですがもっと靄が強くなっていました笑

もう全然だめですね笑
笑うしかありません。
ただ、この時には展望所もオープンしていたので中に入ってみることにしました。

中にはこうした解説資料や、映像が流れていてこの展望所から見える景色なども紹介されていました。


晴れているとこんなにはっきり釜山の街が見えるのですね。これには驚きでした。
私の住む函館からは青森県下北半島の大間が見えます。

大間といえばマグロで有名ですが、その大間函館間がおよそ18キロ。対馬と釜山はおよそ50キロと倍以上の距離がありますが、あの対岸に見える感覚というのはきっと共通なのではないかと思ってしまいました。
靄で全く向こう側は見えない状態でしたが、こうした資料を見れたのはありがたい収穫でした。

そして私はこの後対州馬という貴重な日本在来馬に会いに行ったのですが、天気がものすごく良くなってきました!
この対州馬については次の記事で改めてお話ししていきますが、私はこの馬との対面の後、再び韓国展望所に向かったのでありました。

これでもう通算4度目の展望所です。夕暮れ、夜、朝、昼とこれでほとんどの時間帯を網羅したことになります。今度こそ見れるかも!
そしてこの時間帯には韓国からの団体観光客も来ていました。このことも後の記事で改めてお話ししますが、対馬はとにかく韓国からの観光客に大人気なようです。

お!これはどうでしょう!
もしかして、向こうに見えているのはもしかして陸地でしょうか!
これは興奮してしまいます!


空を飛ぶ鷲も現れました。これはテンションも上がります。ついに見れたぞ韓国!

いやあ、4回目にしてやっと見れました。やはり韓国は近いなと思いながらじっと見入っていたのですがここで私は気づいてしまいました。
陸地のように見えていた黒い筋が動いていることに・・・。
そうです、島のように見えた筋は雲だったのです。これにはがっくり。ぬかよろこびとはまさにこのこと。やはり韓国は見えずじまいでした。笑うしかありません。
とはいえ、この夏の時期はそもそも韓国は見えにくいそうです。翌日釜山のドライバーさんに聞いたところ、お互いが良く見えるのは空気が澄む冬なのだそう。冬の晴れた日こそベストなタイミングなようです。となるとそもそもこの時期に勇んでやって来ること自体なかなかチャレンジングなことだったということになりそうです。
まあ、何はともあれ、この展望台からの景色の先に韓国があるわけです。目視できるほどの距離に異国があるというのは対馬ならではです。日本に住んでいるとなかなかピンと来ない感覚ではありますが、ここ対馬こそ国際交流の窓口であり、国防の最前線だったというのがよくわかった訪問となりました。
次の記事では先ほども少しご紹介した貴重な日本在来馬の対州馬についてお話ししていきます。本来はこのnoteでそこまで深くお話しする予定はなかったのですが、ここでの体験があまりに素晴らしいものだったのでぜひご紹介したいと思います。次の記事を読めばきっと皆さんも驚くと思います。ぜひ引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。
続く
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