「新しい仕事」ではない、それが本来業務
まちみらい流で発生したこと
改めて「まちみらい流」
まちみらい流のアドバイザー業務では「様々な部署の担当者がそれぞれの課題を持ち寄り、何が課題でどう解決できそうかをプレゼンし、それを参加者で徹底的に何度もディスカッションしながら、形になりそうなものから順番に事業化する」形で実施している。
実際にこの方法論を用いることで、常総市・宮崎市・久米島町・石川町・玉名市・川南町等で多様なプロジェクトを創出してきている。
1年目から(個々のプロジェクトの難易度・庁内外の熟度・まちの体制・財政状況等によっても異なるが、)ある程度のプロジェクトが顕在化することもあるが、2年目、3年目と時間と数を重ね、経験知を蓄積することで指数関数的にプロジェクトの質・量が増加していくのが大きな特徴である。
実際に常総市の3年目ではほとんど筆者に頼らず、自分たちだけで自律した議論が行われていた(筆者はほぼ発言の機会すらもらえなかった)。
ある自治体でのアンケート結果
2025年度から基本の1.5倍のボリュームのモリモリパックのアドバイザー業務がスタートしたある自治体で、こうしたまちみらい流の案件協議に参加した職員に対するアンケートが実施され、それを目にする機会を得た。
事務分掌に位置付けられたルーティンワークだけで「クソ忙しい」のに、1.5日×8回/年を拘束されるのは確かに相当の労力を要する。これは物理的・時間的に間違いない。このアンケート結果では、「まちみらい流」に対する前向きな意見や可能性に対する共感の声が多く寄せられたが、同時に「負担感」に対する率直な声もいくつか並んでいた。
・通常業務に加えて資料作成や発表準備に非常に負担を感じた
・強制的に参加させられることへの不満があった
・参加したことを人事評価に反映してほしい
・毎月の発表が負担で、進捗がない時期には絞り出すのが大変だった
「本人が率直に感じたこと」なので全く間違いはないだろうし、客観的に見ても確かにそのとおりだろう。もちろんこうしたことを言いたくなる気持ちもわかる。
忙しい通常業務を抱えながら、毎月のように案件協議の場に参加することが求められる。2回目以降の発表では「前回どのような議論がなされたか、この間にどのようなことを実施したのか、これからどうするのか」の3点をプレゼンしなければならない(≒誤魔化しが全く効かない)。そのために資料をつくり、発表し、また翌月に向けて動く。これを何度も繰り返すのは確かにきつく・しんどいことは間違いない。
しかし、同時にこれらの意見でモヤつくのは「案件協議で取り組んでいること・テーマは新しい仕事なのだろうか」ということである。
「与えられた仕事」と「本来の仕事」
ルーティンワーク

地方自治法で地方公共団体が行う事務は、自治事務と法定受託事務であるとされている。これを元に各課には事務分掌が定められ、それをそれぞれの担当者が「仕事」として実施する。特に法定受託事務(や多くのルーティン化された自治事務)は毎年同じように処理して前例踏襲で回していける類の仕事で、それをきちんとこなすことは当然必要だし、公共サービスとして最低限やらなければならないことだ。
しかし、自治体が現在の世の中・まちから本当に求められていることは、これに加えてクリエイティブに「まちの課題を解決すること」と「まちのポテンシャルを引き出すこと」であるはずだ。この視点に立ち返ったとき「前例・引継書・マニュアルどおりにこなす仕事」だけでそれが果たせないことは誰もが薄々感じているはずだ。
このことは自治事務はもちろんだが、法定受託事務でも同様だ。法定受託事務は「決められたこと」を「求められるクオリティ」で実施する必要があるが、いかに効率的に行うのか、どれだけ高いサービスの質を提供するのか等は十分に工夫の余地がある。
世の中がすごいスピードで変化し、人件費や物価の高騰・人がいない問題・財政調整基金の減少(※ここ数年は多数の自治体で枯渇)等が進み、それを認識しているにもかかわらず、去年と同じことを今年も、更に来年もやっていては「回らなくなる」のは当然だ。
「まち」は自分たちの写し鏡
「まちの姿はその自治体の職員(総体)の写し鏡」の側面もあると感じる。
老朽化した公共施設が放置されたり、中心市街地が衰退しまくっていたり、若い世代が我先にと逃げ出しているまちには、それを自分ごととして捉えられなかった個々の行政職員や組織としての行政、更には議会があるだろう。
このnoteを読んでいただいている行政関係者にも思い当たる節があるのではないだろうか。

「誰かがやってくれるだろう」と他人事で現実逃避をしていたり、「どうせうちのまちは」とフリーザ様の最終形態を前にしたベジータばりに戦意喪失していたり、「〇〇ガー」とそれらしい屁理屈をこねて自己保身のリスクヘッジをしていたり・・・
更にはオママゴトのシミュレーションゲームで(現実は何も変わらないのに)変なな世界に没入したり、市民ワークショップでなんとなくやった感を出したり、昭和100年の公務員像・行政像をいまだに脳裏に焼き付けて「仕組みが悪い」と言い訳したり・・・
(呼ばれて有頂天になっている本人も問題だが)大した成果を出していない人を講師やアドバイザーとして招聘し、その枠内で「俺たち頑張っている感」を出して井の中の蛙状態になっていたり(←これは自分も気をつけなければw)・・・
こういう世界に留まっている職員が大半を占める、組織としてその程度でしかない自治体だからまちが猛烈なスピードで衰退してしまう。
一方でまちに真摯に向き合う相応のリソースを投下してきた自治体は、やはりそれだけの覚悟・決断・行動をしていることもあり、投下したリソースがその瞬間に全て結果に結びついているとは言わないが、試行錯誤の状況も含めて少しずつ着実に変化が起きているし、何よりも職員が自ら動けるようになっている。
同時に地域コンテンツ・プレーヤーとリンクすることもプロジェクトを具現化するための必要条件になることが多いことから、点としての公共施設やワンイシューとしての行政課題ではなく、それをすることでまち全体のバランスシートがどうなっていくのか考えながら進めることができるようになってくる。こうしたプロセスを通じて自ずとまちなかに理解者も増えてくる。
改めてこの自治体だけではなく、これまで関わってきた・あるいはまちみらい流でやることを躊躇っている自治体に考えてほしいことがある。
案件協議で取り組んできた公営住宅・福祉施設の活性化・公有地の利活用・包括施設管理業務委託・ESCOによる空調や照明の更新・包括売却業務委託・改修工事の優先順位付け等は「新しい仕事」なのか、それともずっとそこにあった課題なのか。
職員のクライアントは誰か?
クライアントたる首長と補助機関としての職員



地方自治法で長は「普通地方公共団体を統括し、それを代表する」ことが明確に位置付けられている。更に「財産の総合調整権」を有するのは首長たったひとりで、行政の職員は「長の補助機関」である。
首長がまちの経営者であることは間違いないが、首長はまちのすべてを知っているわけではないし、全知全能の神でもない。各施設の劣化具合、地域コンテンツの可能性、どのような地域プレーヤーがいてどんなポテンシャルや悩みを持っているのか、民間が関心を持ちそうな土地の条件、住民が本当に不満に思っていること・・・そういった細部を知っているのは現場にいる職員でしかないし、だからこそ補助機関として職員が必要なのである。
首長は各部署(職員)へ個別に割り当てられた公共施設マネジメント・教育・福祉等の1分野だけを見れば良いわけではない。そして、その総体たる「行政運営」レベルのことだけではなくクリエイティブな「自治体経営」を担っている。
行政職員にとって首長はクライアントだが、そのクライアントはたった4年の限られた任期のなかでまちを動かさなければ・経営しなければならない。首長に「政治的に動いてもらう」ためには、職員が先にプロジェクトを組み立てて「これをやるとこうなる」「首長の掲げたマニフェストを具現化することにつながる(そのための経営資源を調達することにつながる)」等の具体的な話を持っていくことが求められる。
公務員時代には
筆者が流山市役所で公務員をしていた15年間のうち(運が良かったと言って良いと思うが)、ほぼ全ての期間は同じ市長・副市長の元で仕事をしていたし、幸いなことに両者から(こちらが一方的に思っていただけかもしれないが、)圧倒的な信頼と業務の自由度をもらっていた。
(現在はわからないが)当時の市長・副市長の価値観・判断基準は終始一貫していた。副市長は「行政の抱えている課題の99.9%は金で解決できる」が口癖だったので様々なプロジェクトの企画案を相談する際には「これで○千万円のコスト削減(・歳入確保)につながります」と言えれば基本的になんでも決裁が取れた。市長は政治家であり現状打破につながる政策へ非常に強い興味を持っていたことから「少なくとも千葉県で1番、全国で初のプロジェクトであること」が説明できれば「頑張ってください」と了解をもらうことができた。
結果で見せていくこと
公務員時代に筆者は、このような形で公共施設に関連した数多くのプロジェクトを企画・実践し、「口や理想論だけではないリアル」を見せていくことで信頼を積み上げてきた。一方的に理論・理想論(や感情)で合理的に「なんとかしてほしい」と主張するだけでは動くものも動かない。
首長ともGIVE &TAKEの関係で差し出すものを(相手が想定するより上のグレードで)しっかりと持っていく、その対価として自由度や更なるプロジェクトを手に入れていく。それが補助機関としての職員の本来の仕事だし、欲しいものがあるなら自分がそれ以上のことをするのは当たり前だ。
前述のアンケートでは「首長には具体的な案件指定でなくても、せめて各課最低でも1件は案件を出すよう指示を出していただけると、より公平に進行できるのではないか」という声もあった。
この意見自体は理解できるが、もう少し考えてほしいのは「首長の指示があれば動く」のは、首長が知っている課題しかプロジェクト化されないことと同義でもある。首長が知らない課題・ポテンシャルを現場が掘り起こして首長の理解を得ながらクリエイティブに解決・顕在化していく、そのための補助機関であるはずだ。
「指示待ち」ではプロンプトを入れなければ動かない現時点でのAIと同じだ。(しかも、AIはプロンプトを正しく入れれば文句を言わず、質は色々とあるがアウトプットを作成する。)
「言われなければやらない」のは不作為
そもそも「言われなければやらない」時点でプロとして失格である。
「宿題を出されたらやる」のと同じで、それは単なる作業でしかない。つまりルーティンワークや事務分掌の世界でしかない。
言われてやっている限り、それは「やらされている」受動的なものでしかないので、そこから大した経験知は得られないし、そこでの個別の暗黙知は組織としての形式知にはとても昇華できないだろう。
前述のとおり「まちは自分たちの写し鏡」である。自分たちがアクティブに動かなければ、新陳代謝が鈍くなり衰退していく。
そして、他の自治体でもよく出される意見が「自分たちのやっている仕事に課題はない」である。
正直、マジか?
100万歩譲って「全く課題はない」としたら、そして「事務分掌の範囲内に限定」したら、あなたには「山ほど時間が有り余っている」はずだ。
そして、このnoteで示すとおり、本当は全く違うが「新しい仕事」に投下できる無限のリソースを持っているはずだ。
つまり、それだけのリソースを有していながら「やらない」。
それは職務専念義務違反であり、不作為でしかない。
筆者は公務員時代ももちろん、今でもいろんなまちを訪れるたびにどこでも感じるのは「世の中に完璧なものはなく、あらゆることには課題とポテンシャルしかない」ことだ。
「喰われる」自治体に成り下がる
2024年5月の東洋経済「喰われる自治体」特集は、地方創生の10年間に国費だけで60兆円が投入されたにもかかわらず、東京一極集中の是正も少子高齢化対策も何も進まず、その金の多くがコンサルやベンダーに流れてしまったことを鋭く指摘した。
自分のまちの未来を左右することを「見ず知らずのコンサル」に「最も安い価格を入れたところ」に委託して良いわけがない。
前述のように課題認識を自らしようとしないから、地方創生の総合戦略や総合計画、都市計画マスタープラン、公共施設等総合管理計画、PPP/PFIの優先的検討規程等の自分たちが「どう生きるのか」といった根本的なところすら、「忙しい」「やったことがない」等の安易な発想で丸投げ委託してしまうのである。
あれ、課題はなかったはずですよね、将来のことを考えて実践するリソースは無限に持っているはずですよね?
計画づくり、自分たちがどう生きるかを言語化するぐらいの時間はあるはずですよね?
そして、(内容を読んでも最初は理解が追いつかなかったが)ついに随意契約保証型の民間提案制度すらコンサルに委託してしまう自治体が現れた。
自分たちで自分たちのまちのことを「考えない・対応しようとしない・手を動かさない」まちは、コンサルや監査法人に喰われまくり、更にまちの衰退を自ら指数関数的に早めていることを認識しなければいけない。
「自分ごと」とは、プロとして当たり前のこと
まちみらいがアドバイザー業務をする際に一貫して守っているスタンスがある。「受託者側では計画・要求水準書等に関する文字を一文字も書かない」——これがその核心だ。職員に必要十分なメンバーを集めてもらいワーキンググループを構成し、「課題は何か」「それを解決するためには何が必要か」「誰がリードするのか」「資金調達も含めてコストはどう考えるのか」「誰と手を組めばできるのか」を、地獄の缶詰作業のディスカッションで模索していく。どのような方向に収斂されていくかも読めないため、手戻りや柔軟な軌道修正も日々求められるし、禅問答のようなやり取りが延々と続くため、関わる職員も時間・体力だけでなく神経をすり減らして大変な思いをする。ビジネスとしてのコストパフォーマンスは非常に低いが、ここの部分こそが他のコンサルには「劣化コピー」できない部分だと確信している。
鴻巣市では包括施設管理業務の検討にあたり、企画・財政・管財・施設所管課からなるワーキンググループが公募関連資料をすべて自分たちでつくりあげ、「事務の効率化」という優先順位を1つに絞り込んだうえで、最終的な債務負担行為の設定に際してはWGメンバー自身が市長を含む幹部の前で説明し、業者選定の採点も全員で行った。廿日市市では包括施設管理業務の検討から始まり、随意契約保証型の民間提案制度、下水道分野への展開と、職員がワーキンググループを組織して自分たちの力で構築してきたことで、経験知を形式知に置換しながら様々な分野へ広がりを見せてきた。小田原市では歴史的建造物の利活用という難題に際し、建築関連部署や法規担当部署の「どうやったらできるか考えよう」という姿勢のもと、公募対象となった4件が全て事業化し、それぞれがまちのコンテンツとして輝く成果につながった。
これらのまちに共通しているのは、「コンサルに答えを出してもらった」のではなく「職員が自分たちで考え抜いた」ということだ。頑張るまちとダメなまちの差は、「自分ごと」として考えて手を動かせるかどうか——これが全てと言っても過言ではない。
宮崎市
遠回り・非効率的に見える「まちみらい流」が最短距離とは言わずとも相当に効率的であることはこれまで拙著や本noteで何度も取り上げてきた常総市はもちろん、宮崎市を見ても明らかである。
就任直後から「構造」をつくった
2022年に就任した清山知憲市長は、就任初年度に都市戦略課を新設し、民間提案を受け付けるワンストップ窓口「みやざきCITYPORT(みやPORT)」を開設して公民連携の推進を明確に打ち出した。医師・県議を経て市長に就いた清山氏のスタンスは明確で、「民間が長けている部分は民間に任せてまちに賑わいをつくる、一方で福祉や教育は自分たちで責任を持って手掛ける」という分担の論理を就任当初から一貫して持っていた。
しかし上記の記事にあるように「ハード面の公民連携は4年目に入ってようやく形になり始めた」と清山市長自身が語るように、結果が出るまでには相応の時間がかかっている。
まちみらいとの関わりは「お試し版」として始まり、翌年度から本格的なアドバイザー業務に移行した。宮崎市のWGの特徴は、年度当初に全回分のスケジュール・対象課・メンバーを全て決めてしまうことにある。更にテーマについても事前に市長と協議しながら選定し、「市長決裁」のプロジェクトとして位置付けられる(それ以外のテーマを追加で提案する素晴らしい課も存在している)。各課は毎回「前回の振り返り・そこから何をしたか」をベースにプレゼンを行い、徹底的なディスカッションが繰り広げられる。2回に1回の割合で市長・副市長へ報告・意見交換し、毎回終了後に何名かと食事会で意識合わせをする仕組みが、全体の進行を円滑にしてきた。
襟を正す
宮崎市が優れていたのは、華やかな大型案件だけを追わず、まちみらいが関わる前から足元の地道な「やるべきこと」を同時並行で進めてきた点だ。公共施設の使用料見直しはその典型で、清山市長就任直後の2022年11月から市民検討会を設置し、全4回の議論を経て2023年9月議会で条例改正を可決、2024年4月から83施設の新料金を適用した。それまでの宮崎市は、施設の維持管理コストに対して使用料収入でカバーできているのは約21%に過ぎず、約79%を公費で賄う構造になっていた。市場性と必要性の2軸で受益者負担割合を設定し(50%・75%・100%の3段階)、同一用途・規模の施設は統一料金とする。
このシンプルだが誰もやりたがらなかった仕事を、職員が自分たちで議論して仕上げた。PPP入門講座でも繰り返してきたように、使用料の統一ルールすら持てていない「自称公共施設マネジメントの先進自治体」が多いなかで、これは極めて重要な一手だ。
施設評価も毎年度継続して積み上げてきた。令和3年度から始まり、4・5・6年度と4年連続で対象施設を評価し、施設カルテと経営適正化計画を公表してきた。評価対象は中学校区ごとのエリアマネジメントの視点で選定し何らかの見直しの方向性を示す。これが単なる「計画書」ではなく、毎年の積み重ねとして機能しているところが宮崎市の強みだ。コンサルに丸投げして一発で作った計画書とは、根本的に重みが違う。
個別のプロジェクトも着実に展開してきた。檍地区交流センターは2022年12月にサウンディングに着手し、2025年1月に優先交渉権者を選定——DBO方式採用・宮崎市初の公民館への指定管理者制度導入という形で事業化した。栄町街区公園では宮崎市初のPark-PFI事業を2025年4月に認定。今村近隣公園ではPark-PFIと指定管理者制度の併用(宮崎県内初)の公募を2025年に開始した。市営住宅の空き住戸の目的外使用、学校の包括施設管理業務の優先交渉権者選定、普通財産の包括売却業務委託の契約締結、青島での複数公有財産のトライアル・サウンディングも動いた。さらには「宮崎オープンシティまちづくり計画」の策定、中心市街地のまちなか投資倍増プロジェクト、高千穂通りのほこみち制度活用——いずれも「いつの間にかできていた」のではなく、WGで所管課が課題を持ち寄り、徹底的に議論し、プロジェクトとして落としていった積み重ねの結果だ。
2026年2月の定例会見が示したもの
そして2026年2月17日、清山市長は定例記者会見で44施設の見直し案を公表した。みやざきアートセンターの3〜5階を図書館的機能にリニューアル(令和11年度開館目標)、宮崎科学技術館の全面リニューアル(同)と大淀川学習館の機能集約・閉館、築60年の道の駅フェニックスの民間資本による再整備(サウンディング済み・令和12年度オープン目標)、道の駅田野の国道269号沿いへの移転と田野物産センターの統合閉館。
いずれも「単なる施設の削減ではなく、残すと決めた施設はしっかり充実させ、メリハリのある運営を目指す」明確な方針のもとに整理されたものだ。同日、各部署バラバラに行っていた支払い事務を1ヶ所に集約する「総務事務センター」の開設も発表し、年間で職員約10人分(約20千時間)の業務量を削減して政策立案・市民対応に集中できる環境を整えることも打ち出している。
「コンサルに分析させた・(隠れ蓑としての)有識者委員会での答申に基づく計画書を発表した」のではなく「職員が3年間かけて自分たちのまちの実態を直視し、ディスカッションを重ね、サウンディングで市場性を確かめ、施設評価を積み上げ、使用料を見直して収支を可視化し、自律した自分たちの言葉で方針を出した」ことに価値がある。
その土台がなければ、44施設の見直しを市民に対して「なぜそうなのか」を説明できる形で打ち出すことはできなかった。
市長は動画を見れば明らかだが担当者が作った原稿を棒読みするのではなく、「自分の言葉」で話して、(それだけでは不足していると感じているのかもしれないが)更にnoteでも発信している。
「遠回り」が「最短距離」である理由
コンサル・監査法人に「貴重な税金」を使って丸投げすれば数ヶ月でそれらしい報告書や公共施設の再編計画案は簡単に出来上がる。しかしそこには職員の経験知が何も積み上がっていないし、何の意思も宿っていない。議会や市民から問われても答えられない、説明できない「やってます行政」の象徴、つまらない自己保身のための紙束でしかない。そういう計画書・再編計画・総合管理計画が全国の棚の上で埃をかぶっている。そこに要したコストは無駄でしかないし、そもそもそんなものを持っていても、非合理的で様々な思惑が輻輳している「3次元のまち」では何の役にも立たない。
宮崎市が3年間で積み上げたものは、計画書ではなく「職員が自分たちで考え抜いた経験知」とそれに基づく数々のプロジェクトであり、それらが更にギアを上げてやっていく「44施設の見直し」というアウトプットに凝縮されてきたのである。
膨大な時間と労力、リソースをかけたように見えて、実際にはその後の実行フェーズで全くブレずに動ける土台・スキル・経験知を手に入れているのだから、中長期で見れば圧倒的に効率的であることは間違いない。
前述のnoteで書いたように、宮崎市のWGでは、温泉施設・公民館など当初は「動くなかで諸条件の整理がままならなくて迷走している」案件もあった。しかしそれは「動かない」のではなく「あらゆる方向性を探っていた」のであり、その過程で職員の感度が磨かれ、市場の動向や自らの持つリソースなどの実態が肌感覚として身につき、次のプロジェクトに転用できる経験知に収斂されてきた。だからこそ、こうした施設についてもそれぞれ具体的なプロジェクトとして現在は動いている。
それとは対照的にこれまで「まちみらい流」でやってきた自治体のなかには「新しいことは」「忙しいから」とWGの日程すら度々リスケして直前になって案件が出てこない自治体もあったし、こうした場の設定すらままならない自治体もあった。
宮崎市との差は、3年後にはっきりと形になって現れることは間違いない。
(同時にこのように「動かない・動こうとしない」自治体は、「筆者の写し鏡」であると考えたら、まちみらいの責任も大きいことを忘れてはいけないし、自戒の意味を込めてここに記しておく。)
「負担」の正体
「発表できるような進捗」がない
アンケートにこんな言葉があった。
「『発表できるような進捗じゃないといけない』と思い、何も進められていない自分をひどく責めてしまいました」。
全く自分を責める必要はない。非合理的な社会で「一発回答」が簡単にできるなら誰も苦労していないし、「敢えて集まる」必要性も全くない。
そして、この言葉にこそ本質が詰まっている。「発表できるような進捗がない」と認識できるのは、「何かを動かそうとしているがうまくいっていない」ことであり、同時に自分が目指そうとしている確かなベクトルがあるからだ。それはすでに課題・ポテンシャルを「自分事」として捉えている証拠である。「課題がない」と寝ぼけている人たちとは(は比較の対象にすらならないが、)全く異なる位置にいるし、悩む・自分を責めるぐらいまでやれていることを誇って良いと思う。そして、それらは全て経験知に昇華されていく。
うまくいかない蓄積の価値
最初からスラスラ動ける人などいない。長年の懸案となっているまちを取り巻く課題は、すぐに答えが出るようなものではないし、どこかに答えがあるわけでもないし、類似事例を劣化コピーすれば良いものでもない。
ましてやオママゴトのシミュレーション・消費者としての市民を集めたワークショップ・空中戦の有識者委員会、そして安易なコンサル・監査法人への委託でお茶を濁したり、やっている感を出していても全く「自分ごと」にもならないし、貴重なリソースの浪費でしかない。
もがいて、悩んで、「やばい」と思いながらでも前に進もうと試行錯誤しているプロセスそのものが、すでに「本来の仕事」をしている姿だ。
見ないフリをせず「やってみる」
PPP入門講座(だけでなく、まちみらいとして大切にしているテーマ「まちとしての総力戦」が求められている時代。
「どこからやったらいいですか」への答えは「分からない、どこからでもやってみたらいい」しかない。手を止めていることが一番もったいない。プロとして、手を動かして出るところから結果を出すことが全てだ。
別のアンケートの声では「WGに参加しなければどうしても後回しにしてしまう可能性があったので参加してよかった」「定期的な発表があることで、次回に向けて進めなければならない気持ちになる、先延ばしにしがちな人にとっては効果的に進行を促進する仕組みだと思う」。
この声にも耳を傾けてほしいし、意味を考えてほしい。行政は民間企業と異なり「期限付きの経営的な数字」を求められることがほとんどない。残念ながら行政は非合理的な社会で責任の所在も曖昧であることから、「検討中です」「将来的に考えてまいります」と言った安易な先送りが(その場では)許容されてしまう。この蓄積やその場だけを取り繕ってきたことが前段で示すように「厳しいまちの現実」に直結している。
重要なことが先延ばしにされてきたのはなぜか、誰が先送りにしてきたのか。まちみらい流という「外圧」がなければ動かないなら、それはまだ「自分の仕事」として腹に落ちていないことと同義でもある。逆に言えば、(最初はイヤイヤかもしれないが)まちみらい流を通じてそれが「自分の仕事」に変わる瞬間があることも間違いない。
その瞬間こそが、このプロセスの価値が最初に顕在化する瞬間である(もちろん、そこがゴールではないし、その瞬間には何も手に入っていないことを忘れてはならない)。
そして「外圧」であったとしても「それで動く」なら、多少のストレスがあろうがそのほうが圧倒的にマシである。オママゴトとは全く異なる世界だし、ガチガチにぶつかることの方がプロとして健全である。
見ないフリをせず「やってみる」、このちょっとした覚悟・決断・行動こそが求められているはずだ。
「新しい仕事」なんかじゃないと気づけば全く変わるはずだ。そして、自分の抱えている仕事を全て案件協議に出してしまえば、多くの人間で一気に検討できるので「一人で抱え込む」必要がなくなり、相談相手がいなくて悶々とする必要もないし、ディスカッションで様々な糸口が見えてくるので結果的には自分が楽になるはずだ。
ルーティンしかないなら「あなた」でなくていい
人がいない時代のAI・シンギュラリティ
同じ手順で処理できる業務は既にAIや自動化で代替が進んでいる。単純な書類処理、定型的な問い合わせ対応、データ集計、これらを丁寧にこなすだけの職員の役割・存在意義は急速に縮小しつつある。
まさかExcel職人・押印至上主義などをいまだにやっていて「新しい仕事をする時間がない」と言ってはいないだろうが、そんな世界にいるなら、そこを心地よく感じているなら、それが自分の仕事だと思い込んでいるなら、あなたの生産性は無料ツールにすら及ばない。
2040年と言われていたシンギュラリティもフィジカルAIなども急速に進化していることを考えていると、目の前にいることは間違いない。
20年ぐらい前に「インドの自動車にモーターが搭載されたら自動車業界に創発的イノベーションが起きる」といった話を聞き妙に納得していたが、もうそんな古めかしい時代ではなくなっている。
宮崎市が今回発表した総務事務センターによる「2万時間・約10人分の業務削減」は、まさにルーティンを集約・自動化することで、職員が「本来の仕事」に向かう時間をつくり出す試みでもある。
「あなた」でしかできないこと・「あなた」ならできること
一方で
・自分たちのまちをどうしたいか
・この施設をどう生かすか
・あの土地に誰を呼び込むか
・このサービスをどう発展させるか
・誰と誰がリンクしたら面白いプロジェクトになるのか
・あのメンドくさい人をどう落とすかorパススルーするか
こうした問いに向き合い、試行錯誤し、地域のプレーヤーと議論しながら形にしていく仕事は、人間にしかできない。それこそが、今まさに求められている行政の職員(や議員も含めた関係者)の仕事だ。
「まちみらい流」で喧々諤々の議論をしながら、多くのリソースを投下しながら取り組むことは、まさにそうしたことである。ここで議論されることは「誰かが課した仕事」ではなく、ずっとそこにあったが誰も手をつけようとしなかった課題・誰の目も届かなったポテンシャルでしかない。
そうしたところに「自分たちらしく」、本来の自分たちのやるべきこととして正面から向き合うことでしかない。
「自分ごと」でやることは決して難しいことではなく、自分のまちのために「プロとして・当たり前のこと」を自分たちで考えて愚直に実践することである。ひとつひとつの判断・選択・プロジェクトは非常に小さいかもしれないが、それらを蓄積していくかどうかの差は、近い将来に非常に大きなものになってくる。
評価はあとからついてくる
アンケートでは「参加したことを人事評価に反映してほしい」という声と、「参加した事実が人事評価に反映されるとは考えていない、反映は成果を出してからで良いのではないか」「参加したから評価されるのは違和感を覚える、必ずしも成果に結びつかないこともあるので、そういう場合は取り組む姿勢や成長を評価すべき」といった人事評価とのリンクに関する両極の意見も出されている。
この場に「参加する」意義があることは間違いないが、それはプロとしての評価の対象ではない。
何らかの「まちにおけるポジティブな変化」が発生したときに、そこまでの積み重ねが評価されてくる。そして、成果が出るまでには膨大な時間がかかったり、想定を大幅に超えるリソースや運が求められるかもしれないし、思ったような成果につながらないことも現実的にはある。あるいは成果を出しても評価されないこともあるかもしれない。
そうだとしても「あなた」でしかできなかったこと、「あなた」だからできた事実は揺るがないし、そのことはいつか必ず評価されるし、筆者の経験上も必ず「誰か」は見てくれている。
「前から・横から・後ろから」
まちみらいができることは限られている。「前から手を差し伸べる、横から倒れないように支える、後ろから走り出すために蹴っ飛ばす」
そのまちの方々と泥くさく徹底的に伴走することだけだ。まちみらいが他のコンサル・監査法人と決定的に異なるのは「そのまちのために1文字も字を書かない」ことである。もちろん様々なサジェスチョンは行うし、ヒントとなる事例や制度、道筋等を紹介することはあるが、「こうしなさい」とルートを固定することも絶対しない。
職員が自分たちで考え抜いたプロセスの中にしか、そのまちにとってのリアルな道はない。答えのないそれぞれの施設・プロジェクト・エリア・まちの固有の問いに正面から向き合い、もがきながら試行錯誤していくことが必要なことであるし、その経験知こそがまちを変えていくための本当の資産になると信じているからだ。
国土交通省もまちみらい(※当時は日本PFI・PPP協会に在籍)のやり方を劣化コピーして、このようなハンズオン支援を何年もやってきているが、ここから常総市・宮崎市レベルまで育っている自治体が一つもないどころか、それなりのプロジェクトに結びついているものがほとんどない。
この理由は本noteを読んでいただければ理解できるはずだ。

まちみらい流の進め方は、「自分ごと」になるためのきっかけを検討プロセスにビルトインするものだ。重要なことが先延ばしにされてきた・目を背けることが許容されてきた構造そのものを変えるために、あえて「外圧」を設ける。その過程で職員が課題と向き合い、もがき、悩む。その時間こそが、まちの未来をつくる投資であるし、きっかけに過ぎない。
やっているのは、ドラゴンボールの老界王神が悟飯の潜在能力を引き出したことと同じようなもので、時間もかかる(←老界王神はゴテンクスがピンチになるもっと前に終わっていたし、悟飯も強くなり過ぎて舐めプした挙句に。。。w)。
変わりたければ自分たちが変わるしかない。
「新しい」仕事ではない
今回、主題として扱った自治体でもいくつかのプロジェクトが確実に動き出している。そして、それらはすべて「新しい仕事」としていきなり降ってきたものでも顕在化したものでもなく、もともとそこにあった課題に正面から向き合い、自分たちらしくクリエイティブに事業化してきた(事業化まであと1歩のところに来ている)ものばかりだ。

アンケートの中には「リスペクトのない会議にクリエイティブな発想は生まれない」という意見も出されてた。
そのとおりであるのと同時に、クリエイティブとは「誰も思いつかないような斬新な案を出すこと」ではなく、自分たちのまちの実態を直視し、自分たちのリソースを使い、今までだったら理解をしてくれなかった人にYESと言わせたり、何らかの形で資金調達したり、法制度等をうまく活用し、何かをブレイクスルーすることである。
目の前のいろんなことは自分たちの写し鏡
「まちの姿は職員の写し鏡」とはネガティブな意味ではなく、それだけ職員一人ひとり・組織としての行政の覚悟・決断・行動が、まちの未来に直結していることを意味している。
まちみらい流のやり方を「負担」と感じるうちは、あるいはそこでやっているテーマ・案件が「新しい仕事」だと感じているうちはまだその入口にいるに過ぎない。
「新しい仕事」なんかじゃない
やり続けていけば、どこかに道が見えることも多いし、きっと気づく瞬間がやってくる。
「新しい仕事」などそもそも存在しないことに。
ずっとそこにあった、自分の本来やるべきことでしかなかったことに。
そして、会議が終わったときに「心地良かった」「楽しかった」等の変な高揚感や充実感で終わるものはオママゴトの世界であることが多い。
まちみらい流の会議は終わった瞬間が次回へのスタートであるし、始まる前よりもいろんなことが精査され、自分たちがより精緻に動く、結果に直結させていく必要性がクリアになっているので、緊張感と自分たちのリソースをどう捻出していくかで頭がいっぱいになっている。決して「心地よく」はないだろう。
自分がオママゴトの世界に浸っているのか、3次元のリアルな世界で試行錯誤しているのか、「心地よい」と思ったらその場がヤバいものであると気付いた方が良い。
居心地悪くても「一緒に走ろう!」と感じていただいた自治体の皆さん、まちみらいは「来るもの拒まず去るもの地獄の果てまで追う」なので、お待ちしています。
お気軽にお声掛けください。
お知らせ
2026年度PPP入門講座
毎年開催し、好評をいただいているPPP入門講座。
2025年度は過去最高の544名(終了時点)のご参加をいただきました。
今回も行政関係者(職員・議員・政府系金融機関等)は全て無料です。
更に内容を充実させ2026.4.23から全6回(各回:60分×3コマ)にわたってPPP/PFIを現場重視・実践至上主義のまちみらいらしい形で、具体的な事例を中心に解説していきます。
指定管理者制度が実は非常に柔軟で自由度が高い仕組みであること、サウンディングやトライアル・サウンディングが「サウンディング疲れ」とならないための工夫なども紹介します。
包括施設管理業務委託、随意契約保証型の民間提案制度、事業パートナー方式等については、「ここでしか聞けない」内容にもなっています。
会場参加の方には毎回、終了後に有志による懇親会や希望者には開始前に会場周辺での無料相談会なども開催します。
ぜひ上記リンクをご覧いただき、ご参加いただければと思います。
セミナー「PPP/PFIの今とこれから」

2026年4月28日にまちみらい主催で表記セミナーを開催することとなりました。この世界を牽引してきたお二人が「PPP/PFIの今とこれから」をベースに語り、トークセッションを繰り広げます。
他ではなかなかない機会なので、ぜひご参加ください。
また各種特典を用意させていただいているスポンサー(100,000円_税別)も募集していますので、こちらもお願いします。
2025年度PPP入門講座記録集
過去最高の544名(入門講座終了時点)のお申し込みをいただいた2025年度のPPP入門講座。せっかくなので音声データを文字に起こして文章として読める状態に整理し、AmazonのKindle版・ペーパーバック版として販売(2025.12.21発売)をしています。
全18コマ=60分×3コマ×6日のうち、ゲスト講師分の1コマを除いた全17コマの議事録を取りまとめた記録集です。
公共施設を取り巻く本当の背景から、教科書型のザ・公共施設マネジメントやザ・PPP/PFIではなぜ立ち行かないのか、指定管理者制度が実は非常に柔軟な方法論であること、随意契約保証型の民間提案制度の可能性、今後のPPP/PFIの主流になるであろう事業パートナー方式、更にはいくつかの自治体で見えてきたNext PPP/PFIの世界。
PFI法とは何か?事業手法比較表やVFMの算定といったこととは一線を画す、合同会社まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」に基づく内容となっています。
延べ約410,000字に及ぶ膨大なボリュームとなっています。
2025年現在のPPP/PFIの立ち位置と様々な自治体・民間事業者の生き方が見える一冊となっています。
PPP/PFI実践コラム集:デッドストック編
こちらもAmazonのKindle版・ペーパーバック版PPP/PFIや公共施設マネジメントの実務・実践に特化したコラム集。
本著は、まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」の考え方と豊富な実践経験に基づいたコラム集であり、VFM、事業手法比較表等の教科書的な話は一切排除し、「どのように非合理的な行政を取り巻く社会」でプロジェクトを構築・実践していくのか、理念や理想論ではなく、経験知に基づいたヒント集である。
まちみらい公式noteや各種執筆等で記した内容も、2025年現在にリライトするとともに、そこでは書ききれなかった多様な想いを散りばめたデッドストック集。
「覚悟・決断・行動」、求められているのは決してテクニカルなことではありません。
プロとしてどう生きていくのか、行政職員はもとより、民間事業者の皆さまや、自分のまちで何かしたい市民の皆さまにもオススメです。
2026年度見積受付中
現在、2026年度のまちみらいとしてのアドバイザー業務・個別案件等の見積を受付中です。
受託できる数には物理的な制約がありますので
・既契約のところ
・早くお問い合わせをいただいたところ
・モリモリパックで検討いただけるところ
・やる気のあるところ
から順に対応させていただきます。
ぜひお気軽にお問い合わせを。
2025年度PPP入門講座
約10年間にわたって毎年定期的に実施してきたPPP入門講座。
本年度も2025年6月27日まで全6回、会場・オンライン合わせて過去最高の533名(終了時)にご参加いただき大変ご好評をいただきました。
全6回(各回_60分×3コマ)にわたって、弊社の基本理念である「現場重視・実践至上主義」に基づいた生々しいリアルな姿を事例を通じて学んでいくものですが、教科書的な「PFI法に基づくPFIとは」「VFMの算定方法」「事業手法比較表」等の話は一切ありません。
最近、類似の「PPP入門編」のセミナー・勉強会があちこちで開かれているようですが、それらとは一線を画す超オリジナリティ溢れたものになっています。
今回は更に内容をブラッシュアップして、能登地震・八潮市の道路陥没事故・Next PPP/PFIや事業パートナー方式なども交えながらPPP/PFIを解説しています。
来年度の開催時まではアーカイブ配信をご覧いただけますので、今からでもぜひお申し込みください。
※詳細はリンク「まちみらい公式HP」をご覧ください。
noteプレミアムへの移行
2025年1月からまちみらい公式noteは「noteプレミアム」に移行しました。(単純に今まで知らなかっただけ。。。)
noteにコメントも受け付けています。双方向型になっていけるようコメントにはレスを入れていきます。記事の「いいね!」も積極的にお願いします。
また、最下段にあるように「投げ銭」は絶賛募集中ですw
実践!PPP/PFIを成功させる本
2023年11月17日に2冊目の単著「実践!PPP/PFIを成功させる本」が出版されました。「実践に特化した内容・コラム形式・読み切れるボリューム」の書籍となっています。ぜひご購入ください。
PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本
2021年に発売した初の単著。2025年5月現在7刷となっており、多くの方に読んでいただいています。「実践!PPP/PFIを成功させる本」と合わせて読んでいただくとより理解が深まります。
まちみらい案内
まちみらいでは現場重視・実践至上主義を掲げ自治体の公共施設マネジメント、PPP/PFI、自治体経営、まちづくりのサポートや民間事業者のプロジェクト構築支援などを行っています。
現在、2026年度以降の業務の見積依頼受付中です。
投げ銭募集中
まちみらい公式note、世の中の流れに乗ってサブスク型や単発の有料化も選択肢となりますが、せっかく多くの方にご覧いただき、様々な反応もいただいてますので、無料をできる限り継続していきたいと思います。
https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360009035473-記事をサポートする
そんななかで「投げ銭」については大歓迎ですので、「いいね」と感じていただいたら積極的に「投げ銭」をお願いします。
