加治屋町から始まり、加治屋町で終わった日本陸軍
漠然な問いだが、
「日本陸軍は、どこから始まったのか? そして、どこで終わったのか?」
私は「日本陸軍は、薩摩(鹿児島)の加治屋町から始まり、加治屋町で終わった」と考えている。
◼️司馬遼太郎の言葉
司馬遼太郎は「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」と言っている。それが、鹿児島市の加治屋町である。
◼️私の違和感
この言葉を知った時、私は妙な既視感を覚えた。なぜなら私は既に同じようなことを考えていたからだ。私の場合は、日露戦争どころか、太平洋戦争の敗戦までを加治屋町の住民でやったと考えている。
近代日本(1868年〜1945年)とは、加治屋町の町内会が始めて、その町内会で終わったと言っても過言ではない。
司馬は「始まり」を語った。私の場合は、その「終わり」まで含めて見ているのだ。
◼️起点:西郷隆盛
日本陸軍最初の大将、西郷隆盛は薩摩・加治屋町の出身だ。明治維新という彼の戦争は制度では無く、人間に根ざしていた。忠義、規律、仲間意識、そして命を賭ける覚悟。それはつまり「武士の戦争」だった。
◼️加治屋町という場所
加治屋町 は特異な場所だ。西郷隆盛、 大久保利通、西郷従道、大山厳、そして東郷平八郎といった明治国家の中枢人物を輩出している。ここで私は、ある違和感に気づく。
◼️加治屋町というOS
加治屋町 は単なる地理ではない。そこには、郷中教育から連なる、強い上下関係、同郷ネットワーク、集団への忠誠、そして私より公という行動様式があった。それは単なる制度ではなく、薩摩型の“人間のOS”だったのだ。
◼️加治屋町と私の身体
加治屋町には甲突川が流れている。この川沿いは、かつての私のランニングコースだった。その時は特別な場所だとは思っていなかった。ただの地元の風景だった。だが今振り返ると、私は西郷隆盛が生まれた場所の近くを走り、明治国家の起点となった空間を日常として、走りながら通過していたことになる。それは単なる教科書の歴史ではなかった。身体感覚だった。
留学していたアメリカの大学の教室で松方正義の子孫の話を聞いた時、また、麻布十番で「この辺は鹿児島出身者が多い」と言われた時、私はなぜか、この加治屋町の川沿いの風景を思い出した。
鹿児島
麻布
三田
フィラデルフィア
私の人生が1本の線で繋がる瞬間だった。私はただ走っていただけだ。だが気づけば、国家の起点と終点を生んだ場所を、自分の足でなぞっていた。
これは、私のフォレスト・ガンプ的なエピソードの1つだ。
◼️終点:牛島満
牛島満。彼もまた、加治屋町の出身だった。第2次世界大戦末期の沖縄戦の日本陸軍司令官として、持久戦を選択、組織として戦い続け、最後は自決した。
彼は近代軍人だった。日本陸軍で最後に大将に昇格した男だ。しかしその内側には、加治屋町的なOSが残っていたのだろう。
◼️始まりと終わりは同じ構造
日本陸軍の最初の大将だった西郷は町内会的結束で国家を作った。日本陸軍の最後の大将となった牛島は町内会的結束で国家と共に消耗した。同じOSが、異なる時代で異なる結果を生んだ。
◼️本質
幕末から終戦までの約70年間の間で制度や技術は大きく変わった。だが、人間のOSは変わらなかった。加治屋町という小さな空間で生成された、江戸時代の薩摩藩の行動様式が、軍、官僚、国家へと拡張され、最後はそのまま崩壊まで持っていった。
◼️結論
日本陸軍最初の大将、西郷隆盛。日本陸軍最後の大将、牛島満。2人とも加治屋町の出身。日本陸軍と近代日本は、正に薩摩・加治屋町から始まり、薩摩・加治屋町で終わったのだ。
「1868年から1945年の77年間の近代日本とは、加治屋町の町内会が始めて、その町内会で終わったと言っても過言ではない」
これは歴史の皮肉ではない。1つの文化が、最後まで貫徹された結果である。
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