水面に映るもの 〜母を毒親だと思っていたワタシが見つけたもの〜『毒親の正体』
毒親
社会に出るまで、裕子は母親に対して従順だった。
しかし独立してからは、母の言葉を素直に受け入れられなくなっていた。
──なぜ、あんなにも反発してしまうのか。
そう感じていた頃のワタシは、まだ気づいていなかった。
それは遅咲きの反抗期というより、もっと根深い反発だったのかもしれない。
母親から何かを禁止されたり、命令されたりすることが、たまらなく嫌だった。
やがてワタシは、母の言葉そのものに強く反発するようになっていった。
喧嘩をするたびに、母は「もう帰ってくるな」と言い放った。
一度目は、親の反対を押し切って結婚したとき。
二度目は、会社を二週間休み、瞑想の合宿に参加したときだった。
「そんなことで会社に迷惑をかけるな。行くなら、もう帰ってくるな」
そう言われても、ワタシは引かなかった。
「親の忠告なんて聞いていられるか」
そんな気持ちだった。
人一倍怒りっぽかったワタシにとって、怒りを鎮めることは人生そのものの修行だった。
しかし、超越瞑想に出会い、マントラを授かった途端、その苦しみは嘘のように軽くなった。家族が目を見張るほどの変化だったからこそ、さらに上位資格を取得するための合宿を断念することはできなかった。
三度目の大喧嘩は、一年前のことだ。
更年期の体調不良から、まだ抜け出せずにいた頃だった。厳しい食事制限を自分に課し、必死に体調を整えていた時期でもある。
そんな中で迎えたお正月、ワタシは実家へ帰省した。
母の料理を食べられないワタシは、自分が食べられるものを持参していた。
詳細を語るには労力を要するほど、当時の外泊は大きなストレスを伴うものだった。
それから二ヶ月後、母から電話があった。
お正月のワタシの食生活が気になったのだろう。母は「病院に行って検査しろ」と繰り返した。
当然、ワタシは拒否した。
すると怒りがふつふつと湧き上がり、過去の記憶までが堰を切ったように溢れ出した。
「お母さんは、ずっとワタシをいじめてきたじゃない。あんな人と結婚して、とか、あれこれ言って……」
その後の会話は、ほとんど覚えていない。
ただ最後に、
「もう二度と帰ってくるな。お兄ちゃんと妹がいるから、おまえなんかいなくていい」
そう言われ、ガシャン、と電話が切られた。
その話をパートナーや子どもにすると、みな一様に呆れた顔をした。
「またぁ?」
まさに、その通りだった。
孫の誕生
ワタシには、もうすぐ二歳になる孫がいる。
ものすごく可愛い女の子だ。……まぁ、いわゆる婆バカである。
孫が生まれる前、ワタシは考えた。
「なんて呼んでもらおうかな……」
天を仰いだとき、ふと浮かんだのが「グランマ」だった。
「グランド」という響きに、ワタシは大地、壮大さ、堂々とした立派な姿を重ねた。
「めっちゃいい。これにしよう」
子どもからは「ばぁば」という案も出たが、ワタシは却下した。
イラストに描かれるような”おばあちゃん像”を押し付けられる気がして、まだ受け入れられなかったのだ。
「まだまだ若い」
そんな気持ちが、どこかにあった。
女性は、娘から母となり、婆となり、やがて「グランドマザー」という存在へ昇華していく。
大きな愛で何もかもを包み込む、優しく偉大な存在。
人生の最終章にいる、穏やかな女神。
ワタシは、そんなイメージを抱いていた。
もっとも、「グランマ」と呼んでもらおうと決めた当時のワタシには、そこまで崇高な意味はなかった。
けれど今では、それが人生の最終目標になっている。
なぜなら、長年抱えていた母娘問題をようやく乗り越え、ひとつの答えにたどり着けたからだ。
追憶

ワタシが今住む街に引っ越してきたのは、子どもが小学校六年生のとき。子どもが塾に通いたいと言いだしたからだ。
それまでは、海沿いの小さな街の公営アパートに住んでいた。
引っ越してきた街には、山の方から海へ向かう水路が何本も並行して流れており、かつては田園風景が広がっていたであろうことを、たやすく想像できた。

けれど今、その風景はほとんど残っていない。住宅が立ち並び、商業施設やマンションが増え、街が便利に整備されていく中で、少しずつ消えていったのだろう。
子どもの頃のワタシもまた、海沿いの街で育った。家のすぐ前が海で、50メートルほど歩けば、堤防の下に小さな砂浜があった。夏になると、そこはたくさんの子どもたちの歓声であふれていた。
その浜辺には、山から水が流れ出てくる場所があり、ダムを作ったり、お城を作ったりしたことも、楽しい思い出のひとつだ。
夏になると、当時まだ家にいた母に「泳ぎに行きたい」と毎日のようにせがんだ。母はその願いを聞いてくれ、日傘を差しながら堤防の上から見守ってくれていた。
何歳だったのだろう。その記憶には兄も妹も登場しない。なぜなのかは思い出せないが、茶舞台のある部屋で、母とふたりで過ごした時間の記憶だけが、静かに残っている。
毎日海に通っていたワタシは、真っ黒に日焼けした元気で活発な女の子だった。夏の暑い日、小さな冷蔵庫から氷を取り出し、母が作ってくれたカルピスの味もまた、幸せな記憶のひとつである。
春になると、田んぼ一面にレンゲの花が咲いた。あぜ道で籠いっぱいに摘んだつくしを、母が天ぷらにしてくれた。田んぼで兄が捕まえたトノサマガエルの特徴的な模様と、大きなおたまじゃくし。田んぼに流れ込む水が、小さな命を育んでいた。
「毒親」扱いしていた母への思考をクリアリングしながら、幼少期の記憶をたどったとき、ワタシはあることに気づいた。
小さな海辺の街で過ごした時間が、人生でいちばん幸せだったのだ。
当時住んでいた家には、家族五人が川の字になって眠れる大きな部屋と、もう一つ小さな部屋があった。部屋の端には、ささやかな調理スペースがあり、家族が団欒できるちゃぶ台が置かれていた。
階段を降りれば、祖母と曽祖母が暮らす家につながっていた。
小学三年生のとき、両親は新しい家を建てた。ワタシにも自分の部屋が与えられた。けれど、その後の記憶には、明るいものがあまりなかった。
潜在意識に深く刻まれるのは、ものごころつく前の記憶だという。
それを知ってから、記憶をさかのぼるだけでは知り得ない心理を調べ始めた。
ただ、思考改革に着手する前から、心の奥に疼くものがあることを自覚していた。
それは、自分がいちばん幸せだったときの風景を、もう見ることができない郷愁だった。
トンネルが掘られ、山の上にあった池が枯れた。命を育んでいた水の流れは消え、小さな浜辺は埋め立てられた。田んぼは住宅地となり、通っていた小学校の跡地には工場が建っている。かつて響いていた子どもたちの歓声も、もうどこからも聞こえてこない。
カモさんの田んぼ
まだワタシが元気に仕事をしていた頃、会社の規定が厳しくなり、車通勤から自転車通勤へ変更せざるを得なくなった。
それは、更年期の症状が少しずつ出始めていたワタシにとって、決して楽な変化ではなかった。けれど、その代わりに小さな喜びも見つけた。
今まで気づけなかった風景が、見えるようになったのだ。
細い道。
季節の草花。
水路の音。
風の匂い。
ある初夏の日、住宅地の中にぽつんと残された田んぼを見つけた。まだ小さな稲の間を、どこからか飛んできた三匹のカモたちが、スイスイと泳いでいた。

その風景は、まるで失われた時間の名残のように、ワタシの心に静かな喜びを灯してくれた。
都会のオアシスのように、乾いた心を潤してくれたその田んぼを、ワタシは「カモさんの田んぼ」と名づけた。
しばらくして、また「カモさんの田んぼ」を訪れた。夏のある日のことだ。青々とした稲は大きく育っていた。その日もカモさんたちに会えた。

けれど、すぐに姿は見えなくなった。伸びた稲の間に、スッと消えていったからだ。
少し残念に思いながら、ワタシは田んぼを後にした。
それからも、ときおり「カモさんの田んぼ」を訪れていた。
春になって訪れてみると、レンゲが咲いていた。
レンゲ畑を見たのは、何年ぶりのことだろう。
ワタシはカバンからiPhoneを取り出し、何枚か写真を撮ってブログに投稿した。
けれど、そのレンゲ畑は、幼い頃に見たものとは少し違っていた。

記憶の中のレンゲ畑は、もっと濃いピンク色をしていたのだ。
「それは、花の密度と、畑を見る角度で変わるのかな」
「この田んぼに、これからも稲が実り続けますように」
そんなことを思った。
しかし、会社を退職してからは足が遠のき、久しぶりに訪れたときには、そこに水も稲もなかった。
まるで、役目を終えたように。
和解

母への思いを変えるのは、簡単ではなかった。
母との三度目の大喧嘩のあとも、母から連絡が来ることはあった。けれどワタシは、頑なにこちらから連絡を取ろうとはしなかった。
そんな状態が半年以上続いた頃、母から連絡があった。嫌々応対していたが、結局、子どもに引っ越し祝いをくれるというので、子どもと孫を連れて実家へ行くことになった。去年の十二月のことだ。
母の誕生日も近かったため、ワタシがお寿司を買い、子どもがケーキを持参し、みなで母の誕生日を祝った。
久しぶりに会った母は、どこかこちらの様子をうかがうような空気をまとっていた。
帰り際、母はぽつりと言った。
「また帰っておいで」
――二度と帰ってくるなと言ったじゃない。まだ謝ってもらってない。
そんな気持ちを押し込みながら、ワタシは、
「少しは反省したんですか?」
と声をしぼり出した。
すると母は、間髪入れずに、
「あんたが反省しなさいよ」
と言い返した。
やっぱり合わない。
そう思ったワタシは、
「お母さんとは相性が悪すぎるから、もう一人では帰ってきません」
そう伝えて実家をあとにした。
二月頃、突然母からLINE電話がかかってきた。
「ガラケーが壊れたから」
そんな用件だった。
何故だか、少し嬉しかった。
けれど、「二度と帰ってくるな」という母の言葉が頭によみがえった途端、その嬉しさは苦しみに変わった。
自分の心を安定させるためにも、母のことは極力考えないようにしていた。
そんな頃、ワタシは思考と言葉を意識し始めていた。
思考や言葉を変えることで、ワタシの見ている世界は、少しずつ生きやすいものへと変わっていった。
穏やかな日常が当たり前になり、お金への不安も減り、長く悩まされていた体調不良も改善していった。
気づけば、ワタシの中から「悩み」と呼べるものは、ほとんど消えていた。
母娘問題についても、無理に向き合おうとするのではなく、「もう終わったこと」として静かに距離を置き、穏やかに振る舞えるようになっていた。
思考や言葉を変えることで、ワタシの住む世界は生きやすいものとなっていた。
思えば、若い頃から願望実現力は高い方だった。親が大反対するような男性と大恋愛して結婚できたほどだから。アラカンになるまで、やりたいことは一通りやってきた。
「もう、いつ死んでも後悔はないな」
何気なく子どもにそう漏らしたとき、泣きながら「そんなこと言わないで」と止められた。
それならば、生きている限りは、子どもと孫の笑顔を見ながら幸せに生きよう。
そう決めた。
楽しくすごすためにも、新しい夢を持ちたいと思ったとき、ふと、ある願いが心に浮かんだ。
「宝くじの高額当選を経験してみたい」
誰もが一度は夢見るような願いだった。
けれど当時のワタシの中には、「宝くじなんて当たるわけがない」という思い込みが強く残っていた。
この思考のままでは叶うはずがない。
そう思ったワタシは、「宝くじは当たる」と本気で信じられるよう、思考改革に着手した。
YouTubeや本で情報を集めていく中で、思考を変えることで人生を激変させた人たちや、実際の高額当選者の存在を知った。
そして、「お金を引き寄せるには親子関係のクリアリングが重要」という考え方に辿り着いた。
まずは、お金への影響が強いと言われる父親ワークを試した。
これは驚くほど簡単で、すぐに優しく笑う父の姿が心に浮かんだ。
しかし、母への感情だけは、どうしても簡単に変わらなかった。
それでも諦めきれず調べ続けるうちに、兄弟の存在、大人になってからの強い反抗心、そして長年消えない怒りが、深く結びついていることに気づき始めた。
幼少期の深層心理を知り、心のわだかまりが少しずつほどけ始めていた頃、不思議なことがあった。
「ゆうちゃんが好きだから」
そんな母の声が、頭上の高いところから聞こえた気がしたのだ。
その数日後、兄弟のグループLINEに妹から連絡が入った。
母が検査のため、大きな病院を受診することになったという知らせだった。
最初は、
「ああ、そう」
そんなふうに思った。
「兄と妹がいるから大丈夫でしょ」
とも思った。
けれど次第に、薬剤師としての経験から、母が飲んでいる薬のことが気になり始めた。
父が亡くなる数年前、何度もイレウスを繰り返していた時期があった。ワタシは、その原因の一つと思われる薬の副作用に気づいたことがある。
その薬をやめてから、父はイレウスを起こさなくなった。
だからこそ、母がどんな薬を飲んでいるのか知りたくなった。
妹に聞いても詳しいことは分からない。確認するには、直接母に連絡するしかなかった。
携帯を手にした。
けれど、どうしても連絡できない。
「連絡したい。でも、できない」
その葛藤が苦しかった。
その夜、ワタシは本で読んだ「水による浄化」を試した。
大切にしていた水晶を流れる水で丁寧に清め、そっと握りしめながらお願いした。
「どうしても消せない母へのわだかまりを洗い流してください」
翌朝、不思議なくらい心が軽くなっていた。
長い間、胸の奥にへばりついていた重たい感情が、すっかり消えていたのだ。
そして、自然とこんな想いが湧き上がってきた。
「ああ、ワタシ、本当はお母さんのことが大好きだったんだ」
大好きだったから苦しかった。
愛されたかった。
分かってほしかった。
その純粋な気持ちに気づいたとき、母への感謝と尊敬が溢れ出した。
今思えば、ワタシが和解したのは、母そのものではなかった。
本当に和解できたのは、兄と妹の狭間で、母の愛情に満たされなかったと感じていた幼い頃のワタシ。
「お母さんなんか大嫌い」
そう深く潜在意識に刻み込んでしまっていた、自分自身だった。
「大好きなのに、大嫌い」
そんなふうに、すね続けていた潜在意識と、ようやく仲直りできたのだと思う。
検査の結果、母は、子どもの頃にも患ったことのある肺の病気を再び抱えていた。
すぐに入院するほどではなかったが、半年間の薬物治療が必要だった。
表では、
「あんたこそ反省しなさい」
と強気だった母も、内側では、ワタシが長い間距離を置いていたことに、心を痛めていたのかもしれない。
「肺の不調には深い悲しみが関係する」
そんな言葉を目にしたとき、母が幼い頃、厳しい父親に追い回されながら育ったと聞いたことを思い出した。
母もまた、誰にも見せられない深い悲しみを抱えていたのだろうか。
ようやくワタシは、
「母もまた、不器用なまま愛そうとしてくれていたのかもしれない」
そう思えるようになった。
水のような愛
母の受診に付き添うため、久しぶりに泊まりがけで帰省した。
母の口からは、小さな動作をするたびに呼吸音が漏れていた。本人はそれほど気にしていない様子だったが、去年のお正月と比べると、明らかに体の衰えが感じられた。
母の表情にも言葉にも、以前のようなトゲトゲしさはなかった。
「ゆうちゃんが生きたいように生きればいいのよ」
母は、そう優しく繰り返した。
母が自分のことを「ママはね」と呼ぶようになっていたことにも驚いた。
「いつからママになったの?」
そう尋ねると、
「金ちゃんのママだから」
と、愛猫の名前を出して笑った。

金ちゃんもまた、以前なら軽く飛び乗っていたであろう段差を、よじ登るようにして上がっていた。今年で十一歳になるという。
「うちの猫たちが十一歳の頃は、もっと元気だったよ」
そう言うと、母は、
「人それぞれだから、いいじゃない」
と穏やかに返した。
かつては、ワタシが化学調味料を食べられなかったり、コーヒーを控えていたりするだけでも、「普通じゃない」と言わんばかりの強い言葉を向けてきた母だった。
そんな母が今では、個人差や個体差を自然に受け入れられるほど、柔らかく変わっていた。
こうして、長いあいだ心に横たわっていた母娘問題が、静かに解けていったとき、ひとつの真理が深く腑に落ちた。
――目の前に現れる人は、自分の思考や潜在意識を映し出す鏡なのかもしれない。
以前のワタシは、人間関係の中で傷ついたり、イライラしたり、嫌な思いをすることが絶えなかった。
「どうしてわかってくれないんだろう」
「なぜ、こんな言い方をされなければならないの?」
そんなふうに、相手を責める気持ちを、いつも心のどこかに抱えていた。
けれど、自分自身の思考や言葉を見つめ直す中で、あることに気づいた。
ワタシが相手に向けていた疑心や反発、そして自分でも気づいていなかった潜在意識までもが、まるで形を変えながら、返ってきていたように感じたのだ。
自分の心が荒れているときは、不思議と人間関係もぎくしゃくする。
逆に、心が穏やかなときは、周囲との関係も驚くほど穏やかになる。
心の中で自分を責めていると、目の前の人からも責められる。
自分の奥深くに潜む潜在意識までもが、鏡のように、目の前の人へ映し出されているようだった。
水は、ときに鏡となり、美しい風景を映し出す。
ワタシたちの体の七〇%を占めている水もまた、同じように、誰かの思考や潜在意識を映し出していると仮定してみる。
すると、映し出している本人は、そのことに気づいておらず、ただ自然に映しているだけなのだろう。
千変万化しながら世界を満たしている水は、宇宙の「愛」というエネルギーが、目に見える形へと変わったもののようにも思える。
だけど、水を見て、それが愛だと感じる人が少ないように、母の愛もまた、見ようとしなければ見えないのかもしれない。
かつてのワタシが、そうだったように。
今のワタシは、母の振る舞いのひとつひとつに、愛を感じられるようになった。
母は、子どもたちからも孫たちからも愛され、慕われている。
幾多の困難を乗り越えた母は今、人生の最終章にいる、穏やかで優しい女性へと変わっていた。
まさに、「グランドマザー」だ。

父が亡くなったとき、涙は出なかった。
母が亡くなっても、きっと同じだろう。そう思っていた。葬式にさえ行きたくないと思っていたほどだった。
そんなワタシが、還暦を前にして、ようやく母を尊敬し、感謝し、愛おしいと思える日を迎えることができた。
優しく穏やかな母と、あとどれくらい一緒に笑って過ごせるのだろう。
母のベッドの横に敷いた布団の中で、そんなことを思っていると、涙があふれた。
ワタシは母を起こさないよう、嗚咽をこらえた。
母の寝息を聞きながら、これからは、たくさんの幸せな思い出を作ろう。
そう、そっと誓った。
翌朝、母から
「よく眠れた?」
と聞かれ、ワタシは「うん」と嘘をついた。
実際は、ほとんど眠れなかった。
母親の死を深く悲しみ、涙を流す人を見ては、
「あなたは母に愛されていたのね。でも、ワタシは違う」
そんなふうに、どこか羨むような気持ちを抱いていたワタシは、もうどこにもいなかった。
母への反抗心はすっかり消えていた。
そしてワタシは、自分が幼い子どものように、ただ母を深く愛していたのだと、ようやく気づくことができた。
人生は、まるで物語のようだ。
どれほどの苦しみや困難を抱えていても、最後には、ちゃんとハッピーエンドへ向かっていく。
ワタシの人生物語も、大きな山を越えた。
母は「毒親」なんかではなかった。
ただ、恐ろしい仮面をかぶっていただけだった。
そして、嫌でしかない母を目の前に存在させていたのは、ワタシ自身の心の奥に隠れていた潜在意識だったのかもしれない。
この普遍的な心理に気づけたことで、ワタシは人生の新しい扉を開き、まるで別の世界へ辿り着いたような気がした。
継承
冬、自転車がかろうじて通れるような、水路脇の細い道を久しぶりに走ってみたとき。
農地のそばでは、見知らぬおじさんが、トラクターに乗った男性と話をしていた。畑にまいた肥料を耕しているようだった。
よく見ると、その田んぼは「カモさんの田んぼ」だった。
ワタシは自転車を降り、話に加わってみることにした。
「この田んぼは、私が受け継いでやることになったんですよ」
男性は、そう穏やかに話した。
また、カモさんたちに会いに行こう。
ワタシは、そう思った。
水面に映るもの

裕子は、母の受診の付き添いを終えた翌日、実家をあとにした。
別れ際に、ママにハグをして「ごめんね、大好きだよ」と心の中で伝えた。
「カモさんの田んぼ」に立ち寄ると、田植え前の水が張られていた。まだカモの姿はない。
水面には、青い空と住宅街が静かに映っていた。
裕子が立つ位置を変えるたび、田んぼに映る風景もまた変わっていく。
水は、何かを映そうとしているわけではない。
ただ、そこにあるものを映しているだけだ。
ワタシたちが見ている現実も、もしかすると同じなのかもしれない。
裕子は、水面を見つめながらそんなことを思った。
実家での母は、裕子に対して驚くほど献身的だった。
冷蔵庫の奥から「最後のひとつだから」と八朔を取り出し、丁寧に皮を剥いて手渡してくれた。
食後、裕子が流しに立つと、
「一緒にやれば早いから」
と言って隣に立った。
いつもなら追い焚きして使う二日目の風呂の水も捨て、新しい湯を張ってくれていた。
裕子は、この風呂が密かに好きだった。
足を伸ばすことはできない。けれど、首まで浸かると、体全体に心地よい水圧を感じた。
それは、今どきの浅い風呂では味わえない、深く満たされるような感覚だった。
昔から変わらず置かれている石鹸を見ると、幼い頃に暮らしていた海辺の家を思い出した。
兄が素潜りで取ってきた、よなき貝の味。
石臼と足踏み式の餅つき機。
ウサギを飼っていたこと。
人生でいちばん幸せだったときの記憶が、石鹸の泡とともによみがえった。
母の献身は、感謝してほしいからではない。
見返りを求めているわけでもない。
ただ、そうしたいから、自然にそうしている。
裕子が子どもの頃から受け取ってきた愛も、きっと同じものだったのだ。
器に入った水へ、新しい水を注げば、水は確かに増えていく。
けれど、注がれた水がどこへ溶け込んでいったのかを見分けることはできない。
母から注がれていた愛も、きっとそれと同じだった。
見えていなかっただけで、確かにそこにあったのだ。
本当は母を抱きしめて、「ごめんね」と言いたかった。
けれど、それはまだできなかった。
だからせめて、母の受診にはできる限り付き添おう。
特別な用事がなくても、できるだけ顔を見せて、一緒に笑っていよう。
そう決めた。
裕子の中にも、見返りを求める気持ちはなかった。
ただ、そうしたいと思ったから。
母娘の愛は、特別なものではない。
けれど確かに、そこにあった。
母から娘へ。
娘から孫へ。
そして、曾孫へ。
受け継がれていく愛は、形を変えながら巡っていく水のようだった。
「毒親」の正体に気づいた裕子は、愛のあり方について考えるようになった。
もし愛が自己犠牲を伴うものであれば、おそらく長くは続かない。
苦しみながら誰かのために尽くしても、いつか心は疲れてしまう。
けれど、「そうしたいからする」のなら話は別だ。
たとえそれが母への献身であったとしても、自分の願いを叶えることが、結果として誰かの助けになるのなら、そこに犠牲はない。
誰も不幸にならない。
そんな愛のかたちは、とても地味なものなのかもしれない。
だからこそ、そこに愛があることに気づかないまま通り過ぎてしまうこともある。
けれど本当は、そういうものこそが、いちばん大切なのかもしれない。
思考を広げてみると、太陽も、水も、誰かを助けようと思って存在しているわけではない。
ただ、そこに在る。
それなのに、ワタシたちはその恵みによって生かされている。
大いなる存在の愛もまた、見ようとしなければ見えず、感じようとしなければ感じられないものなのかもしれない。
人生とは、そのことに気づいていく旅のようにも思える。
日本人の心に脈々と受け継がれてきた自然崇拝や、手を合わせる文化も、きっとどこかでそれにつながっている。
ただ在ること。
ただそこにいること。
それだけで、誰かを支え、誰かを安心させている存在がある。
ただ存在しているだけで、ただそこにいるだけで尊く、ありがたい存在になる。
そういう人を、いつかグランドマザーと呼ぶのかもしれない。
やりたいからする。
愛とは、案外そんなところに宿っているのだと思う。
裕子は、再び水を張られた「カモさんの田んぼ」を見つめながら、これからそこに稲が育っていく風景を静かに思い浮かべていた。
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