「乗ー MUSIC, 乗ー LIFE.」——音楽に乗る、人生に乗る
「NO MUSIC, NO LIFE.」
あまりにも有名な、タワーレコードのコピーです。
「音楽のない人生なんてありえない」という思いを、
シンプルで力強く表現した名フレーズですよね。
私はこれまで、この言葉を元に、
多くの思考実験的なエッセイを書いてきました。
今回は、この「NO」が「乗ー」だったら——?
と考えてみました。
「乗ー MUSIC, 乗ー LIFE.」
音楽に乗る、人生に乗る。
いやいや、何を言ってるんだ?
いくらなんでも無理やりすぎだ!
——と思われるかもしれません。
でも、考えれば考えるほど、これはただの言葉遊びではない、
むしろ、生き方そのものを問い直すフレーズかもしれない、
と感じるのです。
最後までお読みいただければ、きっと、
「イエス!
乗ー MUSIC, 乗ー LIFE.」
と言っていただける…と思います。
「音楽に乗る、人生に乗る」を感じていただくため、途中で、サブリミナル…もとい参考イメージを挿入していきます(笑)。
本文とは特に関係ありません。
さて、私は、童謡『線路は続くよどこまでも』について、
過去2回にわたって、真剣に考えてきました。
<第1弾>
線路がどこまでも続くためには、
完成してしまってはならない——
そう考えた結果、あの世界では、
線路は「前に敷かれ、後ろが解体される」
という構造をしている、という結論に至りました。

最後尾の線路を解体し、それを材料にして、
また前へ前へと線路を敷いていく。
走り続けるかぎり、線路が伸び続ける世界です。
そして、あの歌の2番では、
「線路は歌うよ、いつまでも」
と歌われていました。
<第2弾>
線路が歌う。列車が響く。
そして、乗っている「ぼくたち」も、
リズムに合わせて歌う。
線路(固定されたもの)と、
列車(動き続けるもの)と、
人の声(揺らぐもの)が、
同じリズムで同期している世界。
それはつまり、
走り続けることそのものが、音楽になっている世界です。
これらの考察の結果、
私は気づいてしまったのです。
——これ、人生と同じじゃないか、と。
未来には、
まだ線路がありません。
だから、
「この先どうなるんだろう」と
不安になるのは、
とても自然なことです。
一方で、
列車が通過したあとの線路は、
そのまま残されてはいません。
解体され、回収され、
次の線路の材料として、
前方へと運ばれていきます。
過去は、
そのままの形では残らない。
記憶としては残っても、
構造としては、
もう同じ場所には存在しないのです。
次に、人生を、
ひとつの「音楽プレイヤー」だと考えてみます。
人生=音楽
時間=再生バー
思い出=波形

まだ再生されていない部分。
それが、未来。
すでに再生し終わった部分。
それが、過去。
そして、
再生バーが今まさに触れている、
たった1秒分だけが、「今」。
私たちはいつも、
その「今」の上に立っています。
音楽は、
過去も未来も、
同時には鳴りません。
鳴っているのは、
いつだって「今」だけです。

ここで、線路の話に戻ります。
再生バーが進むとき、
音楽は流れます。
同じように、
再生バーが進むとき、
列車は線路の上を走っています。
再生バーが進む=列車が進む
波形が描かれる=線路が通過された跡
未再生部分=まだ敷かれていない線路
つまり——
人生とは、
再生されながら敷かれていく線路なのです。

「音楽に乗る」という言葉があります。
リズムに身を委ねる。
体が自然に動く。
考える前に、感じている。
音楽に乗っているとき、
私たちは音楽を支配していません。
テンポも、リズムも、
音楽の側にあります。
でも同時に、
完全な受け身でもない。
「乗れていない」ことは、
身体が教えてくれます。

人生も、これとよく似ています。
人生を1本の線路に例えられることには、
抵抗がある人もいるでしょう。
「敷かれたレールの上を走る」
なんて、マイナスイメージそのものです。
でも。
「自由=レールの外に出ること」
と考えがちですが、
実際には、
・どの車両に乗るか
・窓側か通路側か
・立つか座るか
・途中下車するか
・景色を見るか、寝るか、本を読むか
こうした選択の積み重ねが、
人生の味わいを決めていきます。
自由とは、
「どこを走るか」より「どう乗るか」にある——
「人生に乗る」とは、
人生を思い通りに動かすことではなく、
動いている人生と、
自分のリズムを合わせていくことです。
しかも、レールは、
すでに完成しているものではありません。
これから敷かれる、
可能性に満ちたものです。
線路が一本しかなくても問題ありません。
人は、同時に複数の人生を
生きることはできないのですから。
大切なのは、この一本の線路を、
「乗せられている」と感じるか、
「自分で選んで乗っている」と感じるか、です。

私が考察した「線路は続くよ どこまでも」の世界では、
列車が通過したあとの線路は、解体され、回収され、
次の線路の材料になります。
人生も、それと同じです。
過去に起こった出来事は、
そのままの形では残りません。
でも、
何も残らないわけではない。
記憶として。
価値観として。
判断の基準として。
うまくいったことも、
うまくいかなかったことも、
遠回りも、寄り道も。
それらはすべて、
「もう使えない過去」ではなく、
「これから使われる材料」です。

私たちは、
未来が用意されているから
走っているのではありません。
走りながら、
過去を回収し、それを材料にして、
その都度、未来を敷き直している。
人生という線路は、
最初から完成しているものではなく、
走りながら、
編集され続ける構造なのです。
今日も、
再生バーは進み、
音楽は鳴り、
列車は走っています。
音楽に乗るように。
人生に乗るように。
乗ーMUSIC, 乗ーLIFE.
それは、未来を生きるための、新しい合言葉です。
さぁ、みなさん、大きな声でご唱和ください。
\ イエス! /
乗ー MUSIC, 乗ー LIFE.

なんのはなしです歌
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