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温故知新(93)吉備姫王 カナヅカ古墳 倭姫王 操山106号墳 大田皇女 車木ケンノウ古墳 大伯皇女 越智崗上墓

 吉備姫王(きびひめのおおきみ・きびひめのみこ)は、桜井皇子(第29代欽明天皇の皇子)の王女ですが、母は未詳です。茅渟王押坂彦人大兄皇子の子)の妃となり、宝皇女(第35代皇極天皇・第37代斉明天皇)・軽王(第36代孝徳天皇)を儲けました(図1)。

図1 第30代敏達天皇から第41代持統天皇までの系図(大田皇女の母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘とされていますが、古人大兄皇子の娘・倭姫王と推定

 奈良県高市郡明日香村平田にある吉備姫王墓は、カナヅカ古墳が真の墓と推定されています。カナヅカ古墳と大伯皇女の墓と推定される大田皇女越智崗上墓を結ぶラインは、素盞鳴命神社(高市郡高取町)とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。このラインから、大伯皇女は、吉備姫王と関係があると推定されます。

図2 素盞鳴命神社、カナヅカ古墳、大田皇女越智崗上墓を結ぶ三角形のラインと吉備姫王墓、素盞鳴命神社とスカラ・ブレイを結ぶライン

 大伯皇女の祖母で、大田皇女の母と推定される天智天皇の皇后の倭姫王(図1)は、第34代舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子の娘で母は未詳ですが、天智天皇の祖母の吉備姫王と関係があると推定されます。吉備姫王や倭姫王は、吉備の楯築遺跡(岡山県倉敷市)の被葬者と推定される倭国香媛(天照大神と推定)と関係があると思われたので、カナヅカ古墳と楯築遺跡の関係を調べてみました。

 吉備姫王の墓と推定されるカナヅカ古墳と、楯築遺跡を結ぶラインは、倭姫命の墓と推定される湊茶臼山古墳(岡山県岡山市中区)の近くを通ります(図3)。このラインは、吉備姫王と孝霊天皇の妃の倭国香媛や垂仁天皇の皇女の倭姫命との関係を示していると推定されます。

図3 カナヅカ古墳と楯築遺跡を結ぶラインと湊茶臼山古墳

 図3のラインは、敏達天皇陵と推定される梅山古墳を通ります(図4)。これは、吉備姫王が、敏達天皇の孫の茅渟王の妃(図1)であることと整合します。

図4 図3のラインと梅山古墳

 図3のラインは、操山古墳群の操山106号墳の近くも通ります(図5)。

図5 図3ラインと操山106号墳

 大田皇女の墓と推定される車木ケンノウ古墳(奈良県高市郡高取町)と操山106号墳(岡山市中区門田本町)を結ぶラインは、大阪府富田林市にある空海ゆかりの瀧谷不動尊(明王寺)、武内宿禰を奉斎したのが始まりとされる櫻井神社(堺市南区片蔵)、舟木遺跡(兵庫県淡路市舟木)の近くを通ります(図6)。舟木遺跡の近くには、「太陽の道」といわれる線上に位置する第9代開化天皇と関係があると推定される舟木石上神社があります。このラインから、操山106号墳は大田皇女の母と推定される倭姫王(天智天皇の皇后)の陵墓と推定されます。

図6 車木ケンノウ古墳と操山106号墳を結ぶラインと瀧谷不動尊(明王寺)、櫻井神社、舟木遺跡

 天智天皇山科陵と旧太伯小学校を結ぶラインは、紀伊国一宮 日前神宮・國懸神宮(和歌山市)とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。

図7 日前神宮・國懸神宮、天智天皇山科陵、旧太伯小学校を結ぶ三角形のラインと操山106号墳、日前神宮・國懸神宮とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶライン

 楯築遺跡と旧太伯小学校を結ぶラインの近くに御間城姫の墓と推定される網浜茶臼山古墳があります(図8)。これらのラインから、旧太伯小学校のある岡山市東区神崎町には、大伯国の宮があったのではないかと思われます。

図8 太伯小学校と楯築遺跡を結ぶラインと網浜茶臼山古墳

 楯築遺跡と旧太伯小学校を結ぶラインの近くには、操山109号墳、湊茶臼山古墳、操山106号墳があり(図9)、御間城姫、尾張大海媛、倭姫命、倭姫王は、倭国香媛(天照大神と推定)の墓と推定される楯築遺跡と大伯国の宮を結ぶラインの中間に墓所を造ったと推定されます。楯築遺跡と大伯国の宮が結ばれているのは、倭国香媛(天照大神と推定)がイナンナとみなされ、大伯がイナンナを意味するためではないかと思われます。

図9 図8のラインと網浜茶臼山古墳、操山109号墳、湊茶臼山古墳、操山106号墳

 これらのレイラインから、吉備姫王や倭姫王は、孝霊天皇の妃の倭国香媛(天照大神、大日孁貴と推定)の後裔と推定されます。