温故知新(79)箸墓古墳 行燈山古墳 渋谷向山古墳 三輪山 アレクサンドリア チチェン・イッツァ 穴師山(弓月ヶ岳) 穴師坐兵主神社 ジェッダ サーペント・マウンド 大和神社 長岳寺 ポヴァティ・ポイント 南極ピラミッド
荒俣 宏氏は、著書で、箸墓古墳、崇神天皇陵(行燈山古墳)、景行天皇陵(渋谷向山古墳)、三輪山、斎槻岳(ゆづきがたけ)と夏至の太陽、冬至の太陽の関係について述べています1)。これらの関係については、下記のブログにもあります。
宮内庁により倭迹迹日百襲姫命の墓と治定されている箸墓古墳は、アレクサンドリアとレイラインでつながっていますが、三輪山とアレクサンドリアを結ぶラインは、箸墓古墳と日葉酢媛命の墓と推定される渋谷向山古墳を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。

箸墓古墳とチチェン・イッツァを結ぶラインは、三輪山と渋谷向山古墳を結ぶラインとほぼ直角に交差し、箸墓古墳とチチェン・イッツァを結ぶラインの近くには、多度大社(三重県桑名市)、大八洲真中とされる生島足島神社(長野県上田市)、仙台大観音(仙台天道白衣大観音)(宮城県仙台市)、羽生天神社(黒川郡大郷町)、早馬神社(気仙沼市)があります(図2、3)。


箸墓古墳や狭穂姫命の墓と推定される行燈山古墳は斎槻岳の方向を向いているといわれます1)。穴師山(弓月ヶ岳)とジェッダを結ぶラインは、倭迹迹日百襲姫命 大市墓 拝所(奈良県桜井市)と崇神天皇 山辺道勾岡上陵 拝所(天理市)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、「竺紫の日向の高千穂」と推定される摩耶山や出雲大社の近くを通ります(図4,5)。穴師山(弓月ヶ岳)と倭迹迹日百襲姫命 大市墓 拝所を結ぶラインは、大兵主神社(穴師坐兵主神社)(奈良県桜井市)、箸墓古墳の中央を通り、崇神天皇 山辺道勾岡上陵 拝所と穴師山(弓月ヶ岳)を結ぶラインは、行燈山古墳の中央を通ります(図4)。穴師山(弓月ヶ岳)には人為的につくられたような段があるようです。


大兵主神社に合祀された穴師坐兵主神社は、元は弓月岳の頂上付近にあったとのことで、「兵主神」は須佐之男命(孝霊天皇)と推定されるので、箸墓古墳や行燈山古墳は、穴師山(弓月ヶ岳)にあった穴師坐兵主神社の方向を向いていると推定されます。
渋谷向山古墳は、奈良県桜井市にある伊弉冊尊、伊弉諾尊、速玉命を祀る瀧蔵神社(桜井市)の方向を向いています(図6、7)。渋谷向山古墳と瀧蔵神社を結ぶラインは、三輪山と石上神宮(天理市)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、このラインの近くには閼伽井不動尊(あかいふどうそん)があります(図6)。渋谷向山古墳と三輪山を結ぶラインの近くには相撲神社(桜井市)があり、石上神宮と渋谷向山古墳を結ぶラインは、行燈山古墳を通ります(図7)。垂仁天皇の時代に、当麻蹴速と野見宿禰が力比べをしたといわれ、相撲神社境内には、勝った宿禰を祀る祠や、土俵などがあります。これは、渋谷向山古墳が垂仁天皇の后の日葉酢媛命の墓と推定されることと整合します。


垂仁天皇の后の狭穂姫命や日葉酢媛命は、倭迹迹日百襲姫命(卑弥呼と推定)と同様に祭祀女王と考えられるので、これらのレイラインと整合します。
箸墓古墳とハドソン湾を結ぶラインは行燈山古墳を通ります(図8)。また、南極大陸や日本の旧石器時代の遺跡やイギリスの古代遺跡などとつながりのあるサーペント・マウンド(Great Serpent Mound、オハイオ州)と箸墓古墳を結ぶラインは、穴師山(弓月ヶ岳)と行燈山古墳を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図8)。倭迹迹日百襲姫命が吉備から大和に移ったとすると、高天原にあったと推定される、吉備の王墓山自体がサーペント・マウンドのような遺構ではないかという説と整合します。

箸墓古墳と行燈山古墳を結ぶラインの延長線近くにある長岳寺(天理市)は、824年、淳和天皇の勅願により弘法大師空海が大和神社の神宮寺として創建した古刹です。長岳寺とオリンポス山を結ぶラインは、大和神社の境内にある倭国造の市磯長尾市を祀る増御子神社を通ります(図9)。

穴師山(弓月ヶ岳)と増御子神社を結ぶラインは長岳寺の近くを通り、箸墓古墳とポヴァティ・ポイント・ワールド・ヘリテイジ・サイト(Poverty Point World Heritage Site、ルイジアナ州)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。また、ナスカのカワチ(Cahuachi)遺跡と箸墓古墳を結ぶラインは、穴師山(弓月ヶ岳)の近くを通ります(図10)。

大和神社と「南極ピラミッド」を結ぶラインは箸墓古墳の近くを通ります(図11)。

文献
1)荒俣 宏 1997 「神聖地相学世界編 風水先生レイラインを行く 」 集英社文庫
