❹【人生は天国化できる!?】壮大な秘密― 水が映し出す現実創造の仕組み 第3部 「人生天国化メソッド10のこと 」 #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門 応募作品
第三部:人生天国化メソッド
15.人生天国化メソッド10のこと
もし人体の大部分を占める水が鏡のような働きをしていたら。もし空気中にある水が巨大な鏡として何かを映し出しているとしたら。みなさまは何を映し出して生きたいでしょうか。
そして、より心地よい現実を映し出すにはどうしたらよいでしょう。
その問いの答えを、「人生天国化メソッド10のこと」としてまとめました。
なぜ10個にしたのか。その理由を少しだけお話ししておきましょう。
漢字の「十」を見てください。横と縦が結ばれて「十」となり、完成をあらわしています。その「十」はまるで回転を始める直前の形のようにも見えます。次の瞬間には創造が始まる。そんなイメージです。
人生天国化メソッドは十項目で完成します。そのあとは、それぞれの人生の中で実践という回転が始まるだけです。
人生天国化メソッド10のこと
① 決める
まず、自分がどうなりたいのかを決める。
② 心地よさを判断基準にする
正しさや常識よりも、自分の心と体が心地よいと感じる方向を大切にする。
③ 境界線をつくる
自分の大切な時間やエネルギーを守る。
④ 鏡の視点を持つ
人体の水が鏡だったら? 巨大な鏡に囲まれているとしたら?と考えてみる。
今の現実は何を映しているのでしょう。
⑤ 心地よいもので満たす
人、言葉、空間、食べ物、情報を整える。
⑥ 心と体を注意深く観察する
心と体は何を伝えようとしているのか。
⑦ 不安と上手につき合う
不安を敵にせず、未来へのヒントとして活用する。
⑧ 年齢にふさわしい生き方を見つける
過去の成功体験や社会的役割に縛られず、今の自分に合った生き方を選ぶ。
⑨ 成功の定義を変える
他人の評価ではなく、自分自身の幸福を基準にする。
⑩ 人生の最終目標を見つける
人生を通して本当に体験したいことは何かを考える。
それでは各項目について詳しくお話していきます。
① 決める
現実創造において、まず大切なのは「決めること」です。これについては、多くの方々がご存知かもしれません。
あてもなくブラブラ歩いても本当に行きたい場所にはなかなかたどり着けません。カーナビも目的地を入力しなければ機能しないし、入力を間違えれば違う場所へ向かってしまう。
旅行も同じです。行きたい場所を決めるから、飛行機や新幹線を予約し、宿泊先を選ぶことができます。そして、その目的を達成できる。
もちろん、あてのない旅を否定したいわけではありません。ふらりと歩いた先で思いがけない発見や出会いがあることもあるでしょう。
ですが人生そのものについて考えたとき、どこへ向かいたいのかを一度も考えないまま生きるのは、少しもったいないように思います。もちろん、そのような生き方そのものを体験するために地球へやってきたのなら話は別です。
しかし、多くの人々は、この人生において何らかの目的を持って地球にやってきているはずではないでしょうか。
そこで大切になるのが、自分自身を知ることです。
「汝自身を知れ」
この言葉は古くからさまざまな教えの中で語られてきました。まず、自分自身を知る必要があることを大前提として考えてみてください。
自分は何にひかれるのか。
何をしているときが楽しいのか。
何にワクワクするのか。
何が喜びをもたらすのか。
それらを知ったうえで、どうありたいのか、どうなりたいのか、何を体験したいのかを決める。
行き先を決める。
ゴールを決める。
まず、決めることから現実創造は始まります。
② 心地よさを判断基準にする
人生にはさまざまな判断基準があります。
まず思い浮かぶのは好きか嫌いかということ。これは、自分自身を知るということにおいては、とても重要かつ基本的な判断基準です。
それから、よく引き寄せなどで持ち出される、ワクワクする感覚もあるでしょう。もちろん、ワクワクするかどうかという判断基準は、現実創造において羅針盤のような働きをすることがあります。これはとても大切な視点であると思います。
ワクワクする気持ちを何歳になっても持ち続けることも、とても重要なことかもしれません。
ワクワクは人生を彩る。
ですが、人生を天国化するための判断基準とするには少し違うような気がするのです。
私が経験した人生の天国化とは特別なことではありません。ごく普通の日常の中で穏やかに幸せを感じ続けることです。
決して派手ではないけれど、確かにそこにある安心感や幸せの継続というものは、高揚感によってもたらされるものではありませんでした。
何か違和感を感じたときに立ち止まる勇気を持つこと。
これは私が求めているものとは違うような気がする。そんな小さな気づきを大切にしてきました。
正しさや常識で判断するのではなく、心と体が心地よいと感じるものを大切にする。自分にとって心地よいものを選び、心地よい状態に整えていくことで喜びは増していきました。
超越瞑想も心地よいから続けることができました。多くの聖者たちが瞑想を通じて悟りを開いています。
私には悟りとはどのような境地なのか、正直まだよく分かりません。ですが、幸せの根底にあるのは、ワクワクするような高揚感ではありません。
そこにあるのは心の奥底から静かに湧き続ける喜びと、水面に波風が一切ないような静寂です。
それは違和感を感じるものを一つずつ丁寧に手放し、心地よいもので満たしていった先に訪れた感覚でした。
心地よさとは、楽をすることではありません。自分の本音に正直であることです。
私は少しずつ手放していきました。
違和感を感じる常識。
違和感を感じる習慣。
違和感を感じる人間関係。
それらを一つずつ見直し、自分にとって本当に心地よいものだけを残していったのです。
ときには自分の殻の中にこもってしまったり、大切な人と距離を置くこともありました。
それは一見、否定的な行動のようにも見えます。
ですが、自分自身の内側を見つめるという過程においては必要不可欠であったかもしれません。
人生というものを体験している途中では、自分が今どこにいるのかさえ分からなくなることもあります。
もし今暗闇を歩いているとしても、その先にある未来から振り返ってみたとき、その答えを見つけられることもあります。
だから、苦しみの中にいるときでさえ、私は心地よさを探し続けたいと思っています。
それは、未来にある幸せへ向かう小さな道しるべのようなものだと思うからです。
③ 境界線をつくる
人生を天国化するためには、境界線を持つことが欠かせません。
まずは境界線とは何かを考えてみよましょう。
現実にはさまざまな境界線があります。分かりやすい例は土地の境界線です。境界線が明確だからこそ、人々は争いを減らし、安心して暮らすことができます。
それと同じように、自分自身にも境界線を持つことが、穏やかな人生創造において必要不可欠です。どこまでがご自分にとって許容範囲なのかを、知ることが必要だと思います。
それはさまざまな人間関係においても重要でしょう。
ここまでなら許せる。だけど、これ以上は無理。そのような基準を探しながら定めていくことはとても大切なことだと思います。
自分自身の安定を最優先するならば、許容範囲を超える関わり方をする人とは距離を置くこともあるかもしれません。
合わないと感じたサークルからは静かに離脱することもあるでしょう。
そのような出来事に対して自分自身を否定的な目で見ないでほしいのです。
優先すべきなのは心地よさなのだから。
人間関係においては難しい場合もあるかもしれません。職場や、とくに近しい関係になればなるほど、その境界線をどこに置くべきか悩む場合もあるでしょう。
人間関係については境界線を作ること以外にも大切なことがありますから、そのことについてはこのあとでお話します。
人間関係以外にも境界線はあった方がよいでしょう。
私の場合は何を食べるかということにも境界線があります。
何をどんなふうに選んで食べるのか。これは幸せな人生創造においては避けて通れません。
何を食べるかということは、まず最初にカラダをつくるもとになります。
そして食べものは心さえも左右するチカラを持っています。
私は更年期症状が悪化し、著しい体調不良を経験しました。その体調不良を食事を見直すことで改善してきました。その内容は前著『毒親の正体』に詳しく書いています。
食べものだけでなく、身の回りで使う日用品なども、選択基準を設けています。さまざまな商品の中で何を選ぶかという境界線を定めること。心地よい日常を作りながら健康を維持する努力をすることが大切だと思っています。
人間関係における境界線。
食べものにおける境界線。
生活必需品における境界線。
これらの境界線を定めることは、心身の健康を大きく左右します。そして人生の天国化において、心身の健康は欠かせません。
さらに、さまざまな境界線を作ることは、自分の大切な時間やエネルギーまでをも守ってくれます。
境界線を定めないことによって生じる不愉快な時間を減らすことができます。
不愉快な時間によって消耗するエネルギーも減らせるでしょう。
健康的な選択ができなかったことに起因する病気を予防することもできます。
境界線とは、自分を閉じ込める壁ではありません。
自分の心と体を守り、本当に大切なものを育てるための輪郭です。
人生を天国化していくためには、境界線を持つことがとても重要だと思っています。
④ 鏡の視点を持つ
まず、ご自分に問いかけてみてください。
目の前の人は、自分のどんな内側を映しているのだろう。
今の現実は何を映しているのだろう。
自分はどんな世界を見たいのだろう。
もし人体の水が鏡だったら。もし空気中の水が巨大な鏡だったら。
人間関係や現実の見え方は大きく変わるかもしれない。
自分の発する言葉や内側の状態を、目の前の人がただ映しだしているだけだと考えたときのメリットを列挙してみます。
・自分の内側の状態を知ることができる
・自分が気づいていない心の傷を癒すきっかけになる場合がある
・誰かを責める前に自分をかえりみることができる
・外側ではなく内側に答えを探すことができる
・相手を責める気持ちが減ることで心が安定する
・意識を自分の内側に向けていれば相手を許すことができる
・人間関係をポジティブにとらえられる
列挙したことを一度にすべて体感できないかもしれません。
すぐには受け入れられないかもしれない。
しかし、少しずつでも、人体の中にある水がもし鏡だったら?と考えることができたらどうだろう。
自分の内側にベクトルを向けることは、自分自身を深く知ることにもつながると思います。
人間関係において頭にくることもあるかもしれない。ですが、思考を訓練していけば、目の前にある人間関係は少しずつ改善されていくはず。
思考を訓練することで心に優しさを増やしていくことだって可能だと思います。
そのように少しずつ訓練していけば、今まで許せなかった相手の未熟さや考え方や行動などを許せるようになっていきます。心の中に優しさが増すほど、目の前の人からの優しさも増えていくでしょう。
内側の思考や感情をクリーニングすればするほど、目の前の人との人間関係も良好なものとなります。
では次に空気中の水蒸気によって巨大な鏡に囲まれているとしたら?と考えたときのメリットを列挙してみます。
・外側に映しだしたいものを明確にイメージしたくなる
・ポジティブシンキングを心がけることができる
・思考や言葉を意識的に良いものにしようと思える
・感情に振り回されるのをやめようと思える
・否定的な感情を手放そうと努力することができる
このように考えることはできても、思考や言葉をコントロールしたり、思考のクセを改善するには時間が必要かもしれない。
長い間すり込まれたものや、心の奥に居座り続ける潜在意識の傷に気づいて癒すことも、ハードルが高いかもしれません。
ですが、鏡の前に立っていてすべてがはね返ってくるかもしれないと考えた場合、改善へのモチベーションは高まるはずです。
ここで一つだけ、私が数年前から使っているコトダマをお伝えしましょう。
「ありがたい」
これだけです。
私は人生で最も苦しかった時期、この言葉を何度も何度も自分に語りかけていました。
このコトダマは人体の鏡や巨大な鏡を意識しながら思考改革するときの強力な助っ人となるだろう。
一番効果的な使い方は、しんどいとき、つらいとき、悲しいとき、腹がたったとき、家族の病気に直面したり、不幸だと感じる出来事がおこったときなどに自分に言い聞かせること。
おまじないだと思って使ってみてください。
それはみなさまに、さらに降りかかる可能性がある良くない出来事を強力に祓ってくれるでしょう。
ありがたいと思えない出来事を体験したときほど、効果を発揮してくれるおまじないです。
なぜなら、鏡の視点を持ったとき、言葉は鏡に反射して自分に返ってくるはずだからです。
心の中では「ありがたい」思えないときこそ、口から出す言葉を意識して使ってみてください。
ありがたい
ありがたい
ありがたい
と。
そして、もう一度問いかけてみてください。
今の現実は何を映しているのだろう。
目の前の人は、自分のどんな内側を映しているのだろう。
自分はどんな世界を見たいのだろう。
⑤ 心地よいもので満たす
心地よさを判断基準にして境界線を作ることで安心できるようになり、水を鏡としてとらえながら思考と言葉を整えてきました。
人間関係、思考と言葉、食べ物や日用品だけでなく、さらにさまざまな場面で心地よさを優先していきましょう。
身の回りの空間にあるものを心地よいものに置き換えていくことは、すでに実践されておられるかもしれません。インテリアや小物、アクセサリー、身にまとうものを心地よいものに変えていくことは、日常の中での穏やかさを増やしてくれるでしょう。
空間を心地よくするうえで、私が意識していることがあります。それは、目には見えない環境についても気を配ること。
忘れがちなものに電磁波やジオパシックストレスがあります。敏感な方は電磁波過敏症として外出が困難な方もおられるようです。
ジオパシックストレスとは、地下水脈や断層、地球の磁気グリッドなどが発する微弱なエネルギーや磁場の乱れが、人体に悪影響を及ぼすとされる環境ストレスのことです。海外では健康との関連が語られることもあるそうです。
もちろん科学的に明確になっていない部分も多い。ですが、私は自分自身が心地よいと感じる環境を選ぶことを大切にしています。
これらの悪い波動は何らかの対策をとった方が良いかもしれません。私自身は、これらの影響について量子アプリを活用して環境を整えるようにしています。
心地よいもので生活を満たすうえで、私が気をつけていることがもう一つあります。
それは巷に溢れているネガティブな情報を受け取らないということ。ニュースなどから流れてくる事件や戦争などの話題は、気づかないうちにネガティブなすり込みとして恐怖を増していくことにつながります。飛躍しすぎかもしれませんが、ニュースから流れてくる大事件は、まるで何ものかが人々の意識を低い場所に縛っておくために意図的に流しているのかも……。私には、そのように感じられることさえあります。私は長い間、自らテレビのスイッチをつけていません。
陰謀論を深掘りする中で、目を覆いたくなるような記述に触れ、大きなショックを受けたことがあります。
それ以来、そのような情報源とは距離を置くようになりました。
ネガティブなニュースや情報は極力避けることで、日常の穏やかさはさらに増していくことでしょう。
世の中で何が起きているのかを知ることは大切だと思います。しかし、それ以上に大切なのは、自分自身の心を守ること。
心地よい人生は、心地よいもので満たされた環境から生まれる。
私たちは毎日、何を取り入れるかを選ぶことができます。
だから私は、人も、言葉も、食べ物も、生活環境も、情報も、できるだけ心地よいものを選ぶようにしています。
⑥ 心と体を注意深く観察する
私は人一倍健康に対する欲求が強かったのかもしれない。
また、かなり敏感体質だったりもしました。
食べものを食べたあとの体の反応はかなり速やかでした。
とくにある添加物や不純物に対して過敏さがありました。
体の反応を無視しないというのはとても大切なことだと思っています。それは自分の身体から発せられるSOSでもあるのだから。私は身体が食べたくないものを無視できなかったのです。
私にとって食品に添加されていたり、残留している可能性がある不純物は、まるで毒を食べたかのように異変となってあらわれました。
もちろん毒といっても少量だから命にかかわるような大きな変化はなかった。
しかし、アレルギー症状が悪化したり、痒みを伴わないブツブツとしてあらわれることもあった。
また私は、ある種の添加物や成分、特定の食べものによって神経過敏の症状がありました。怒りの閾値が著しく低下して、いわゆる"キレる"ような状態になる。その被害者は家族や同僚、ときにはお店の従業員や学校の先生にまでおよんだ。ここでは長くなるので一つひとつの名前を挙げることはあえてしない。深く知りたい方は前著『毒親の正体』をお読みください。この本が生まれるきっかけになった本でもあります。
私は超越瞑想に傾倒していく中で、超越瞑想を世界に知らしめたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの提唱していたアーユルヴェーダに興味を持ち始めました。
さまざまな問題を抱えて、迷える仔羊だった私は、次第にアーユルヴェーダの考えを少しずつ取り入れるようになりました。
とくに心身の絶不調を経験した二度目の退職のあとは、熱心にアーユルヴェーダに関して詳しく書かれた本を読んだ。
その本のタイトルは『クウォンタム・ヘルス』。その本の中では量子レベルでさまざまな食べものや、それに含まれている不純物がとらえられていた。身体や心はとても精妙であるから、身体の健康や心の明晰さを保つためにはどうすれば良いのかが詳しく記されている。
怒りの閾値を上げ、常に心の中に穏やかさを持ち続けるためには、これらの考え方を避けて通ることはできません。
食べものに含まれている不純物やカラダに合わない食べものを避けることは心身の健康ーー単なる病気がない状態ではなく、心が静かな喜びや穏やかで満たされた状態にいざなう真の健康状態に戻すために必要不可欠なことでした。
アーユルヴェーダではオーガニックな菜食が推奨されている。
私が爺やから肉食を避けるように勧められているのは、単に身体の状態が悪化するからという理由だけではありませんでした。魚介類を食べることは許容されていても、肉類だけは「食べない方がよい」と言われる。それは心の精妙さを損なうだけでなく、繊細さを失った身体ではじいやからのテレパシーを受け取る能力が著しく低下するからでした。
テレパシーを送受信する能力はもともと人間に備わっている能力なのだそうです。現代人はその能力が著しく低下しているらしい。それは食べものに含まれている不純物と肉食によって心身の精妙さが低下した結果もたらされているようです。
私がここまで食べものを重視するようになったのは、身体の声を観察し続けた結果でした。
人生を天国化していくには心身の健康状態は必要不可欠なことだと思う。そして、その健康状態を教えてくれるのが身体からのサインです。
だからこそ身体の発するSOSをやり過ごすのではなく、注意深く観察してください。
・食べもの
・睡眠不足
・人間関係
・仕事
・ストレス
・身体の状態
・心の状態
自分の身体が何を訴えているのかを注意深く観察し、改善点を見つけることができれば、心身の軽やかさは増していくでしょう。
身体はいつも私たちに語りかけている。
あとは、その声を聞くかどうかだけなのかもしれない。
⑦ 不安と上手につき合う
とかく私たちは不安を敵視しがちです。しかし、不安にはポジティブな側面もあると理解することで、不安と上手に付き合っていけるようになります。不安は決して敵ではありません。不安には私たちを守り、より良い未来へ導く働きもあります。
最も重要なのは生存本能から生じる不安です。いち早く危険を察知する能力が不安として現れる場合があります。このような不安は無視しない方がよい場合もあるでしょう。
また、心地よいかそうでないかという判断基準に照らし合わせたとき、不安という心地よくない感情があらわれたときは注意深く心を観察してみてください。心を丁寧に観察していくと、その不安が何を伝えようとしているのかが見えてくることがあります。
ときには不安を無視して前進することが必要でしょう。また、不安を受け入れ、立ち止まったり引き返すことがより良い選択となるかもしれません。特に命の危険がありそうな場所へ立ち入るときは不安を無視しないと決めてください。
何か未来に向けての選択に迷った場合は、願望の度合いと不安の大きさを天秤にかけて、より強い方を選択するといいかもしれません。
今回私は、少し無理をして新しい畑を購入しました。純粋にこの土地を所有してみたいという願望があったことは確かです。今まで憧れてきたものを、自ら創造していける可能性への挑戦には心踊るものがありました。
その一方で大きな不安も抱えていました。一人では手に負えそうにない広い土地。購入価格と評価額の著しい乖離。市街地の中なので固定資産税も安くありません。登記費用や不動産取得税も高くなります。
毎月入ってくる安定した分配金収入が減額される投資信託の売却リスク。「本当にやっていけるだろうか、将来的に負の遺産にならないだろうか」不安は尽きませんでした。
しかし、購入に伴う喜びと不安を天秤にかけた結果、購入を決断しました。もし購入しなかったらと考えたとき、大きな後悔が残るように思えたからです。今回は少し無理をしてでも、新しい挑戦による未来創造の期待に胸を膨らませたのです。
爺やも、その土地を購入することを強く勧めてくれました。
購入後の不安もなくなりませんでした。
ですが、こんなときほど目に見えない存在たちに助けを乞おう。そんな気軽さで再び天に両手を広げて語るように願いを放ちました。
するとまた不思議なことが起こりました。
子どもたちとパートナーが協力して還暦のお祝いとしてまとまった額のお金をくれると言い出したのです。母親も還暦までには大きな額のお金を渡したいと言ってくれています。
これらが実現すれば私の経済的な不安はかなり小さくなります。
不安を敵にせず、未来へのヒントとして活用することができれば、現実創造にもプラスに働きます。
困ったときの神だのみではないけれど、困ったときほど目に見えない存在に対して語るように祈ることは、のちに支援として現実化される場合があります。
私たちは「たくさんの霊や目に見えない存在たちに支援されているかもしれない」と考えることができれば、素直に助けを乞うことができるでしょう。
私は、願望を叶えてくれるのは遠い天上の神ではなく、いつもそばで応援してくれている目に見えない存在たちなのではないかと思っています。
その存在たちに語るように祈ることがオーダーとなります。お店に入ってもオーダーしなければ何も食べることはできません。目に見えない存在たちは私たちからオーダーされるのを心まちにしています。
かなり前のことですが、一旦心の状態が落ちつき、日々の生活に満足できていたときのことです。特別叶えたい願望もなく、おきまりの言葉だけを祈っていました。そんなとき聞こえてきた言葉があります。その声は命令というよりも、どこか待ち望んでいたことを思い出させるような響きでした。
「 ね が え ! 」
たったこれだけですが、その言葉にはチカラが込められているような強さがありました。
のんきな私は、「そうだよね、願わなければ何も叶わないのかな」とぼんやり思いました。
今この言葉が印象深く思い出されます。
不安と上手につき合うためには、目に見えない存在たちへの感謝を忘れず、必要なときには素直に語るように祈ってみてください。
きっと、その祈りは誰かに届いています。
⑧ 年齢にふさわしい生き方を見つける
人生は春夏秋冬のようなものだ。
以前、そのような考え方に触れ、「なるほど」と深く納得したことがあります。
人生を百二十年と仮定し、三十年ごとに季節が巡ってくる。
春は種が発芽し、色とりどりの花が咲き、木々も芽吹き始める。
夏は太陽の光がさんさんと降り注ぎ、植物の勢いも増していく。
秋になると柿や稲が黄金のごとく実り、収穫を迎え、落葉樹は葉を落としはじめる。
冬には、すっかり落葉した木々の下の草も枯れ、静かに春の訪れを待っている。
こんな春夏秋冬の移ろいを人生にあてはめてみると、自分の人生が今どの季節にあるのかをイメージしやすいと思います。
人生の春:誕生から三十歳まで
人生の夏:三十歳から還暦まで
人生の秋:六十歳から九十歳まで
人生の冬:九十歳から
人生の春は誕生から学びの期間を経て大人として成熟していく時期。
人生の夏は精力的に挑戦していく時期。
人生の秋は少しペースを緩めながら穏やかに過ごしていく時期。
人生の冬は今まで収穫してきたものを見つめながら静かな幸せにひたる時期。
若い頃に読んだときは、そんなものなのかなとぼんやり思っていました。もちろん実感はわきません。
しかしアラカンを前にして、著しく体調を崩して働くことができなくなってからは、若い頃のようながんばりは、いつまでも続けられないものなのだと痛感しました。
今は少し早い老後生活のような日常を穏やかに過ごしています。仕事をせずともなんとか自由に暮らせることはありがたいかぎりです。
しかし、今の幸せがあるのは、若くて体力があるうちに努力してきた結果なのだろうと思います。がむしゃらにがんばれたのも若々しさがあったからこそです。
私は人生の春と夏を精一杯生きてきたのだなあと、今しみじみ思っています。
気持ちだけは若くありたいと思っている。しかし、年を重ねるごとに若い頃のようながんばりはできなくなる。
人生を折り返す年齢に近づいて、ようやく気づくことができました。
今までできたのだから、これからもできるはず。そんな過信を人生後半になって持ち続けるよりも、身体を労ってあげたい。そう思うのです。
それは、決して人生を諦めるためではなく、これからの人生をよりよく生きるために自分を大切にする。そんな視点です。
一般的な年齢にふさわしい社会的な役割があるかもしれません。ですがそんな一般論を無理に自分にあてはめようとするのもやめました。ようやく過去の成功体験や社会的役割に縛られず、今の自分に合った生き方を選ぼうと思えるようになったのです。
逆に人生の春の時期にいる若いみなさまには、未来に向けた目標をもち、多くを学び、さまざまな経験を積みながら、自分という人間を育てていってほしいと思います。
人生の夏の時期にいるみなさまには、その学びを土台に、さまざまなことへ思いきり挑戦し、人生後半を軽やかに過ごすための準備を進めていただきたいと思います。
私と同様に人生の秋を迎えようとしている方や、すでに人生の秋を歩まれているみなさまには、身体が元気に動くうちに、「いつかやりたい」と思っていたことを一つずつ叶えていってほしいと思います。
私は、旧友たちと年に一度は旅行へ行きたい。理想の庭や畑づくりにも挑戦してみたい。そんな小さな願いを一つずつ叶えていこうと思っています。
そして誰にでも訪れる人生の冬を迎えたとき、たくさんの幸せな思い出を両手いっぱいに抱えていられるように、願いを叶え続けてほしいと思います。
たとえ老いて身体を自由に動かすことができなくなったとしても、たくさんの幸せな思い出は、心の中で小さな宝石のように輝き続け、私たちの心をときめかせてくれるはずだ。そんなふうに想像しています。
年齢に応じた体力も人それぞれで、個人差も大きいと思います。何歳まで働きたいのかも人によって違うと思います。働き方もさまざまでしょう。
ですが人生の時期と著しく外れた生き方は、苦しみのもとになるような気がします。
年齢と人生の季節を見つめながら、その時期にふさわしい生き方を選んでいくこと。
それもまた、人生を天国化するための大切な知恵なのだと思うのです。
⑨ 成功の定義を変える
人生における成功とは何だろうか。ここでは、私自身がたどり着いた一つの答えをお話ししたいと思います。
よく耳にする成功法則や願望実現法が掲げる成功の定義はどうでしょう。
誰よりも有名になり、社会的な地位を手に入れ、たくさんのお金を手にしている人こそが成功者だといわんばかりに聞こえているのは私だけでしょうか。
私はこうして夢を実現した。私はこうして大金を手にした。そんな情報に多くが憧れ、我も我もと押し寄せる。
そして、誰よりも早く成功をつかみ取るには……。早く、もっと早くと、時間にまで急かされている。
高みを目指すことは決して悪いことだとは思いません。誰もがお金もちになりたいと思っているかもしれません。私もお金は大好きです。
だけど、どうしても心の中に違和感が芽生えるのです。
それらの成功は全て誰かと比較し、誰かから良い評価を得た先に存在しているように見えるのです。
そして、誰かの成功を目にしては、自分と比較して落ち込む。私もそんな中の一人でした。
ですが、あるとき気づいたのです。人生における成功とは決して他人に評価されるべきものでも、他の人と比較すべきものでもないのではないかと。
さまざまな願いを叶え、今の生活の中に喜びや幸せを感じられること。
大切な人たちとの深いつながりがあること。
何よりも毎日の何気ない日常を穏やかに過ごすことができること。
これらは小さな成功の積み重ねのうえにあるものだと思います。
個人の成功について考えているうちに、社会全体にも同じことが言えるのではないかと思うようになりました。
発展だけを是として経済を成長させ続けようとして、激しく競い合っていることに、私は少し困惑しています。
経済社会はすでに十分すぎるほど成熟しているように見えているのは私だけでしょうか。
これからは調和や循環を最も大切にした経済目標が重要になってくると思うのです。
果てしない成長を目指すのではなく、ある程度成熟したあとは成長ではなく調和と循環へ視点を移していく。
そんな経済社会の理想が浮かんできます。
そんなふうに考えたとき、個人的な成功の定義もおのずと変わっていく必要を感じます。
社会の経済が"成長から循環へ"変わる必要があるように、個人の人生も"外側の成功を追い求める生き方"から"内なる調和から生じる幸福"へシフトする時期に来ているのではないでしょうか。
私たちは今、物質的な豊かさを手に入れた結果、逆に"何のために生きているのか"という根源的な問いに全員が直面しているようにも感じます。
誰よりも上にあることを成功だと思うのではなく、一人ひとりの幸せの実現が何よりも成功だと思うのです。
決して幸せなお金もちを目指すことを否定しているのではありません。
ですが、本当の幸せは外側へ貪欲に求めることではないと感じるのです。
本当の幸せはごくありふれた日常の中にある小さな幸せをたくさん感じることができる状態だと思っています。
私はコーヒーを飲みませんが、たとえば、
朝、淹れたてのコーヒーの香りに深く息をつくこと。
あるいは、
家族の笑顔をみて、今日一日が平穏だったと感謝すること。
さらには、
ペットとの語らいに愛を感じること。
これらは誰かと比較したうえで感じられるものではありません。
自分の内側をみつめながら、より喜びへと向かうなかで育っていくものです。
誰かと比較するのではなく、内側にある喜びが幸せとなって現実化していく小さな成功体験を積み重ねていくこと。
植物の成長を見守るように、ゆっくりでいい。"新たにできたこと"や"新たな自分との出会い"を成功だと数えていく。
どれほど幸せを感じることができているか。より幸せになれているか。そんな個人的な体験こそが成功である。
こんなふうに成功を定義することができれば、人生はどんどん天国化していくでしょう。
みなさまはどんなことに幸せを感じられますか。
みなさまにとって、喜びとはどんなものでしょうか。
もし今日、誰とも比較せずに自分を褒めるとしたら、どんな小さな成功を自分に手渡してあげますか。
⑩ 人生の最終目標を見つける
人生の最終目標として私が目指しているのは、「グランドマザー」という在り方です。
それは年齢や性別とは関係ありません。
多くを経験し、自分自身と向き合い、人生を受け入れながら、なお人を育み、見守り、愛することのできる存在。
それは、嵐の日に静かに温かいスープを火にかけるような落ち着きであり、悩める誰かの言葉をただ静かにきくことのできる沈黙。何かを成すための"力"ではなく、さまざまなことを許容できる"懐の深さ"をたずさえること。
グランドマザーの在り方は、まるで地球をめぐる水のようにも見える。高きから低きへと流れ、執着することなく、ただその環境の中に身を置く。
私はこのような在り方ができることを人生の終着点だと考えています。
頂点ではない。
終着点である。
頂点には限られた人しか立てません。
しかし終着点なら、誰もが辿り着くことができる。
競争の先にある場所ではなく、調和の先にある場所。
私自身もまた、読者のみなさまと共に、その場所を目指して歩いていきたいと思っています。
しかし、もし並行世界が存在するなら、その先には誰もが頂点となっている世界さえあるのかもしれない。そう思いはじめています。
頂点という言葉を聞くと、多くの人は高い山を思い浮かべるでしょう。だから、「頂点に立てるのは一部の人だけだ」と考えてしまう。
しかし、頂点は高い山にだけ存在するものではない。どんな山にも頂点はある。たとえそれが、砂場で作った小さな山だったとしても。
そう考えると、頂点という言葉の意味は大きく変わってくる。誰かと競い合ってたどり着く場所だけが頂点ではない。
家庭の中で温かな太陽のような存在になること。
自分の得意なことを伸ばし、その喜びを分かち合うこと。
誰かを支え、育み、見守ること。
そんな生き方の中にも、その人だけの頂点がある。
だから私は、誰もが頂点に立つことは可能だと思っています。
私にとって終着点とは、その人だけの頂点でもある。
さまざまな可能性を否定せず、心地よさに案内してもらう。そして、自分だけの頂点を見つけていく。
人生天国化メソッドは、そのための道しるべです。
それは、誰かから認められることでもなければ、別の誰かになることでもない。特別なものになろうとすることでもない。
今世、借りてきた肉体という衣を脱ぐとき、自分はどんな映像を見たいのだろう。
その問いから、人生創造は始まるのだと思う。
まずは終着点を決める。
そして、その終着点から今を振り返ってみる。
私は何をしたいのか。
どんな人でありたいのか。
どんな世界を見たいのか。
そこが、人生天国化のスタート地点なのです。
水という巨大なネットワークに包まれた地球という舞台で、誰もが主人公としてグランドマザーを目指せる世界。
それがみなさまの目の前に用意されている。
グランドーー壮大な
マザーー「すべての生命の源」「偉大な包容力」「根本・土台」
これこそが壮大な秘密だ。
そこにあるものをただ映し出しているという水の働きを意識しながらの現実創造は、グランドマザーを目指すみなさまにとって、今までにない変容をもたらしてくれるだろう。
みなさまが人生の最後に、どんな景色を見ていたいのか。隣に誰がいて、どんな言葉を交わしているのか。その場所から今を見たとき、みなさまはどんな小さな一歩を踏み出すでしょうか。
誰もがグランドマザーを目指す世界は、きっと今よりも優しくなっているはずです。みなさまも誰かのグランドマザーとなって、心の奥にたたえた愛を小さな泉のように持ちながら、慈しみ、癒やしを与えられる存在となってください。
マガジンにまとめています。
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