なぜ昭和天皇が退席した瞬間、吉積軍務局長は絶叫したのか?
― 1945年8月から考える、日本組織の「本音と建前」―
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1945年8月、日本の降伏を巡る最後の意思決定を読んでいて、私は妙なところが気になった。
ポツダム宣言を受諾するのか?
受諾するとすれば、どこまで条件を付けるのか?
日本政府と軍部は最後まで意見を統一できなかった。
8月9日深夜から10日未明にかけて開かれた御前会議では、昭和天皇自身が意見を述べ、戦争終結の方向へ事態が動くことになる。
私が気になったのは、その直後である。

天皇が退出した後、陸軍省軍務局長の吉積正雄少将が、鈴木貫太郎首相に激しく抗議したという。
「総理、これでは約束が違うではありませんか。今日の結論はこれでよろしいのですか」という趣旨だった。相当な剣幕だったらしい。
最後には陸相の阿南惟幾が、「吉積、もう良いではないか」と制止した。
私はこの場面を読んで、軍事史とは少し違うところで引っかかった。「なぜ吉積は、それを天皇がいる時に言わなかったのだろうか?」という点だ。
◼️同じ人間、同じ部屋、数分後
恐らく場所は殆ど変わっていない。議題も変わっていない。吉積の考えも変わっていない。変わったのは、「昭和天皇がその場からいなくなったこと」である。
天皇がいる時には臣下として振る舞う。天皇が退出すると、突然、総理大臣に激しく詰め寄る。私はここに、非常に日本的なものを感じてしまった。
もちろん、1945年の御前会議を現代の会社の会議と同じ基準で評価することはできない。天皇は普通の上司ではない。大日本帝国憲法下の国家元首であり、統帥権を持つ大元帥でもある。御前会議には独特の儀礼があり、天皇の前で臣下が自由に言い争うような場所ではなかった。だから私は、吉積正雄という人物を「卑怯だった」と言いたい訳ではない。
むしろ逆だ。吉積ほどの軍人でさえ、そう振る舞うことを要求された日本社会のシステムの方に興味がある。
◼️私なら、そこに違和感を覚える
私はこの種のコミュニケーションが余り得意ではない。相手によって発言内容を大きく変えるコミュニケーションスタイルに大きな違和感がある。反対なら、本人がいるところで反対と言えばいい。
本人がいるところでは何も言わず、その人が帰った瞬間、「あれはおかしい」と言い始める。私はそこにauthenticityを感じないのだ。
もちろん社会生活では、誰でも言い方を変える。社長に話すときと友人に話すときが完全に同じである必要はない。問題は言い方ではなく、主張そのものまで変わることだ。
「私は反対です。ただし理由はこうです」と丁寧に言うことと、本人がいる間は沈黙し、いなくなってから激しく批判することは違う。吉積のエピソードを読んで私が感じた違和感はそこだった。
◼️日本には「誰がそこにいるか」で変わる会議がある
これは1945年だけの話なのだろうか?
私はそうは思わない。日本の組織では今でも、会議では反対しない。上司がいるときには言わない。会議終了後に「あれ無理ですよね」と言う。「本人がいない飲み会では猛烈に批判する」という光景が珍しくない。
そして翌朝、その本人に会えば、「昨日はありがとうございました」となる。もちろん、これは日本だけの現象ではない。組織にはどの国にも権力関係がある。アメリカ企業でも上司に何でも言える訳ではない。
しかし、日本ではしばしば「何を言うか」以上に「その場に誰がいるか」への感度が高いように感じる。私はそこに本音と建前という日本文化の古い問題を見る。
◼️しかし、1945年8月には洒落にならない
普通の会社なら、それでも組織は回るかもしれない。売場のレイアウトについて本音を言わなかった。新商品の企画に反対だったが黙っていた。その程度なら翌日修正できる。
しかし1945年8月に彼らが決めていたのは、「戦争を終わらせるかどうか」である。
既に広島に原爆が落ちている。ソ連が参戦している。長崎にも原爆が投下された。その状況でなお、
「誰がいるかによって発言の仕方が変わる」
という組織文化が残っていた。だから吉積の絶叫は、私には妙に象徴的に見える。
◼️本音を抑えることと、組織への忠誠は同じなのか?
日本的組織では、しばしば「空気を乱さない人」が大人だと評価される。上司の顔を潰さない。会議を荒らさない。根回しをする。全員が納得できる落とし所を探す。これ自体は悪いことではない。日本社会では、むしろ高度な社会的能力でもある。
しかし、それが行き過ぎると、「正しいと思うことを、その場で言う」ことより、「その場にふさわしいことを言う」ことが優先される。すると組織の上に行けば行くほど、トップに届く情報が加工されていく。
トップの前では皆が冷静である。トップが退出すると激論になる。トップからすると、「そんなに反対していたなんて知らなかった」となる。これは意思決定システムとして危険だ。
◼️Authenticであるとは、絶叫することではない
ここは誤解されたくない。
私は「思ったことを何でもそのまま言えばいい」と考えている訳ではない。それはauthenticityではなく、単なる無遠慮になることもある。
重要なのは、「相手によって礼儀や表現は変えても、自分の基本的な主張まで変えないこと」だと思う。
天皇の前なら、「陛下、それは間違っています!」と絶叫する必要はない。しかし、「恐れながら、陸軍としてはこの理由から受諾には反対でございます」とは言える。そして天皇が退出した後も、基本的には同じ主張をする。それなら一貫している。
私が吉積の場面に感じた違和感は、声の大きさではない。天皇がいるかいないかによって、表に出る人間そのものが変わったように見えることなのだ。
◼️80年前の会議が、妙に現代的に見える
1945年8月の御前会議というと、私たちは歴史上の巨大な出来事として見る。昭和天皇。鈴木貫太郎。阿南惟幾。東郷茂徳。ポツダム宣言。原爆。ソ連参戦。
しかし、細部を読んでいると突然、物凄く身近に感じる瞬間がある。天皇がいる間は静かだった人が、天皇が帰った瞬間、
「ちょっと待ってくださいよ!」と総理に詰め寄る。
そして上司である阿南が、
「吉積、もういい」と止める。
80年前の国家最高レベルの会議なのに、どこかで見たような光景である。だから私は、この場面が気になって仕方がない。
日本は1945年8月、軍事的に追い詰められていただけではなかった。意思決定の文化そのものも限界に達していたのではないか?
誰がいるかを読む。空気を読む。その場に合わせる。本人がいなくなってから本音を言う。それは平時には組織を円滑にする潤滑油になる。しかし危機になれば、必要なのはむしろ逆なのかもしれない。
誰が目の前にいても、言い方は変えても、言うべきことは変えない。
1945年8月の吉積正雄の絶叫を読んで、私はそんなことを考えた。
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