三島由紀夫がバチカン美術館で夢中になった彫刻とは!三島ならではの個性を感じる
【ローマ旅行記】(20)三島由紀夫がバチカン美術館に来ていた?彼が夢中になった彫刻とは
前回までの記事でバチカン美術館、システィーナ礼拝堂、サンピエトロ大聖堂と、バチカン御三家と言える超有名スポットをご紹介しました。
そして今回の記事ではそんなバチカンに関して、個人的に見逃せないポイントについてお話ししていきたいと思います。
さて、今回の記事のタイトルにも書きましたように、そのポイントは「三島由紀夫とバチカン美術館」というもの・・・。
三島由紀夫とバチカン。
なぜ三島由紀夫とバチカンが結びつくのか、皆さんも不思議に思われるかもしれません。
ですが、三島由紀夫は1951年からの世界一周の旅でこの地を訪れ、バチカン美術館のある像に強い感銘を受けたとされています。
そしてそもそもですが、なぜ私が50年も前に亡くなったこの作家に関心を持っているのかと言いますと、まさにこのバチカンが関係しているのです。
「初心者にもおすすめの三島由紀夫作品は?読む順番も考えてみた」の記事でもお話ししましたが、私と三島の出会いはここバチカンにありました。
私は2022年に「親鸞とドストエフスキー」研究のためローマを訪れています。
そしてその時にお世話になったイタリア人のガイドさんに「三島由紀夫は素晴らしい。彼の文体は非常に美しい。ドストエフスキーが好きなあなたなら必ず気に入るでしょう」と薦められていたのでありました。このガイドさんこそ、バチカン市国内部の特別見学を手配してくださった、私にとっての大恩人です。
イタリア人から三島由紀夫を薦められるという不思議な体験でしたが、これをきっかけに私は三島作品を読み始めたのでありました。
そして私は彼の文学に心撃ち抜かれることになります。こうして私は三島由紀夫に強い関心を抱くようになったのでした。
そして彼のことを学んでいく内に、三島由紀夫もこの美術館を訪れ、ある像に非常に強い愛着を持っていたことを知ったのです。

先程も申しましたが、三島由紀夫は1951年末から世界一周旅行へと旅立っています。その中でもギリシャとローマは彼にとって実に思い入れのある土地となったようです。三島はこれらの地についてこう述べています。
今日も恍惚としながら私の思うことは、希臘と羅馬とのこの二週間、これほど絶え間のない恍惚の連続感が、一生のうちに二度と訪れるであろうかということである。私は人並に官能の喜びも知り、仕事を仕終えたあとの無上の安息の喜びも知っているが、それらがかつて二日とつづいたことはなかった。
ここまで当noteでお話ししてきましたように、私もローマが大好きです。壮大なサン・ピエトロ大聖堂、悠久のフォロ・ロマーノ、ミケランジェロ、ラファエロの傑作やベルニーニの見事な教会建築・・・!
ただ、不思議なことに三島はほとんどこれらに関心を示しません。彼がローマで最も心を奪われたのはバチカン美術館に展示されているアンティノウス像でした。

アンティノウスはローマ皇帝ハドリアヌス帝に寵愛された美青年です。西暦130年、エジプト旅行中にナイル川で謎の溺死をし、それを悼んだハドリアヌス帝が彼を神と称えるために多数の彫刻の制作を命じたと言われています。『仮面の告白』で同性愛的な傾向を吐露した三島由紀夫がこの彫刻に心惹かれたのはまさにそうした歴史が影響していたのかもしれません。


今日ヴァチカン美術館を訪れて、私はアンティノウスのその一つは胸像であり、その一つは古代埃及の装いをした全身像である(中略)ニつの美しい彫像に魅せられてしまい、他のさまざまな部屋の名画を見ていても、心はアンティノウスのほうへ行っているので、全体としてヴァチカンの見物は、甚だ収穫の乏しいものに終わってしまった。
ここで三島が語るように、三島はこの彫刻に一目惚れし、もはやほかの作品が目に入らなくなってしまいます。そして彼はこの彫刻に別れを告げるために後日わざわざバチカン美術館を再訪しています。
今日私はアンティノウスに別れを告げるために、再度ヴァチカンを訪れた。今までロトンダに入って、その胸像を見ながら、すぐ傍らにある巨大な立像に気がつかなかったが、それはあまり胸像にばかり見惚れていたためと、もう一つは、立像のほうはあまりに神格化され、胸像や埃及の立像のような初々しさに欠けているので、その人らしい特徴が目立たなかったためであろう。
私は又しても埃及の部屋の立像の前にしばらく佇み、この三体のアンティノウスの印象がほかのさまざまのもので擾されぬように、匆々にヴァチカンを辞し去った。
私は今日、日本へかえる。さようなら、アンティノウスよ。あれらの姿は精神に蝕まれ、すでに年老いて、君の絶美の姿に似るべくもないが、ねがわくはアンティノウスよ、わが作品の形態をして、些かでも君の形態の無上の詩に近づかしめんことを。
—一九五二年五月七日羅馬にて—
三島がどれほどこの彫刻に惚れ込んだのかがよくわかります。有名どころの作品にほとんど関心を持たなかった三島由紀夫・・・彼のこうした芸術観について宮下規久朗、井上隆史著『三島由紀夫の愛した美術』では次のように語られていました。
井上 これから、美術史家の宮下さんと、ローマを中心に三島の美術館めぐりを辿り直してみたいと思いますが、まず『アポロの杯』の記述にしたがって、三島の行程を整理しておきましょうか。
昭和二十七年
五月二日 ローマ国立博物館(テルメ博物館)
五月三日 ボルゲーゼ美術館
五月四日 ヴァチカン美術館
五月五日 カピトリーノ美術館
ヴェネチア宮美術館
五月六日 ヴァチカン美術館
宮下 ヴァチカンに二度行っています
井上 アンティノウスの像に惚れ込んで、二度も見に行ったんです。しかし、ヴァチカン美術館というのはいつも混んでいて、ずいぶん並ばないと入れませんよね。
宮下 いや、それは近年のことで、かつてはそれほど混んでいませんでした。ヴァチカン美術館には胸像と全身像の他に、バッカスに扮したアンティノウスの立像もあります。アンティノウスというのは、ローマの五賢帝の一人ハドリアヌス帝に寵愛された少年ですが、130年にナイル川で溺死してしまった。単なる事故だったのか、ハドリアヌス帝が死を命じたのか、帝から逃れようとしたのか、厭世的になったのか、死の理由はわかりません。ハドリアヌス帝は嘆き悲しんで、その後アンティノウスの像を繰り返し造らせました。エジプトで死んだので、エジプトの神の姿として造らせた。ローマ近郊にテイヴォリという町がありますが、そこにハドリアヌス帝がアンティノウスを偲ぶために作ったヴィラ・アドリアーナという広大な庭園と別荘があります。アンティノウス像は何度も何度も造られているうちに、どんどん理想化されてしまい、バッカスに扮した立像[17頁]などはただのアポロン像のようになってしまっています。これは、三島も一回目にヴァチカンに来た時には気づかずに見逃しています。もっとも実体に近いのは胸像[19頁]でしょうね。
井上 確かに美しい胸像ですが、芸術作品としての出来栄えというか、水準はどの程度のものなんでしょう。
宮下 一連のアンティノウス像は、ローマの古典美術の最後を飾るものですが、この胸像は特に重要ではありません。ヴァチカンにある古代彫刻でもっとも有名なのは《べルヴェデーレのアポロン》[27頁左]や《ラオコーン》[下]で、同じへレニズム彫刻で巨大な《べルヴェデーレのトルソ》も美術史上きわめて重要なものです。また、普通日本人がヴァチカンに来て一番期待するのは、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画なんですよ。でも、『アポロの杯』ではアンティノウスにばかり言及して、《ラオコーン》のような重要な古代彫刻もミケランジェロのこともほとんど無視してますね。ミケランジェロの絵には筋骨隆々たる人物がたくさん出てくるんだけど、あまり興味がなかったんでしょうか。日本人によく知られたものでは、他にラファエロの《アテナイの学堂》などの「スタンツェ」の壁画や、絵画館にある《キリストの変容》もありますが、やはり三島は一言も触れていません。
井上 《べルヴェデーレのアポロン》や《ラオコーン》は、触れてはいるが、ただ名前を挙げたというだけですね。ラファエロもいくらか見たけれどピンと来なかったようです。
宮下 少しでも美術史を知っている者から見ればありえないことです。ただ、一般に人が美術に関心を寄せる場合、常に芸術としてその作品を高く評価しているというわけではなく、その人特有の美意識や美的感受性の発露としての美術への関心もあると思います。ありていに言えば、芸術作品としての出来栄えはたいしたことはないかもしれないが、その絵や彫刻の顔が、たまたま好きなタイプだとか。アンティノウス像に対する三島の興味も、そういう風に理解したほうがよいかもしれないですね。
井上 なるほど。ただ、だからと言って三島の美術鑑賞の程度が浅いということにはならないですよね。ヴァチカン美術館に行ってミケランジェロやラファエロを見ようという人も、単にガイドブックに書いてあるからそうしているだけかもしれないし。
宮下 さっき三島自身は美術が非常に好きだったと言ったのは、そういう意味もあります。
ここで取り上げられた有名作品の数々は「バチカン美術館の見どころと有名作品をご紹介!ラファエロの名画はやはり格別!」の記事でも紹介しました。





たしかにバチカン美術館に来てこれらの有名どころに言及しないというのはほぼありえないことです。
しかも宮下氏が「一連のアンティノウス像は、ローマの古典美術の最後を飾るものですが、この胸像は特に重要ではありません。」と述べるように、三島が惚れ込んだアンティノウス像はこれらの傑作と比べると明らかに見劣りします。

私自身、アンティノウスの立像があるロタンダには何度も足を運んでいますが、全く印象に残っていません。写真にも収めていませんでした。ですが、この写真にも写さないようなアンティノウスの像を三島由紀夫は愛してやまなかったのです。その愛着ぶりは上の三島の言葉にある通りです。わざわざローマを去るにあたり別れの挨拶までしているほどの心酔ぶりでした。
これはやはり三島の芸術観、あるいは好みの問題として非常に重要なものがあると思われます。このことについて、後の箇所で宮下氏は次のようにも語っています。
芸術的な関心というよりも、自分の偏愛するモデルの登場するものに心ひかれ、そうした個人的な趣向と自分の審美眼とが重なり合ってしまうという傾向です。
なるほど・・・。三島由紀夫は芸術的な関心というよりも自分の偏愛するイメージをギリシャ、ローマに重ね合わせていたとも言えるかもしれません。
そしてここで興味深いのは三島がローマでカピトリーニ美術館やボルゲーゼ美術館も訪れているのにカラヴァッジョ作品についてほとんど言及していないという点です。


バロック時代を生きた光と闇の画家カラヴァッジョの作品も同性愛的な志向があることで有名です。ですが三島はこの名画の数々には関心がなかったようです。これはどういうことなのでしょう。同じく『三島由紀夫の愛した美術』では次のように述べられていました。
宮下 それで、私が専門にしているカラヴァッジョと対照して考えるとわかりやすいのですが、カラヴァッジョは、カピトリーノ美術館、これは新宮殿の方ですが、そこにも《洗礼者ヨハネ(解放されたイサク)》のような有名な作品があります。しかし、三島は一言も触れていません。これには、当時日本ではカラヴァッジョについてほとんど紹介されてなかったとか、ゲーテの『イタリア紀行』に出てこないとか、いくつか理由がありますが、もう一つ言えるのは、三島はリアルすぎるものが好きじゃないんです。カラヴァッジョは明暗の対比を強調したり、庶民を画面に出したりすることで、対象をリアルに描き、近代リアリズムの始祖と言われるんですが、三島はそういうものが好きではなかった。
井上 すると、ギリシア彫刻の均衡、抑制と秩序、構成美に対する愛着と、ロココ趣味とがどう繋がるのかというと、リアリズムではないという点で繋がるんですね。
宮下 そう言ってよいと思いますね。いずれも、現実から離れ、理想美や理想郷を志向したものであるという共通点があります。
「三島はリアルすぎるものが好きじゃないんです」
「現実から離れ、理想美や理想郷を志向した」
おぉ!こう言われると、まさに三島由紀夫の文学や生き方とも明らかに繋がってきます。三島がカラヴァッジョを好まない理由はこうした背景があったのですね。さらに言えば、三島が愛したアンティノウスと比べると明らかに肉体が中性的と言いますか、細く柔らかい雰囲気があります。周知のように、三島は30歳頃からボディビルを始め、肉体改造に勤しんでいます。三島初の書き下ろし長編『仮面の告白』でも語られていたように、強くたくましい肉体に憧れた三島がカラヴァッジョの中性的な男性像にあまり好意を持たなかったのも頷ける気がします。
さて、ここまでバチカン美術館と三島由紀夫についてお話してきましたが、ここで参考にした『三島由紀夫紀行文集』にはその後の三島の旅行記も収録されています。
ですので海外だけでなく日本国内の紀行文も読むことができます。私個人としては昭和35年の三島のカリフォルニア・ディズニーランド訪問について言及された「美にさからうもの」という紀行文がとても印象に残っています。三島はここでディズニーランドを高く評価しています。
こうした様々な三島の紀行文を読めるのが本書『三島由紀夫紀行文集』の魅力です。
そして本書所収の『アポロの杯』には三島の原体験とも言えるギリシャ・ローマ体験がこれでもかと詰まっています。彼の文学や生き方を知る上でも非常に参考になる作品です。三島由紀夫ファンの方だけでなく、ギリシャ・ローマを訪れる方にもぜひおすすめしたい一冊です。
バチカン美術館の見どころとは少しずれてしまいましたが、普通の観光とは一味違った楽しみ方としてご紹介させて頂きました。
続く
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