【歪んだ共依存の沼】『鍵のない夢を見る』辻村深月|私だけが支えられるという恐怖
『鍵のない夢を見る』辻村 深月
まとめ
『鍵のない夢を見る』辻村 深月
ごく普通の人々が、ほんの小さな自惚れや弱さから取り返しのつかない奈落へと静かに滑り落ちていく様子を描いた、直木賞受賞の傑作ミステリー短編集です。「自分だけは大丈夫」と信じている心の隙間に忍び寄る悪夢のような心理描写に、背筋が凍るほどの衝撃を受けました。

①現実が見えていない男の生々しい「痛さ」と、彼を切り捨てられず泥沼の共依存に陥っていく恋人のリアルな心理
②マウンティングや子育てへの焦燥など、誰の心にもある日常の「歪み」が破滅へと繋がっていく恐怖
③ただの後味の悪さで終わらせず、現実の私たちが踏みとどまるための「心のブレーキ」となる、深い読後感
一歩間違えれば、自分もそちら側へ転落してしまうかもしれない。そんな人間の「脆さ」を容赦なく突きつけつつ、自分を深く見つめ直すための切実な余韻をくれる一冊です。人間の心の奥底を描いたサスペンスが好きな方は、ぜひ読んでみてください。皆さんは、自分の「心の弱さ」を自覚させられた本はありますか?
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感想
『鍵のない夢を見る』辻村 深月
「自分だけは大丈夫」――そう信じている私たちのすぐ隣で、ごく普通の人々が、ほんの小さな自惚れや弱さから取り返しのつかない奈落へと静かに滑り落ちていく。本作は、そんな人間のずるさや愚かしさを容赦なく描き出し、読者の心に強烈な爪痕を残す、直木賞を受賞した5つの傑作ミステリー短編集です。
なかでも、医学部を目指して何年も留年を続ける男・雄大を描いた「芹葉大学の夢と殺人」は、その生々しい「痛さ」において突出しています。大学の選択体育で少し活躍しただけで「日本代表になれる」と本気で語ったり、まずは医者になって生活を安定させてから「絵本を描く」という夢を語ったりする彼の姿は、他人事ながら底の浅い情けなさに満ちています。「確かにこういう、現実の見えていない人ってどの学年にもいたな」と、最初は皮肉混じりの苦笑いが込み上げてくるはずです。
しかし、この物語の本当の恐ろしさは、雄大の情けなさそのものではなく、そんな彼を切り捨てられず、ついには殺人を犯した彼と共に逃亡することを選んでしまう恋人の女性・美雪の心理描写にあります。「あんな男、早く捨てればいいのに」と周囲は誰もが呆れます。それなのに、彼が世間から惨めに扱われるのを見るたびに、彼女の心の中には「この人を本当に理解し、支えてあげられるのは私しかいない」という、歪んだ特別感が芽生えていってしまうのです。彼を見捨てることは、これまでの自分の選択や愛情をすべて無駄だったと否定することになる――。そんな底なしの泥沼のような共依存の心理を覗き込んだとき、私は理屈では割り切れない、ひどく暗いモヤモヤに捕らわれました。
収録されている他の作品たちも、マウンティングや子育てへの焦燥、見栄や虚飾といった、誰もが心に飼っている身近な「歪み」が、放火や泥棒といった破滅的な犯罪へと繋がっていく様を冷徹に描いています。
私たちが普段、見ないように蓋をしている、心の中の「鍵のない扉」。その隙間から、いつでも、誰であっても、悪夢のような破滅へと踏み出してしまうかもしれない。本作を読み終えたとき、私は自分自身の内なる「脆さ」を突きつけられたような気がして、冷や汗が流れるのを止められませんでした。ですが同時に、この恐ろしくも美しい悪夢を本の中で疑似体験することこそが、現実の私たちが踏みとどまるための、静かで強力な「心のブレーキ」になってくれるのではないか。そんな、ヒヤリとする知的な興奮と、自分を深く見つめ直すための切実な余韻をくれる、冷徹で美しい名作です。
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