比叡山登山記(京都修学院~延暦寺)~親鸞聖人も歩いた雲母坂ルートを追体験!
比叡山雲母坂ルート登山~親鸞聖人ゆかりの道を歩く
2025年6月2日、私は比叡山を登山してきました。
私がこの山に登ろうと考えたのは、何と言っても親鸞聖人の存在があります。

浄土真宗の開祖親鸞聖人は出家した9歳の頃からおよそ20年間、天台宗の総本山比叡山で修行していました。
しかし比叡山での修行に思い悩んだ親鸞聖人は観音菩薩の霊験で有名な六角堂に95日参籠し、比叡山での修行から身を引くことを決意します。そして彼が門戸を叩いたのが浄土宗の開祖法然上人の教団だったのでありました。こうして後に浄土真宗の開祖として崇められる親鸞聖人の仏教が生まれてくることになったのです。

詳しいことはこれ以上ここではお話しできませんが、この時に親鸞聖人が比叡山から六角堂へと向かった道こそ今回私が登山する比叡山雲母坂ルートになります。
ちなみにですが、比叡山(地図右上)と六角堂の位置関係は上のようなものになります。まさに山の上から京都市内ど真ん中に下りていくといった雰囲気です。親鸞聖人はこれを95日間毎日行き来していたと伝えられています。このことに関してはまた後で改めて少しお話ししたいと思います。
登山ルートと所要時間
今回の私のルートは京都側から比叡山に登る雲母坂ルート(修学院駅→比叡山登山口→修学院山→ケーブル比叡駅→延暦寺東塔→無動寺)というものになります。帰りはこの逆をそのまま戻りました。アプリやネットなどで調べたところ予想所要時間は4時間ほどでしたが、私の歩くペースが速かったのか、無動寺までおよそ3時間ほどで到着することができました。
登山初心者でも可能か、その難易度は
様々なサイトを調べてみると、比叡山は登山初心者でも比較的安全に登れる山だそうです。
私自身本格的な登山経験はありませんでしたが、結論から言うとその初心者の私でも十分登ることは可能でした。
ただ、比叡山登山の1か月半ほど前から毎日地元の函館山(標高334m)の登山をして体を慣らしてきました。それがなかったならば比叡山登山はかなりきつかったと思います。
登山のスタート地点、叡山電鉄修学院駅
では、いよいよここから親鸞も歩いた雲母坂ルートの登山を始めていきましょう。

そもそもですが、比叡山に登るには今回私が行く京都雲母坂ルートと滋賀県側から登る坂本ルートの二つがあります。
先程も申しましたように、親鸞聖人は比叡山から京都に最速で行き来するのを目的としていたので雲母坂ルートで京都側に一直線に下りてきています。私がこのルートを選んだのもこうした親鸞聖人の足跡があったからこそでした。
そしてここから比叡山へと歩いていくわけですが、何の用意もなく山に入っていくのは危険です。特に私はこれまで本格的な登山経験もない初心者ですので、いくつか登山の準備をしていました。
その最たるものが登山アプリYAMAPの活用です。
このアプリのありがたいところは事前にダウンロードすればオフライン環境でも登山道をしっかり見れる点にあります。しかもGPS機能もありリアルタイムで自分がどこにいるかが一目瞭然です。グーグルマップでは山の中の道まで出てこないのでこうしたアプリを活用されることをぜひおすすめします。
そしてこのアプリにはこんな便利な機能もあります。
なんと、私の歩いたルート、時間経過、標高、距離を動画形式で見ることができるという優れものです。さらに立体マップということでさらに自分の行程がイメージしやすくなりますよね。この機能は登山後のものなので、行く前には見ることができませんが、雲母坂ルートの参考にして頂けましたら幸いです。
修学院駅~雲母橋~親鸞聖人旧跡碑

修学院駅前は普通に街です。この写真の奥側に見える山にこれから向かっていきます。

川沿いの道を進んでいきます。ほんの少し傾斜はありますが登山前のウォーミングアップと考えれば気が楽です。

いよいよ山に近づいてきました。

のどかで気持ちのよい天気ではあったのですが、ふと雲の向こうに怪しく光る太陽に少し不気味さを感じました。
と言いますのも私は例のごとくこの登山に際しても徹底的に下準備をしています。比叡山の歴史や回峰行者の本も読みこんできました。
特に大隅和雄著『愚管抄を読む』によれば、当時の人々にとって目に見える世界(顕の世界)と目に見えない神仏、怨霊、魑魅魍魎の世界(冥の世界)が共存するものであったことが説かれていました。これが非常に重要な問題だったのです。「何を当たり前のことを?昔の人はそういう迷信を信じていたのでしょ?」と思われるかもしれませんが、単なる迷信で片付けられない非常に高度な世界観、人間観、政治観がそこにはあったのです。迷信どころか、当時においてはこれは非常に洗練された合理的な判断ですらあったのです。詳しくここでお話しできないのがもどかしいですが、とにかく、私達現代人が見落としがちな「目に見えない冥の世界」の重要性を私は知ることとなりました、
そういう背景があったからこそ、私は上の写真を撮った場所にさしかかった時にあの太陽に不気味さを感じ、ふとあの山の向こうから何か目に見えないものがこちらに流れ込んでくるような、そんな思いを抱いてしまったのです。
先程もお話ししましたように、修学院駅の周りは普通に街です。人間の生活の場です。しかしそこから20分も歩かぬ場所にこの山はあるのです。目に見えない世界を司る強力な力を持つ存在がこの山にはある。そんなことを想像してしまったのでありました。科学全盛の現代に生まれた私がこう思うのですから、親鸞聖人が生きた平安末期から鎌倉時代にかけての人々は一層それを強く感じていたことでしょう。
京都の街を見下ろすこの位置に比叡山があるというのはやはりとてつもない意味があるのだということをこの時点ですでに感じることになりました。

さあ、いよいよ登山らしくなってきました。

雲母坂入り口の看板がありました。間もなく本格的な山登りが始まります。

ただ、この先気になることが・・・

事前の下調べでも出てきていたのですが、最近比叡山にもクマが出るとのこと・・・!北海道民からするとクマはもうトラウマレベルに恐怖の対象です。しかも私は初登山の初心者・・・。一応クマよけの鈴はつけてはみましたが緊張感があります。

さて、雲母坂の入り口付近には雲母橋があり、ここを渡ればすぐに登山口です。

橋のすぐそばには雲母坂の由来が書かれた看板が立っています。親鸞聖人だけでなく、朝廷の勅使や強訴の僧兵たちも頻繁にここを通っていたことが書かれていました。

そして橋を渡るとすぐに「親鸞聖人旧跡」の石碑がありました。この石碑に一礼し、私の登山はいよいよスタートです。
比叡山登山口~ケーブル比叡駅

石碑から間もなく、比叡山登山口が現れました。まさにここから先の道が親鸞聖人が歩いた雲母坂になります。

写真では伝わりにくいですがいきなりの急坂です。
ですが、この段階ではそれほどの悪路という印象は受けませんでした。

しかしやはり雲母坂は甘くなかった!
事前にも様々なサイトやブログなどで雲母坂の様子を見ていたのでありましたが、やはりなかなかの道なようです。


雲母坂は最初が険しい。かなりの急坂、悪路を一気に登っていきます。


少し登ると足元のごろごろ岩がなくなり、森を歩くような雰囲気に変わります。

とはいえまだまだ険しい!息も上がります。

そこからもうひと踏ん張りして登っていくと、坂も緩くなり始めました。

山の稜線にたどり着いたのでしょうか。ここから先しばらくはほとんど平坦に近い道を進んでいきます。

途中にベンチがあり休憩。雲母坂ルートにはこの後にも休憩できるスポットがいくつもあったのでとても助かりました。

修学院山エリアはまさに山の稜線を進んでいくといった雰囲気。道が少しわかりにくいところもありますが歩きやすいです。ベンチで休んだ分、足取りも軽い。これは楽しい。比叡山登山、楽しいです。

さて、そんな稜線の道を進んでいくとまた道の雰囲気が変わってきます。


谷の間を歩いているかのような道です。

そしてまたそろそろ疲れたなという時にちょうど現れた休憩スポット。少し休憩。

そしてそこから進むと景色が開けて街が見えました。これは嬉しい。


さらに進むと広場のような場所に出ます。ここは女人禁制の結界が貼られていた場所だと思われますが、なぜかその石碑が倒れていました。理由はわかりませんが、ここでも一休みして先に進みました。

そして上の結界を過ぎてしばらくしてだったのですが今回歩いたルートの中で一か所だけ「空気」が違う場所がありました。この周辺だけ道の両側に草が生えていて、なおかつ空気全体に湿り気を感じたのです。
これまでの写真を見返して頂ければわかりますように、ここまでのルートでは乾いた土と木の根っこ、枯葉ばかりの世界でした。それがここはどうも雰囲気が違う・・・。
そこで私は気づきました。比叡山はその大部分が岩山の世界なのだと。
たしかに道の両側は岩壁のような場所がほとんどで、登山開始直後も足元には岩がごろごろしていました。そういう地質だからこそジャングルのように草が生い茂らない。そして同時に強力な根を張れる木が成長し日陰を作ることでさらに草には厳しい環境になる。だからこそ草が茂っていないのだと。
これの何がそんなにすごいことかと不思議に思われるかもしれませんが、こうした雑草の少ない岩山こそ、仏道修行に格好の場と言えるのです。インドでお釈迦様(ブッダ)が好んで過ごされた霊鷲山もまさにこうした地形でした。だからこそ私は「おぉ!」と唸らざるをえないのです。※詳しくは「ブッダ説法の聖地霊鷲山~無量寿経や法華経の舞台となった聖地へ」の記事参照

また同時に、そこだけ空気が違うということに敏感に気づいたというのも私自身驚きでした。登山初心者の私でもほんのちょっとの空気の違いに敏感になるならば、修行を積んだ行者さんの場合どれほど敏感な感覚を持っているのだろうと思ってしまったのです。山を練り歩く回峰行者さんはまさしく超人的な体力気力を有していることで名高いですが、まさにそのすごさをこの湿り気から感じることになりました。山を通して感覚を鋭くさせていくことの意味を学んだ気がします。やはり実際に来てみないとわからないことがありますね。

さて、さらに進んでいきましょう。
ここまでは稜線に沿った比較的平坦な道が続いていたのですが再び急な坂が始まりました。いよいよ比叡山の山奥に入って来たということでしょうか。

背の高い杉林と、風で倒れた倒木が入り乱れる道が目の前に現れました。そして気になるのがやはりクマの看板・・・。2枚も貼られているということはやはりそういうことなのでしょうか。



ここは空も開けて太陽の光を直で感じられる数少ないポイントです。急坂で火照った体に強力な太陽光線が浴びせかけられます。この日はまだ気温も高くはありませんでしたが真夏はかなり厳しいかもしれません。

さあ中盤戦のラストスパート。この急坂を上り切ればケーブル比叡駅は間もなくです。

坂を上り切ると比叡ビュースポットという開けた場所に出ました。


正面の四角い緑は京都御所です。もう少し拡大してみましょう。

写真左には京都タワーも見えます。右の緑は京都御所の端っこです。比叡山から京都の街並みがこれだけはっきり見えるとなると、京都の僧兵があれほど強かったというのも頷けます。常に下界を見下ろすことができる絶妙な位置に延暦寺があったことを実感しました。

そこからさらに進むと間もなくケーブル比叡駅に到着です。

観光地らしいこんなスポットもありました。

こちらがケーブル比叡駅。『千と千尋の神隠し』のBGMがエンドレスで流れていたのがとても印象に残っています。たしかに雰囲気はありますが、なぜ比叡山でそれを外にも聞こえる大音量でエンドレスで流しているのかと思わずクスっとしてしまいました。


駅構内では千日回峰行写真館という写真展示がなされていました。千日回峰行については回峰行を満行された光永圓道師の『千日回峰行を生きる』という本を読み私も感銘を受けたので、この行者さんたちの写真を見れたのはとても嬉しいことでした。私はこうした行者さんの仏道修行を大変尊敬しています。
ケーブル比叡駅~延暦寺東塔~根本中堂

ケーブル比叡駅から進むとすぐに道案内の看板に出くわします。根本中堂まであと2.3km!ここまで来れば気持ちもかなり楽です。ちなみにここまでの所要時間は休憩込みで2時間弱、歩いた距離は4300mほどになります。

ここから先はこれまでのようなTHE・山道ではありません。もはや少し物足りなくなってしまっている自分がいます。

少し歩くと視界の先が開けてきました。

ここを右に曲がれば比叡山の頂上方面ですが、私の目的地は根本中堂ですので頂上へは行かないことにしました。

写真右側奥が頂上エリアになります。
そして正面の草地はかつてスキー場であった頃の名残だそう。こんなところにスキー場があったというのはそれだけでも私には衝撃的です。時代は移りゆく、まさに諸行無常を感じます。

さあ、ラストスパートです。

左手側には綺麗な景色が広がります。
もはや急な登りもなく、ほとんど平坦な道を進んでいきます。これはラクチン。このまま着けばいいなとぬか喜びしていると、そこから一気に道は下り始めました。

しかもこの下りがなかなか長い!まさか最後の最後でこんなにも坂を下るとは想像もしていませんでした。

下り斜面も落ち着き再び少し登り始めると、向こう側に石碑のようなものが見えました。

おぉ、これが有名な「鎮護国家」の石碑ですね!。比叡山らしさを感じます。

さらに進むと山頂と西塔の分岐点の看板がありました。いよいよ到着は近い!東塔は看板の山頂方面の道ですが、ちょっとだけ西塔方面の道にも行ってみます。

橋を渡ってすぐのところにあの円珍ゆかりのお堂がありました。比叡山史を学ぶ上で避けて通ることのできない偉人のお堂です。(とはいえ、私もたまたまここに来たのですが)


円仁の山門派(延暦寺を中心)、円珍の寺門派(後に三井寺を中心)という比叡山の二大流派はそれこそ壮絶な歴史を紡いできました。ここでは詳しくはお話しできませんが、この比叡山を舞台に両派は何度も戦争を繰り広げています。仏教界の堕落として紹介されがちなこの話ではありますが事はそう単純ではありません。そこにはとてつもなく複雑な歴史的背景が隠されています。当ブログでもいつかそのことについて詳しく触れられたらと考えています。「宗教は宗教だけにあらず」がまさにここに現れているのでした。

さて、円珍の山王院堂から道を引き返し、いよいよ延暦寺東塔へと向かいます。
こちらの写真は登山口からの入り口です。この受付所で入場料をお支払いし、中へと入っていきます。

さあ、延暦寺に到着です!こちらは東塔の阿弥陀堂になります。
ここまでの所要時間はおよそ2時間半。想定していたよりも早くの到着となりました。体力的にもある程度余裕を持ってのクリアです。これは嬉しい誤算。

根本中堂は現在工事中で外観は見ることができませんが、中に入ることは可能です。私もじっくりお参りしてきました。
根本中堂から無動寺明王堂、大乗院へ
さて、私の比叡山登山は根本中堂で終わりではありません。ここまで来たらせっかくですので千日回峰行のベースとなる無動寺明王堂にもお参りしたいと私は考えたのでした。

この看板にもありますように、無動寺は「無動寺谷」と呼ばれるエリアにあります。ここは東塔から少し離れた場所にあります。東塔西塔は政治や抗争の現場にもなってしまったのでそこから離れた静かな場所で修行をするために発展していったようです。

無動寺谷への道はケーブル延暦寺駅への道と同じです。
根本中堂から駅まではゆっくり歩いて10分ほどの距離です。

こちらが延暦寺駅です。広場からは琵琶湖を眺められます。

無動寺へはここからさらに進んで一気に下っていくことになります。


かなりの急坂です。これは戻る時のことが思いやられます。
延暦寺駅から15分ほど下りました。

間もなく目的地の無動寺明王堂に到着です。


こちらが無動寺明王堂本堂です。
ここが千日回峰行の基地になります。ここで比叡山の行者達は千年以上にもわたって山行を行ってきました。その真摯な仏道修行の歴史に私は畏敬の念を抱かずにはいられません。
もちろん、歴史上比叡山が荒廃したこともありましたが、真摯な仏教者は間違いなく存在し続けてきたわけです。そうした仏教者の存在そのものに私は救われるような思いを感じます。

無動寺明王堂にお参りした後、私はさらに谷を下っていきました。

私の目的はこちらの大乗院というお堂です。
ここは鎌倉時代初期に天台座主を4度務めた慈円の拠点として知られているお堂です。慈円は浄土真宗の伝承では親鸞が出家した際の師匠とされている人物です。史実としてはおそらく厳しいでしょうが、当時の仏教界におけるトップ中のトップたる人物です。
しかも慈円は真摯な仏道修行者としても知られていて、まさに若き日に回峰行も満行しています。そして比叡山の学問振興にも熱意を向け、ここ大乗院に勧学講という学問機関も設立しています。まさに慈円は荒廃した比叡山において真摯に仏道に向き合ったひとりと言うことができるでしょう。詳しくは上でも紹介した大隅和雄著『愚管抄を読む』という本や多賀宗隼著『慈円』をおすすめします。

そしてこの大乗院の入り口にはこの写真のように「親鸞聖人御修行旧跡」の石碑が建てられています。

裏側に回ってみると、昭和40年にこの石碑は建立されたようです。
親鸞聖人が比叡山のどこで修行していたのかというのは歴史学においても未だ決着していない問題ではありますが、おそらく横川ではないかと私は考えています。
横川は『往生要集』で有名な源信が拠点にしていたエリアで、東塔西塔から離れた地域にあります。

横川は円仁、源信の流れから念仏信仰が盛んなエリアです。親鸞のその後の人生を考えても念仏信仰に専念する土壌はここで養われたのではないかと私は考えています。
雲母坂ルートで一気に下山
さて、無動寺明王堂、大乗院にお参りした私ですが、ここからは元来た道を引き返して再び京都市内へと帰っていきます。

ただこの帰りが本当にきつかった!比叡山登山で疲れた体に追い打ちでこの急階段はかなり応えます。

行きは一気に下ってきましたが、それを今度は上っていかなければならないわけです。比叡山登山で何が一番きつかったかと聞かれれば私はここを挙げると思います。さすが「無動寺谷」と言われるだけあり、まさに谷でした。回峰行者達の拠点となるだけあってやはり険しい環境でした。

20分ほどで大乗院からここまで延暦寺駅まで戻ってきました。
さすがに疲れがどっと来たので延暦寺駅で休憩しました。
さて、ここからの下山ルートはまた記録があるので掲載します。
この記録動画にもありますように、ここから修学院駅まで2時間少々で下ることができました。やはり下りは早いですね。

先程も見ましたように、延暦寺登山のラストは長い急坂でしたが、今度はその道を再び帰って行きます。つまり今度は長い登り道です。

ただ、駅で一休みした私は体力も回復。元気に進んでいきました。

千と千尋のBGMが流れるケーブル駅まで戻ってきました。

お昼時を過ぎた時間帯ということで観光客の姿も見られました。

さて、一気に下っていきます。


登りよりもペースが早くなってしまう分、足元にはさらに注意しました。転んで足を捻るのは何としても避けたい所。
帰りは少し余裕も出来てきたのか、動画を撮ることもできましたのでご紹介しました。
おわりに~親鸞聖人の足跡に思う
こうして一気に下って来た私でありますが、ゴールの修学院駅までおよそ2時間ほどでの到着でした。
出発時刻が7時半、ゴール時刻が13時20分頃ということで往復6時間ほどかかかりました。もちろん、途中に休憩やお参りの時間も含みますので純粋な移動時間そのものはさらに短くなりますが、やはり往復となるとかなりの時間が必要なことを実感しました。
しかも親鸞聖人はここ修学院駅から六角堂までも歩いているわけです。
この地図ですとどうしても徒歩の時間が出ないのですが、およそ1時間半ほどかかるとグーグルマップでは出てきます。つまり、親鸞聖人は普通ならば往復3時間かかる距離をさらに歩いていたということになります。しかもそれを95日連続で行っていたのでありました。
ただ、正直申しまして実は私はつい最近まで親鸞聖人が本当に毎日山から下って来ていたのか信じることができていませんでした。毎日山を下っていたのではなく、実は京都市内のどこかに滞在しながら毎日六角堂に通っていたのではないかと思っていたのです。
しかし比叡山の歴史や千日回峰行についての本を読むことで、こうした不可能にも思える行程が実際に可能であることを知ることになりました。
例えばですが、回峰行者は夜の2時頃に出発し、遅くとも朝の8時にはお寺に戻って日常のお勤めを果たし、夜の8時に寝て、再び夜の2時に出発するという毎日を送るのだそうです。そうです。親鸞聖人もおそらくこのような日程で比叡山と六角堂を行き来していたのでしょう。
楠淳證編著『回峰行と修験道』という本では回峰行の行者は比叡山から六角堂まで片道1時間半で行くことも可能だということが書かれていました。片道1時間半で行けるなら深夜に出発し朝に帰ってくることも可能でしょう。やはり親鸞聖人は比叡山の伝統に則り、自身の回峰行を行っていたのです。
それにしても、回峰行者の方々の超人ぶりには驚くしかありません。私は晴れた天気の良い日にこうして登山したわけですが、行者は雨の日も風の日も休むことは許されません。雨で川のようになるであろうあの山道を駆け下り、登っていくなど想像もできません。
さらに言えばそもそも回峰行は夜中に行われます。小さな明かりしか持たない中でどうやって歩いているのでしょう。明るい状態ですら私は足元にかなりの注意をしなければなりませんでした。それを真夜中に行者達はほとんど走らんばかりの速度で移動していくわけです。もう信じられません。
机の上で勉強することも大事ですが、こうして現地で体感したからこそわかるものもあります。親鸞聖人がどのような道筋で仏道を歩まれたのか、それを考える上でも今回の登山は私の中で大きな意味を持つことになりそうです。
以上、「比叡山雲母坂ルート登山記~親鸞聖人も歩いた道を追体験!」でした。
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