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本能寺の変1582 【重史254】 「イエズス会日本年報」 №6-060 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史254】「イエズス会日本年報」 №6-060

はじめに ←目次 【記事一覧】 
【五大要因】
 
1時代の風潮 2二人の個性 3光秀の苦悩 4武田の滅亡 5信長の油断  
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
 【四国問題】    目次 【四国問題 概要】   十
 【粛清 佐久間信盛】 【重史240】
 【京都馬揃え】 【重史191】 【重史200】 【重史201】 【重史202】
 【重史242】 【重史243】 【重史244】 【重史245】 【重史246】
 【重史247】 【重史248】 【重史249】 【重史250】 【重史251】
 【重史252】 【重史253】 【重史254】
 【さらなる夢】 【重史140】 【重史141】 【重史142】
 【足蹴事件】 目次 1/3 2/3 3/3 【重史040】 【重史041】
 【信長という男】 目次
 1/5  2/5  3/5  4/5  5/5  結論  【重史146】
 【光秀という男】 目次
 1/7  2/7  3/7  4/7  5/7  6/7  7/7  
 結論 目  1/8 目  2/8 目  3/8 目  4/8 目  5/x 目  6/x 目  7/x 目  8/x 目  9/x
 10/x 目  11/x 目  12/x 目  13/x 目  14/x 目  15/x 目  16/x 目  17/x 目  18/x 目 
 【重史241】 1/2 2/2 【重史001】 【重史101】
 【時は今・・・】 目次
 0521 目 0526  0527  0528 目 0529
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 3光秀と光慶  (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】
 【信長の人物像】 6 7 8 9 10
【ここがポイント!!】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正

【重史254】                    №6-060

①第三の好意は我等に夜の祭を観せたことで、

②この祭は・・・パードレのために行ったものである。

③パードレが暇乞のために行った際、

④望みがあればこれを観せよう

⑤信長は城の塔に各種の色の提灯を飾らせた

⑥街路の両側に・・・松明を持った多数の人を整列させ、

⑦昼の如く大いに明るくなった。

⑧信長は・・・楽しんだか、何と思ったかと尋ね、

⑨(信長は)大なる親愛と歓喜を示して

⑩(信長は)パードレに出発の許可を与へた。

                  「イエズス会日本年報」


天正九年1581、七月**。               1581007**

 【重史252】 一、信長は、ヴァリニャーノに気に入りの屏風を贈った。
 【重史253】 二、信長は、ヴァリニャーノに経済的援助を約束した。

三、信長は、ヴァリニャーノのために「夜祭り」を執り行った。

 第三の好意は我等に夜の祭を観せたことで、種々の事情から推して考へれ
 ば、この祭は彼が言ったやうに偶然でなく、パードレのために行ったもの
 である。

 この祭は日本人が火を焚き、提灯(ちょうちん)を門に吊るして行ふもの
 で、ヨーロッパにおいて公(おおやけ)の祝祭日に行ふ如きものである。

ヴァリニャーノ、別れの挨拶。

 祝祭の日が近づいた頃、パードレが暇乞のために行った際、

信長、ヴァリニャーノを夜祭りに招待。

 信長はこの祝祭を見ることを勧め、城内に新規の工事を起したから、
 もし望みがあればこれを観せようと言った。

 パードレはこれを断ることができなかったので、
 信長は城内の清掃を命じ、その終わった後彼を招くであろうと言った。

ヴァリニャーノ、十日延期。

 そこでパードレはこれを待って祝祭の日まで十日間滞在の余儀なきに至っ
 た。

惜別の夜。
これが、安土の「夜祭り」である。

 例年は武士及び大身等が各戸で火を焚き提灯を吊すのみで、
 城中では何もしなかったが、

 本年は信長の命令によって武士はその家で恒例の火を焚き提灯を吊すこと
 を止め、

 信長は城の塔に各種の色の提灯を飾らせたところ、
 塔が甚だ高いので頗る立派な観物であった。

 このほかにわがカザ(住院)の角から始まって山の裾を通り、
 城に達する街路の両側に、
 手に松明(たいまつ)を持った多数の人を整列させ、
 松明は皆同時に火をつけたので昼の如く大いに明るくなった。

 而してその間を多数の青年武士及び兵士が走り、彼らの武勇と熟練を示し
 た。

信長は、ヴァリニャーノから多大な影響を受けた。
二月~七月=ヴァリニャーノの上洛~安土の夜祭り。
信長は、濃密な時を過ごした。

 この祝祭で夜の大部分を過ごした後、
 信長はわがカザの門を通過したので、
 ビジタドール(巡察師ヴァリニャーノ)は他のパードレ達と共に門に出で、

 信長は暫く留って彼等と話し、
 祝祭を見て楽しんだか、
 何と思ったかと尋ね、

信長は、ヴァリニャーノに大きな親愛の情を示した。

 大なる親愛と歓喜を示してパードレ達と別れた。

信長は、ヴァリニャーノに出発の許可を与えた。

 翌日使いを遣はしてビジタドールにパードレ一同と共に城に来ることを命
 じ
 再びすでに観たるもの及びその後造った建築を観せたが、皆観覧の価値あ
 るものであった。

 最後にパードレに出発の許可を与へた。
                      (「イエズス会日本年報」)

信長は、ヴァリニャーノに強烈な印象を残した。
これより帰路へ。



 【引用】【京都馬揃え】 【重史254】
     【さらなる夢】
     【光秀という男】 結論 17/x
     目次
     結論 目 15/x
     【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次



 ⇒ 次へつづく




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