個人文学賞「第二回すべて失われる者たち」の受賞者発表
二〇二六年一月十日(土)十時から二月十五日(日)二十三時五十九分までの間に五十編の応募がありました。「歌われない作家」による試みとしては望外の挑戦に出合えたことをうれしく感じます。参加者の皆さまには深く感謝申し上げます。
応募作品一覧
今回も第一回目と同じく、より独創的でわかりやすく、心を動かされた短編小説を受賞作品に選びました。個人文学賞なので、好みにかたよっている部分は少なからずあると思います(ほかの方が審査すれば、受賞に至った作品もあるでしょう)。
いずれの短編小説も「書きたい」という意欲にあふれており、選考は簡単ではありませんでした。実際、わたしが選ばなかったなかにも光るものがある作品は少なくなく、どの方も今回の結果に一喜一憂せず、これからもひたむきに書き続けてほしいと思います。選考外の作品で気になった部分については、後半の総評でお伝えいたします。
発表は、以下のとおり、寸評とともに期待賞、佳作、優秀賞の順で行います。
期待賞(五名)
Neco Nucco (笹倉りえ)さん|【短編小説】たぶん、知りたくもない。
寸評
雪が舞う日、「私」は大学生だった頃を思い出す。コンビニでアルバイトをしていたとき、唯一面識のないスタッフの身に起こった出来事だ。それからずっと、知らない誰かは、知らないままいなくなった。昨日も、母の口から何度か名前を聞いただけの、面識のない兄の不幸を知ったばかりだった。全体を不穏な雰囲気が包み、それらの理由を「知りたくもない」と思うけれども、「たぶん」と自信なさげに自分に言い聞かせる点に強いリアリティーを感じました。「原付のモーターの音を、しばらく残響のように聞いていた」「雑な店長がやけに丁寧に貼ったテープの白は、元々の紙よりも少しだけ白くつやっとしていた」「暗い箱の中へ紙が落ちる乾いた音がした」など、五感を刺激する表現も効果的に使われていました。
みくまゆたんさん|ああっ、推しのメルモさまっ【陰謀論×女子高生・ショートショート】
寸評
笹嶺美穂は「メルモさま」に心酔していた。高校二年の春「 YouTube のおすすめ欄」を流し見していると、不意に「メルモの地球生存戦略」というタイトルが目に止まったのがきっかけだ。柔らかく白い肌に、すっと伸びた切れ長の瞳の美青年に対する信者たちの言葉に、美穂は最初「なにこれ、気持ち悪い」と感じるが、「10万人以上の人が支持しているのなら、きっと彼は本物なのだろう」と思う。「AI時代を生き抜くには、大学に行っている暇はない。独自の視点を持つ者だけが生き残るのです」というメルモさまの言葉に従うように美穂は高校を中退して家を出たけれど、実は……。非常に現代的なテーマを扱いながら、二〇〇〇文字という限られた文字数のなかで希望と絶望を大きな落差で描く力量に感服しました。
ショートショートの駅さん|さようなら、ゴッホ。【ショートショート#118】(1976字)
寸評
舞台は十九世紀末のフランス(以前開催した「一枚の写真から文芸賞」で佳作に選ばせていただいた「ナンシー、こっちを向いて。」も海外でのストーリーでした)。語り手のカミーユいわく「あの頃の僕は生まれ育ったアルルの家を出てパリに行きたくてうずうずしていた」。そんななか、一八八八年六月にパリから突然引っ越してきたフィンセントと出会い、交友を深めていく。絵画にいそしむ風変わりな男とその周りの風景、日本の芸術家に触発されている画家の置かれた状況などがとても丁寧な筆致で描かれています。会話も含め文章はよどみなく読め、史実を下敷きにした作品は迫真性に富んでいて、そのアイデアにむしろ独創性を感じました。読み手をより引きつける意味では、タイトルは「さようなら、フィンセント」のほうがよかったかなと思います。
コナさん|短編小説 なだらかな丘
寸評
高校で同じクラスの日高くんにひそかに恋心を寄せる「私」。背が高く眼鏡をかけていて勉強が良くできる日高くんについて、私は「高校を卒業したら東京の大学に進学するのだろうなぁ」と漠然と思っている。友人の真紀と帰り道にマックスバリュに寄ると、地元宮崎の名物「じゃりぱん」を通して日高くんと間接的に会話を交わす。青春の一ページを切り取った作品で、「好きなのだ」「なかなか希少な人物であった」「別れたのだった」といった文末が昔の翻訳小説のようで、ある意味個性的と感じました。最初の一文は「お昼のサンドイッチの包装紙と牛乳パックを潰すとぽいっとゴミ箱に投げ捨てた」のほうがより読者を引き込めるかなと思えるなど少し荒さはあるものの、出し抜けに「彼には丘が似合うと私は思う」と感じる場面をはじめ強い現実味がありました。
米田梨乃(よねた りの)さん|短編小説「イーディスの荷ほどき」
寸評
三十年前のあの日からずっと足踏みを続けていた五十八歳のイーディスが「自分が進むために」ある決断を下す物語。いわく「それでもどこかで、人生の本筋はまだ始まっていない気がしていたのです」。「ですます」調の敬体で書かれる文章が、誰かに向けた手紙のようにも読めます。「濡れた舗道を走るタクシーが水を裂くたび、街全体が小さく震えました」「夜になると階段がわずかに軋きしみ、家そのものが眠りにつく合図をくれました」「埃を払うと乾いた粉が指先にまとわりつきます」「ドアが閉まる音は小さかったのに、その後の静けさは、家全体が空洞になったように大きく響きました」など情景描写も嫌味なく巧みで、ぐいぐい読み進めることができます。革製の古いスーツケースを象徴的に扱っている点も魅力的でした。
佳作(三名)
守谷佳純 / kasumiさん|短編小説|茶色の瞳 #第二回すべて失われる者たち文芸賞
寸評
十代のころの思いとは異なり、内科医の父を継いだ隆太はずっと後悔の念に苛まれてきた。「子どもは愛おしく妻は同志のような信頼のおける女性だが、僕はたびたび知里を思い出した」。高校生のころ、体の弱い母と障害のある弟がいて、父が病気になった知里と隆太はぐっと距離を近づけ、助けを求める彼女と秘密の交わりを重ねる。でも、それだけだった。両親に障害のある弟がいることを理由にその関係を反対され、知里には「もう終わりにしよう」と告げられた。それから十数年、知里の母の葬祭場で再会を果たすまでの出来事や心情が豊かな表現で書かれています。二人が抱き続けてきた思いもうまく描かれていますが、最後から三行目にどうしてもリアリティーが感じられませんでした。映像的な効果を狙った一文が実は大袈裟で、どうイメージしても現実に起こるようには思えませんでした。「惜しい」の一言に尽きます。
七味屋 将さん|【短編小説】 花筏
寸評
冒頭から「京都駅」「烏丸線」「五条通」と固有名詞が出てきて、臨場感がある。実際「五条駅で下車して地上に向かう階段を一段ずつ進むたびに盆地特有の皮膚に張り付く湿度が増していく」「ネイビーのカラーコートを脱いでシャツ姿になれば幾分かは涼しげな風が体に吹き付けてくる」といった文章が散りばめられていて、読み手の感覚が刺激される。伴侶のいる恵との久々の再会。久しぶりに会う恵を前に、俺は「存在を蔑ろにされていた恨みみたいなものを言葉に込めてみようと意地悪く思ってしまった」。俺は恵に好意を寄せているが──実際、俺だけを見てと、指輪も外して来るくらいは気を利かせろよ、となじりたくなる──恵はその心を楽しむようにもてあそび、あげく「だって逆方向じゃない」と言い放つ。表現力が豊かで、余韻の残る終わらせ方も巧み。俺はどこか悪女(ファム・ファタル)に翻弄される自分に快感を覚えているようにも見え、谷崎潤一郎の作品を思い出しました。
おすぬさんさん|【短編小説】奥行き十三歩には、|「第二回すべて失われる者たち文芸賞」応募作
寸評
わたしたち夫婦が住むアパートの部屋は端から端まで十三歩。「十三」は西洋では不吉で忌み嫌われる数字で、日本では死者を導く「十三仏(じゅうさんぶつ)」を思い起こさせるかもしれない。ようやく結婚し、半年前に引っ越してきたばかりの「わたし」にとっては、十三歩で収まるその「104号室」が世界の中心だ。新たな生活が始まり、望むように進んでいってほしい拠りどころでもある。アパートの西側──太陽が沈んでいく方角だ──は一軒家に接していて、そこに住む三歳くらいの男の子がわたしの生活をかき乱す。明瞭な死とほのかな生の予感が漂う物語で(味気ない生殖行為も描かれていて)一定の女性であれば共感できる部分が多いのではと思いました。過剰に凝った表現などがなく非常に読みやすいうえ、最後の一文に主人公の力強さを感じました。
最優秀賞(一名)
ちなみさん|【短編小説】糸をたぐる午後
寸評
「折り合いがいいとは言えなかった」母が三カ月前に亡くなった「私」がやっと遺品整理に手をつけ始めた時期に叔母がやってきて、一枚の写真を渡す。死を記録した写真をきっかけに、母はカメラで表現することにとことん没頭し、「家事や育児そっちのけで仕事にのめりこんだために父とのあいだには溝が生まれ、離婚に至るのに時間はかからなかった」。母との確執を丁寧に振り返りながら、ほんの少し許しの心が芽生えた私は、ずいぶん前から付き合っている陽司に、唐突にある提案をする。それが「ありそうもないことに思えるけれど、実際にあり得るなあ」と思え、非常に現実的だと感じました。さわやかな終わり方(始まり方)は、わたしでは書けないものので、その展開力がうらやましく感じました。二〇〇〇文字という限りあるなかで、母と私の人生の両方を描いた筆力も見事です。
受賞作以外にも一見、よく書けているなと感じる作品もありましたが、主に以下の点が気になりました。
冒頭で読者を引き込めていない
豊かな描写というより細かい説明になってしまっている
作者の都合で出来事が起きたり、人物が動いたりしている
表現に凝りすぎて、綺麗な写真を一枚ずつ見せられているような感覚になる
「実際にありそうに思えるけれど、実はあり得ない」感じがして現実感に欠ける
ほかには、ありていに言えば、読書経験に乏しいのか、単純に「書きたいこと」と「文章力」が乖離している作品もあり、そうした未熟な作品には心が動かされず、選ぶことができませんでした。惜しくも受賞を逃した方は特に、前回の個人文学賞「すべて失われる者たち文芸賞」の受賞者発表の総評も参考にしてみてください。
ともあれ、参加者の全員が「何かを書きたい」という熱を持っていることは伝わりました。おそらく「何かを書きたい」という漠然とした気持ちが「これを書きたい」という明確な思いに変わったときに、もう一歩前進するのだと思います。
気が向いたら、あらためて個人文学賞を開催したいと思います。また会いましょう。
受賞者の皆さまへ
賞品の送付に関して、二〇二六年四月十日(金)までに、staff@nowhere1011.com宛にnoteのアカウント名とともにメールをお送りください。メールの件名は「第二回すべて失われる者たちの受賞について」としていただけますと幸いです。期待賞の五名さまにつきましては、書籍『すべて失われる者たち』(サイン入りも可能です)またはAmazonギフトカード一五〇〇円のどちらを受け取るか、明記してください。なお、期日までにメールが届かない場合は、受賞を辞退したものとみなす可能性があります。あらかじめご了承ください。
短編小説集『すべて失われる者たち』を出版しています。ぜひチェックしてみてください。
