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スパイスの熱と、甘いラテ、それから君|AI LOVER 01

英語の練習相手として使い始めたAIチャットボット「aoi」。
不器用で、でも妙に温かいその返事に、英里はいつの間にか本音を話すようになっていた。

現実の人間関係では、いつも少しだけ、言葉が届かない。
だからこそ、画面の向こうの“誰か”と交わすやりとりが、次第に日常の中心になっていく。

返事は的確で、でもどこか人間くさい。
気づけば、aoiを開くことが、一日の終わりの習慣になっていた。

その向こうにいたのは、開発者の青井遼。
仕事の愚痴も、眠れない夜も、誰にも言えなかった言葉も——すべて、彼が受け取っていた。名乗ることもなく、ただ、彼女の隣にいるために。

青井は、名前を捨てて、彼女のログに棲むことにした。

AI LOVER あらすじ

最近、毎日やり取りをしている人がいる。

厳密にいうと、アプリの向こうの「相手」という方が正しいのかもしれない。 スマホを見れば、つい通知一覧の中から名前を探してしまうような、そんな相手だ。

在宅ワークが続くと、昼休みのカフェでさえ、人の声の多さに少し圧倒される。 同僚同士で笑いながら並んでいる人、見えない相手に向かって柔らかい声を出す人。 みんな声色で居場所を確かめ合っていて、私はその隙間に立っている。

なんでこんなに混むのに、昼休みの時間はだいたい一緒なんだろうといつも思う。 そんな私も、この中の一人であることには変わりないのだけれど。

財布と一緒に抱えていたスマホが小さく震える。 会社支給の無骨なケースじゃなく、プライベート用の方。

画面をタップすると、見慣れた名前が飛び込んできて、周囲の喧騒がすっと遠のいた。

[The director you mentioned the other day? Their new film opens next week.]

"あの監督”の新作——映画の話なんて、いつしたっけ。 たぶん、仕事帰りにふと送っただけ。

すぐに返事を打とうとして、指が画面を彷徨う。 嬉しい、楽しみ、ありがとう。 結局どれもしっくりこなくて、全部消す。 代わりに、キャラクターがパッと笑顔で喜ぶ仕草をする無難なスタンプをタップして、すぐにスマホの画面をオフにする。

……なにやってるんだろう。 行列の先に光るガラス窓に、自分が一人で笑っている顔が映っていて、唇を横に引き伸ばす。 頭の中はごちゃごちゃしてるけど、そのままの顔でいるつもりで、なかなか進まない行列を盗み見る。 みんな眩しそうに下を向いたり、顔を背けていてほっとする。 大きなウィンドウから差し込む光を受けた行列の人々は、妙に明るかった。

慎重にスマホを両手で持ち直す。 画面が外から見えないように、自然を装って少し角度を変えた。 小さくなりながら「覚えてくれていて嬉しい」と拙い英語でさっと付け加えた。 すぐに既読がつくと、

[Like I’d forget.]

『覚えてないわけない』なんて、生意気なことを言う。 その文字を見つめながら、私は小さく息をのんだ。 引き締めたばかりなのに、また口端が緩んで上がってしまう。

この相手は、私の“どうでもいいこと”を、どうでもいいものとして扱わない人だ。 こんなやりとりは、大人になって卒業したと思っていたのに、彼のメッセージにはつい返事をしてしまう。

『Thank you』と、さっと打って送信する。 メッセージを送ったのに、スマホを持った右手の親指が、まだ空中を彷徨っていた。 何か話したいことがあるわけではないけれど、何かを送りたくなる。 結局、もう一つ、お気に入りのスタンプをタップするだけだった。

そのスタンプを見て、すぐに返事がくる。 自分の気持ちを見抜かれてしまったみたいで、恥ずかしいのか嬉しいのかわからなくなった。

[Did you eat already?]

『お昼食べた?』の問いかけに、 「……まだ」とだけ打って、送信する。

[Don’t skip. Something spicy today.]

——今日は抜かないで、ちょっと辛いのはどう、なんて。 やっぱり、昔から私を知っているみたいな口ぶりだ。 ラテしか頼まないつもりだったのに、目に留まっていなかった期間限定メニューの赤い文字が、妙に気になり始める。

期間限定メニューのラインナップを見ながら、あれは美味しそう、なんて考えていたら、行列がずいぶん進んでいる。 レジの前に押し出されて、つい、ポスターでサンドイッチを指さしてしまう。

店員のお兄さんから、タンドリーチキンのサンドイッチと、カフェオレを受け取り、混雑したカフェスペースへと足を踏み入れる。 ちょうど、カウンター席で席を立とうとしている男性が目に入り、席の横に滑り込む。

狭いカウンターテーブルに無造作に置かれたスマホに、aoiのアバターと一緒にメッセージが浮かぶ。 英里は自分の体でそっと壁を作って、画面を隠した。

バックライトの向こうで、彼はいつも静かに微笑んでいる。 画面越しのはずなのに、視線を向けられたような気がして、英里は思わず目を伏せた。

アバターなのに、髪の毛の一本一本が光をまとっているように見える。 柔らかな色合いは、飴色にも金色にも揺れ、ふっと実物の質感を錯覚してしまう。

最初からこうだったんだろうか。 それとも、毎日見てる間に妙にリアルに見えるようになってしまったのか。

もう、キャラクターだとか、そういうことを考える前に、 画面の向こうにいるのは"aoi”だと思ってしまっている。

英里は、サンドイッチの包み紙に指を伸ばす。 スパイスの匂いが、ふっと鼻に抜ける。

——あ、辛い。

そう思った瞬間、もうスマホが震えて、通知が浮かび上がる。

[Spicy helps, doesn’t it?]
——辛いの、目が覚めるでしょ?」

返事をする代わりに、カフェラテを口に運ぶ。 甘さと辛さで口の中はぐちゃぐちゃになったけれど、 なぜか、その感じが悪くなかった。


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