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個人クリエイターのIPとは何か?クロスロード残り3話の今、作品の価値を考える

どうも、久我レイジです。

最近、少し考えてしまうことがあります。

ちゃんと作ったものが、そのまま強く届くとは限らないんですよね。

むしろ、丁寧に積み上げた表現ほど、静かに通り過ぎていくことさえある。逆に、まだ少し不揃いなのに、なぜか記憶に残るものもある。


前なら、そこを運やタイミングの話として処理していたかもしれません。ただ、どうもそれだけでは説明しきれない場面が増えてきました。

今は作品そのものだけが見られているわけではなくて、その人が何を考えながら作っているのか、どこを削って、どこを残したのか、そこまで含めて受け取られている感じがあるんです。


たぶんここが、今の個人クリエイターにとっての難しさでもあり、同時に面白いところでもあるんだと思います。


IPとは何か?個人クリエイターが見落としやすい本質

IPという言葉は、ずいぶん広く使われるようになりました。ただ、便利すぎるぶん、少し雑にもなりやすい気がしています。

キャラクターを立てるとか、世界観を整えるとか、発信に一貫性を持たせるとか、そういう話はたしかに大事です。

でも、そのあたりをきれいに揃えたからといって、それだけで人の中に深く残るかというと、そうでもない。

見た瞬間に上手いと思うものはあります。ちゃんとしているし、見せ方も洗練されている。ただ、不思議とそこから先に進まないことがあるんですよね。


この差は何なんだろうと考えると、たぶんその人の中を通ってきた時間の重さみたいなものなんです。

人は完成度だけで惹かれるわけではなくて、その奥にある迷いや執着や、続けてきた痕跡にもちゃんと反応している。

そう考えると、IPって最初からきれいに設計して作るものというより、積み上げたものがあとになって輪郭を持つものなのかもしれません。

作品の積み上げが価値になる時代|YouTube・note・Xは別の場所に見えてつながっている

YouTubeには動画があり、noteには文章があり、Xには短い投稿が流れている。

形式だけ見れば別々なんですが、受け取る側からすると、そこまできれいに切り分けられていないんですよね。

映像には作り手の考え方がにじむし、文章には作品の背景が残る。Xの短いやりとりの中にも、その人が何に反応し、何を大事にしているのかが出る。


見る側は無意識のうちに、全部を一つの流れとして受け取っているんだと思います。

これって、個人にとってはかなり大きい話です。

一本の動画が伸びなかったから終わり、ひとつの記事が跳ねなかったから無駄、という話ではなくなるからです。

この流れを持てる人は、派手に勝つというより、消えにくくなる。今はたぶん、その差の方が大きい気がしています。

クロスロード残り3話で感じること|物語の終盤とIPの育ち方は少し似ている

今、動画公開中のメタバースドラマ「クロスロード」は残り3話です。

最新話はこちらから


この段階に来ると、序盤ではただ通り過ぎていた場面が、あとから重みを持って戻ってきたり、小さく見えた選択が終盤になってから全体の意味を変えてきたりする。

散らばっていたものが少しずつ結び直されていく時間、という感じがあります。

クロスロードも、最初から「IPを作ろう」と考えて始めたわけではありません。


ただ、本気で面白いものを作りたかった。その気持ちでここまでやってきた。

でも気づけば、YouTubeには映像があり、noteには考えが残り、Xには日々の断片が流れている。それぞれ別のことをしているように見えて、実は全部が少しずつ響き合ってきている。

狙って整えたから強いというより、やめずに積み上げたから、あとから意味が出てきた。

個人のIPって、案外そういう順番で立ち上がるものなのかもしれません。

個人制作の強みとは何か?小さいからこそ残せるものがある

個人制作は不利です。資本も限られるし、人も少ない。できることには限界がある。その現実はあると思います。

ただ、個人には個人にしか出せない濃さがあるんですよね。

作る人と語る人が分かれていなくて、考えている人がそのまま手を動かしている。迷いがそのまま残ることもあるし、執着が薄まらないこともある。

そのぶん、不器用さごと作品に乗る。

整えられたものより、まだ体温が残っている表現の方が、人の中に長く留まることがある。最近はそこに、少し希望を感じています。

SEOや拡散だけでは届かない理由|この人だから見るはどう生まれるのか

SEOは大事ですし、拡散も必要です。

入口がなければ、そもそも見つからない。ただ、入口だけ強くても、その先に残るものがなければ続かない。

この人の次が気になるとか、また見に来たくなるとか、今度は何を出すんだろうと自然に追ってしまうとか、そういう状態が生まれたとき、発信は一回ごとの勝負ではなくなります。

そこから先は、作品も文章も、少しずつ蓄積になっていく。

たぶんIPって、派手な肩書きのことではないんです。この人の流れを、なんとなく追ってしまう。その状態のことなんじゃないかと思います。

これからの個人クリエイターに必要なのは、新しさより接続なのかもしれない

作品と思想、映像と文章、日々の発信と長く作っているもの。

それらがつながると、ひとつの作品が急に強くなるというより、その人全体の輪郭が見えてくる。

僕自身、まだ途中です。クロスロードも、残り3話で終わるようでいて、たぶん本当はそこから別の見え方が始まる。

ここまで積んできたものが、どこでどう線になるのか、まだ全部は分かっていません。


でも、ひとつだけ今の時点で思うのは、作品って出した瞬間に完結するわけじゃない、ということです。

もしここまで読んで何かひとつ残るなら、個人クリエイターにとって本当に強いのは、完璧な一本を作ることより、消えずに効き続ける流れを持つことなのかもしれない、ということです。


If you are reading this from outside Japan, I’d love to hear where you’re from.

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