仏教の開祖ブッダの生涯と教えをインドの現地写真と共に解説!『仏教入門 現地写真で学ぶ仏陀の生涯』
はじめに

私は2024年2月から3月にかけてインドのブッダゆかりの地を巡りました。
その体験を基にこの連載記事【仏教講座・現地写真で学ぶブッダ(お釈迦様)の生涯】は書かれています。
この連載でご紹介する写真は基本的には私が現地で撮影してきたものになります。
すでにnoteではマガジン『インド・スリランカ旅行記』で「インド旅行記おすすめ記事25選~やはりインドは面白い!刺激的な体験をご紹介」などインドに関する記事をいくつか紹介しましたが、この旅では仏陀の生涯を辿ることをその大きな目的としていました。
やはり実際にブッダが生きておられた場所を訪れると、これまで本や写真だけで知っていた世界とは異なるものを感じます。
この連載記事でも現地ならではの体験を織り交ぜてお話ししていきます。
また、この連載記事の特徴として、ブッダの生涯だけでなく当時の時代背景にもスポットを当てた点をぜひ強調したいと思います。
「宗教は宗教だけにあらず」
これは私が仏教を学ぶ上で大切にしている視点です。
この連載記事を読めばブッダの生涯だけでなく当時のインド社会の雰囲気も感じて頂けることでしょう。
これはきっと皆さんにとっても刺激的な体験になると思います。意外な発見が満載で、私達日本人が想像するインドとは違う世界をご紹介することになります。
仏教入門と言いますと固くて読みにくいイメージがあるかもしれませんが、
この連載は仏教を知らない方でも「一つの読み物」として楽しんで頂けるようにと執筆しました。
きっと「へぇ~!そうなんだ!」と興味を持って読んで頂けるのではないかと信じています。
「宗教や仏教を学ぶ」と言いますと肩肘張ったものになってしまうかもしれませんが、ぜひ気楽にブッダという一人の偉人の生涯に触れて頂けたらなと思います。
ブッダ(お釈迦様)とはどのようなお方なのか極簡単に解説。そもそも実在の人物?
これから25回にわたってブッダの生涯をお話ししていくのですが、その前に極ざっくりとブッダという人物について紹介します。

ブッダは紀元前463年に現ネパールのルンビニーで誕生し、383年にインドのクシナガラで亡くなられた実在の人物です。しかしこの生没年も諸説あり、100年以上の差がある説もあります。インドでは詳しい年代を記述する文化がなく、諸説の誤差が100年200年ほどに収まっているだけで奇跡であるとすら言われるほどです。さすがインド。時間感覚が永遠悠久、巨大すぎます。
ブッダはシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタとして生まれるも、人生の問題に悩み29歳で家を捨て出家し、修行者としての生活を始めます。

この時の厳しい苦行時の様子が有名なこちらの仏像になります。こちらの仏像についてもこの後じっくりお話ししていきますのでご期待ください。

そして6年の修行を経てついにブッダは覚りを開きます。

35歳で悟ったブッダはそこからガンジス河で有名なベナレス郊外のサールナート(鹿野園)を訪れ、かつて共に修行をしていた五人の仲間に説法をします。これが仏教教団の始まりだと言われています。この出来事を初転法輪といい、ブッダの生涯において非常に重要な意味をもつ出来事として知られています。

そこからブッダは80歳で亡くなるまでの45年間、説法をしながら旅を続け、最後は故郷のネパールにも近いクシナガラで息を引きとります。

ブッダの死後も弟子たちが教えを受け継ぎ、やがて様々な宗派が生まれ、中央アジアから中国、朝鮮を経由して日本にも仏教が6世紀に伝来することになります。ブッダの死からおよそ900年ほどの月日を経ての仏教伝来でした。ここから私たち日本仏教の歴史はスタートしていくことになります。
ブッダの生涯の大まかな年表
復習がてらここにざっくりとでありますがブッダの生涯の年表を記しておきます。
前463年 0歳 ブッダ、ネパール、ルンビニーにて誕生
前447年 16歳 ヤショーダラーと結婚。後にラーフラ誕生(何年かは不明、諸説あり)
前434年 29歳 妻子を残して出家
前428年 35歳 ブッダガヤにて悟る。サールナートで初転法輪。以後亡くなるまで布教生活を続ける
前383年 80歳 クシナガラで死去
※この年表は中村元著『インド思想史』を参考にしています。ブッダの生没年は諸説ありますのであくまで目安としてお考え下さい。
では、引き続きブッダについて見ていきましょう。
ブッダとお釈迦様、その違いは?
よく聞かれるのはブッダとお釈迦様は同じ人物なのかということです。私もこの連載を読んだ方から「これまでブッダとお釈迦様は違う人だと思っていました」というお声を頂いたことが何度もあります。
たしかに紛らわしいですよね。
ブッダとお釈迦様は同一人物ですが、その呼び名の由来が異なります。
ここでは長くなってしまうので詳しくはお話しできませんが、ブッダ(仏陀)、シャカムニ(釈迦牟尼)、釈迦、お釈迦様、ゴータマ・シッダールタなどは全て同一人物です。
その呼び名の違いをものすごくざっくり言うならば本名がゴータマ・シッダールタで、それに対して「悟りを開いた人間」という尊称の意味でブッダ(仏陀)という呼び方になっています。この連載では仏教の開祖という意味を込めてブッダとお呼びしていくこととします。
では、いよいよこれから現地写真と共にブッダの生涯を見ていくことにしましょう。
私が参考にしたのは主に、
春秋社、中村元『ゴータマ・ブッダ』
講談社、梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
春秋社、平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
他にも当ブログで紹介した仏教書、インドに関する書籍もありますのでこちらもご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
〇「中国仏教・中国思想を学ぶためのおすすめ本一覧」
ブッダの誕生~4月8日の花祭りはここから
上で述べましたように、ブッダは紀元前463年にネパールのルンビニーでシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタとして生まれました。ルンビニーは現在のインド国境のすぐ近くにあります。

ブッダの父親はスッドーダナ(浄飯王)というシャカ族の王様で、母親はマーヤー(摩耶夫人)といいます。
シャカ族はルンビニーから西へ車で1時間弱の距離にあるカピラヴァストゥ(カピラ城)に城を構えていた小国でした。しかし隣国には大国コーサラ国が控えており、実質この国の支配下にあったと言われています。
そしてこの国は王様の浄飯王の名にある通り、米がよく収穫できる豊かな国であったそうです。

カピラヴァストゥ周辺は今もほとんどが畑で、米や小麦、豆や菜の花、各種野菜を栽培しています。
ブッダはこのような小さな農業国の王子として生まれることになります。
では、いよいよブッダの誕生について見ていくことにしましょう。
ブッダ誕生についてもやはり数多くの伝説が語られます。ブッダの母マーヤーは妊娠の際、夢の中で白い象が彼女の中へ入ってくるのを見ました。インドにおいて象は幸福を運ぶ存在として尊ばれていましたのでこれは実に素晴らしい吉夢です。インドではコウノトリではないというのも面白いですよね。そして彼女は実際にブッダを身ごもることになりました。
ブッダの母マーヤーは出産のため故郷コーリヤ国に帰る途中、ルンビニーに立ち寄ります。2500年前にも里帰り出産があったのですね。そしてそこで産気づき、そのままブッダを出産することになりました。

このブッダの出産に際し様々な伝説が生まれることにもなりました。
その中でも最も有名なのがあの「天上天下唯我独尊」になります。

ブッダはマーヤーの右脇から誕生し、そのまま7歩歩き、右手の人差し指を天に、左手の人差し指を大地に向けて「天上天下唯我独尊」と発したとされています。
右脇から生まれたこと、生まれてすぐに歩いて言葉を発したこと。このことはもちろん神話的な伝説ではありますが、私達仏教徒にとって非常に重要な意味を持っています。
まず、インドにおいて右手は清浄さを表しています。その右側の脇から生まれたということでブッダが清浄な存在であることを示しています。また、当時のバラモン教、後のヒンドゥー教の教義においても両腕はクシャトリア(王侯貴族)を意味していました。つまり、インドの文脈において右脇から生まれたと言うことは圧倒的に高貴な存在であることを象徴していました。
そして七歩歩いたという伝説はブッダがこの世界を超越する人間であることを象徴しています。これも諸説あるのですが七歩は「六歩+一歩」ということで、六歩は「この世の世界」でそれを一歩超えるという意味があります。ここでもブッダが通常の人間とは異なる圧倒的な存在であることが示されています。
そして最後の「天上天下唯我独尊」ですが、これはまさしくこの言葉そのままです。
「え?あのブッダ自身が自分自身こそが世界で最も尊いと言ったの!?」と思われるかもしれません。
ですがこれはあくまでブッダが亡くなった後に作られた伝説だということを思い出して下さい。あくまで後世の弟子がブッダの尊さをこの伝説に仮託して語ったということに注目です。それほどブッダは尊い存在だったことをこの伝説は表しています。
ただ、日本ではこの「天上天下唯我独尊」を「人間一人一人皆尊い」と解釈することもあるのですが、仏伝の文脈や言葉そのものから見れば実際にはなかなか難しい解釈ではないかと私は考えています。ここはシンプルに言葉通り受け取り、神話的に解釈する方が自然なのではないでしょうか。
ともあれ、ブッダの誕生はこのように語られます。私達日本の仏教では4月8日をブッダの誕生日としてお祝いします。それが花祭りです。このお祭りで白い象の模型が登場したり、誕生仏に甘茶をかける習慣もここから来ています。

甘茶をかけるのはブッダ誕生の際に甘い露が降ってきたという伝説がその由来です。おめでたいことの象徴ですね。

マヤ・デヴィ寺院正面にはアショーカ王柱が立っています。

この柱に書かれた碑文によってここがブッダ誕生の聖地であることが史実として確定されました。これがなければブッダがどこで生まれたかはわからずじまいだったかもしれません。このマヤ・デヴィ寺院も1896年に発見され、1939年に再建されることになりました。そして現在の建物は2003年にさらに再建されたものです。
(※アショーカ王柱については「仏教八大聖地の一つ、サンカシャへ~ブッダの天上からの降臨伝説「三道宝階」の地へ」の記事で解説していますので興味のある方はこちらもご参照ください。)

現在はネパールによって建てられたマヤ・デヴィ寺院内にブッダが生まれ落ちたとされる標石が安置されていて、参拝者はそれを見ることができます。寺院内は撮影禁止なので写真はここで紹介できませんが、足元の円形のガラスを見下ろすとその先に1メートル弱ほどの灰色の岩があるのが見えました。

上の写真にある池はマーヤーが沐浴したとされる池になります。その先に見える大きな木の下では多くの僧や参拝者が瞑想をしていました。全体的にここはゆったりとした穏やかな雰囲気のある場所だったのが印象に残っています。
さて、このようなブッダの誕生ではありましたが、もう一つ重要なエピソードが残されています。
それは生まれてきたブッダを喜んだ父親がバラモン(インドの宗教家)にブッダを見せた所、バラモンから驚くべき予言を受けることになってしまったというものです。
バラモンはこう言いました。
「この子は将来世界を統べる偉大な王となるか、あるいは世界を救う宗教家となるであろう」と。
これには王も面を食らうことになります。何せ待望の長男です。しっかりと自分の王位を継いで国を守ってほしいというのは人情です。出家して宗教者になるなんてまっぴらごめん!王はこの予言にこれからも苦しみ続けることになります。そしてこの予言がどう実現したかはすでに皆さんもご承知の通りです。
こうしてブッダは誕生したのでありました。
「⑵ブッダ生後7日後に急死する母マーヤーとシャカ族の国の都カピラヴァストゥでのブッダの幼少期」 に続く
※この連載ではこれから先ひとつひとつの記事でブッダの生涯を現地写真を用いてお話ししていきます。以下にその目次を掲載しますので興味のある項目から読んで頂いても結構です。
政治経済やインドの宗教事情など、仏教が生まれてくる時代背景にも着目していきますので読めば皆さんもきっと驚くと思います。仏教に対する見方も変わるのではないでしょうか。
私自身もこの連載をまとめたテキストを学生に配布し、それを基に講義をしています。

学生たちも楽しんで仏教を学んでくれるので私としても非常に手応えを感じています。やはり仏教はどんな世代にも通ずるのだということを実感しています。ありがたい限りです。ぜひ皆さんもこの連載を通して仏教とのご縁を結んで頂けましたら幸いでございます。
【現地写真で学ぶブッダの生涯】目次
前の記事はこちら
『インド・スリランカ旅行記』記事一覧はこちらのまとめ記事にて
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