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メタバースドラマ『クロスロード』とは? 3年かけて作り続けた理由と、ここまでの軌跡

どうも、久我レイジです。

「メタバースでドラマを作っています」と言うと、まだ少し不思議そうな顔をされることがあります。

たしかに、言葉だけを見れば珍しいです。
でも、クロスロードをここまで作ってきて思うのは、これは単に珍しい表現として片づけられるものではない、ということです。

・仮想空間で演じる
・アバターで感情を乗せる
・画面の中にいるのに、ちゃんと人の気配がある


そういうものを本気で形にしようとすると、思っている以上に時間がかかります。

しかも、ただ映像を作ればいいわけでもない。
空気感や距離感や、感情の揺れまで含めて届けようとすると、これはもう単なる実験では終わらないんですよね。

クロスロードは、そういう意味でずっと途中の作品でした。最初から完成された企画があって、それを順番に出していくというより、作りながら確かめ、壊し、整え、また作る。

その繰り返しの中で、少しずつ輪郭を持ってきた作品です。

だから今回は、メタバースドラマ『クロスロード』とは何なのか。

なぜここまで時間をかけてきたのか。
そして、何を作ろうとしてきたのかを、ひとつの記事としてまとめてみようと思います。


メタバースドラマ『クロスロード』は、思いつきで始まった作品ではない

作品には、勢いで始まるものもあります。
その瞬間の熱や衝動が、そのまま形になることもある。

でも、クロスロードは少し違いました。

もちろん最初に火をつけたのは熱量です。
ただ、ここまで続けてこられた理由は、熱量だけではありません。むしろ、熱量だけなら途中で折れていたと思います。

続けるというのは、思っている以上に地味です。
派手な発表や公開の裏で、見えない時間がずっと積み上がっていく。

考えて、試して、修正して、また考える。
やめようと思えばやめられる瞬間はいくらでもあるのに、それでも手を止めなかった。

たぶんクロスロードは、作品そのものというより、そうやって手を離さなかった時間まで含めてクロスロードなんだと思います。

個人制作で長編のドラマを作るだけでも、普通はかなり重いです。しかも、舞台がメタバースとなると、現実の撮影とは別の難しさがある。


演出の感覚も、演技の組み立ても、空間の見せ方も、全部そのまま流用できるわけではないからです。

それでもこの形にこだわったのは、ここにしか出せない感情があると思ったからでした。アバターだからこそ届くもの。現実とアニメのあいだのような、不思議な距離感だからこそ生まれる空気。
それをちゃんと作品にしたかった。

なぜ『クロスロード』は作って終わりではなく、作り直されたのか

エキストラの皆さんとの集合写真

作品は、完成したら終わり。
普通はそうです。

でも、クロスロードは一度形になったあとも、それで終わりませんでした。むしろ、形になったからこそ見えてきたものがあったんですよね。

ここ、意外と大きいです。


作る前に想像していたものと、実際に出来上がったものは、どうしても少しずつズレます。
それは失敗というより、作った人にしか見えない
違和感みたいなものです。


もっとこうできたはず。この空気は、まだ届き切っていないかもしれない。この作品が本当に持っているものは、まだ出し切れていないんじゃないか。

そういう感覚が残ったまま、次へ進むこともできたと思います。

実際、多くの制作はそうやって次作へ進んでいくのかもしれません。


でも、クロスロードに関しては、それができませんでした。たぶんそれは、この作品を出したではなく、残したいと思っていたからです。


速く出すことよりも、ちゃんと届く形に寄せること。見た目だけを整えるのではなく、作品の芯をもう少しだけ正確に掴み直すこと。そのために、時間をかけて作り直すという選択をしました。

遠回りに見えるかもしれません。でも、今振り返ると、この遠回りがあったからこそ、クロスロードはクロスロードになってきた気がします。

メタバース恋愛ドラマ『クロスロード』の魅力は、説明しきれない空気感にある

クロスロードを紹介しようとするとき、設定や形式の話はもちろんできます。

・メタバースで制作していること
・アバターで演じていること
・恋愛ドラマであること

そういう説明は、たしかに入口として必要です。

ただ、正直に言うと、クロスロードの魅力はそこだけではありません。


たぶんこの作品は、説明より先に空気で受け取ってもらう部分があるんです。

・キャラクター同士の間
・言い切らない感情
・少し遅れて届く痛み

画面の中で起きていること以上に、その前後にある気配みたいなものが大事だったりする。

だから、短い映像ひとつを作るにも、ただ見栄えを整えればいいわけではないんですよね。何を見せるかだけではなく、何を残すかも大事になる。


全部を説明しないけれど、何かだけは確かに残る。
クロスロードは、そういう見え方をずっと目指してきた気がします。

たった短い尺の中にも、準備した時間や迷った時間がそのまま滲む。見る人によって受け取り方が変わる余白がある。その余白まで含めて作品にしたかった。

メタバースドラマ制作は楽ではない。クロスロードの裏側で起きていること

メタバースでドラマを作っていると言うと、ときどき「実写より楽そう」と思われることがあります。

気持ちはわかります。

・現実のロケがあるわけではない
・巨大な撮影機材が並ぶわけでもない
・アバターを使うなら、見た目の調整もしやすそうに見える

でも、実際はそんなに単純ではありません。
むしろ別の意味で、かなり手がかかります。

まず、空間の扱いが独特です。

どこに立つのか。
どこから見るのか。
どの距離感で感情を乗せるのか。

現実の撮影で培われた感覚が、そのまま通用するとは限らない。

さらに、アバターで演じるからこそ、少しのズレがすごく目立つこともあります。人間そのものを映しているわけではないからこそ、逆に雑さがそのまま出やすい。

感情を乗せるには、声、動き、間、見せ方、その全部の噛み合わせが必要になります。

そして何より、外からは見えにくいんですよね。
苦労も工夫も、画面の中では自然に見えてしまう。
そこが、面白さでもあり、難しさでもあると思っています。


完成した映像だけを見ていると滑らかでも、そこに行くまでにはかなり細かい調整が必要です。

だからこそ、メタバースドラマは楽な代替手段ではなく、ちゃんと独立した制作表現なんだと思います。

『クロスロード』が面白いのは、アバターアクターという新しい表現にある

クロスロードを作っていて面白いのは、物語だけではありません。

この作品の中では、演じるということ自体の見え方も少し変わってきます。

・声優とも少し違う
・モーションアクターとも少し違う
・実写の俳優とも、もちろん同じではない

アバターを通して演じるというのは、そのどれかに似ているようで、実際は少しずつ違う場所にあります。


表情の出し方ひとつ取っても、現実と同じではない。動きの重みも、視線の感覚も、そのままでは使えない。

でも、だからこそ生まれる表現があります。


現実では生々しすぎるものが、アバターを通すことで少し届きやすくなることもある。逆に、軽く見えてしまいそうな感情を、声や間や距離感で深く見せる必要があることもある。

この独特のズレが、クロスロードの面白さを作っている気がします。

たぶんこれは、何かの下位互換ではありません。
実写の代わりでもなければ、アニメの簡易版でもない。それぞれのあいだにある、新しい演技の領域みたいなものです。


もちろん、まだ発展途上だと思います。

正解が固まっているわけでもない。でも、正解がないからこそ試せることがある。クロスロードは、その途中にいる作品なんじゃないかと思っています。

『クロスロード』をより深く知るなら、物語が動く回を観てほしい

作品の全体像を知るには、説明を読むだけでは足りないことがあります。

クロスロードも、たぶんそうです。

世界観だけなら、文章でもある程度伝えられます。
制作背景も、こうして書けば見えてくる部分はある。


でも、この作品の本質はやっぱり、登場人物たちの揺れ方の中にあると思うんですよね。

誰が何を選ぶのか。
どうしてその言葉になるのか。
好きなのに、うまく届かない。
近づきたいのに、距離ができる。

そういうものが積み重なって、クロスロードの輪郭ができていく。

だから、もしこれから作品に触れるなら、いくつかの回を実際に観てもらえると嬉しいです。

最初の空気を知るなら第1話
少し物語が深まってきた中盤
そして、関係性が大きく動いていく後半

その流れで触れると、クロスロードがただの設定先行の作品ではなく、ちゃんと人物で進んでいるドラマだということが伝わりやすい気がします。

終回の現場まで来て見えてきた、メタバースドラマ『クロスロード』の輪郭

長く続けている作品には、途中からしか見えないものがあります。

最初には見えなかったもの。
作り始めたときには、まだ言葉にできなかったもの。

それが、積み重ねのあとでようやく輪郭を持つことがあるんですよね。


クロスロードも、たぶんそうでした。

最終回の現場まで来て思うのは、この作品は完成した映像の集合だけではない、ということです。もちろん作品は作品として存在している。でも同時に、その場に流れていた空気や、ここまで積み上げてきた時間も、たしかに作品の一部になっている気がするんです。


作り続けたからこそ生まれる空気があります。
同じメンバーで、同じ熱量で、何度も向き合ってきたからこそ宿るものがある。

それは脚本だけでも、映像技術だけでも出せないものかもしれません。

クロスロードは、最初から全部が見えていた作品ではありませんでした。でも、走ってきたからこそ見えてきたものは、確実にある。

そしてその輪郭は、たぶん最後に近づくほど、少しずつ濃くなっていくんだと思います。

まとめ|『クロスロード』は、まだ途中だからこそ今知ってほしい

ここまで読んでもらって、クロスロードは何か。
それをひとことで言い切るのは、やっぱり少し難しいです。

・メタバースドラマ
・恋愛ドラマ
・アバターによる演技表現

どれも間違ってはいません。
でも、どれも少しずつ足りない気もします。

たぶんクロスロードは、そういう言葉の途中にある作品なんだと思います。


仮想空間でドラマを作るという挑戦であり、アバターで感情を届けようとする試みであり、個人制作の枠の中で、どこまで作品を育てられるのかを確かめる時間でもある。

だから、これは過去を整理するためだけの記事ではありません。

もう終わったものを並べているわけでもない。
まだ進んでいるからこそ、今触れてもらう意味がある。むしろ途中だからこそ、見える熱量もある気がしています。


もしこの記事を読んで少しでも気になったなら、まずは作品に触れてみてください。

そのあとで、制作の裏側や考えてきたことを読んでもらえると、たぶん見え方が少し変わるはずです。


クロスロードは、まだ途中です。
でも、だからこそ今ここで知ってもらえることにも、意味があるんじゃないかと思っています。


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