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泣けるだけやってるか?


阿部詩さん

パリオリンピック

2024年7月のパリオリンピック。
柔道女子52キロ級、東京オリンピック金メダリストの阿部詩さんが2回戦でウズベキスタンのケルディヨロワ選手に敗れた。
その瞬間、彼女は畳の上で崩れ落ち、会場中に響き渡るほどの号泣を見せた。コーチに支えられながらも立ち上がることができず、叫ぶように泣き続け、以降の進行を遅らせてしまう原因にもなった。観客席からは「ウタ、ウタ」というコールと拍手が響いた。

この光景に対して一部には「それだけすべてをかけてきたのだろう」「あれほどの努力をしていない者が批判する権利はない」と理解を示す声もあったが、SNSやテレビをはじめとするオールドメディアでは強烈なバッシングが巻き起こった。

情けないのか?

・柔道家として、武道家として、もうちょっと毅然としてほしかった
・みっともない
・子どものようだ
・相手へのリスペクトがない
・進行の邪魔をするな
・3年間何をしていたんですか?
・タレント気取り
・浮かれてるからだ
・前回王者として堂々と畳を降りてほしかった

阿部詩さんに対するバッシングの一部_ Claude協力

東国原英夫氏に代表されるように、テレビで発言する呑気なコメンテーターも軒並み「見せないほうがいい」と批判的な論調を展開した。
果たして、畳の上に上がったこともない・彼女がこれまでどのようなことをしてきたのか見たこともない人間がそんなことを言えるのだろうか。
武道の道を極めようと一般人が「普通の生活」を送っている傍ら、様々な犠牲を払って、数々の修羅場を潜り抜けて結果を残してきた彼女の方が「柔道家としてどうあるべきか」など何億倍もわかっているし、体に痛いほど染み付いているはずだ。
「普通の若い女の子」として日常を暮らすこともできたはずなのに、それを選択せず(きっとそのような選択肢への誘惑も何度もあっただろうが、)日々の練習、怪我との闘い、重圧、孤独、そうしたものを乗り越えてあの場に立っている。にも関わらず世界中から注目された、4年に1度しかない、もっと言えば一生に一度しかないあの舞台で、夢に描いた未来を掴むことができなかった。

その結果、「当たり前」にやっていたルーティンとしての畳を降りる所作すらできなくなってしまったのだろう。きっと、自分にも到底わからないが、それを超えてしまう「何か」があったのだろう。
これまで必死になって積み上げてきたものが一瞬で崩れ去った瞬間に、理性や「あるべき姿」を超えて込み上げてくる感情。

簡単に批判できるのか?ここだけの問題か?

「表面上の所作」だけを切り取って、ここぞとばかりに批判した人たちは、こんなになるまで何かに打ち込んだことがあるのだろうか。
畳の上に立ったこともない。オリンピックの舞台に立ったこともない。金メダルを獲ったこともない。ひとつのことに全身全霊を賭けたこともない。
そんな人たちが、ほとんどは匿名で2次元のネット空間やSNSの安全な場所から「武道家としていかがなものか」と批判した。

この構図は、実はいろんな場面で見られる。
やったことがない人ほど、ニワカ専門家になりドヤ顔でネットやSNSで拾ってきた薄っぺらい知識をひけらかし、やっている人を批判する。リスクを取ったことがない人ほど、リスクを取っている人を批判する。本気で何かに打ち込んだことがない人ほど、本気で打ち込んでいる人を批判する。
現場で実際にやったことがないから、3次元のリアルな世界では全く通じないのに「それっぽい理論」を簡単に振りかざす。

そして1年後

あの号泣から約1年後の2025年6月、阿部詩さんはハンガリー・ブダペストで開催された世界柔道選手権で5度目の優勝を果たした。
各種の報道等を見るとパリの敗戦後、彼女はしばらく立ち直れなかったようだ。周囲からの情報を遮断するために家でテレビも一切見ず、「全てを放り投げていた」という日々を過ごしたらしい。
しかし、「畳の上で戦うことが一番の生きがい」とモチベーションを取り戻し、2025年2月のグランドスラム・バクー大会で7ヶ月ぶりの実戦ながら復活優勝。4月の全日本選抜体重別選手権でも初制覇を果たした。

そして世界選手権。決勝の相手は、パリ五輪52キロ級銀メダリストのクラスニキ(コソボ)。開始から3分6秒、豪快な背負い投げで一本勝ち。オール一本勝ちでの優勝だった。
帰国した彼女は「五輪の負けがあったからこそ、モチベーションも高く優勝できた。最高のスタートと言っていいんじゃないかな」とロサンゼルス五輪を見据えて語った。

あのパリでの号泣を批判した人たちは、この復活をどう見ただろうか。
必要以上に全く関係ない第三者の無知・無意味・無理解な言動にメンタルも痛めつけられながら、彼女は批判に対して一言たりとも言い訳せず、ただ畳の上で結果を出した。
言葉ではなく、行動で示した。
これが「本気でやっている人」の姿だろうし、簡単なことではない。

ちょっと羨ましいな

この復活優勝は本当にすごいことであるが、あのパリでの阿部詩さんの号泣シーンを見たとき、自分は「ちょっと羨ましいな」と感じた。ちょっとどころではない。
なぜなら、生まれてから今日まで、いろんなものを犠牲にしてまでこんな努力をしたこともなければ、こういう場に立つこともなかったし、こうした全てを否定されるような残酷な現実を突きつけられて我を忘れて号泣することも、自分の人生で一度もしたことがないからだ。
それができる人生って素敵だと思う。

あれだけ全身全霊を注ぎ込んで、結果が出なかったときに崩れ落ちるほど打ち込めること。それ自体が、凡人には到達できない境地だと思うし、自らをそういう環境に置き、そのなかで結果を出していく。

自分を含めた多くの人は、そこまで何かに賭けることができない。
失敗したときのダメージを恐れて、最初から全力を出さない。
「まあ、本気でやったわけじゃないから」「自分はそこまで目指してないから」「才能がそんなにあるわけじゃないから」「環境がそうなっていないから」等、やらないため・自己保身のつまらない言い訳を常に用意しながら生きている。

阿部詩さんは、そうした誰にでも生じるであろう言い訳の数々を振り払い、あの場に立っていたのだろう。だから、あれほど泣けたのだろう。
そして批判する人たちは、そうした「同じ土俵に立っていない」から彼女のことが理解できなかったのだろう。
それだけでなく、この号泣シーンを見ながら、同時に自分がいかに本気でやっていないのかを痛感させられた。

久米島の件

言い訳をしていたのは

阿部詩さんの号泣を見たとき、もうひとつ思い出したことがある。

久米島町のバーデハウスの案件で一番(というか唯一)言い訳をしていたのは自分だったことだ。

このプロジェクトは、これまでnoteや拙著に何度も書いてきたので詳細は省略するが、久米島町の最大の観光資源だったバーデハウス(海洋深層水を使ったスパ)が経営破綻し、その再生を目指してきた。
筆者は久米島町からこの再生に向けた事業者公募を行う業務を受託していたが、コロナ前の1回目の公募にあたっては庁内WGによる徹底的な議論と3期にわたるサウンディングで市場を確認しながら随意契約保証型の民間提案制度に近い形で実施し、3グループから参加表明があった。これはいけると思っていたが、同時期にロシアのウクライナ侵攻がはじまり、世界情勢が不安定になってしまったことや新型コロナウイルスの蔓延により公募は流さざるを得なかった。
コロナ禍を経て実施した2回目の公募でも2グループから参加表明があったが、最終的に離島単価の問題がクリアできず辞退されてしまった。

悔しかった思いは当時も持っていたが、今思うと、その時に自分が何を言っていたか。
「ウクライナの話が始まっちゃったから」「離島単価の問題が難しいから」自分を正当化し、世の中や外部環境に責任転嫁する言い訳でしかなかった。

根拠のない奢り

1回目の公募の時から一生懸命やっていたつもりだったし、確かに当時はその瞬間風速的には持てる力を出してやっていたんだと思う。しかし、今振り返ってみると「絶対こんな(ポテンシャルの高いエリアで可能性の高いコンテンツを有している)ものは心のどこかで余裕だ、簡単にイケる」という驕りが心のどこかにあったことは間違いない。
「こんなのうまくいかなかったらこの世界から引退だな」、サウンディングの結果等も良好であったことから、どこかで勝手に上手く行くと確信していたように思う。

やはりそこが自分の甘さであったことは間違いないし、自分のせいでバーデハウスの再生が遅れているとしても過言ではないかもしれない。
そして(まだ全然十分ではないし程遠い状況にあるが、)今と同等の知識・経験・ノウハウ・ネットワーク、何よりも情熱を有していたら今日の状況はなかっただろう。

だから、今回の事業パートナー方式では、自分も事業者サイドで入ることを決意した。アドバイザーとして外から助言するだけではなく、事業パートナーの一員(協力会社)として共にリスクを負って走る。ある意味で、自分の十字架としてこのプロジェクトに向き合わなければいけない。

まだ前途多難どころではなく多難しかない状況ではあるが、自分の十字架と可能性と向き合ってやっていくしかない。

ある自治体のアドバイザー業務での出来事

ゼロの環境下からでも

そんな中で、現在アドバイザー業務を行っているある自治体(A市)で先日、今回のnoteを書こうと思った出来事があった。

ゲストとして来ていただいたB市の職員は、10年以上にわたってゼロというよりマイナスの環境から、時にはひとりで涙を流しながら、超人的な作業量と手段を厭わない様々な工夫をしながら着実に実績を積み重ね、現在も試行錯誤しながら多様なプロジェクトに取り組んでいる。
A市は、過去にアドバイザー業務で一緒させていただいた自治体のなかで最も多くのプロジェクトを展開していた。そうしたなかで、同じ公務員で「これだけのことができる」ことを感じてもらい、更にギアを上げることを意図してこの人をゲストに招いて、職員研修や案件協議を行っていた。

やらない・やろうとしない

このゲスト講師が自ら取り組んできた様々な事例、そこに至るプロセス、更には裏側で何がありどのようにブレイクスルーして来たのかといったエピソードまで含めて職員研修で話していただいた後に案件協議がはじまった。
いつもどおり、最初からいくつかのプロジェクトは(市場性が非常に厳しいながらも強靭なメンタルでなんとかしようとするものも含めてw)どれも前向きなものであったが、ある課から「やればできるのにやろうとしない、言い訳ばかり並べる」プレゼンがなされた。

前回の協議においても同様のプレゼンが行われたので、法律上の整理・先行事例の紹介・この自治体の実態等を踏まえて指摘していることが合理的であること等をアドバイスし、今回までに検討を進めるよう指示していた。
彼らには十分な時間があったし、検討するための材料やヒントも(過保護なぐらいに)提供していた。

そして今回、その検討結果を報告するプレゼンが行われたが、結果は検討を指示をしていた全項目に対して、レベルの低い・しょうもない理屈を並べた完全なゼロ回答だった。
「その規制緩和を条例で行うと法律の趣旨に反する」「上級官庁?(←地方分権の時代なのに謎)と協議したところ難しいと判断された」「それをすると住民からの苦情がくる可能性がある」等、とてもではないが市民の前で並べられないような非合理的な理由を不条理に連ねていた。
要するに何もやっていないし、これからもやる気がないことの意思表明でしかなかった。「検討しました」という体裁を整えているだけで、実質的には前回から一歩も進んでいないどころか「立ち止まる宣言」をしてきた。

事前に送られてきた資料の段階でもそうだったが、実際のプレゼンを聞いて正直、ブチギレそうな怒りが相当に込み上げた。
時間の無駄でしかないので途中でプレゼンを打ち切ってしまおうかと(その方が双方にとってメリットがあるのではと)本気で思った。こんなものを聞いている暇があったら、他の部署の案件協議の時間を長く確保した方がよほど有意義であるし、遊びにいった方がマシである。
彼らの自己保身・過剰なリスクヘッジ・昭和100年の旧来型行政の思考回路と行動原理に基づく「検討」とやらに付き合うことで、頑張っている部署へのサポートが物理的・時間的にも手薄になるし、そうした難しいながらも試行錯誤している担当者・部署のモチベーション低下にもつながりかねないので、彼らの相手を横並びで行うことは本末転倒でしかない。

だが、(前段で事務局から少し事情も聞いてはいたことや、大人なのでw)黙って最後まで聞くことにした。
このしょーもない無駄なプレゼンを(精神と時の部屋にいるような時間軸で)聞いている最中、前述のゲスト講師と前日に会話していた言葉を思い出した。

「本当に怒りを通り越すと、話を聞くこともしないで遠いところを眺めるんですよー。」

まさに自分もその状態になっていた。窓の外の景色をぼんやり眺めながら、彼らの言葉が右から左に流れていくのを感じていたのと同時に、はじめての不思議な感覚を覚えていた。

プレゼン後のディスカッションでは、様々な参加者から筆者が感じていたことについて矢継ぎ早に指摘が入った。
この自治体は自分たちで考え・手を動かしながらこれまで相当の成果を上げてきていること・何よりも他の課は試行錯誤して毎回、きちんと目的意識を持って活動したこととこれからに対するプレゼンをしていることもあり、自分が指摘するまでもなく、参加者たちがきちんと理路整然とその「しょうもない・後ろ向き・何もやらない宣言」のプレゼンへの意見してくれた。
「表現がネガティブすぎる」「本当にできないのか」「そもそもやろうとしていないのでは」「完全なゼロ回答にはならないはずだ」
次々と的確な指摘が飛び交っていたが、答えに窮するプレゼン担当者・部署は更なる言い訳を重ねたり、ダンマリを決め込んだりと、ここでも自ら思考経路を遮断しながら他人事のように時間を浪費していた。

筆者からは「コメントすることはない」ことを告げた。コメントするレベルにすら達していないという意味だ。

本当は言いたいことも山ほどあったが、ひとつだけ伝えた。
「持続可能性は経済合理性です、経済合理性のないものは絶対続きません」それだけ言って、次の議題に移った。

持続可能性は経済合理性

薄っぺらいSDGsとは違う

「持続可能性」は、環境面だけでなくSDGs・自治体経営・民間経営・まちづくりの文脈でも当たり前のように使われるようになったが、その本質を理解している人がどれだけいるだろうか。
(大企業ではオジサンたちがSDGsバッチをスーツにつけていることが多いが、そういう問題ではない)

筆者は持続可能性とは、要するに経済合理性だと認識している。
経済的に回らないものは持続しない。どれだけ美しい理念を掲げても、社会的意義があっても、「誰かが無理をしてリソースを捻出し続け」赤字を垂れ流し続けるものはいずれ破綻するし、終焉を迎える。

自治体でも同じ

公共施設・インフラはもちろん、自治体経営でも同様である。
「公共サービスだから赤字でも仕方ない」「必要な公共サービスの価値は税金では計れない」という昭和100年の発想・思考回路・行動原理は、日本の資本主義の社会経済では通用しない。
どんなことをやるにもコストが発生しているし、何かを動かすこと・時間をかけることだけでなく、そこにそれがあること自体もすべてコストである。経済合理性を無視して税金(≒単年度会計・現金主義の一般会計の予算)に依存していることを傍観しているが、そのコストの原資は市民の税金だ。
そして、その税金は無限にあるわけではないし、大幅に不足している。

人口が減り税収が減る、同時に強烈な勢いで物価・人件費が高騰するなかで、職員が経営感覚を持たず・何もせずに傍観して赤字を垂れ流し続ける公共施設・インフラは、まちの持続可能性そのものを損なっていく。

行き着く先は「喰われる自治体」

地方創生が始まって10年が経過し、この間に国費だけで60兆円が使われたが、目指していたはずの東京一極集中の是正や少子高齢化対策は全然進まなかったどころか、それらの課題は加速してしまった。

では、その60兆円はどこに消えたのか。

内閣府の総括レポートにも記されているが、人口の増加が見られた自治体の多くは移住者の増加による社会増に留まっており、地域間の人口の奪い合いをやっていただけだった。近隣の自治体と争って「中学校までの医療費無料⇒高校生まで⇒大学生まで」。移住定住で「1,000千円出します⇒2,000千円出します⇒5,000千円出します」。
そうした表面上のチキンレース・税金に依存したオママゴトばかりで、表面的に右から左に人口を奪い合っていたに過ぎない。
これはふるさと納税も同様であるが、両者に相関関係が見られるのもなかなか芳しい。しかも、これらには決まってコンサル・監査法人(・ふるさと納税のECサイト業者)が関わり、「そのまちをどう経営していくのか」の本質は置き去りにされたまま、60兆円のハイエナによる奪い合い合戦が展開されていった。
多くの自治体はその事実に薄々気づいていたと思う。

これらは、(国のミスリードもあるが)そもそも人口そのものをKPIにしてしまったことが大きな間違いだった。絶対数のパイが大きくなっていないのに、見た目上の人口だけで勝負していた。こういうことをやっていてもまちは決して良くならないし、安易に補助金・交付金に依存してハイエナコンサル等に丸投げして「自分たちで考えて動かない」から、喰われる自治体に成り下がってしまう。
前述の担当者・担当課・自治体も、こうした「自分たちで考えて動かない」ことを繰り返していれば、行き着く先は同じである。

「自分たちで考えて動く」≒自分たちのまちの実態を直視して、持っているリソースをまち全体として使う、試行錯誤することを忘れてはいけないし、そのことから目を背けてはいけない。それこそがゲスト講師のメッセージのひとつであったはずだ。

貴重な税金・リソースを浪費するな

前述のようなプロ意識・経営感覚の欠如した言い訳を並べている間に、まちはどんどん疲弊していくし、打てる手も喪失していく。

あの「ゼロ回答プレゼン」をした部署の人たちは、プロとしての仕事をしているのだろうか。
彼らには給料が支払われている。その原資は市民の税金だ。プロとして雇われている以上、成果を出すことが求められるし、プロなので結果が全てである。ダイレクトに記しておくが、前述の「レベルの低い言い訳」プロの仕事ではない。
民間企業で毎回同じようなプレゼンをする社員がいたらどうなるか。評価は下がり場合によっては職を失う。当然のことだ。

しかし、行政の場合は(本当は分限や懲戒処分があるが、原則として余程のことがない限り)クビにならないし、降格・減給にもなる可能性も低い。
「成果を出さなくても良い・先送りする」ことができてしまう。いい加減であること・プロ意識が欠如していることもなぜか許容されてしまう。

ただ、それは市民に対する背信行為でしかないし、税金泥棒でしかない。

頑張ることが評価されなくても

世の中には今回のゲスト講師のように、当初は全く報われることがなかったとしても、涙を流しながらでも必死に徹底的な研究・データ収集と分析、あらゆる手段を駆使して関係者の合意をとりながら政策・プロジェクトを構築してもがき続け頑張る。10年間、なかなか表舞台で評価されることがなくとも愚直に仕事・まちに向き合って結果を出し続けている公務員も現実に存在している。
かたや、前述のように低いレベルでやっていても同等の給料をもらう・同等の待遇でそれなりの生活をすることが許されてしまう現実がある。

この矛盾は、自分も公務員を経験してきたからこそ、そしていろんなまちの実態や一生懸命生きている民間事業者の人たちのリスクを負った知的財産・努力や覚悟・決断・行動の結晶の一部としての税金であることを見てきているからこそ、より強い憤りを感じる。

会の最後に伝えたこと

会の最後に、改めて「自分たちの仕事・まちに向き合うこと」の大切さを伝えた。どれだけ真剣に自分たちの仕事に向き合っているのか、言い訳していないか。(同時に最後に記すが、これは自分への写し鏡でもあった。)

「泣けるほど」頑張っているか

改めて阿部詩さん

阿部詩さんの話に戻りたい。
彼女はパリで負けて号泣したことを批判する人たちがいたが、彼女は言い訳をすることなく「自分が弱かった」とだけ語り、ただ畳の上で練習を続け1年後、世界選手権で5度目の優勝を果たした。
そもそも彼女が号泣できたのは、それだけ本気で取り組んでいたことが大前提にあることは間違いない。

行政職員のマインド

では、行政の職員は「泣けるほど」自分の仕事に本気で日常的に取り組んでいるだろうか。(※死に物狂いで頑張っている公務員も数多く存在し、そうした人たちのおかげでまちは成立しているので、「行政の職員」「公務員」と一括りにして良いわけではないことは十分理解しているが、ここでは表現上、このように表現させていただいている。)

「ゼロ回答プレゼン」をした彼らは、自分たちの仕事で阿部詩さんのように号泣したことがあるだろうか。彼らとそこまで長い時間を過ごしているわけではないので邪推でしかないが、多分そんな経験をしたことはないだろう。なぜなら最初から本気ではないし、「やらなくて済むならやりたくない」「やらないで表面的な(行政用語で言うところの理論武装をして)リスクヘッジをしよう」という姿勢が透けて見えるからだ。

上記noteで記した自治体の職員も全く同じ思考回路・行動原理である。

一方で、今回のゲスト講師からは(とてもここでは書けないことも含めて)いろんなエピソードを聞いているが、実際に涙を流したり精神的にも追い詰められたり、いろんな場面に直面してきている。

成果が思うように出なかったり、上司に理解されかったりすることは、非合理的な行政の世界では「当たり前」のことだ。
上記のnoteで例示した「お邪魔虫」部長に翻弄され、いろんなことがなかなかできずにもがいていたのも今回のゲスト講師である。

同じような境遇にありながら強烈な差がそこには存在している。
その差は何か。自分の仕事・まちに対する本気度の差だ。

手段を問うている場合ではない

本気でやることの大前提は「言い訳をしない」ことだ。
「できない理由」ではなく「どうやったらできるか」を考える。

本気でやることは「結果に責任を持つ」ことでもあり、そのプロセス・手段は合法的なものであれば、その美しさ・効率性・技術力・関係者の納得性等にこだわっている場合ではない。

あらゆる考えられる方法論を駆使して、首長や管理職はもちろん、実質的なステークホルダー(≒地元の重鎮・議会のドン・)にも根回ししたり、庁内外の抵抗勢力を上手く蚊帳の外に追い出したり、実現のために必要なリソースを提供する外部人材・企業とも連携したり。。。
「プロだから結果が全て」である。

うまくいかなかったときに「環境が悪かった」「タイミングが悪かった」と外部に原因・エクスキューズを求めるのではなく、「自分に何が足りなかったか」、自分に矢印を向けて試行錯誤を繰り返す。

本気でやることは、コケてもコケても次なる手を探し続けることだ。
失敗を恐れて何もしないのは、本気ではない。本気でやれば、失敗することもある。
そもそも、まちは常に現在進行形なので成功事例も失敗事例もないはずだ。過去から今日まで「それなりに上手くきているもの」や逆に「思ったようになってこなかったもの」があることは間違いない。
ただし、現在進行形だからこそどこかに挽回のチャンスがあるかもしれないし、上手くいっているからと手を抜くてあっという間に地獄へ堕ちる。

上手くいかなかったことから学んで、次につなげる。
阿部詩さんがパリの敗戦から立ち直り、世界選手権で優勝したように。

改めて示すが彼女の語った「五輪の負けがあったからこそ、モチベーションも高く優勝できた。最高のスタートと言っていいんじゃないかな」、この言葉は本当に重いし、全てを物語っている。

自分・まちみらいがやるべきこと

自分・まちみらいがやるべきことは、関わるまちの全員・まちの根底を変えること・全てのプロジェクトを良い方向に導くことではない。それは不可能だし、そもそも自分にそんな権限・スキル・マンパワーもない。

自分・まちみらいがやるべきことは、動ける人・動こうとする人・問題意識を持っている人・まだ問題意識すらないけど「何かが間違っている」とモヤモヤしている人・もしかしたら何かができるかもしれないと感じている人・まちとリンクして手を動かしている人、そうした人たちとひとつずつ、着実にプロジェクトをそのまちと創っていくことだ。

ときには民間事業者の一員として、リスクを負って走ることもある。久米島のバーデハウスがまさにそうだ。

ゼロ回答の人たちへのアプローチ

改めてどう向き合うのか

「ゼロ回答プレゼン」をするような人たちを変えることは簡単にはできない。変える必要もないのかもしれない。そういう人たちは、どこの組織にも一定数いるし、そこを無理やり変えていくのは経営的に見れば非常に非合理的である。(投下するリソースに対して得られるリターンが少ない。ビジネスとしても「そこ」に固執することは経済合理性が低すぎる。)

大切なのは、頑張っている人たちを支えること、そして自分自身が本気で走り続けることだ。
しかし、だからと言ってこういう「ゼロ回答」の現状を見捨ててはそのまちのためにもならないし、それを放置するのはプロとして彼らと向き合う身として問題がある。

PKを蹴る勇気

1994年のアメリカW杯決勝。イタリア対ブラジル。
当時、予備校生だった筆者は(なかなかにおおらかな時代だったので)予備校の英語講師が主催した1,000円/人の優勝予想カップでR・バッジョを筆頭にシニョーリ・ゾラ・マルディーニ等が好きだったこともあり、イタリアに投票していた。
バレージやR・バッジョの負傷欠場、アメリカの酷暑などもあり満身創痍とR・バッジョの救世主的な活躍でなんとか決勝まで辿り着いた。確か、早朝に決勝が開催され、眠い目をこすりながら見ていたように思う。

0-0のまま延長戦でも決着がつかず、PK戦に突入した。イタリアの5人目のキッカーは、大会を通じてチームを牽引してきたR・バッジョだった。

彼はPKを外した。

力なく蹴られたボールはクロスバーの遥か上へ消えていき、イタリアの敗北が決まった(自分の1,000円も消えていったw)。このとき、バッジョは後にこんな言葉を残している。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」

あの場面でR・バッジョは5人目のキッカーとして立つことを選んだ。外すリスクを承知で、満身創痍・疲労困憊の体であることは明らかだったが、それでもイタリアの至宝・エースとして蹴ることを選んだ。その勇気がなければ、そもそも外すこともできない。

阿部詩さんも同じだ。
オリンピックの舞台に立ち、金メダルを目指して戦った。だから負けて号泣することができた。畳に上がらなければ負けることもないし、泣くこともない。そもそも、そこまで努力しようとしなければ、そのチャンスすら訪れることはあり得ない。

対等・信頼の関係

PPP/PFIの本質は「対等・信頼の関係」にある。
行政と民間が、お互いをプロとして認め合い、対等な立場でそれぞれの持つリソースを出し合い、それを足し算・掛け算して試行錯誤しながらプロジェクトを創り上げていく。そこには信頼が不可欠だ。

「ゼロ回答プレゼン」をした彼らは、現時点で「対等・信頼の関係」を築こうとしていない。やらない理由を並べて短絡的・表面的な保身に走り、プロとしての責任を回避し、リスクを取ることを拒んでいる。

しかし、それは結局、自分がその程度の存在でしかないことを示している。
向こうが「その程度」でしかないことは、対等・信頼の関係で言えば「自分もその程度であること」と同義である。
PKを蹴る勇気がない。畳に上がる覚悟がない。だから失敗することもないし、泣くこともない。でも、それでは何も生み出されない。

自分自身への問いかけ

ここまで書いてきて、改めて思う。
今回の筆者の態度も、決して褒められたものではない。
「コメントすることはない」と突き放した。
窓の外を眺めながら、彼らの言葉を聞き流した。
怒りを通り越して、諦めに近い感情を持った。

でも、それでいいのか。
彼らが動かないのは彼らだけの責任なのか。
自分には本当に何もできなかったのか、何か心を揺さぶる言葉をかけたり、そうした事例を見せたり、ブレイクスルーできるような方法論を示せなかったのだろうか。
ここでも言い訳していたのは、彼らだけではない。自分もまた「彼らはああいう人たちだから」と言い訳し、諦めていたのではないか。

久米島のバーデハウスで学んだはずだったのに、同じことを繰り返している。どうすれば彼らが前を向けるのか。どうすれば自分たちで考えて動けるようになるのか。
それを突き詰めて結果を出すことができるようサポートする。手段を問うている場合ではない、言い訳している場合でもない。

筆者資料

自分の資料でも書いてある。

泣けるだけやってるか

今回、改めて問わなければならないのは、自分自身に対しての「泣けるだけやってるか」だ。

阿部詩さんは畳の上で泣いた。バッジョはPKを外して項垂れた。
あらゆるものを犠牲にして勝負の場に立ち、全力を尽くしたにも関わらず直面した残酷な結果を受け止めた。

自分はどうか。
久米島で言い訳をしていた。そのことを反省したはずなのに今回の会議でも、心のどこかで諦めていたし、無駄な怒りを発していただけで全く生産性がないことをしていた。

本気でやっていない・向き合っていない・そこまでの徹底的な努力をしていない・あらゆる手段を講じていないから「泣けない」。

まず自分自身に問い続けるし、常に問い続けなければいけない。

「泣けるだけやってるか」

お知らせ

2025年度PPP入門講座記録集

過去最高の544名(入門講座終了時点)のお申し込みをいただいた2025年度のPPP入門講座。せっかくなので音声データを文字に起こして文章として読める状態に整理し、AmazonのKindle版・ペーパーバック版として販売(2025.12.21発売)をしています。
全18コマ=60分×3コマ×6日のうち、ゲスト講師分の1コマを除いた全17コマの議事録を取りまとめた記録集です。
公共施設を取り巻く本当の背景から、教科書型のザ・公共施設マネジメントやザ・PPP/PFIではなぜ立ち行かないのか、指定管理者制度が実は非常に柔軟な方法論であること、随意契約保証型の民間提案制度の可能性、今後のPPP/PFIの主流になるであろう事業パートナー方式、更にはいくつかの自治体で見えてきたNext PPP/PFIの世界。
PFI法とは何か?事業手法比較表やVFMの算定といったこととは一線を画す、合同会社まちみらいの社是である「現場重視・実践至上主義」に基づく内容となっています。
延べ約410,000字に及ぶ膨大なボリュームとなっています。
2025年現在のPPP/PFIの立ち位置と様々な自治体・民間事業者の生き方が見える一冊となっています。

PPP/PFI実践コラム集:デッドストック編

こちらもAmazonのKindle版・ペーパーバック版PPP/PFIや公共施設マネジメントの実務・実践に特化したコラム集。
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まちみらい公式noteや各種執筆等で記した内容も、2025年現在にリライトするとともに、そこでは書ききれなかった多様な想いを散りばめたデッドストック集。
「覚悟・決断・行動」、求められているのは決してテクニカルなことではありません。
プロとしてどう生きていくのか、行政職員はもとより、民間事業者の皆さまや、自分のまちで何かしたい市民の皆さまにもオススメです。

2026年度見積受付中

現在、2026年度のまちみらいとしてのアドバイザー業務・個別案件等の見積を受付中です。
受託できる数には物理的な制約がありますので
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実践!PPP/PFIを成功させる本

2023年11月17日に2冊目の単著「実践!PPP/PFIを成功させる本」が出版されました。「実践に特化した内容・コラム形式・読み切れるボリューム」の書籍となっています。ぜひご購入ください。

PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本

2021年に発売した初の単著。2025年5月現在7刷となっており、多くの方に読んでいただいています。「実践!PPP/PFIを成功させる本」と合わせて読んでいただくとより理解が深まります。

まちみらい案内

まちみらいでは現場重視・実践至上主義を掲げ自治体の公共施設マネジメント、PPP/PFI、自治体経営、まちづくりのサポートや民間事業者のプロジェクト構築支援などを行っています。
現在、2026年度以降の業務の見積依頼受付中です。

投げ銭募集中

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