昭和、男もつらかった 17 一族について②
昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。
これまで生年や生まれ故郷、父・吉太郎(祖父)、母・ハル(祖母)、二人の結婚などに続いて、二夫を産んだときのお産や、一粒種につけた「二夫」という名前の由来を述べた。
前項では、同じ戸籍に(今ふうに言えば)3世帯17人の一族が記載されていることを書いたが、引き続きその戸籍を「観察」してみる。
二夫が育ったのは「両親と一人っ子」という、当時では極めて珍しい家族構成の中で、ではあった。しかし、一族17人が至近の場所に住んでもいたわけだから、現代で考える核家族、三人家族とはかなり趣が違っていた。
一族の最年長者は、二夫にとって祖母に当たるスヱ(天保2年、概ね1931年生れ)。吉太郎の兄で三男、戸主の庄太郎には、妻ヨシ、長女ヱダ、長男藤一、二男武二、三男秋良、四男忠吉、二女フサエ、三女タツエがいる(9人)。同じく兄で四男の源太郎の妻チヨは大正7年の死亡で「婚姻解消」され、この戸籍の成員としては記載されていない。子供は二女ハル、二男廣二、三女アキである(4人。長女と長男は、ひとつ前の戸籍によればそれぞれ幼くして亡くなっている)。そして吉太郎の家族が3人、合計17人だ。
つまり二夫の幼少時、ほぼ同じ場所に10人の「いとこ」たちがいたことになる。
父親の吉太郎自身晩婚で、二夫から見ればほとんどお爺さんの年代だったから、伯父や伯母も然りだっただろう。「いとこ」も同様で、いちばん上のヱダは明治38(1905)年生れだから、昭和3(1928)年生れの二夫からすれば母親と言ってもおかしくない。
ほかのいとこたちも大正世代までで、最も年の近いいとこでも大正13年生れだ。つまり二夫はいとこどうしの中でいちばんおチビちゃんだった、ということになる。二夫は一人っ子ではあっても家で一人でいることはなく、いとこたちの中に混じっては、お兄さんお姉さんたちと遊んだり、何かを教わったりして育ったはずだ。
物質的にはけしてゆたかでない環境にあっても、二夫は周囲から可愛がられて育ったことだろう。一面においては甘やかされたということでもあった。
