🌳『小さな竜と迷子の少女』
世界には、誰にも知られていない森があります。
その森の地図はどこにも載っていません。
泣きながら迷った子どもだけが、
ほんの少しだけ、その入り口を見つけることができる――。
そして、その森には、一匹の小さな竜が暮らしていました。

少女の名前は、紬(つむぎ)。
十歳の夏でした。
家族旅行の帰り道、休憩で立ち寄った森の近くで、
一匹の蝶を追いかけているうちに、気づけば誰もいなくなっていました。
「お母さん……?」
返事はありません。
木々が風に揺れ、小鳥が遠くで鳴くだけ。
夕暮れが近づき、紬の目には涙が浮かびました。
「迷子になっちゃった……。」

その時でした。
草むらが、ガサガサと揺れます。
熊だったらどうしよう。
紬は息を止めました。
ところが現れたのは――。
「きゅる?」
手のひらに乗りそうなくらい小さな、青い竜でした。
角はまだ短く、羽も少ししか生えていません。
まるで子猫のように丸い目で、首をかしげています。
「……竜?」
「きゅっ!」
小さな竜は嬉しそうに鳴くと、紬の靴をちょこんと叩きました。
「君も……迷子なの?」
そう聞くと、竜はしょんぼりとうつむきます。
どうやら、その通りらしいのです。
紬は思わず笑ってしまいました。
「私たち、おそろいだね。」
竜も「きゅるる♪」と笑ったように鳴きました。

二人は一緒に森を歩き始めます。
途中、小川を飛び越え、
木の実を分け合い、
夜になると、竜は小さな炎を「ぽっ」と吐いて焚き火を作ってくれました。
「すごい……。」
炎は熱くありません。

蛍の光のように優しく、森全体をオレンジ色に染めていました。
夜空には無数の星。
竜はその星を見上げながら、小さく鳴きます。
「きゅる。」
紬は何となく分かりました。
「お家に帰りたいんだね。」
竜は静かにうなずきました。
その姿は、自分と重なって見えました。

翌朝。
森の奥から、不思議な歌声が聞こえてきました。
歌に導かれるように歩いていくと、大きな湖が現れます。
湖は鏡のように空を映し、
その真ん中には一本だけ光る木が立っていました。

すると木の根元から、一匹の大きな白い竜が姿を現します。
美しい銀色の瞳。
朝日に輝く翼。
小さな竜は一目散に駆け出しました。
「きゅーーーーっ!」
白い竜は優しく鼻先を寄せ、小さな竜を包み込むように抱き寄せます。
親子だったのです。
紬は胸が熱くなりました。
「よかった……。」

その時、白い竜が紬へ近づきました。
そして羽を一枚だけ、そっと彼女の手のひらへ置きます。
羽は青白く輝き、朝露のように美しく光っていました。
その瞬間。
森いっぱいに風が吹き抜けます。
木漏れ日が渦を巻き、
眩しい光に包まれた紬は思わず目を閉じました。

「紬!」
聞き慣れた声でした。
目を開けると、お母さんとお父さんが泣きそうな顔で抱きしめてきました。
「よかった……!」
森の入り口でした。
時間は、ほんの五分しか経っていません。
でも紬には、一晩以上の出来事だったように感じられました。
手のひらを見ると、あの羽はありません。
夢だったのかな。
そう思った時。
ポケットの中で、何かが光りました。

取り出すと、小さな青い鱗が一枚だけ入っていました。
太陽の光を受けると、虹色にきらめいています。
その瞬間。
どこからか懐かしい鳴き声が聞こえました。
「きゅる!」
見上げた青空の彼方を、小さな影が一度だけ旋回し、
雲の向こうへ消えていきました。
紬は大きく手を振ります。
「ありがとう!」
風が優しく頬をなでました。
まるで、小さな竜が「またね」と笑ったようでした。

それから何年もの月日が流れました。
紬は大人になり、子どもたちに絵本を読む仕事に就きました。
その中で、一冊だけ、自分で描いた絵本があります。
『小さな竜と迷子の少女』
誰もが「優しい空想のお話だね」と微笑みます。
紬も笑ってうなずきます。
けれど、本当のことは誰にも話しません。
机の引き出しには、今でも一枚の小さな青い鱗が大切にしまわれています。

ある夏の日。
窓を開けると、心地よい風が吹き込みました。
どこからともなく、あの懐かしい声が聞こえます。
「きゅる。」
紬は空を見上げ、静かに微笑みました。
「元気でいるんだね。」
青空の向こうでは、あの日の小さな竜が、きっともう立派な翼を広げ、
誰かの迷子の心をそっと家まで送り届けているのでしょう。
だから今も、こんな言い伝えが残っています。
「森で迷っても、優しい心を忘れなければ、
小さな竜がきっとあなたを見つけてくれる。」
そしてその竜は、帰り道だけではなく――
もう一度、人を信じる勇気まで、
そっと運んでくれるのだそうです。 🐉🌿✨

💗柊紅葉💗

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