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アメリカの大学の教室で、松方正義を思い出す

15年くらい前、ペンシルベニア州フィラデルフィアのTemple UniversityでJapanese Historyの授業を取っていた。

先生の名前はPaul Reagan。

彼は本来はVillanova University所属の教員だが、週に何コマかはTempleでも教鞭をとっていた。UPennとCambridgeで学び、慶應にも留学経験があり、日本のMorgan Stanleyでも働いていたという、妙に立体的な経歴の持ち主だった。


彼は授業中、何度もこう言った。

「僕の友人に、松方正義の子孫がいる」

私はその話を、なぜか強く覚えている。


■松方正義という存在

松方正義は薩摩藩出身。内閣総理大臣と大蔵大臣を歴任した元老の1人だ。大蔵卿として財政再建を行い、日本銀行を創設し、金本位制を導入した。近代日本を最速で世界有数の「軍事国家」に仕立て上げたのが山縣有朋なら、松方は日本を欧米と肩を並べられる「経済国家」に接続した人物だ。しかも、彼は東京の麻布・三田の土地を大規模に所有していた。

■麻布十番での記憶

その何年か後、私は日本に戻っていた。ある春の深夜、急性胃腸炎で参っていた私。麻布十番界隈で深夜の時間帯で唯一営業していたのが、「くすりの城南」だった。そこで薬を購入した際に、薬剤師 (恐らくオーナー) と雑談をした。出身地の話になり、私はこう言った。

「鹿児島から来ました」

するとオーナーは言った。

「この辺は鹿児島出身者が多いよ」

その瞬間、私は松方正義を思い出した。

■三田と薩摩

港区三田には 慶應義塾大学 がある。この話はまたいつか投稿するつもりだが、

慶應は武士の“リスキリング装置”だったのではないか?

と私は常日頃から思っている。


明治維新後、職を失った薩摩の士族が東京へ出る。明治政府に溢れる薩摩閥のコネを活かして、リスキリングを試みる。福沢諭吉の学校を知る。その慶應で学ぶ。官僚・実業家になる。麻布・三田に住む。

そして薩摩武士仕草がが明治以降に「東京文化」として全国に伝播する。恐らくは元々は薩摩(鹿児島)の文化にも関わらず。

根っこは薩摩なのだ。

というのが私の仮説だ。

■Templeの教室に戻る

フィラデルフィアの教室で、東海岸エリート回路を歩んできたReagan教授が、彼の日本の友達 (松方の子孫) の話をしている。その話を、鹿児島出身の自分が聞いている。気付けば私は、薩摩・明治維新・鹿児島・麻布・慶應・アメリカ東海岸・フィラデルフィア・金融・国家設計を1本の線で繋いでいた。

■これは単に郷土愛の話ではない

私は歴史の年号を暗記するタイプではない。私は物事を常に構造を見る。日本軍を作った山縣、日本の国家財政を作った松方、武士をサラリーマン化した慶應、東海岸でそれを外側から語るアメリカ人教授、そして今、地方で経営をしている自分。

■なぜこの話が忘れられないのか?

恐らく私はずっと、

国家の設計者たちは何を残し、何を標準化できなかったのか?

を考えている。

松方は財政を制度化した。山縣は軍を制度化した。しかしその制度は、後に暴走も生んだ。それは国家の話であり、企業の話でもある。Templeの教室で聞いた松方の話は単なる逸話ではなかった。あれは、私の人生、つまり、鹿児島というローカルとアメリカ東海岸というグローバルを1本で繋ぐ回路だったのだと思う。


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