昭和、男もつらかった 13 一粒種は「二夫」

 昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。

 生年生まれ故郷に続き、当時珍しい一人っ子だった二夫の人格形成に大きな影響を及ぼしたであろう家族について述べた。父・吉太郎(祖父)母・ハル(祖母)、そして再婚どうしの結婚についても。

 吉太郎48歳、ハル38歳という当時でなら「超」のつく高齢での再婚であったが、思いがけずなのか、最初からそのつもりもちゃんとあったのか子供が生まれた。それが二夫である。戸籍に記載された二夫の出生日は昭和3(1928)年3月20日。届出日は1週間後、吉太郎たちの婚姻の届出と同日だ。

 吉太郎の前妻セキが大正14(1925)年の7月に没した後すぐにハルとの縁談が持ちあがり、大正の終りには吉太郎たちは(届出はともかく)結婚生活を始め、昭和2年に二夫が生まれたのだと思われる。

 こうして二人ともそれぞれ「年を取ってからの子供」ができた。ハルの年齢からしてその先何人もの子宝は期待できず、この子供が「一粒種」になることを二人は覚悟したことだろう。令和のいまこう言えば大いに語弊があるが、幸いなことに男の子である。吉太郎が裸一貫から築き上げた財産をきちんと受け継いでくれる次の世代を「確保」できた、ということでもあった。

 跡取りとなる子供に、吉太郎は「不二夫」という名前をつけた。意味はもちろん唯一無二、ほかにいない、ということだ。日本一高い山だという富士山と同じ音である点も気に入っていた。小学校すら行っておらず文字の読み書きがほとんどできない吉太郎でもこのくらいの文字は読め、なんとか書くこともできた。

 吉太郎のように読み書きがほとんどできない庶民――近隣はそんな人々ばかりだった――は、役所への届出と言えば誰かに頼むしかない。親戚か知り合いか、はたまた多少の心づけで手続きに行ってくれる「代書屋」がいたのか、吉太郎は子供の名前を伝えて届出を頼んだ。自分とハルの婚姻の届出も。

 ところが頼まれたほうは、「ふじお」を「つぎお」と聞き間違えた。「つぎお」なので「二夫」であろうと早合点したのか。はたまた、長男なのだから「二夫」はおかしいと思うほどには、吉太郎と親しくはなかったのか。結果のとおり「不二夫」は「二夫」と届け出られた。

 届出から戻った人にそう聞かされたとき、何年か学校に行ったことのあるハルはともかく、吉太郎は息子の名前と呼び方にさほどこだわらなかったことだろう。子供の名前を書く機会などないし、「ふじお」も「つぎお」もよく似ている。いつの間にか呼び方も「つぎお」になり、周囲もそう呼ぶようになった。

 こうして、二人にとって初めての子供にもかかわらず、「二夫」という名前になった。だがもし吉太郎の頭に、亡くなった前妻との間の、これまた亡くなった女の子のことがあり、生まれた子は二番目だと思う気持ちがあったとしたら、吉太郎もなかなかやさしい心根の持ち主だったということだ。

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