創業社長としての山縣有朋
近代日本の崩壊(第2次世界大戦の敗戦)は、山縣有朋の死去によって運命付けられていたと感じる。近代日本は山縣有朋という調整役無しでは成立しなかった。山縣有朋の死去と共に近代日本は自爆した。自らの後継者を育成出来なかった(しようとしなかった)ことが、彼の能力の限界だったのだろう。近代日本は正に明治維新の第1世代で終わった革命だった。
山縣亡き後に軍は暴走を始め、西園寺の死去から1年で太平洋戦争が始まった。山縣システムという属人的なシステムの中でギリギリで回っていたのが近代日本。これはプーチン体制下の現在のロシアと類似性がある。プーチン亡き後のロシアも山縣亡き後の日本のように更に暴走するだろう。その時、日本が巻き込まれない保証は無い。
山縣有朋の構築したシステムは山縣の死と共に崩壊し、近代日本の崩壊はそこで運命付けられた。近代日本の崩壊(終戦)に際しては、昭和天皇が自ら聖断を下さなければならない状況にまで追い込まれた。本来は山縣を始め、元老達が果たすべき役割だった。山縣有朋が自ら構築したシステムにより、天皇が直接的に政治的判断をせざるを得ない状況を回避しようたしたことを考慮すると皮肉だ。
奇跡的に終戦間際に、山縣有朋の様に軍部・政府・宮中をギリギリ調整出来る人物がただ1人生き残っていた。鈴木貫太郎だ。明治維新の第2世代の海軍軍人として、第1世代から明治維新の理念・欧米との協調・リアリズムを直接学び、しかも天皇からの信頼が厚い、正にかつての元老のような人物。昭和天皇が直感的にか、論理的な裏付けを持って鈴木を首相に指名したのかは不明だが、正に神の一手だった。鈴木が226事件を生き残り、しかも長寿だったことは日本にとって奇跡だった。鈴木が存在しなければ、文字通り日本は破滅していただろう。 鈴木貫太郎が226事件で奇跡的に生き延びたことは、日本の近現代史の中でも屈指の「運命の分岐点」だった。昭和天皇の采配はある意味で「山縣システムの幽霊を最後にもう一度召喚した」行為とも言える。
山縣有朋と東條英機の関係性が創業社長とサラリーマン社長の関係と非常に似ていることに気付いた。制度設計者と制度内で出世してきた者では、求められる能力やバックグラウンド、視野などが全く違う。日本軍の組織崩壊は企業統治の話と強い関連がある。
結局、黒船来航から原爆投下までの100年間くらいの日本の欧米へのルサンチマンは変わらなかったということ。山縣有朋や伊藤博文の様なリアリストが存命で実権を握っている間はそれが制御されていた。元老達が退場すると、欧米への対抗心とも言える幕末からの古層のアイデンティティが剥き出しになり、制御不能の太平洋戦争へと突っ込んでいった。欧米へのルサンチマンという点で、日本とロシアは似ている。特に今のプーチン・ロシアはそれが剥き出しになっている。日本もまたいつ剥き出しになるかわからない
山縣有朋は、国家を創業することには成功したが、自分という“例外的経営者”を次世代が再現・停止・修正できる形に標準化できなかった。それが近代日本最大の構造的欠陥であり、同じ悲劇は、現代の巨大創業企業(ソフトバンクやユニクロなど)でも起こり得る。


