昭和、男もつらかった 11 家族(母親)
昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。
生年や生まれ故郷などのあと、当時珍しい一人っ子だった二夫の人格形成に大きな影響を及ぼしたであろう家族について述べることにして、前項では父親の吉太郎(祖父)について概観した。
次は母親のハル(祖母)についてである。二夫の娘・二三四(わたし)には、「やり手」の夫に負けないほど能力が高かったこの女性の生涯についても書き残しておきたい気持ちがあるので、詳細はその機会に譲るとして、ここでは簡単に触れる。
ハルは明治22(1889)年、吉太郎と同じ農村地帯の少し離れた集落に生まれた。農家の三女である。学校と名の付くものにほとんど通わなかった吉太郎と違い、ハルは小学校には入った。しかし中退したと二三四は聞いている。働けるほど育った子供をいつまでも学校に通わせるゆとりがないのは、当時の庶民の親の常だったから、ハルが特別かわいそうなわけでもなかった。がハル自身はもしかするともう少し学校に通いたかったかもしれない。
やがてハルは東京へ奉公に出される。親戚の誰かの紹介か、先に奉公に出た知り合いからの誘いか。いずれにしても本人の意思から出た話ではなかったはずだが、東京で一定期間働いたことはハルにとって大きな「収穫」だった。
奉公先――おそらくは山手のとても裕福な家庭――の奥様から、ハルはいろいろなことを学んだ。そこで覚えた家事や裁縫などは、いわば当時の最先端だったはずだ。仕事の合間には、奥様からいろいろな話を聞いたし、たまには本も読んだ。
しかしそんな日々は大正12(1923)年に発生した関東大震災で潰えてしまう。
故郷に戻ったハルはほどなく1回目の結婚をするが、子供ができなかったため実家へ「出戻る」。そして、縁あって吉太郎と再婚した。
前項でも述べた通り、地所を広げること(だけ)が生きがいの吉太郎は家計にはまったく関心がなかった、あるいはあえて知らぬふりをしていたから、ハルは自分が「稼ぐ」ことで必要な出費を捻出した。簡単に言えば野菜や、手作りの味噌醤油を町まで売りに行ったのだ。二夫の学費もこうして稼いだ。
例えて言えば、ハルは家事育児と仕事を両立するキャリアウーマンだった。もちろん、当時(いまでも)農村のほとんどの女性は、家のことと農作業の両方をこなしてきたわけだが、自分の才覚で「ビジネスチャンス」を作って現金を稼ぎ出すほどの女性は、少なくとも昭和の初め頃はそう多くなかっただろう。
ハルは老年期に入ってもよく働いたが、亡くなる数年前からボケ、いまでいう認知機能の低下が見られるようになり、昭和53(1978)年に89歳で没した。
そんなふうに内助の功に納まらない活躍ぶりを見せつつ年を重ねていったのがハルだった。当然、というと語弊があるだろうが、勝気で一筋縄ではいかない性格でもあった。ただ、これも当然かもしれないが、一人息子の二夫には限りなくやさしかった。いや、甘かったと言っていいかもしれない。それもまた、二夫の人格形成に大きく影響したはずだ。
