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社会復帰未満Ⅲ「普通の説明」ー就労移行支援の現場からー読みやすい短編小説

井村さん(仮名)は四十歳だった。

平日は、
週二日だけ就労移行支援に通所している。

残り二日は在宅訓練。

そして土日は、
家電量販店で働いていた。

行政からは、
「週二十時間以内なら就労可」
という許可が出ている。

就労移行支援を利用しながら、
アルバイトを継続している形だった。

珍しくはない。

だが、
井村さんの場合、
少し特殊だった。

土日の売上が良すぎた。

調理器具売り場担当。

炊飯器。
電気圧力鍋。
ホットクック。
低温調理器。

客の生活パターンを短時間で整理し、
必要な商品へ誘導する。

「共働きでしたら、洗いやすい方が絶対いいです」

「冷凍ご飯をよく使うなら、こちらの再加熱性能が強いですね」

押し売りをしない。

説明が正確だった。

だから売れた。

メーカー販売員からも評価が高かった。

「あの人、知識すごいですよね」

「説明うまいし」

「……ちょっと独特だけど」

最後に、
少しだけ空気が濁る。

独特。

井村さんは、
その意味が分からなかった。

昔からそうだった。

悪気はない。

真面目でもある。

だが、
人間関係だけが長続きしない。

なぜか、
最後に空気が壊れる。

理由は、
いつも説明されなかった。

 

火曜日。

就労移行支援事業所。

個室ブースでは、
利用者たちが静かにパソコンへ向かっていた。

動画編集。

Excel。

生成AI。

「人と関わらなくてもできる仕事」

という説明に惹かれて来た利用者も少なくない。

當間は、
井村さんの支援記録を閉じた。

週二通所。

週二在宅。

土日アルバイト。

生活リズムは安定している。

勤怠も良い。

だが、
就職活動だけが進まない。

明日は模擬面接だった。

「じゃあ井村さん、自己紹介からやってみましょうか」

井村さんは頷いた。

姿勢は良い。

返事も早い。

だが、
どこか“会話の正解”を探している感じがあった。

「……井村と申します」

そこで止まる。

當間は待った。

「……接客業をしています」

また止まる。

「強みは何だと思いますか?」

井村さんは少し考えた。

「調理家電は詳しいです」

「例えば?」

そこから急に流暢になった。

圧力IH。

蓄熱構造。

メーカーごとの内釜。

蒸気レス。

糖質カット。

説明は正確で、
順序立っていた。

まるでプレゼンだった。

當間は途中で止めた。

「ありがとうございます」

井村さんは、
急にスイッチが切れたように黙った。

部屋が静かになる。

「では、障害特性について教えてください」

井村さんの視線が落ちた。

「……ASDとADHDです」

「仕事で困る場面は?」

沈黙。

長かった。

當間は急かさなかった。

井村さんは、
困っている顔をしていた。

だが、
何に困っているかを説明できない顔でもあった。

「例えば、急な変更が苦手とか?」

「あ……はい」

「曖昧な指示は?」

「……分からなくなります」

「複数の指示が重なると?」

「整理できなくなります」

當間は頷きながらメモを取った。

井村さんは少し安心した顔をした。

まるで、
自分の輪郭を他人に言葉にしてもらっているようだった。

「合理的配慮として、お願いしたいことはありますか?」

井村さんは止まった。

ここで止まる利用者は多い。

本当に必要な人ほど、
配慮を言語化できない。

「……特にありません」

當間は静かに聞いた。

「本当に?」

井村さんは焦ったように続けた。

「普通に働きたいので」

當間は、
その“普通”が何なのか考えた。

怒られないことか。

人と関わらないことか。

一人で完結することか。

井村さんは続けた。

「できれば……あまり人と関わらない仕事が……」

その言葉を、
當間は何度も聞いてきた。

だが現実には、
人と完全に関わらない仕事など、
ほとんど存在しない。

在宅でも、
チャットがある。

確認がある。

報連相がある。

仕事とは、
結局、
他人との認識調整だった。

井村さんは、
炊飯器の説明はできる。

客の生活を想像できる。

比較もできる。

提案もできる。

だが、
“自分”の説明ができない。

商品には取扱説明書がある。

性能表がある。

比較表もある。

だが、
人間にはそれがない。

井村さんは四十年間、
自分の取扱説明書を作れないまま生きてきたのかもしれなかった。

當間は履歴書へ視線を落とした。

資格欄。

TOEIC 950。

その数字だけが、
妙に静かだった。


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