昭和、男もつらかった 19 いとこたち
昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。
これまで生年や生まれ故郷、父・吉太郎(祖父)、母・ハル(祖母)、二人の結婚などに続いて、二夫を産んだときのお産、そして一粒種につけた「二夫」という名前の由来を述べた。続いて、古い除籍謄本を参照しつつ一族について俯瞰した(①、②、③)。
ここからしばらくは二夫の幼少期について述べていく。と言っても資料があるわけではない。これは、これまでnoteに綴ったのちの二夫の妻・ミヨ子(母)の物語「文字を持たなかった昭和」や、吉太郎の物語「文字を持たなかった明治」も同様で、娘の二三四(わたし)が子供の頃などに親戚や近所の人から聞かされた「昔の話」をもとに――中には本人が語ったことも含まれるが――、本人や周囲の人と成りから構成するものだ。つまりはかなりの部分が想像である。
ただ、時代背景などはインターネット情報などを参考にできるだけ当時の状況を加味して、リアルさが増すように努めてきたし、二夫の物語についても同じように進めていく。
さて、幼少期の二夫である。
両親が高齢どうしの再婚だったせいか当時珍しい一人っ子だった二夫だが、「一族について②」で述べたように、たくさんのいとこたちや若い叔父叔母たちと交わりながら育った。日常を共にする人々の中で最も年少だった二夫は、可愛がられもし甘やかされもした。
いとこたちの家は呼べば声が届く距離にありいつも行き来していたから、きょうだいがいなくても、二夫が寂しさを感じることはなかった。むしろ、大所帯の楽しさ、心強さのほうが勝っていた。時に従兄たちからからかわれたりわざといたずらされたりしても、こんどは従姉たちが庇ってくれた。
つまり二夫にとっていとこはきょうだいのようなものだった。人数が多いので二夫は「〇〇兄ょ(あにょ)」「〇〇姉」などと呼び、大人になってからもそれは続いた。
のちに生まれた娘・二三四が子供の頃も家にはさまざまな親戚が出入りしており、多くは「〇〇兄ょ」たちか、それらに関係する人々――配偶者や子供、やがては孫――だった。「〇〇姉」たちは嫁に出てしまったので滅多に会うことはなかったが、噂話には上った。
子供の二三四はそれぞれの親戚と両親(とくに父親)、そして自分との関係について把握しようとするのだが、二夫が呼ぶのは「兄ょ」ばかりのうえ人数が多い。二夫は聞かれればその都度「〇〇伯父の〇番目の子供で、オレのいとこ」と説明するのだが、登場人物が多すぎていちいち覚えていられない。二三四はやがて詳しく理解するのをあきらめ、小さな頭の中の「父ちゃんが家(い)の親族(しんじ)」というカテゴリーの中に放り込んだ。
その点母親のミヨ子のほうは弟妹(二三四にとっての叔父叔母)が4人ときわめてわかりやすかった。母親の直接のきょうだいという「近さ」もあって、二三四にとっては母方の叔父叔母のほうに親近感があった。
