毒親とダミ声の猫 〜そこにある愛に気づくまで〜 #創作大賞2026 #エッセイ部門 応募作品
結婚と勘当
裕子の実家には、ダミ声の猫がいる。名前は「金ちゃん」。母の愛猫だ。
その鳴き声を文字にするのは難しい。普通の猫のように「ニャーニャー」とは鳴かないからだ。
無理やり表現するなら、「ヌギャー、ヌギャー」といった感じだろうか。
毛色は茶トラ。尻尾は途中で丸まっていて、毛並みもボサボサ。一目惚れされるような猫では決してない。今年で十一歳になるという。
裕子が「可愛い」とは到底思えないその猫を、母はとても可愛がっている。
母は「もう猫は飼うまい」と思っていたそうだ。しかし、まだ目も開かないような仔猫がダンボールに入れられて捨てられているのを見つけ、放っておけなかったらしい。
母が金ちゃんを呼ぶとき、声はワントーン高くなる。
「金ちゃーん♡、金ちゃーん♡」
そう呼ぶと、金ちゃんは「ヌギャー、ヌギャー」と返事をしながらやって来る。
先日、ワタシは久しぶりに一人で実家へ帰った。
去年の三月、母と電話で大喧嘩をしたとき、「もう二度と帰ってくるな」と言われて以来、心に澱のように溜まっていたものが、ようやく晴れたからだ。
ワタシもそのとき、「もう二度と帰るものか」と言いたかった。
だが、その言葉は飲み込んだ。口にしてしまえば、本当に取り返しがつかなくなりそうな気がしたからだ。
その代わり、メールでこう送った。
「お母さんはものすごく口が悪いから、兄に捨てられないようにね」
母が兄に何かくどくど言ったらしく、兄から「もう帰らないよ」と言われたと母から聞いていたからだ。
そのメールを最後に、ワタシから連絡を取ることはできなかった。
ワタシが大人になってからというもの、母とはずっと上手くいっていなかった。
母は事あるごとに禁止や命令をしてきた。
結婚を大反対されたときもそうだった。
「ワタシの人生なのだから、責任はワタシが取る。母からとやかく言われたくない」
そう思ったワタシは、黙って入籍した。
その結果、勘当された。
妹の結婚式にも呼ばれなかった。
子どもが生まれたとき、父が「教育上よろしくないから」と母を説得し、ようやく実家への出入りが許された。
それ以来、母は事あるごとに言った。
「あんな男と結婚して」
そのたびに言い争いになった。
ワタシも母も、一歩も引かなかった。
次第にワタシは、母とは相当相性が悪いのだと思うようになった。
占星術でも、母とワタシの太陽はぴったり九十度のスクエアという、あまりよろしくない角度だった。それもまた、その思いを強くさせていた。
その一方で、ワタシは自分の子どもとはとても仲が良かった。
子どもとは上手くいくのに、なぜ母とは上手くいかないのだろうとよく考えていた。
しかし近年は、母と上手くいかない理由を探すのはやめ、「相性が悪いから仕方がない」と考えることで、自分を慰めていた。
学費の負担
ワタシが母の大反対を押し切って結婚したのには、理由がある。
社会人になりたての頃、「思考は現実化する」という名を冠した高額教材を買ったことがあった。上手い営業トークに、その気にさせられてしまったのだ。
母はそれを知ると激怒した。
結局その教材はお蔵入りになったが、そのときワタシの中に一つの決意が生まれた。
「二十八歳で結婚する」
他にも決めたことはあったはずだが、今でも覚えているのはそれだけだ。
そして実際に、二十八歳で夫と出会ったとき、ワタシを結婚へと動かしたのは、その「決めていた未来」だった。
ワタシは二十五歳のときに一度結婚を断念している。結納まで済ませたが、成就しなかった。
本当は大学卒業と同時に結婚したいと母に伝えたこともある。だが母は即座に「まだお金がない」と却下した。
母は三人の子どもを、奨学金なしで大学や短大へ通わせていた。
それは、母自身が結婚当初に父の奨学金返済で苦労した経験からだった。子どもには同じ思いをさせたくないという一心だったのだ。
兄は一浪して国立大学へ進み、ワタシは現役で私立の薬学部へ、妹は短大へと進学した。そのため二年間は三人分の学費が重なった。
とりわけ薬学部の学費は大きかった。年間二百万円に加え入学金や仕送りまで含めれば、相当な金額になる。
母は蓄えを切り崩しながら、子どもたちの学費を支えていた。母は、学費の話を持ち出すことが少なくなかった。
その負担の大きさは、今なら容易に想像できる。
母に大金をかけてもらったことへの感謝は、もちろんあった。
だが、それとこれとは別だった。
あのときのワタシは、どうしても母を許すことができなかった。
母の喪失
父も母も大の猫好きで、小学校三年生まで過ごした海辺の家には、いつも猫がいた。
その頃は三〜四年ほどで猫が入れ替わっていた。毒入りの餌を食べてしまったり、祖母の魚を盗み食いして「出ていけ」と言われ、そのまま帰ってこなかった猫もいた。
特別に可愛がられた猫がいたわけではない。それでも、猫と暮らす日常の中で、ワタシは自然と猫好きに育っていった。
環境の影響が大きいのだろうと思っていたが、子どもたちの猫好きについて母は「遺伝だね」と、父を懐かしんでいた。
五年前に父が亡くなったとき、母は深く悲しんでいた。
料理が得意だった母は、いつも丁寧に家族のための食事を作ってくれていた。
父と母だけになってからは、どこへ行くにも一緒だった。
長年連れ添った伴侶を失う悲しみは、想像の及ばないものだった。
ワタシたち兄弟は、少しでも母の悲しみが和らぐことを願い、かわるがわる実家に顔を出した。
当時ワタシはまだ仕事をしていたが、休みを調整しながら月に一度は実家へ帰り、母のベッドの横に布団を敷いて眠った。
子どもたちの誰かが帰ると、母は張り切って料理を作り、食べきれない分は帰りに持たせてくれた。
若い頃には、天ぷらが食卓いっぱいに並ぶこともあった。それを見た妹は「天ぷら大会だね」と笑っていた。
母は父にご飯を供えるたび、「お父さーん」と涙ぐんでいた。
その頃も、金ちゃんは母の心の支えだったのだろう。
金ちゃんは、たまに帰省するワタシを見るとすぐに逃げていった。ワタシにとっては、懐きもしない小汚いダミ声の猫だった。
それなのに母が呼ぶと、「ヌギャー、ヌギャー」と鳴きながらのそのそとやってくる。
母はさらに声色を変えて、金ちゃんに語りかける。
その姿は、父を失った悲しみの中で、言葉を返さない存在に愛情を注ぐことで心を保っているようにも見えた。
真っ暗な部屋
父が亡くなったとき、兄弟の中で泣いていたのは妹だけだった。
父の余命が残り少ないと知らされたときも、妹は泣いていた。その姿を見て、ワタシの心は複雑だった。
ワタシには、父との「泣けるほどの記憶」が思い当たらなかったからだ。
父との思い出を振り返ろうとしても、ワタシの中に浮かぶのは、なぜか温かな記憶よりも、幼い頃の寂しさだった。
父の膝の上は妹の専用だったし。ワタシには父の膝に座った記憶がない。
そう思ったとき、父の死そのものよりも、自分を哀れむ気持ちの方が強くあふれた。
海辺の街から新しい家に引っ越したあと、ワタシたち兄弟にはそれぞれの部屋が与えられた。
夜になると、妹は泣きながら両親の布団に入り込んでいた。それはまだ小学一年生の頃のことだ。今思えば、当然のことだったのかもしれない。
それでも当時のワタシは、いつも「お姉ちゃんなんだから」と我慢を求められ、欲しいものは妹に譲ることが当たり前になっていた。
良い思い出が積み重なるはずもなかった。
小学生の高学年の頃、理由も分からないまま、ワタシは毎朝泣きながら起きるようになった。
そんなワタシを母は「毎日毎日、朝から泣くな!」と叱責した。ワタシは自由に泣くことさえ許されなかった。それからは泣くのを我慢した。
なぜ泣いていたのか、今でもはっきりとは分からない。ただ、あの頃もし母が少しでも優しく接してくれていたなら、後の反発心はもう少し違う形になっていたのかもしれない。
小学校の修学旅行のときにも、ひとつ忘れられない出来事がある。
帰ってきた子どもたちを、多くの家族が迎えに来ていた。その中に母の姿はなかった。
大人になってからそのことを母に伝えると「誰も迎えに行ったことなんてない」と突っぱねられた。
けれど、ワタシが悲しかったのはそこではなかった。
家に帰れば母がご馳走を用意して待ってくれていると思っていたのだ。
しかし、その期待は裏切られた。家は真っ暗で誰もいなかった。
食卓に用意されていた簡単な食事にもがっかりしたが、それ以上に心に残ったのは別の光景だった。
真っ暗な家の明かりを自分でつけたあと、ひとりで待っていると、母と妹が楽しそうに笑いながら、当時飼っていた犬の散歩から帰ってきたのだ。
散歩に行くなら、迎えに来てくれてもよかったのに。
それができないのなら、せめて家で待っていてほしかった。
この想いは、大人になってからも心の傷として残り続けた。
確かな"毒"
母と喧嘩になったとき、仲裁をしてくれていたのは、いつも父だった。
怒り心頭の母をなだめ、「もう帰ってくるな」という言葉を「また帰ってこい」に変えてくれていた。
しかし今回は違った。
父はすでに亡くなっており、母とワタシをつなぎ直してくれる人は、もういなかった。
「帰ってくるな」は母の常套句だったが、今回は「二度と」という言葉が添えられていた。
さらに、「兄と妹がいるから、おまえなんかいなくていい」とまで言われたことが、どうしても許せなかった。
それは、親から子どもに向けて言うべき言葉ではないと感じたからだ。
その言葉をきっかけに、ワタシの中で「母は子どもをいじめる悪い親」という感情が強くなっていった。
やがてワタシは、その感情に名前をつけるようにして「毒親」という言葉で母と距離を置くようになった。母はいわゆる「毒親」の典型像とは少し違う。だが、母から向けられる言葉はワタシにとって、
それは、確かな"毒"だった。
これまでも、反対、禁止、命令。そして「従わないなら帰ってくるな」「もうお金は出さない」「そんなのお前だけだ」といった言葉が繰り返されていた。
ワタシは好きな人と結婚し、子どもを育て、孫にも恵まれた。今ではその生活に満足し、幸せに暮らしている。
それにもかかわらず、事あるごとに「あんな人と結婚して」と責められ続けることが、耐えられなくなっていた。
母にとっては、大きな犠牲を払って育てた娘が、自分の望まない選択をしたことが受け入れられなかったのだろう。
母の気持ちも、理解できないわけではない。
それでも、還暦が見えてきた今、孫も生まれようとしているというのに、ワタシは限界を感じていた。
自分が選んできた人生そのものを否定されているようで、どうしても納得がいかなかった。
「ワタシを何歳だと思っているの? もう十分に自分の人生を生きているのに、いつまで責め続けるの?」
愛猫の死
ワタシは数年前に、次々と愛猫を失った。最後に残っていたニャー君が旅立ったときの喪失感は、忘れ得ない苦しみとして尾を引いた。
三匹いた頃は、ワタシの愛情も分散されていた。猫たちも互いに寄り添い、穏やかに暮らしていた。
けれど、最後の一匹になったとき、様子は変わった。
ニャー君は急に甘えるようになり、ワタシの帰りを待ちわびた。マンションの階段を上がり玄関の前に立つと、ドアの向こうから必ず大きな鳴き声が聞こえてきた。外泊しようものなら、帰宅直後にテーブルへ飛び乗り、「ムミャムミャ」と、まるでしゃべるように鳴いて寂しさを訴えた。
そういえば、ニャー君も少しダミ声だった。
金ちゃんほどではないけれど、「ムビャームビャー」と鳴いていた。うまく真似はできないが、甘えるような「にゃぁ」ではなかった。
ニャー君は四つ足袋のサバ白。食いしん坊で体重が八キロあったこともある大柄な猫だった。出会いは、職場のお偉いさんの車のボンネットに入り込んでいたところを保護したこと。
小さな体に丸い目。その姿に一目惚れした。
そのとき、動物病院で保護されていた仔猫も一緒に引き取ることになった。キューちゃんと名付けたその仔猫は、グレーのアメショー柄で、とても人懐っこい男の子だった。
先住猫のミャーちゃんは、甘えるような鳴き声が可愛い女の子。スリムなサバ白で、小顔で手足が長く、尻尾もすっと立っていた。若い頃は獲物を持ち帰るので困らされたこともある。仔猫たちに慣れるまで時間はかかったが、やがて仲睦まじく暮らすようになった。
その様子は家族の癒しでもあった。
最初に亡くなったのはキューちゃんだった。生まれつき病弱で、症状が悪化した頃、急に外へ出たがるようになった。
仕方なく外に出したら、それっきり行方がわからなくなった。数か月後、衰弱した状態で保護されたが、翌朝には息を引き取っていたという。ワタシは冷凍庫の中で眠るキューちゃんを迎えに行った。
「点滴もして、目薬もさしてあげたんだよ。ネコエイズだったんだね。きっと家に帰りたかったんだろうね」
泣きじゃくるワタシに、係の人はとても優しかった。
ミャーちゃんは十五歳のとき、同じような症状で少しずつ弱っていった。家に帰ってくる時間が次第に減り、かなり衰弱して戻ってきたときには、ワタシの顔を見るなり、すぐに外へ出ていった。
最後の挨拶だったのだろう。
ニャー君も十五歳を過ぎた頃、突然外へ出たがった。そろそろお迎えがくるのかもと頭をよぎったが、今度は外に出さなかった。そして、その一週間後に自宅で看取った。
亡くなる前に、衰弱したニャー君を抱いて、泣きながら詠んだ和歌がある。
サバトラの
まん丸お目々に
一目惚れ
ボンネットから
保護された君
和歌というよりも、単なる言葉遊びのような文体だ。
だけど、五七五に当てはまる言葉を探すことでしか、気持ちを預けられる場所がなかった。
ひとつだけ、はっきりと思ったことがある。
ワタシの愛情が三匹の猫に分散されていたように、母の愛情もまた、三人の子どもへ分かれていたのだろう。
母は母なりの愛し方で、必死に子どもたちを育てていたのかもしれない。
その気づきは、母に愛されてこなかったと感じていたワタシの心を、少しだけ緩めた。
父の死では泣けなかったワタシが、愛猫の死では涙を止められなかった。その違いを思うとき、悲しみは「愛した量」ではなく、「共に過ごした時間の密度」によって形を変えるのだと感じた。
父のぬくもりを知っていた妹が泣いた理由も、きっと同じなのだろう。
祖母が亡くなったときも、幼い頃に一緒に暮らしていた孫だけが号泣していたことを思い出す。
喪失のあとに涙が出るということは、確かにそこに愛があったということなのだと思う。
そう思ったとき、父の死を泣けなかった自分を哀れんだ。
そしてまた、父の死を嘆く母に、
「泣けることは幸せなことだよね」
と声をかけた。
母の苦悩
今思えば、母から責められるたびに、父はいつもワタシの味方をしてくれていた。母と口論になると、必ず間に入って二人を止めてくれた。
それはまるで、父という緩衝役がいたからこそ、成り立つ関係だったようにも思える。父という存在がいたからこそ、ワタシは自分を保てていたのかもしれない。
あるときワタシは、「父に愛された記憶がない」と母にこぼした。
すると母は、ひどく残念そうな表情で、「お父さんは裕子をとても可愛がっていたのに」と言った。
そして、父がいつも財布に入れていたという写真を見せてくれた。
若い頃の父がバイクの前で、幼い子どもを大切そうに抱いている写真だった。その子どもがワタシなのだという。
物心つく前の記憶が残っているはずもなく、その言葉も写真も、実感にはつながらなかった。
それでも母と向き合う中で、「母もまた悩んでいたのかもしれない」と思うことが何度かあった。
「妹はいつも両親の間で寝ていたよね」とワタシが言ってしばらくしてから、母は一緒に寝ようと提案してきた。
それはまだ、ワタシが結婚する前のことだった。母なりに、過去を埋めようとしているようにも見えた。
修学旅行のときに寂しかったことを伝えたあとには、帰省のたびに最寄り駅まで迎えに来たり、見送りに来たりもした。
反抗的な娘に対して、母なりのやり方で距離を埋めようとしていたのかもしれない。
ただ、その努力はいつも、母の口の悪さによって打ち消されてしまった。
言葉は、ときに刃のように人を傷つける。
母の言葉は、いつもワタシの心に深く突き刺さっていた。
軽くなる心
ワタシが母への連絡を絶っていた頃、心の中には母を恨む気持ちがあった。
だから、こちらから連絡しないことが、言葉の刃を向けた母への復讐のようにも思えていた。
故郷の地は二度と踏むまい。
そんな覚悟さえしていた。
しかし、母を「毒親」のように悪く言うワタシに、子どもはいつもこう言った。
「おばあちゃんは少し違うよね。いいことも沢山してくれたから」
その言葉を、ワタシはすぐには受け入れられなかった。
認めたくなかった。
けれど、子どもと同じようなやりとりを重ねるうちに、
「そうだよね。確かに、そうかもしれない」
と思えるようになっていった。
そんな頃、一昨年の秋にライブで聞いた言葉を、偶然YouTubeで見つけた。
内容を要約すると、こうだった。
分からないことは先送りしてもいい。
けれど、今ある問題は先送りせずに向き合った方がいい。
その言葉が妙に心に残った。
ワタシは母を「毒親」だと思い、距離を置くことで問題は終わったものだと、自分に言い聞かせていた。
けれど、本当は終わっていなかった。
だからこそ、苦しみ続けていたのだろう。
問題を先送りするのはやめよう。
そう決めたワタシは、心理を学び、自分の思考や言葉を見つめ直し始めた。
そして、ひとつの答えに辿り着いた。
もの心つく前に抱いた寂しさや拗ねた心が、鏡のように母へ映し出されていたのかもしれないと。
そして、母にとってのワタシもまた、そうだったのかもしれないと。
ある日、遠くに住む子どもからLINEが届いた。
「おばあちゃん、お母さんと仲直りできたって、すごく喜んでいたよ」
その言葉に、少し驚いた。
母は強い人だから、そんなに気にしていないのだと思っていた。
けれど、そうではなかったらしい。
長いあいだ抱えていた心の奥に隠れていた傷は、ワタシだけでなく母をも苦しめていたのかもしれない。
もしかすると、母もまた幼いときの傷を背負っていたのかな。
ワタシが傷を洗い流せたことで、母の傷も一緒に洗い流せたのだろうか。
もし、そうだったとしたら、自分をクリーニングすることで、目の前に現れる人の傷を癒せるのかもしれない。そうだったらいいな。
これがワタシにとって必要な学びだったのだろうか。
今はまだよくわからない。
ただ一つ確かなのは、母と和解できたことで、ワタシはようやく長年抱えていた大きな荷物を下ろすことができた、ということだった。
記憶違い
母と話していると、ときどき記憶が食い違うことがあった。
そんなとき、思い出すことがある。
毎日通っていた橋の幅が、ある日突然広くなったように感じたこと。
新しく畑を購入する前に見たはずの川が、後から行くと見当たらなかったこと。
あったはずの川は、少し離れた場所に、見たこともない水路として出現していた。
記憶違いと言われればそれまでだ。
けれど、ワタシにはどうしても説明がつかない。
その強烈な記憶違いを体験したのは、二ヶ月ほど前だ。母娘問題を解決しようと決意して、思考改革に取り組み、思考と言葉が整ってきた頃だった。
思考改革に取り組む前とその後では、ワタシは全くの別人になったように心が穏やかになっていた。だからこそ、その強烈な記憶違いを単なる記憶違いとして片付けられなかった。
実際に目の前にいる母は、トゲトゲしい言葉をワタシに浴びせるような人とは全く別人へと変わった。
自分の思考と言葉を整えることが、これほどまでにも現実を変える力があるのかと思うと、少し恐ろしくなった。そんな体験をしたワタシは、ネガティブな思考を持つことも、ネガティブな言葉を使うこともできなくなった。
母の整形外科受診に付き添うために、実家に訪れたときのこと。少し上等そうな赤いTシャツを取り出して「これ、裕子がくれたんだよ」と言い出した。
ワタシは全く覚えていなかった。
施されている刺繍や少し高級そうな生地のそのTシャツは、デパートで購入したもののように見えた。
全く記憶にない。
ワタシはそのとき二十代で独身だったそうだ。母にプレゼントした真っ赤なTシャツを忘れるだろうか。
確かに最近は物覚えが悪くなったり、かけている眼鏡を探してしまうことだってある。
いろんな不思議体験をした人の話を耳にすることも沢山ある。だから、不思議体験はあるのかなとは思っていた。
だけど、実際に自分が体験すると、まるで並行世界に移動してきたような感覚ですらあった。
何十年も前に買ったTシャツを覚えていないのはまだわかる。だが、いつも通っている橋の幅が変わっていたり、新しく買った土地周辺の地形が、購入前とその後で全く違っていたら、そう思わないと説明がつかなかった。
そしてまた、よく耳にしてきた「過去も未来も今ここにある」という言葉。
どうしても理解できなかったその言葉が、なんとなく腑に落ちた気がした。
ワタシの頭に浮かんだのは、本のページのようなイメージだった。
たくさんのページが重なるように存在していて、ページをめくるたびに、少しずつ違う世界が現れる。
そこでは、過去も未来も今とは違うものになっている。
もちろん、本当にそうなのかはわからない。
けれど、思考や言葉を変えたことで、ワタシが見ている世界は確かに変わった。
母との関係も、橋も、川も。
だから今は、そんな世界もあるのかもしれないと思っている。
金ちゃん
思考改革後に母がとても穏やかだったこと以外に、もう一つ驚いたことがあった。
それは、ダミ声の金ちゃんがワタシを避けなくなっていたことだ。
今までは少し見るだけで、すっ飛んで逃げていたのに、擦り寄ってくるし、ワタシが近づいても逃げない。
「ヌギャー、ヌギャー」という鳴き声はさほど変わっていなかった。
金ちゃんは体調が悪いのか、一日餌を食べない日があった。次の日には回復していたので、病院には連れていかなくて済んだ。
少し元気を取り戻した金ちゃんは、赤い敷物の上に寝そべっていた。グルーミングしてあげたら、金ちゃんはとても気持ち良さそうにしていた。
グルーミングをしながら金ちゃんの顔を見た。
こんなに可愛い顔だったかな、とふと思った。
ものすごい量の毛が取れた。
丸めると野球ボール一個分くらいはあった。
かつてワタシの愛猫たちも、グルーミングをしてもらうために列をなしていた。あまりにも毛だらけになるので、グルーミングをする場所は決めていた。ワタシかその椅子に座ると、グルーミングして欲しくて、可愛らしい声で鳴きながら擦り寄ってきたり、頭をこすりつけた。
金ちゃんは、うちにいた愛猫たちとは少し違うタイプだ。
自分からグルーミングをおねだりすることは無さそうだし、母は母で体のしんどさからか、グルーミングどころではなさそうだった。
どおりで毛がボサボサなわけだ。
母はワタシの食事制限にも協力的になった。
もっとも、母と大喧嘩になったときほどの食事制限が、必要なくなっていたこともあるだろう。
潜在意識の傷を癒しただけで、こんなにも景色が変わるものなのだろうか。
子どもとは上手くいくのに、なぜ母とは上手くいかないのだろう。
そんなことを、何度も考えてきた。
今なら少しだけわかる気がする。
ワタシは子どもに対しては、ただ愛情を注いでいた。
けれど母に対しては、幼い頃の傷をを抱えたまま、どこかで愛を求めていた。
金ちゃんが逃げなくなったのも、そんなワタシの変化を感じ取っていたからなのかもしれない。
ワタシは次に帰宅する日を決め、実家を後にした。母は庭で収穫したえんどう豆と、頂いたという柑橘類などを持たせてくれた。
母にはもう、ワタシを駅まで見送る体力はなかった。だけど玄関の前で、見えなくなるまで手を振ってくれた。
本当はもっと一緒にいたかった。
母との同居生活なんて、絶対無理だと思っていたワタシが、もっと一緒に過ごしたいと思える日が来るなんて、想像できただろうか。
このリアルな実体験こそが、まるで奇跡のように感じられた。
母が見送りのために玄関に向かう後ろ姿を見た。真っ赤なTシャツにたっぷりと金ちゃんの毛がついていた。グルーミングした場所に寝っ転がったのだろう。そういえば掃除機をかける前に、その部屋から「うわ、猫の毛がいっぱい」と聞こえてきた。
「お母さん、背中が毛だらけになっているよ」
母と一緒に笑った。
ちょうど玄関にいた金ちゃんを、追いかけるようにしながら駅に向かった。
本作は三部作の第一部です。
第二部
第三部
世界中の人々に読まれたい作品です。
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