昭和、男もつらかった 16 一族について①
昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。
生年や生まれ故郷に続き、父・吉太郎(祖父)、母・ハル(祖母)、再婚どうしだった二人の結婚など家族について述べた。ハルのお産、そして年取ってからの一粒種につけた「二夫」という名前の由来も。
さて、「両親と一人っ子」という家族構成を当たり前のように書いている。実際、吉太郎が一代で買った家に住んでいたのはこの3人である。
しかし、昭和3(1928)年に吉太郎たちの婚姻と、同時に二夫の出生を届け出た戸籍には21人(!)もの名前がある。
吉太郎の物語「文字を持たなかった明治」で吉太郎一家の戸籍については度々触れたのだが、明治に入って吉太郎の父親・源右衛門を戸主として戸籍が作られたあと、その死亡後吉太郎の兄で長男の仲太郎が、仲太郎の死亡後は同じく兄で三男の庄太郎戸主を承継した(二男は戸籍自体に記載がない)。二夫の物語を綴っている娘の二三四(わたし)が今見ているのは、庄太郎が戸主になったあとの戸籍だ。
記載の重複や除籍された人を除くと戸籍の成員は17人。吉太郎のきょうだい6人のうち、亡くなった長男と嫁に出た女性、婿養子に出た末っ子以外の3人はまだ同じ戸籍に入っていて、戸主以外はそれぞれ「弟」と記載されている。
弟の妻は「弟妻」、それぞれの子供は「甥」「姪」と、あくまで戸主(庄太郎)からみた続柄だ。当然ながら、ハルは「弟妻」、二夫は「甥」と記載されている。
したがって、この戸籍には戸主一家と、四男(源太郎)、五男(吉太郎)の三つの世帯――いま風に言えば、だが――の戸籍が混在している、という複雑な構成になっている。
複雑と書いたが、当時ではこの程度の複雑さは当たり前だったかもしれない。6人というきょうだいの数も飛びぬけて多い方でもなく、むしろ少なめだろう。きょうだいの一部が若くして亡くなったり婿養子に出たりしているので、3世帯分で収まっているとも言える。
そもそも、吉太郎は自分の家を持った時点で物理的には「独立」していた。二三四の理解によれば、四男の源太郎も別に家を持っている。言葉を換えれば、戸籍上はともかく、既婚の男性たちはそれぞれが一国一城の主になっていたのだ。
しかしまた別の見方をすれば、家族を持ち家を成しても、戸主=家長(父親、長男あるいはそれに準ずる男性)を中心に、一族はまとまっていた(戸主の管理下にあった、とも言える)。
ちなみに、この3つの世帯の建屋は近接していた。庄太郎と源太郎の家はほぼ隣接しており、母屋と離れといった風情だったし、吉太郎の家もこの2軒の庭先から呼びかければ声が届くほどの近さにあった。それ以外のやや血縁が遠い親族もその辺りに何軒も住んでいた。
ハルが二夫を産むとき「近所の親族の女性が手伝っただろう親族の女性たちが手伝っただろう」としたが、当然のこととしてそう書いたのだった。
