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[beer the beer 最終章] 未来への一杯

時はさらに二十年が過ぎ、1860年代後半。

ロンドンは、産業革命の熱気をそのままに、しかし確実にその様相を変えていた。

蒸気機関の轟音が鳴り響きながらも、街並みは一層整備され、ガス灯の光が夜の帳を明るく照らす。鉄骨とガラスを用いた新しい公共建築が次々と建てられ、その一方で、アーツ&クラフツ運動の美意識が人々の暮らしに深く根付き始めていた。

手仕事の温かみが、工業製品のデザインにも影響を与え、生活の中に美を取り戻そうという動きが、確かなうねりとなっていたのである。

「beer the beer Movement」もまた、ロンドンの人々の想いを、ゆっくりと、染み込むように変えていった。

大手ブルワリーの「タイド・ハウス」一辺倒だったパブには、「本日のbeer the beer」と書かれた黒板が掲げられ、週替わりで様々な職人のビールが楽しめるようになった。
キャサリンの店がその手本となり、人々は、ただ喉の渇きを癒すためではなく、新しい味との出会いや、ビールの背景にある物語を求めて、パブの扉を叩くようになったのだ。

醸造家たちの間では、「真のビール醸造家たちの会合(The Conclave of True Brewers)」が、世代を超えた知見の交換の場として、権威ある存在となっていた。若い職人たちは、大手で歯車になることを選ばず、自らの手で「beer the beer」を造ることを目指し、地方の忘れられたホップや麦芽の品種を再評価する動きも生まれた。

それは、効率と安さだけを追い求めた時代に対する、ささやかだが、力強い反革命だった。一杯のビールに、魂と、美意識と、そして物語を。その価値観は、確かに、人々の間に根付いていったのである。

そして、その言葉は、やがて職人やパブの店主だけのものを超え、ロンドンの市井の人々の暮らしの中に、深く、そして温かく、溶け込んでいった。

金曜の夜、一週間の仕事を終えた労働者が、安酒場でジンを呷る代わりに、けして安くはない「フォルトンズ」の瓶を一本だけ買い求め、妻と共に、その一杯をゆっくりと味わうようになった。
ささやかな祝い事があった日には、父親が「今夜は、うちの『beer the beer』だ」と、誇らしげに、いつもより少しだけ上等なエールを食卓に並べるようになった。 若者たちは、ただ酔うためではなく、どのブルワリーのビールが、より本物の「beer the beer」か、熱く、しかし楽しげに、語り合うようになった。

「beer the beer」は、もはや単なるビールの銘柄ではなく、日々の暮らしの中に、ささやかな豊かさと、誇りを取り戻すための、人々の「合言葉」となっていたのである。

かつて見習いとしてその門を叩いたベネットブルワリー。

ロバート・フォルトンは今や、穏やかに引退した師匠ウィリアム・ベネットからその全てを受け継ぎ、若き主(マスター)として、伝統ある醸造所に新しい時代の息吹を吹き込んでいた。彼は、その歴史ある醸造所を、師への敬意を込めて自らの名で再出発させたのだ。

その名は、「フォルトン・クロフトブルワリー」。
クロフトとは、古くから続く、家族で耕す小さな土地のことだ。
彼は、この場所から生まれるビールが、常に地に足のついた、温かい手仕事の魂を宿すことを願い、その名をつけたのである。

彼の醸造所は、最新の冷却技術と自動温度管理システムを備え、仕込みの効率は飛躍的に向上した。しかし、麦芽の選定、ホップの投入タイミング、そして発酵の最終段階における酵母の活動の見極めは、今も変わらずロバート自身の熟練した舌と、長年培われた勘が頼りだった。

彼の傍らには、常にあの「醸造日誌」の、何代目かとなる新しいノートが開かれている。そして、彼の書斎の机には、愛する妻と、ビールの泡に目を輝かせる子供たちの写真が、誇らしげに飾られていた。

師匠ウィリアム・ベネットは、穏やかに醸造所の日常から引退し、今はロンドン郊外の田舎で静かに庭仕事を楽しんでいた。彼の庭には、色とりどりの花の間に、故郷を懐かしむかのように、数種類のホップの蔓が力強く天へと伸びている。時折ブルワリーを訪れては、かつての愛弟子が造り出すビールを静かに味わい、満足げに頷くのが、彼の何よりの楽しみだった。

「ロバート、お前は私の想像を超えた。科学の力を理解し、それでいて職人の魂を忘れない。真の“beer the beer”は、お前が完成させてくれた」。

兄トーマスは、建築家としてロンドン中で名声を得ていた。彼が手掛けたロバートの醸造所や、キャサリンのパブの内装デザインは、機能的な鉄骨と、手彫りの木材やステンドグラスの温かみが融合した、まさにアーツ&クラフツ運動を象徴する建築として称賛を浴びていた。

「機械が骨格を造り、手仕事が魂を吹き込む。それは建築もビールも同じだな」とトーマスは笑った。

パブ「The King’s Head」は、今では「The Brewer's Hearth(ブルワーズ・ハース)」(醸造家の炉辺)と改名し、キャサリン女将の手腕でロンドンでも最高のビールが飲める店として評判だった。暖炉の火が磨き上げられたカウンターを照らすその店は、ロバートが目指した「人々をつなぐ場所」として、確かにそこに息づいていた。

あのアルフレッド・ハーグリーブスもまた、故郷の港町で、自らの信じるビールを造り続けていた。彼は「真のビール醸造家たちの会合(The Conclave of True Brewers)」の長老として尊敬を集め、生涯を通じて、ロバートの最高の友であり、そして最高の好敵手であり続けた。

そして、後年、ロバートはあの瞬間をこう語っていた。

「あのビールには、私の人生そのものが詰まっていたんだ。出会った人々の笑顔、共に苦労した日々の記憶、そして、決して諦めなかった『最高のビール』への想い……。それら全てが、あのグラスの中にあった。ようやく、探し求めていた『the beer』に出会えた、という確信が、あの叫びになったんだ。『beer the beer(ビアザビア)』、あれは、私自身の物語だったんだよ」


・ ・ ・


物語はさらに時空を越え、現代の日本へ──。

都会の喧騒から離れた広大な公園で開かれている、とあるクラフトビールフェス会場。色とりどりにブルワリーのテントが並び、個性豊かなビールが提供されている。

木製のステージには、シンプルながら力強い書体で「beer the beer」のロゴが掲示されている。かつてロバートが暮らしたロンドンの街並みとは異なり、高層ビルが立ち並ぶ現代の風景。しかし、フェス会場に満ちる熱気と、ビールを愛する人々の笑顔は、あの日のロンドンと何ら変わらない。

フェスの来場者たちは、それぞれのグラスを掲げ、陽気な音楽に合わせて「これぞ俺のビアザビア!」と叫び、その場にいる醸造家や飲み手たちが、まるで合唱するかのように「ビアザビア!」と繰り返す。

若い醸造家が、自分の醸造にかける情熱を語り、来場者たちは熱心に耳を傾ける。彼らのビールもまた、最新の醸造技術と、職人のこだわりが融合した「魂の宿った一杯」、まさに彼らの「ビアザビア」なのだ。

中には、ロバートの物語が書かれた古い書物『フォルトン醸造日誌』の復刻版を手に、その言葉の源流に思いを馳せる若者の姿もある。彼らは、グラスの中で輝く琥珀色の液体に、遥か昔のロンドンの職人の情熱と、新しい時代への挑戦の物語を見出していた。

産業革命期のロンドンで、ロバート・フォルトンが「自分だけの一杯」を追い求め、たった一度叫んだ「ビアザビア」、その言葉は、時を超え、国境を越え、形を変えながらも、ビールを愛する人々の心に脈々と受け継がれていた。

それは、単なる技術の進歩や、商業的な成功の物語ではない。科学技術の合理性と、手仕事が持つ普遍的な温かさ、そして美意識が織りなすハーモニー。人々が、日々を豊かに生きるための喜びを、一杯のビールに見出した物語であった。

ロバートが築いた「beer the beer Movement(ビアザビア運動)」という精神は、未来永劫、人々の心の中で輝き続けるだろう。

グラスを傾けるたびに、その泡立つ黄金色の液体は、過去と現在、そして未来を繋ぎ、人々に希望と安らぎと、そして笑顔を与え続けるのである。


「beer the beer (ビアザビア)」おわり


参考画像


フォルトンクロフトブルワリーは現在でもロンドンの地でビールの醸造を行っている(筆者撮影:2023年)
フォルトンクロフトブルワリーの醸造スペース(筆者撮影:2023年)
フォルトンズゴールデンエールは現在も変わらずロンドンで人気のあるビールである(筆者撮影:2023年)

現在のパブ「ブルワーズ・ハース」(筆者撮影:2023年)
「ブルワーズ・ハース」の店内の様子(筆者撮影:2023年)
「ブルワーズ・ハース」のコースターには「アーツ・アンド・クラフツ」の意匠が取り入れられ、「BEER THE BEER」の想いも綴られている。(筆者撮影:2023年)
当時の「ビアザビア」の看板。フォルトンズ・ゴールデンエールは「キングスヘッド」でも一番多くビアザビアになったという話をしてくれた。(筆者撮影:2023年)


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